第60話 打診
粗目の別邸には誰もいなかった。
──どういうことだ?
楽正栄は、よくない想像をして、背中に汗が滲むのを感じた。
その情動は彼の従者たちも同じだったようで。
「ひとまず管理人に確認してみましょう!」
主にそう提案した。
「そうだな、すぐに呼ん──。いや、こちらから出向こう」
楽正栄は頷くように言って、早足で歩き出した。
楽正栄は、董本の身を守るため辛都から離れてもらった。国の決定如何もさることながら、辛国の貴族には梟国とつながりを持つ者が多く、彼らが董彬側に与して行動を起こすかも知れないと考えたからだ。息子の楽正微に案内させ、ここ粗目にある別邸に隠れてもらう手筈だった。
辛都にて、どう転んでもいいようにネマワシをしていたところ、早馬の手紙が届き、道中にて襲撃を受け、楽正微が深手を負ったことを知った。
諸々のやり取りをどうにか終わらせ、楽正栄も馬を飛ばして駆け付けたところだった。
しかし、董本一行が滞在しているはずの別邸は空で、何か考えるにしても、まずは彼らがここに来たのかどうかを確かめようとした。
「これは旦那様、わざわざお越し──」
「挨拶はいい。聞くが、楽正微たちは来たか?」
「えー、楽正微様はお越しになりませんでしたが、軍の方が来られて──」
管理人の男は言い掛けると、棚に置いてあった封書を取り、楽正栄に手渡した。
「こちらを旦那様か、その使いの者に渡すよう言われました」
男の言葉を聞いた楽正栄が封書をあらためると、そこには楽正微のものと思われる字で、軍の施設にいる旨が書かれていた。
「これはいつの話だ」
「昨日です」
楽正栄は息子の活命に、一応の安堵をした。だがすぐに。
──董本様たちはどうなった?
もう一つの気掛かりも確かめるべく、彼は息子がいるであろう軍営へと向かった。
「聞きましたか、追丘さん。鎮魂の魔女の話」
仲間の一人が話しかけてきた。
「いえ──」
追丘は、ほぼ無感情で答えた。
異名、二つ名の類いに、追丘は元より興味がない。それらを好み、持ち上げたりする趣味があるのは知っているが、これまで琴線に触れることはなかった。加えて、鎮魂というワードから、その正体がどうにも想像できず、訳のわからない問いをされた気分だった。
「じゃあ、当百の魔女の話は知ってるでしょ?」
追丘は黙って頷く。
知らぬはずがない。追丘が参加した砦攻め、その砦の指揮官の女だ。当時はまだ異名はなかったが、実力者であると言われていた。
「あの魔女が、去年の戦いで死んだ辛軍兵のために祈りを捧げたらしいんですよ。それで慰霊碑も作っちゃったとか──」
──!
確かに驚くべきことだ。
さりとて、他国のことでもある。自分たちとは異なる風習もあろう。余所から見れば、辛国のカタキ討ちも奇異に映っている。
「そうなんだ──」
追丘の反応が薄かったせいであろうか。
「いいですか追丘さん。相手はあの当百の魔女なんですよ。伏兵も夜襲も、こちらの勝負手だって見抜いちゃう先読みの人なんですよ」
仲間は熱を込めて言う。
「だから、将校たちの間では、これは何らかのメッセージではないかって言われてるんですよ」
「それは辛国に対しての?」
「そうですよ」
──馬鹿馬鹿しい。
自分たちは敵対していないとでも言う気だろうか?
報復戦争で侵攻し、辛軍の兵を多く屠り、それで博愛を宣っても誰も聞く耳など持ちはしない。件の魔女が噂通りの先見の人なら、そのようなメッセージが通用する可くもないことは、わかっているはずだ。
「ただの考えすぎよ」
追丘は弱く首を振った。
と、そこへ軍営の兵がやって来て──。
「追丘救護兵。中佐が呼ばれております」
「は、はい」
追丘は返事をしつつも、中佐とは、粗目の軍営の指揮官のことであろうと思い。
──先日、助けた貴族のことか?
用向きの理由について考えた。
「こちらです──」
と、兵がそのまま案内役となり、追丘はその後を追った。
追丘が中佐の元へゆくと、あの少年一行と、知らぬ貴族と思われる男とその従者だかもいた。
何の集まりであろうかと追丘が訝しんでいると。
「貴方のお陰で愚息は助かりました。ありがとうございます」
貴族の男に頭を下げられた。
──律儀な人か。
おそらく男の希望で謝辞の場を設けたとか、そんなところだろうと察した。
「いえ、救護の判断をしたのは輸送隊を先導していた者です。私は言われたことをやったに過ぎませんし、私一人の仕事でもありません。過分なことです」
追丘は努めて淡々と返した。
軍人としての体もあるが、事実として皆の働きあってのことだという思いが強かった。
「いや、あなたの助けるという言葉に私は救われた。無茶なことを言わせてしまったと、今にして思う。私からも礼を言いたい」
白髪の老人も頭を下げ、同じように少年一行も頭を下げた。
流石に困った追丘は中佐を見つめ、目で『何とかしてくれ』と訴え、彼も理解を示し、一同の礼容を終わらせた。
これで用は済んだだろうと追丘が思ったのも束の間。
「追丘君。君は前の砦攻めに参加していたが、そのときのことは覚えているかな?」
中佐が、そう問うてきた。
「はい──。ここより、汐径の国境を目指し、越境しました」
「うむ。では、そのとき辿った道など記憶しているかな?」
重ねて問う中佐。
「え、ええ・・ 覚えていると思います」
追丘も困惑を隠せない。
「うむ──。そんな君に折り入って頼みたいことがある」
中佐はそう言うと、追丘に、少年一行の素性について明かした。
──!?
追丘は、容易ならざる事態に自分が巻き込まれようとしていると自得した。
「君には、董本様たちを、汐径の砦まで道案内してほしい──」
中佐は有無を言わせぬ感で言った。




