第58話 徳化
「先生、申し訳ありません。急ぎ、ここを立っていただきたい」
帰宅した楽正栄は百栽にそう告げた。
「如何したか?」
「梟国から、公式に董本様の引き渡しが要求されたそうです」
「なんと!?」
百栽は驚くが、すぐに。
「果たせる哉、手際が良い──。やはり黒幕は董彬で間違いないか・・」
苦い顔をして言った。
「まだ国がどう動くかはわかりませんが・・」
「いや、流石は私の生徒だ」
百栽は言って、楽正栄に笑顔を見せた。
楽正栄の指示により、董本たちの移動の準備は速やかになされた。
「董本様。折角お越しいただいたというのに──」
「いいえ。それよりも、楽正伯のお立場が心配です」
「ハハッ。私にも味方となる者はおります。ご憂慮めされますな」
董本の言葉に明るく返し。
「これは私の息子、楽正微です。皆様方をご案内いたします」
そう楽正栄は紹介した。
「楽正微です。父に代わり、僭越ながら先導役を務めさせていただきます」
十代後半であろうか、楽正微は緊張の面持ちであった。
出発となったとき。
「百栽殿──」
高勉が言って、百栽をじっと見た。
「な、なんだ? 高勉・・」
百栽は怪訝な表情を浮かべた。
「ほっかむりして下さい」
「またそれか!」
文句を言いつつも、百栽は髪を隠した。
「では、楽正微殿。よろしく──」
「はい。出発します」
高勉に促されて、楽正微は馬腹を蹴った。
董本一行は辛都から西南に進んだ。
通称、どさ回り──。追丘に割り当てられた仕事はそれだった。
追丘が、花文に行った脅迫めいた追求は、すぐに知れ渡った。それは仕方ないというか、どちらかといえば意図して見せつけたものだ。追丘としては、後の処分を覚悟の上で、花文の本性を暴くつもりで実行した。
結果、彼女は半年間の減給と、地方の巡回治療の任が命じられた。
地方を回るのは元より〈角端の法〉を使う者の仕事である。彼らにとっての訓練の一種であり、順番に熟していたものだった。
さはさりながら、普段は中央で、そこそこ優遇されている魔法使いにとっては、あまり人気のある仕事ではなかったのも確かだ。
そういう意味では、ペナルティーとして丁度よかった。
花文については詳しくは知らない。
追丘の話が噂になったころには、既に東の街に異動になったと聞いた。向こうは治安維持ぐらいしか仕事がないとされるから、実質的に左遷であろう。
追丘は、花文はもっと邪気に満ちた人間かと思っていたが、実際は他責ばかりの情けない男でしかなかった。もしかしたら、今も恨み言をつぶやいているかも知れない。
不毛なことをしたとまでは思わないが、追丘が考えていたより心は晴れず、彼女の中には鈍い痛みを放つ棘が残った。
地方巡りは、追丘としても自分を見つめ直し、棘とどう付き合っていくか、それを考える時間という意味で、こちらもまた丁度よかった──。
西の街、上白での活動を終え、追丘たちは南に進んでた。
彼女を含む、数名の救護の兵たちは、軍の輸送用の馬車に相乗りするような形で移動している。荷台の乗り心地は、すこぶる悪い。これも、巡回が不人気な理由であった。
次の目的地である粗目は、かつて追丘が参加した砦攻めで兵が編制された場所だ。そこから強行軍で越境した。
──色々と思い出す。
現在の自分にとって、切っ掛けのような所だ。
──振り返るほど、前の話でもないのに・・
一年も経ってないのに、感覚的には数年前のような気さえして、追丘には我が事ながら不思議だった。
──それだけ濃密だったか?
追丘が自問の時間を過ごしていると。
「停止!」
輸送を先導する騎兵が声を発し、馬車は止まった。
「なにごとかな?」
仲間が言ってる内に、後部に付いていた、もう一人の騎兵も前に行ったようだ。
しばらくして騎兵が御者に。
「向こうで戦闘が起きているようだ。賊かも知れん。馬車は一旦待機だ。場合によっては引き返すことになるかもだ──。そちらも、ご理解いただきたい」
「はい!」
最後のは荷台に乗っている救護兵たちに向かっての言葉だ。代表して、追丘が返事をした。
騎兵たちは、一人が近くまで様子を確認しに行くことにしたようだ。
「どうせ止まってるんだし、降りませんか?」
提案する者がいて、追丘たちは荷台から大地に足を着けた。
やや不謹慎の念は持ったが、縮こまった体を伸ばすのには良いタイミングだった。追丘たちは思い思いに体を動かしていた。
「これも負けたせいですかね」
兵が誰とはなしに言う。
軍が痛手を被ったことが、治安にも影響しているのではないかという話だ。尤も、それとこれとは構造的に別儀だが、賊徒が勘違いして能動的になる可能性はあった。
「どうだろう──。あっ、戻って来た」
騎兵が駆け戻り、速度を弱めたと思ったら、そのまま追丘たちの側まで来た。
「すみません。皆さんに救護をお願いしたい」
その言葉で追丘たちは仕事の顔になった。
馬は懸命に引いて、件の場所まで馬車を走らせた。
到着すると、視界には幾つかの死体が入って来たが。
「こちらです」
悪いが、命の残像には構っていられない。救護兵たちは目もくれず、患者の元へ急いだ。
若い男が深手を負っていた。出血が酷く、太い血管が傷ついたと思われた。
追丘たちは急いで処置に取りかかった。
──まだ十代か?
想起するのは花廉の姿。類比すれば、幾分若いかも知れない。
──死なせない!
とたん追丘は況して気概を持った。
無論もとより真剣であるが、追丘の中で、あたら若い命が消えることを忌避する気持ちが強く生じていた。
「どうか、お頼み申す。助けてやって下され──」
白髪頭の老人が懇願してくる。
「助けます!」
言い過ぎている自覚はあった。失敗して、後で罵られるかも知れない。罪悪感に苛まれることも考えられる。それでも追丘は、己の心から逃げたくなかった。
「百栽殿。我等にやれることはありません。敵の身元を調べるのを手伝って下さい」
武人と思しき女が、淡々と言い。
「わかっておる」
老人は不機嫌に返した。
二人はそれで離れたが、一人動かぬ者がいた。
「君、あまり見ない方がいいよ」
仲間が声を掛ける。相手は少年だった。おそらく十歳ほどであろう。
「はい。ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、私には見届ける責任があります」
──!
少年の揺るがない、一本芯の通ったような言葉だった。
事情はわからぬが、若い男が少年を庇ったとか、そういう話かも知れないと想像した。それは仲間たちも同じだったか、もう何も言わなかった。
追丘の意気と、少年の信念、それらに触発され救護の一同の集中力は普段以上であった。難しい処置であったが、彼らは何とかやり遂げた。
しかしながら、それで助かるかどうかは別の話だ。
「助かったのですか?」
少年の問いが重かったが。
「一応は、です。彼は血を多く失いました。あとは本人の体力に懸けるしかありません」
追丘は、己が責務として真率に答えた。
「わかりました──。皆様のご尽力に感謝申し上げます」
言って少年は慇懃に頭を下げた。
「どうやら貴族同士の争いのようだ──」
騎兵の男が言った。
「今の時代にですか!?」
仲間が驚くのも無理はない、そんなのは数世代前の話だったからだ。
「いや、狙うったって、たぶんあの子供だろ。流石にどうかしてる」
仇討ちを是とする辛国人でも、童子を対象とはしない。それは八つ当たりで憂さを晴らすのと同義のはずだ。心情を汲むが故に、そこに真摯さを求めるのも辛国人だ。
追丘を含め、皆は憤った。
「まったくだ──」
騎兵は言い。
「私としては捨て置くのも忍びない。どうであろう。予定にはないが、今日はこのまま野営にしませんか?」
そのように提案した。
軍の輸送車に同伴していれば、少年たちも襲われることはあるまい。
さりとて、治療が済んだ若い男を今、動かすわけにはゆかないから、一行は軍には同行できない。騎兵の彼は、自分たちがとどまる事で、それを解決しようというのだ。
「私は賛成です」
「自分も構いません」
追丘たちも、斯様に返答した。
──また感化されたか・・
追丘は、自分が、そしていつの間にか皆も、少年の姿に絆されたのだと理解した。




