第56話 鎮魂の魔女
鮑謖は正式に少佐に昇任した。そして守備隊隊長から、特別遊撃隊隊長へと肩書きが変更になった。ただ、砦自体は守備隊のままで、鮑謖の権限で遊撃隊に随時組み入れることが可能という扱いだった。
それに伴って、書類上、守備隊隊長も必要になったが、これには鮑謖の強い推薦と先の武功により、成嬰が少尉に昇任。彼を守備隊隊長に据えることで、万事解決した。
些些たる問題として、少佐と少尉だと音がちょっと被るのと、隊長が二人なのでという、なんか呼びにくい件があった。
こちらには崔弱が頭を回し。
「遊撃隊では少尉は副長になるので、副長で行こうと思います」
と、答えを出した。
その崔弱は伍長から軍曹へ昇任。他、仞操、袁望、先越なども伍長に昇任した。
斯くして、新体制となった砦では、門を出てすぐの所で六十名が整列していた。
「おい、今日ってもしかして──」
「あー。たぶん、そうだわ・・」
兵たちが小声で話している。
「何かあるんですか?」
退役した者に替わって配属された新人が尋ねる。
「あるというか、あったんだよ。一年前に──」
それで知らぬ者も理解した。
今日は、当百の魔女が、世にその存在を知らしめた日だと──。
「なぁ、時間って一分ぐらいか?」
「そうですね──。あんまり長くても雑念が入って、良くない気がしますし。妥当なところじゃないですか」
成嬰は崔弱の返答に独り頷く。
「なんなら、私が数えましょうか?」
「いや・・ 大丈夫だ」
成嬰は、また頷くようにして言った。
「軍曹。味方の犠牲者はともかく、敵が主体でという話は、自分は聞いたことがないように思うのですが・・」
先越が崔弱に言う。
「私も無い。ひょっとしたら世界のどこかには、あるのかも知れないけど。少なくとも汐径では、これが最初の出来事となるでしょうね」
「まさに、歴史的な話ですね──」
崔弱の言葉に、先越も感想を重ねた。
「やっぱり少佐は、私たちとは見てるところが違う。広く俯瞰して物事を捉えているかと思えば、こんな風に地に根ざしたような、敬虔なこともされる。誰よりも先を見てるのに、しっかりと過去を踏まえている」
唸るように語る崔弱に、先越、そして聞いていた成嬰たちもまた、静かに頷いた。
成嬰たちが抱いた厳粛な情動は、自然と兵たちにも伝播した。
──天気はいい・・
初春の風はまだ幾らか冷たいが、日当たりとあわされば悪くない。
──これは絶好の・・
「山菜採り日和!」
鮑謖は思念を言葉にした。
それは、まさしく彼女がやりたかった事で、砦に赴任する前から夢想していたスローライフっぽい行動なのだ。
去年は辛軍の騒動があったため、その後もバタバタして結局できず、鮑謖としては悔恨であり、今年こそはという思いがあった。
「よし。行軍訓練ってことでいこう」
体裁にも気を配り、鮑謖は兵に砦前に集まる指示を出した。
──おっ、みんな綺麗に並んでる。
──できる部隊って感じだな。
鮑謖は兵たちを見て感心しつつも、成嬰たちがいる場所まで移動した。
──ん?
と、ここで妙に皆が神妙なのに気付いた。
──むむッ、このパターンは・・
鮑謖も馬鹿ではない。
流石に三度目ともなれば、自分だけ理解していない、見落としている、これはそういう状態であろうと察した。
それでも、あまりよろしくない状況なのは確かだ。ちょっと考えてみたが、鮑謖の思いつく限り、今日は特に予定などはなかったはずだ。何が、この厳かな雰囲気を形勢しているのか、まったく想像できない。
さりとて、鮑謖に臆面はない。彼女には切り札がある──。
「少尉。砦の隊長として、任せてもいいかな」
「はっ。心得ております」
鮑謖の確認に、静粛な凄みを以て返す成嬰。何のことはない、いつもの丸投げである。
成嬰は一同に対して前に出ると。
「もう皆も気付いていると思うが──、今日は、この砦に辛国軍が攻めてきた日だ。伏兵や別働隊といった計画的な作戦だったが、鮑謖少佐の活躍、そして皆の奮戦によって勝利を得ることができた。その後も砦は攻められ、苦闘であったが、それも無事退けた。幸い、俺たちには犠牲は出なかったが、恂門の兵、そして多くの辛国の兵が死んだ」
そう語り、すこし思い出すようにしてから。
「俺たちがそうだったように、敵も懸命だった。味方を助けんため、必死に戦っていた。今こうして少佐に機会をいただき、あらためて思う。そして、これに敬意を表しようという少佐のお考えに心を打たれた。ともすれば向こうは望まぬかも知れんが、彼らに対する表敬と鎮魂を込めて、黙祷を送りたい」
成嬰はここまで言って、姿勢を正した。
それに倣い、一同も背筋を伸ばす。
「黙祷──」
そして静寂の時間が訪れた。
諜報員の男は、己が目で見た光景に愕然とした。
彼は辛国の人間だ。
今や当百の魔女の存在は無視できないものとして、常に監視の対象となっていた。
魔女の実績を見るに、彼個人としては信じ難いものであったが、王都で賞されたことからも、それらに間違いはないのであろうと理解した。
恐ろしいほどの軍略を持った魔女。その警戒心を以て仕事に臨んでいたら、予想だにしなかったものを見せられた。
「よもや──、敵のために祈りを捧げる者たちがいるとは──」
つぶやきの音は、自分でも意外に思うほど震えていた。
いや──、声だけではなかった。彼の心もまた、熱い感動に揺れていた。
「汐径にも、こんな風習はないはずだ・・」
それはつまり、砦の指揮官たる魔女が率先して行っているという事になる。
「若くして類い希なる才知を持ちながら、死んだ敵兵さえ敬うというのか。そんなのもう、格が違いすぎる。こんな傑物に──」
──勝てるはずがない。
辛軍の人間という矜恃が、彼に最後の言葉を飲み込ませた。
「これを報告するのは気が重い・・」
男は首を弱く振りながら、鎮魂の儀式を見つめていた。
──あーそういうことね。
鮑謖は目を瞑りながら思った。
──なんか私が指図した感になってるけど・・
その辺りは、成嬰なりの方便かも知れない。
──地域の風習かな?
鮑謖としても、敵対した者たちにまで黙祷するのは驚いたが、まぁまぁ素敵な風にも思えたので、良しとした。
──これからは配慮するべきかな。
砦の隊員たちの多くは地元民である。ある程度、彼らの習慣にあわせることも必要だろうと、尤もらしく考えた。
今更、言うまでもないかも知れないが──。
山菜採り日和と、去年の戦いの日付、その偶然の一致が起きた。
そこから例の如く。
──少佐には深い考えがあるに違いない!
と、深読みし、崔弱、先越あたりが想像力を爆発させた結果。出発前の集合が、いつの間にか鎮魂式に様変わりした。
畢竟、いつもの勘違いである。
「黙祷、終わり」
成嬰が言って、鮑謖も目を開けた。
「少佐。この後はどうされますか?」
成嬰が聞く。
「うん。行軍訓練を兼ねて、山菜採りに行く」
鮑謖はのんびり言った。
「はっ──。隊列を組め!」
下知が出され、兵たちも素早く動いた。
「うん。じゃあ行こうか」
「進発!」
それで守備隊は歩み出す。
──少佐は、日常に戻すつもりだな。
鮑謖の命は、鎮魂により殊更あらたまってしまった空気を、一度リセットし、平常に戻す意図があると隊員たちは解釈していた。
無論、そんな殊勝な話はないが──。
誤解こそ砦の普段だったから、言い得て、その通りになった。




