第54話 列卒
後翼国では軍人たちによる狼狩りが行われていた。
雪深くなる時期に恒例のもので、足跡から捕捉する意図がある。
武威を示すということは勿論。後翼は羊が特産であるため、それを狙う可能性のある野獣を狩ることは、生活、経済に結びついた重要な行事でもあった。
一定の範囲を、布や旗、縄などで囲って警戒心を煽り、狼の移動を制限する。続けて、勢子役が鳴り物などを利用しつつ、間合いを狭めていき、最終的に追い立てる。それを待ち構えた射手が仕留めるのが一連の流れだ。
取り逃しは厳禁なので、射手は得意とする兵が動員されているが、同時にイベントでもあるため、軍の上位に位置する者たちも、矢を番えた。
特に決まりはないが、誰が仕留めたかというのは、一応、彼らの見栄や面子に関するネタでもあった。そのため、それらお偉いさんの矢は意匠が凝ったものが多かった。
雁去病としては、この手のイベントは乗り気でなく、ここ数回はスルーしていた。
しかしながら、汐径からの撤退時に殿を務めたこと。それが、僅か百五十の兵だったこと。そして、その少数を以て、多勢の追撃を食い止めたことが話題となり、今や時の人であった。それ故の期待の空気もあり、辞退することが憚られた。
斯くして、彼もまた弓を取るに至ったが──。
「なるほど。縮図も様変わりしたか」
待機中の参加者たち動静を見て、雁去病はそう言い表した。
狩りには三准将も参加していたが、その派閥勢力であろう取り巻きの大きさには、明らかな差が生じていたのだ。
辛国、東錬国との共闘を、半ば専行的に主導した臧勤准将は、度重なった計画の不首尾と、先の骨折り損とも言える出兵で、その立場を著しく悪くした。今、彼の周りには、息子の臧超少佐ほか数名がいるだけである。
「大佐。臧勤准将が何やら睨み付けるように見てますが・・」
供に付いた部下が言うが。
「ほうっておけ──」
雁去病は相手にしない。
『臧勤は、意に反した雁去病を粛清しようとした』
先の殿での活躍が広まるのと同時に、斯様な臧勤の悪評もまた広まった。それもまた、彼の派閥の縮小に一役買ったのだろう。
逆恨みか、はたまた雁去病が話を広めたと思っているのか知らないが、臧勤の睥睨の理由はそんなところであろう。
「人は視線の方向に進むものだ。下に向けた時点で、もう上がることはあるまい」
雁去病はそう言った。
「あとは下がるだけですか──」
「そこまでは言ってない」
部下の言葉を否定した雁去病だったが、彼が思った以上に、それは衆知の言であった。
勢子に追い立てられた獣たちが射手の射程に入った。
とたん誰ともなく矢を放ち、その音は別の獣が鳴き合っているようにも思えた。
討ち漏らしはなく、実利としての部分は成功した。あとは誰の矢が刺さったのかという余興の部分だ。
勢子役だった者が、そのまま検分する形になるのだが、そこで騒ぎが起きた。
検分していた一人の男が、矢を落とした。
刺さっていた物が抜けてしまい、それが──、と思われたが、側にいた者が。
「それ、矢尻が汚れてないじゃないか!」
と、指摘した。
抜けるぐらい浅く、雪に触れたせいで、とも考えられたが。
「臧勤准将の矢だ──」
と、なった途端、皆は臧勤の不正を疑いだした。
つまり、あらかじめ勢子役に自分の矢を渡しておいて、検分の折りに、それをこっそり突き刺してもらおうという算段ではないか? という疑念だ。
──仕掛けを好む男だ。
臧勤の過去の計画から彼の性情を推断し、その上で、さもありなんと思った訳である。
無論、誰もそんな事は口にしない。
さはさりながら、衆人の視線と態度は殊のほか雄弁だった。
「おい、何だ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
言ったのは臧超だ。
当百の魔女に麾下をやられて以来、牙を抜かれたようになっていたが、父親に対する侮蔑の眼差しに瞋目を以て声を発した。
それは健気で純粋な怒りであったかも知れないが、過去の横暴な振る舞いと重なり、周囲には、あまり良い印象を与えなかった。
やはり臧親子に向かう視線は冷ややかで、それ以降、彼らは言葉を発しなかった。
「来るのではなかったな──」
雁去病は小さくつぶやいた。
数日後──。臧勤准将は引退を表明した。




