第48話 フルバック(後半)
──意外に前に出る・・
辛軍の動きに剛会は思った。
負けが続いた後だ。てっきり守りを固めて持久戦に持ち込むのだろうと考えていた。相手に勢いがあっても、いつまでも維持できるわけではない。耐え忍ぶことも戦術のひとつだ。
だから、そうならないよう強引にでも押して、早早と前線を崩してしまおうと、剛会は考えていたのだ。
だが実際は、辛軍も積極性をもって、能動的に動いている──。
「こいつは空元気だ」
剛会は断言した。
「たぶん、こっちが思ってるより連中の士気は低い。守りを固めても、じりじりと削られるだけだと踏んだのだろう。自ら前に出ることで、単純な攻めは通用しないと思わせ、別の手段を選ばせようと考えたとか、そんなところか」
剛会の言に部下たちも、当たらずとも遠からずであろうとの見解を持った。
つまり、敵が何らかの誘導を狙っているなら、下手に作戦を変えるより、愚直に力押しするのが正しいということだ。
汐径軍は況して力を入れ、辛軍を押し込んでいく。
迷うことはない。迷う必要はない。迷うことこそ敵の思惑だと、迷わず進む。
しばらくすると、案の定、敵の一部が崩れた。それに乗じようと更に力を入れるが、辛軍も必死にこらえる。
結果、最初に崩れた中央部のみ、穿つような形になった。
汐径軍としては『凸』か『品』の字のような格好だ。必然、辛軍は『凹』の字になる。
このままゆけば軍勢を貫くこともになり、辛軍の士気は大いに下がるに違いない。そうなれば、敵が逃げに転ずるのも時間の問題だった。
これは剛会を始めとする指揮者のみならず、多くの汐径兵が思い浮かべた展開でもあった。
だがしかし──。
汐径軍の前進はそこで止まった。否──、止められたのだ。
そして『凸』の出っ張りに対して、三方向からの苛烈な攻撃が始まった。
辛軍は、あえて崩れることによって汐径軍を釣り出し、部分的にだが包囲攻撃のような状況を作り出したのだ。
ここぞとばかり辛国兵は力を出す。
汐径軍の出っ張った中央には、この軍の総大将たる剛会大佐がいる。指揮官を失えば、兵の多寡、士気の正負、そんなものは全て吹っ飛ぶほどの衝撃になる。
「慌てるな! 守りを固めろ!!」
剛会は大喝しながらも思う。
──せこい仕掛けだ。
確かに今、剛会を中心とする汐径軍中央は三正面を相手にして、不利な状況だ。だからといって狼狽し、後ろに下がろうものなら、その引きの勢いを利用され痛撃を受けることになる。おそらく、それこそが真に敵が目当てとするところであろう。
よって、ここで引き下がるわけにはいかない。加えて──。
──どのみち無理攻めだ。
辛軍の『凹』の左右両翼は二正面で戦っていることになる。いずれ汐径の両翼に押される形になり、ごく自然に凸凹の構図は解消されるはずだ。
従って、防御を重視し時間を稼げば良いという話になる。
「敵の悪足搔きだ。勝ちは近付いているぞ!」
嘯きではない。剛会は冷静に状況を読み取り、確信の言として放っていた。
果たせる哉、汐径軍は、こちらを穿った状態を維持した。
全て、将軍が思い描いた通りに、事は運んでいる。
「あとは私が討つだけだ──」
将軍は、己が双肩に掛かった重さをひしひしと感じた。
元より、全軍の責任を彼は負っているが、作戦の要となると、また違った趣である。
「これより東回りに敵の背後を突く! 速度は全速だ。遅れることは許さん。我等の働きが、この戦場の命運を決めると心せよ!!」
将軍は、自らの麾下、百の兵に向かって檄を飛ばした。
「いくぞ!!!」
将軍は槍を高く上げ、馬腹を蹴った。
辛軍の狙いは、やはり大佐の剛会である。
しかし、三方からの攻撃は本命ではない。あれはあくまで相手を釘付けにする事と、敵両翼の注意を前方に集中させる事が目的だ。
汐径軍は『品』の字を是正するため、中央は踏みとどまり、両翼を前進させようと全力を出すはずだ。
その隙に将軍麾下の百が背後を取り、両翼の隙間を走って中央の軍に攻め掛かる。これは三方に加え、真後ろも攻める形になる。
即ち、四面による攻撃で敵の総大将を討ち取ろうという作戦だ。
これを為すためには、気付かれる前に回り込む必要がある。そのための麾下の精鋭であり、東に行くのは、敵も太陽に視線を向け難いとの判断からだ。
果たして、低めの旭光が百軍を隠し、将軍たちは慮外のまま背後を取った。
鮑謖は悠々としていた。
何しろ、大佐直々の「好きに動け」である。このまま帰っちゃっても、いいんじゃないのというぐらいのフリーである。
事実、鮑謖は、もう帰る気まんまんなのだ。
──決戦なら、これで終わりでしょ。
という雑な考えで、勝つなら、それでゆっくり帰る。負けたら、先んじて帰る。いずれにしても帰るつもりなのだ。
一応、体裁を整えることも忘れてはいない。そのために、戦闘員ではない雑用係の近くまで移動した。いざとなったら護衛の体で、彼らを巻き込んでトンズラするつもりだ。
鮑謖隊の皆には。
「後詰めとして待機する」
と、それっぽい風に言っておいた。
この手の方便に関して、鮑謖は割と賢しい。
ともあれ。
鮑謖以下、鮑謖隊一同は、戦場を傍観する時間を過ごしていたが──。
──!!
「大尉。敵です! 百ほどの軍が回り込んで来ています。このまま行くと、本隊の真後ろを取られる格好になります」
袁望が声を張り上げる。
鮑謖としては。
──まぁ、そういう事もあるでしょ。
と、完全な他人事であったが。
「そうか! 隙に動けとは、敵ではなく、味方の隙だったんですね!」
崔弱が感動の声を上げる。
それを聞いた皆も「おおぉ~」と響めきを発した。
──え!?
これには、さしもの鮑謖も仰天した。
──もしかして・・
──いや、確実にだけど・・・
──『好きに動け』じゃなくて『隙に動け』なの!?
いやはや、これはマズイ。
崔弱の言葉通りなら、敵が背後を取らんとする、この瞬間こそが、まさしく隙である。
つまり大佐は、鮑謖に対して。
『ピンチのときはよろしく!』
と、言ったに等しい。
──マズイ、マズイ、マズイ・・
鮑謖は、やや打算的な人間だが、信頼に関して人並みの分別はある。自分を頼って救援を命じたであろう大佐を裏切る訳にはいかない。
前もって出されていた指令に気付かなかったのは痛恨だったが、災い転じてなんとやら、ちょうど敵を捕捉できる位置にいる。
──まだ、任務失敗じゃない!
鮑謖は、めずらしく、やる気を出した。
「本隊の救援に向かう。伍長は待機だ──。成嬰曹長、下知を!」
「はっ!」
鮑謖のいつになく真剣な声に、成嬰も力強く応える。
「騎馬は先行し、敵の先頭を分断し、そのまま頭を攻撃する。先越は壁を作って後続を合流させるな。仞操は敵の数を減らせ。大尉は魔法使いと、味方のフォローをお任せしたい」
「了解!!」
「駆けるぞ!!」
成嬰が敏速に指示を出し、鮑謖隊は走り出す。
敵の先頭の騎兵たちが、汐径軍の真後ろから中央に向かって駆ける。そこに歩兵も続こうとするが、成嬰たちが突っ込み、その流れを断ち割った。
つと混乱した敵に、仞操を先頭にした十五人が斬り込んだ。引っかき回すような仞操の縦横無尽な動きに、敵も対応が追いつかない。
その間に先越が、敵の行くべき道を塞いだ。しかしすぐに──。
〈聳孤の法、空圧鉦〉
鮑謖隊が築いた壁を粉砕すべく魔法が放たれた。
ドンッ!っと風の一押しで、味方の兵が数人倒れた。そこに敵兵が殺到する。
だが、彼らの視界のはしから割り込んでくる人影。敵兵がそれを認識したとき、何人かは既に地面を転がっていた。
当百の魔女が振った杖に打ち飛ばされたのだ。あまりに速い振り抜きに、近くの者は眼で捉えきれなかった。
後続する者はいない。彼らは眼前の光景に二の足を踏んだ。
さりとて鮑謖に待つ気はない。
彼女は一気に間合いを詰めると、右に左に杖を振って、遮る者をなぎ倒した。その視線の先にいるのは、辛国軍の魔法使い。
〈聳孤の法、空圧鉦〉
射線上から味方がいなくなったため、鮑謖に向かって魔法が放たれた。
ドンッ!という衝撃が起きるが、鮑謖はそれを力任せに相殺し、スッと障害物の消えた進路を滑るように行き、敵魔法使いに肉薄する。護衛たちが対処に動くが、鮑謖はそれよりも速く杖を叩きつけ、魔法使いを屠った。
護衛たちが『しまった』と思う暇はない。次の瞬間には一人は打たれ、もう一人は突かれ、鮑謖によって躯となった。
「背後から敵騎馬、来ます!」
聞いた剛会は臍を噛んだ。
──押し返すことに囚われすぎた・・
悔恨している暇はない。
敵は殆ど妨害なく、すぐそこまで迫ってきていた。
「上等だ! 儂が相手になってやる!」
剛会は吠え、剣を抜いた──、そのとき、敵後方に味方の騎兵があらわれた。
味方の先頭を駆ける男は、一人、二人、三人と、敵を次々に落としていく。そのあまりの勢いに、敵騎馬の指揮者も振り返ざるを得なかった。
迫り来る味方に、槍を持って受けて立つ指揮者。
絶妙のタイミングで、迅速なる槍が繰り出された。
──速い!
剛会には味方の対処が遅れたように見えた。
しかし男は一閃、指揮者の槍を斬り飛ばした。そしてすかさず相手の首に剣を突き刺し、勢いのまま馬から落とした。
「見事!!」
剛会は思わず声を上げた。
「どなたか、剣を貸してくれまいか!」
指揮者を屠った男が言っている。彼の剣は、指揮者の首に刺さったままだ。
剛会は馬腹を蹴ると。
「これを使え!」
疾く近付き、自慢の剣を渡した。
「これはッ──、かたじけない!」
「お前、どこの所属だ?」
「はっ。鮑謖隊、成嬰曹長であります!」
「タマ子か! 奴は何を?」
「今は部隊の者と、敵の後続を食い止めているところです!」
「そうか──。その剣はくれてやる。タマ子に伝えろ。後ろは任せた、徹底的にやれと」
「了解しました!」
言うや否や、成嬰は駆け出し、道すがら残った敵兵を切り伏せて行った。
「辛軍の勝負手は潰えたぞ! 今こそ力を振り絞れ!!!」
剛会の励声は、味方ばかりでなく敵にも届き、彼らの心を折った。
払暁より始まった汐径軍と辛軍との決戦は、軍を率いていた将軍が死亡したことで、辛軍は統率を欠き、日が天上に昇る前には瓦解。汐径の勝利という形で終わった。
それまでの長い対峙が嘘だったかのように、短い時間での決着だった。
汐径軍は、報復行動は十分として、勝利を土産に帰路に就いた。




