第46話 暁闇
夜明け前の深夜。戦場の兵にとっては別段、早い時間ではない。払暁と共に作戦開始など、ごく普通にある話だからだ。
軍を率いる大佐の剛会も目を覚まし、手早く準備を済ませた。
「大佐──」
部下から声が掛かり、彼は自身のテントから出た。
「今し方、鮑謖隊の者が数名、戦闘で鹵獲した馬を運んで来ました」
「戦闘? 夜襲でも受けたのか」
「それが二百ほどの軍と戦ったと言うのです」
「なにッ──。それだと敵の狙いはこっちだったという事か」
「おそらくは──。隊の者を待たせてあります。詳しい話を聞きますか?」
「ああ。そうしよう」
剛会は言って、主立った者を集めるように指示し、軍議用の幕舎に向かった。
「大尉は松明を使い、敵の夜目を奪うことで有利な状況を作り上げました。指揮者と思しき騎兵をはじめ、半数近くを討ち取り、こちらの損害はありません。負傷者も先程、治療を受け、問題ないとのことです」
鮑謖隊で、砦の守備隊員でもある崔弱伍長が、敵の発見から戦闘に至るまでの出来事を説明し、最後に勝利の要因と、結果について話したところだ。
「四倍と戦い、倍の兵を討ち取るか──」
剛会をして感嘆せずにはいられない。
単に衆寡があるだけではない。夜襲を仕掛けるからには、敵も精兵を選抜したはずである。辛国軍の主力となる者たちを倒したのは大きい。
また、ここまで汐径軍、辛軍、双方共に大きな犠牲が出る展開にはなっていなかった。実質的に鮑謖隊の一戦が、この戦場に於いての最初の激突とも言える。それで勝ちを得たというのも価値あることであった。
この認識は剛会だけではない。幕舎に集まった一同も、唸るような声を洩らしていた。
「ところで、鮑謖大尉は、こちらに合流する気はないのですか?」
一人の者がそう聞いた。
「今のところ、そのような指示も、動きもありません」
「そもそも、なぜ単独行動しておるんだ」
「わたくし程度では大尉の考えを計り知ることは叶いません。ただ、別働隊が合流する直前までは、何やら心焉にあらずといった感じでしたが、単独行動をすると決めた後は普段の調子を取り戻していました。隊の者は、大尉が思惟の果てに答えを出したのだろうと見ております」
崔弱の返答に、阜漫中佐は。
「その答えが、夜襲の可能性だった──」
つぶやくように静かに言った。
「馬鹿な──」
元より本隊にいた者が、やや憤ったように口ずさむ。
阜漫はその者の方へ向きを直すと。
「儂らが待ち伏せにあったとき、鮑謖大尉はあえて別の道を進み、別働隊の前方より救援に駆け付けた。儂は最初、なぜ後ろからではと思ったが、後から振り返ってみると、地形的に前からの方が全体の状況を把握し易いのに気付いた。この事から、大尉は別路を選択したときには既に、別働隊が待ち伏せにあう可能性を感じていた。儂は、そう見ている」
まるで己の心と対話しているかのように、静かに語った。
「大尉のことはいい──」
妙に神妙となった場の空気を、剛会の言葉が入れ替える。
「伍長。御苦労だった。以上だが──、最後に何か言うことなど、あるか?」
剛会の問いに。
「鮑謖隊の今後の動向について、ご指示はありますでしょうか」
崔弱は尋ねる。
剛会はそれにニヤリとすると。
「タマ子には、好きに動け、と言っておけ!」
と、力を込めて言葉を放った。
──!!
「はっ。了解しました──。失礼いたします」
崔弱は敬礼し、早歩きで幕舎を出た。
「さて──。敵は夜中に不意を打つつもりが、逆に思いがけない痛撃を喰らったことになる。意図せずして連中の出端を挫いた形だ。儂はこれに流れを感じるが、皆はどうか?」
「私も大佐に同意するところです。待ち伏せの失敗に続き、夜襲も失敗、敵の士気は大いに下がったものと考えられます」
「たしかに、今が攻め時、勝負時かもな」
「幸い、距離は敵が詰めてくれています。夜明けとともに攻め掛かることも可能かと」
剛会はしばし皆の言葉を聞いたのち。
「異論はないようだな──。では、払暁より決戦を仕掛ける!」
「はっ!」
進撃の下知を出し、一同は気合いの声で返した。
敵の一頭、足を折って動けなくなった馬がいた。
それをしばらく見ていた鮑謖は。
「これ、絞めて食べられないかな?」
と、言い出した。
「いや──。基本、鹿と同じようにやればいいと思うんだけど、デカいからね。血抜きが上手いこと出来るかわかんないんだよ」
そんなことを語っていた。
すると、配属されていた本営の兵の一人が「できる」と言い。その彼の指示のもと、作業が進められることとなった。
鮑謖が気にした血抜きは、数人掛かりで馬の足を動かしたり、体を押したりしながらやって、硬直が始まる前に絞り出すつもりらしい。
遠目に見ても血が凄く、楊休としてはあまり近付きたくなかったが、鮑謖は楽しげに潰しの工程を見守っていた。
「ねぇ? 隊長さんって食いしん坊なの?」
楊休は仞操に聞く。
「そうだな、前に一度──」
仞操は言い掛けたが。
「いや──、なんというか、食い物に関わる情緒を気にしてる人だ」
と、言い直した。
「なにそれ?」
「食うのが好きという意味では、食いしん坊で間違いない」
よくわからないが、楊休の言葉を肯定したようだ。
「なんにせよ。また肉にありつけるってことね」
「そうだな」
楊休には、仞操のリアクションが物足りなかったが、悪くはなかった──。
「お帰り伍長。手当の方は問題なかったかな」
鮑謖が帰任した崔弱に尋ねる。
「はい。負傷者も、鹵獲品の受け渡しも問題ありません」
「うん。ご苦労様。もうすぐ肉が焼けるから、いいタイミングだったね」
鮑謖は、ここが戦場だと忘れさせるような、のんびりした口調で言った。
その姿に、崔弱は若干の気後れを感じたが。
「実は──。大佐より指示を頂きました」
と、切り出した。
「うん。何て言ってた?」
「えー。大佐はタマ子と仰っていたのですが、これは大尉のことでしょうか」
崔弱が確認を取る。
──タマ子?
──たまたま女とか呼んでたから、それかな?
──いや、変な渾名やめてほしいな・・
鮑謖としては若干、不本意ではあったが。
「たぶんね・・」
相手は大佐だと、諦念もって答えた。
崔弱は。
「大佐は鮑謖隊に対して『隙に動け!』と言われました」
真剣な眼差しで言葉を発した。
──ん? 伍長の目力がすごいな。
──大佐とのやり取りで疲れたのかな?
──まぁ『好きに動いて』いいなら、問題ないね。
「うん。よくわかった──。伍長も往復で大変だったね。しっかり食べて精を付けるように」
鮑謖はわかってるという表情で応じた。
例によって、崔弱の行き過ぎた勘違いであった。
ところが、鮑謖も聞き間違えたため、結果としては修正されたようになった。
さりとて、誤解そのものは消えていない。
鮑謖隊は、隊長と隊員の認識に、またしても齟齬が生じることとなる──。




