第44話 灯火の魔女(後半)
──やっと、まともな戦いができる。
斧槍の重さを手に感じながら、少佐の女は思った。
彼女は今、特別に編制された精鋭二百を率いて、中宵の闇を移動している。
二千の軍に千五百で対峙した戦場であったが、敵が引くことになるのはわかっていたため、辛軍に積極的な行動はなかった。
相手も別働隊の到着を待つつもりなのか消極的で、結果として、小競り合いのような小さな戦いが起きるだけだった。
少佐は自身の事を戦闘狂などとは思わないが、消化不良か、はたまた飢餓感か、中途半端な戦場の空気に、名状しがたい心地の悪さが鬱積していた。
──この作戦が転換点になる。
敵の動向云々は彼女のはかるところではないが、戦場の潮目が変わるという予感は、二百の兵が等しく持つ感覚だった。
夜襲とはいえ相手も大軍。夜間の見張りもいるだろうし、馬鹿正直に正面から突っ込むような事はしない。いくらか側面より近付いてからの話になる。
辛軍は西に迂回するように動き、それから進路を敵陣に直した。あとはギリギリまで静かにゆくだけでいい。
そのはずだった──。
チカッと何かが光ったような気がした。
「なにか──」
見えたと言葉が出る前に、ボッと灯りがついた。
「とまれぇ!」
少佐は軍を停止させる。
──何だ!? こんな所に敵がいるのか?
思うものの、人影は一人だけ。状況が認識できず、少佐以下二百の精鋭は数秒の間、思考が硬直した。
──あっ!
気付いたとき、灯りは上空にあがり、自分たちに向けて降り落ちてきた。
「離れろ! 魔法だ!!」
「回避!」
少佐たちは慌てて炎の降箭から距離を取った。
カコンッ──。
しかるに、それは魔法ではなく、火の付いた松明だった。
「は? いったい何だと──」
少佐は正面に視線を戻したが、灯りを目にしたせいか、人影を捉えることは出来なかった。
鮑謖は器用な女ではない。だから火打ちで火をおこすのは苦手である。
が、力だけは売るほどある。
溝を擦って大鋸屑に移す方は、結構得意なのだ。あとは火口となる繊維玉に入れて空気を送り込んでやればいい。
「よし。イイ感じになった」
鮑謖は火を松明に移した。とたん、彼女の視界は狭まる。闇になれた目が大きな灯りでリセットされてしまったのだろう。無論、鮑謖とてそれは想定済みである。
同時に、すぐそこまで来ていた足音も止まっていた。
「よーおっと!」
鮑謖は松明を件の方向へ投げやった。
石と雪玉ぐらいしか投げた経験はないが、上手いこと飛んでいった。
相手は動じたようだが、誰かに当たることはなかったみたいだ。
灯りが落ち周囲が照らされ、その軍装が見てとれた。
果たせる哉、集団の正体は辛国軍。
──やっぱ奇襲か。考えすぎたな・・
鮑謖は、同士討ちの危惧を持ち、相手を確かめようとしたのだ。
味方ならそれで良し。敵ならば即戦闘になるだろうが、そうなっても自分一人なら、とりあえずは凌げると踏んで、隊員たちには離れてもらった。その後は、成嬰が上手にやってくれると考えた。
しかし、どうしたことか?
「あら? 攻めてこないな」
こっちからあっちが見えたなら、逆もしかり。既に鮑謖が、彼らにとっての敵であるのは知られているはずなのだ。
「うん。来ないなら行くか!」
言うや否や、鮑謖は敵に向かって駆け出した。
「おそらく大尉は、擬兵の計を行おうとしているのかと」
先越が成嬰たちに推測を語っている。
擬兵の計とは、兵の数を誤認させて、何らかの誘導を狙うことを指す。
「松明はどういうことだ?」
「灯りがあれば、それを気にせずにはいられません。自分に引き付ける意味と──、もしかしたら、敵の夜目を奪うことを考えておられるのかも知れません」
「なるほどな──」
成嬰はつぶやくと。
「聞いての通りだ。俺達まで視界を奪われるわけにはいかない。灯りがついても、あまりそれを追い掛けるなよ」
そのように下知した。
皆は言葉ではなく、頷きを以て返答した。
しばらくの後、灯りがつき、それが上空に飛んで落ちた。
仞操は、念のために片目を瞑った状態で、それを捉えていた。
──まだか・・
動きのない時間が、妙に長いと感じた──。
──!
「騎馬は敵を貫いたのち、後方に当たる。仞操は十名を率いて大尉の援護。残りは騎馬の二撃目にあわせて掛かれ。先越、タイミングをあわせろ」
「はい!」
もう戦いは始まった。声を抑える必要なない。
「私もそっちでいい?」
楊休が聞いてきて、仞操は頷いた。
「いくぞ!!」
成嬰の大喝と共に鮑謖隊は走り出す。
辛国軍も成嬰たちに気付いたが、咄嗟には動けなかった。松明と、その周りで暴れ回る鮑謖に見慣れたため、捕捉することが出来なかったのだ。
そこに騎馬の突撃。彼らは抗うべくもなく分断された。続けて二回目の突撃に連動するよう歩兵が掛かり、これもまた視界の悪さが災いして、辛兵は惑乱のままに討たれた。
一方、仞操は、既に鮑謖により乱れた敵兵に襲いかかる。敵中に飛び込み、突いて、打って、払って、斬った。
前回の戦いで、仞操は自分の強みを発見していた。
それは周囲の動きを肌で感じるような、知覚の鋭さだ。
ケンッ──。
楊休の放った矢。それが自分の背後の敵を標的にしたものだというのも、仞操には、なんとなくわかる。複数の動きに、自然と体が反応する。
視界のはしで、鮑謖の動きも見える。
──速い。そしてしなやかだ。
あれこそが理想だと、仞操は敵を刺し殺しながら思った。
鮑謖はおろか、成嬰の剛剣にも追いつくのは難しい。しかし、速さと身のこなしならば、自分でも遣りようはある。
一対一での強さは成嬰に譲ろう。だが、複数相手なら──。
「俺の方が上だ!」
仞操は横からの攻撃を受け止めると、すぐさま槍を回して敵の膝を打ち、体勢の崩れたところを屠った。
楊休をはじめ、十人の仲間も仞操を軸にして敵に苛烈に当たった。
ほどなくして、敵は逃げに転じた。
突如として肉薄した汐径の魔法使い。
少佐が「討ち取れ」の言葉を発する前に、数人が吹っ飛ばされた。
──何が?
魔法かどうか、そんなことを考えている暇は、もう無く。一気に、暴れ回る獣に対処するかのような状態に陥った。
時を同じくして横から騎馬に貫かれ、全体は混乱した。
そこからは敵の踵を接する攻撃が、拍子を打ったように次々に決まり、形勢は最悪となった。
「引け! 敵から離れろ!」
少佐は言ったが、眼前の魔女を黙過できない。
──噂の当百の魔女なら、ここで仕留める!
離脱ついでに、帰りがけの駄賃として、その首を貰い受けることを決めた。
「ハァッ!」
少佐は馬腹を蹴って魔女に迫る。
魔女は歩兵に打ち掛かったばかり、今なら殺れる。
「死ねぇぇぇ!!!」
少佐は自慢の斧槍を振り下ろした。
が──、魔女はすぐに振り向き、攻撃を受ける体勢を取った。
──杖ごと叩き切る!
そう思っての会心の一撃だった。
グンッ──!
──な!?
岩でも叩いたかのような重い跳ね返りに手が痺れる。
「くそっ──」
少佐は勢いのまま距離を取り、そのまま離脱に移行した。
彼女の後に、騎兵が続く。
歩兵たちは、ほぼ潰走に近い逃げ方だ。
──こちらの夜襲を読んでか?
伏兵にしては少なく、斥候にしては多い。少佐は、敵の役割は、哨戒任務の遊撃隊といったところかと想像した。
続けて魔女について思考しようとしたとき。
「少佐。側面から騎兵が来ます」
部下が言う。
「馬鹿にして──。返り討ちにする!」
少佐はあえて嘯いた。ここで一矢報いねば、立つ瀬がない。手の痺れも、もう消えた。
少佐たちは方向を変え、敵騎馬と正面から搗ち合う。
「ハアァァァ!!」
少佐は再び斧槍を振り下ろした。相手は剣で受ける。
──そんなもので!
ギンッ──!
剣ごと圧殺するつもりだったが、敵はしっかりと攻撃を凌いだ。
──くっ・・ 汐径は馬鹿力の集まりか・・
そのまま馳せ違うかと思ったが、敵は受けの体勢から、素早く横薙ぎの二の太刀を放ってくる。少佐は咄嗟に斧槍の柄で攻撃を受けるが──。
カッ──。
相手の振り抜きが極めて勁疾で、斧槍は折られてしまった。
──おのれ!
敵を呪っている暇はない。続く敵兵が迫ってくる。
少佐は剣を抜いて次の敵に対処するが。
──あっ。
いつの間にか、手の痺れが再燃しており、彼女は剣をうまく掴めなかった。
そして抗う術なく槍を受けて死んだ。
夜襲を目論んだ辛国軍二百は、予想外の場所にいた鮑謖隊によって崩壊。半数近くが討ち取られる結果となった。




