第43話 灯火の魔女(前半)
追丘は、手持ち無沙汰を感じていた。
「私たちの仕事が少ないのは良いことだけど──」
独り言でも、その先を言うのは控えた。
この軍に於ける〈角端の法〉の使い手は、兵千五百に対して三人という割り当てだった。これは、彼女が参加した砦攻めのときよりも、一人あたりの負担が大きいことになる。
ところが、二千という多勢を相手にしているにも関わらず、追丘たち救護の仕事は散発的で、やや暇疲れの感さえあった。
後方で間接的に対峙している追丘たちでさえ、そうなのだから、最前線で直接にやり合っている兵たちは、思いのほか低い緊張感に倦んだところがあった。
流石にそれで油断して失態を犯す、とまではゆかなかったが、彼らの口先は普段よりも軽く。
「相手はそのうち引くつもりらしいぞ」
「なんだ──。攻めてきたのに、大して戦いもせずに帰んのか?」
「お前。いくらなんでも楽観しすぎだろ」
「ちがうちがう。俺がじゃなくて、将校たちが、そんな風な話をしてたんだよ。後ろを見せたときが攻め時だとかなんとか言ってさ」
「へぇー。なんぞ退却する理由でもあるんけ?」
「まぁ今の話だと、相手はともかく、こっちはしばらく様子見なんだろうな」
斯様なやり取りが、あちらこちらで行われ、いずれ汐径軍は後退するというのが兵たちの共通認識となっていた。
必然、追丘の耳にも、これらの話は入って来て。
──また、後翼が謀ったのかしら?
以前、彼らが、砦の隊長を誘き出したという話から類推して、汐径を撤退するよう仕向けているのかと考えた。
そんな折、にわかに軍全体が慌ただしくなった。
敵の別働隊に当たっていた三百が敗走したのだという。そして、その別働隊は本隊である二千と合流した。
ここまでは、残念ではあるが、そういう事もあるかと思える話だった。
だから、敵が増えたことに皆が動じているのかと、追丘は思ったが──。
「敵が減ったですって!?」
元が二千、追加で五百が来たのだから二千五百になるのが道理。ところが汐径軍の数は、却って数が少なくなり、およそ千五百ほどだという。
「どこに消えたっていうの・・」
足し算したはずが、いつの間にか引き算になっているという、手妻みたいな不思議が起きていたのだ。
ここで辛国軍の指揮者たちの意見は割れた。
「二千五百ともなれば移動するのも一苦労だ。軽量化をはかり、先んじて撤退させたのだ。こちらと同じ戦力になるよう残しておけば、追撃を凌げると考えたのだろう」
「我等は汐径軍を引き付けるのも役目だ。これ以上、黙って帰せば、後翼、東錬に義理が立たない。逃げ腰になったなら好機でもある。疾く攻めるべきだ」
以上のような、撤退行動だと断じた上で、攻勢に出ることを主張する者たち。
「どこかに兵を伏した可能性もあります。せいて攻めれば、こちらが釣り出される格好にもなりかねません。まずは周辺の偵察を為すべきかと」
「準備をした奇襲の軍すら負けた。軽挙ではなく重厚さが求められるのではないか」
汐径軍の罠を警戒した、慎重論。
軍をあずかる将軍としては手堅く行きたかったが、攻撃に逸る考えも十分に理があると思えていた。敵が策を弄しているか、単なる逃げの予備動作か、いずれにしても早めに結論を出し、言葉ではなく戦いで力を発揮するべきだと考えた。
「精鋭二百にて夜襲を掛ける。逃げるつもりならば夜陰に移動を考えているかも知れん。タイミングが合えば痛撃となろう。それで敵の動きも把握できる。伏兵があっても、闇の中でこちらを知るのは難しい。空振りになる公算が高いとみた。無論、敵も同じく夜襲を狙うことも考えられる。本陣は守りを厳とする」
将軍は、そのように計画を説示した。
辛国軍は全体を前進させ、汐径軍との間合いを詰めた状態で夜を迎えた──。
鮑謖は夜中に目が覚めた。
爪音と跫音の混じったような気配を感じたのだ。尤も、実際の音は聞こえていないので、微妙な空気か、大地の振動をけどったものだろう。
鮑謖は自身の小さなテントから出ると、気配の方向を探った。
──あー。たぶん敵っぽいな・・
味方がいる方からではないのと、数が百以上いそうな雰囲気から、十中八九辛国軍だろうとの見込みを持った。
──奇襲に行く途中かな?
寝起きの方が頭が冴え渡ってるのか、鮑謖は状況を洞察した。
そんな中、同じように目を覚ましたのか。
「隊長──、もしやこれは・・」
仞操が駆け寄って来て聞く。
「うん。たぶん敵の夜襲なんだと思うん──」
鮑謖は応えながら。
──ん? もし違ってたら、えらいこっちゃになるぞ・・
戦闘準備をしてもらおうと考えたが、仮に味方だった場合、同士討ちという最悪なシナリオが待っているのに気付いた。
一度、気にし出すと、友軍の方が夜襲を掛けようとしたが方向を見失ったとか、大佐が何かの事情で兵を寄越したが、通り過ぎてしまい戻るような格好になったとか、普段は何も思いつかないのに、こんなときに限って鮑謖の脳は、想像力をハイパースレッディングした。
つと頭を抱えた鮑謖に仞操も戸惑ったが。
「皆を起こしてきます」
自分にやれる事をと考え行動した。
鮑謖隊の者たちは、言われるまでもなく静かに準備し、騎兵たちは馬が嘶かないよう側に付いて、臨戦態勢を整えた。
「大尉。いつでも動けます」
成嬰が言った。
鮑謖は何やら考え込んでいたが。
「えーとね。火起こしのセットと、松明だけ用意してくれる?」
彼女の指示に素早く兵が動く。
「うん。ありがと──。じゃあ、曹長たちは、一旦ここから離れて、私が戦い始めたら応援に駆け付ける形でお願いできるかな」
鮑謖の言葉に、成嬰以下一同は困惑した。
さはさりながら、眼前にいるのは百手を見通す、当百の魔女。
今、この事態さえ誰よりも早く察知した傑人だ。彼らは己が理解よりも、鮑謖を信頼することを選んだ。
「はっ。了解しました。大尉もお気を付けて──」
「うん。たのんだよ」
成嬰の音を抑えてなお、力強い声に、鮑謖は穏やかに返した。
鮑謖隊は、隊長の鮑謖を残し、静かにその場を離れた。
(後半につづく──)




