第42話 気随
「なんか羽根みたいの付いてるじゃないですか──。ああいうの見ちゃうと、偉い人を相手にしてるっていうか、喧嘩を売っちゃ駄目な相手みたいな、そんな気分になるんですよ」
「アンタ、馬鹿なこと言ってると死ぬよ!」
熊任は、同隊の者の言葉に一喝する。
隊員の言は、東錬軍が身に付けている装備を指している。汐径の簡素なものに比べて、意匠が凝っており、特に隊長と思われる人物のものは顕著だった。
隊員はそこに格の違い、それも生まれながらの不可抗力な隔絶、そんなものを感じたのだろう。まさしく貴族の権威にあてられて、変に畏れを持ってしまっている状態といえた。
「アンタは単に、敵が多くてビビってるだけ。相手の見た目とか関係ないの。結局のとこ、自分が腰抜けなのを棚に上げて、尤もらしく理由を拵えて、他人のせいにして安心してんのよ。くだらない!」
真っ向から否定した形の熊任だが、実のところ共感はできてしまった。
できたからこそ──、わかる。
この情動は、どこか厭戦の匂いがした。
「泣きごと言ってんじゃないっての!」
──他に伝わっても困る。
後ろ向きな雰囲気というものは、とかく伝染し易い。隊員には悪いが、公然と叱りつけることで、熊任はそれが伝播するのを防ごうとした。
最後に、やや落ち込んだ風になった隊員の背中をバンッと叩いて。
「気持ちで負けんな!」
熊任は喝を以て活を入れた。
「総員、騎乗せよ!!」
騎馬をあずかる中隊長から下知が飛ぶ。敵が動いたのだ。熊任たちも馬に乗り、それで遊撃隊の短い休憩は終わった。
「なぁ──、隊長どうしちまったんだ?」
「いや──、私に聞かれても、わかんないですよ」
成嬰の言葉に、崔弱も困惑で返す。
「お前なら、いつもみたく、ぱぱっーと何か考えんだろ」
「無茶言わないで下さいよ。相手は大尉ですよ。私で追い付けるわけないじゃないですか」
「ならどうすんだよ、あれ・・」
二人の視線の先にいる鮑謖は、魂が抜けたようになっていた。
いつもなら「泰然」というカッコイイ単語で誤魔化せるレベルの放心だが、今回の鮑謖は「呆けている」が控え目な表現になるぐらい、アホ面なのだ。
このときばかりは皆の勘違いもお休みで、普通に不安視した。
さりとて、鮑謖隊がどうこうなる事はない。
隊全体は成嬰が取り仕切り、細かいところは崔弱が差配し、先越が要領よく回していく、前から変わらず、平常運転であった。
そう、なにも問題がなかった──。なかったが故に、鮑謖が限界に達しているのを、誰も気付かなかったのかも知れない。
別働隊は、本隊と辛国軍の戦場に到着した。
当初の計画では、ここから戦闘中に基地を襲撃することや、敵の側面を狙って動く、などの奇襲的な役割を担うはずだった。
しかしながら、待ち伏せにあい、情報が諸々洩れていると思われる現状を鑑みて、別働隊は本隊と、今まさに合流しようとした。
ところが──。
「うん。私は本隊とは合流しない」
鮑謖がそう言い出した。
鮑謖は、ほとほと参っていた。
待ち伏せを撃退して以降、鮑謖の軍議への参加は確定事項になってしまったが、それが彼女には苦行であった。
参加しても鮑謖には特に意見はなく、当然、言うこともない。また別段、彼女に意見が求められる事もなかった。いっそ置物のようになって、何も考えずに、ぼけーっとしても良かったが、熱い眼差しを向ける中佐の手前それも憚られて、一応の発言は準備した。
軍議が終わると、変な負い目と気まずさ、不毛感、徒労感がやって来て、鮑謖の精神を疲弊させた。それが積み重なった結果が──。
──もう軍議でたくない・・
という思いである。
この先、本隊と合流しても軍議に参加させられる可能性を感じた鮑謖は、自身の持つ独立行動権を使い、その前に、別働隊を離脱したのだ。
まさに職権乱用、いや特権乱用かも知れず、あとあと問題になる見込みも持ったが。
──間違いなく数回はお叱りを受ける・・
──報告書か反省文的なものも書かされる・・
──でも、たくさんの軍議よりマシ!
可能性として降格処分なども考えられるが──。
──大尉なんかになったせいで、辛国くんだりまで来ることになった。
むしろ朗報な心境だった。
尤も、大佐の直属扱いなので、彼から合流を命じられれば従うしかないが。
──それまでは自由にやらせてもらう。
妙に割り切った境地に至っていた。
雑に言うなれば「キレた」それが鮑謖の現在の状態であった。
常識的に考えて、急に部隊長がこんな事を言い出せば、その心胆を大いに疑うべきであり、兵たちから反対意見が出そうなものだが。
「大尉はきっと、また何かを予見したのかも知れない──」
先の活躍があるせいで、砦の守備隊員だけでなく、配属されている本営の兵までもが、鮑謖の決定を支持した。
そして、軍議から解放されたことで生き生きとした鮑謖を見て。
「今までは思考を深く巡らせていたのだろう」
と、これまでのボケた表情を、意識が深淵にあるがゆえの副反応として捉えた。
ある意味、こちらも平常運転に戻ったといえるだろう。
即ち、誤解の輪廻は再び動き出した。
──タマ子め。なにを考えている?
剛会は思った。
彼は、別働隊の阜漫中佐から待ち伏せの報告を受け、本隊との合流の提案を受け入れた。だがその中で、合流直前に別働隊から離れた鮑謖隊の行動が理解できず、訝しんだのだ。
「中佐は、タマ子──。いや、鮑謖大尉の動きに、何か心当たりがありますかな?」
剛会は、そのように聞いた。
剛会は豪快な男で、自身に対しては敬語など回りくどく面倒だと、直截な物言いを求めるところがあった。それは他者に対しても基本的には変わらなかったが、こと年齢に関して、一定の配慮を持つ者でもあった。
言うまでもなく相手の阜漫中佐は、剛会より年上だった。
「正直、何も思いつかぬ。ただ──、このところ色々と考えている節はあった。彼女は東の関与も見抜いていたし、それを東錬だとも断言しておった。儂には想像もできん複雑なことを考えてるやも知れん」
阜漫は弱く首を振りながら答えた。彼も剛会にあわせて遜りは控えた。
「東錬をか──。儂は、かの女のそれは野生の勘だと見ております」
剛会は唸るようにすると、自らの鮑謖への持論を語った。
「ああ、そういえば、森で豹を倒したと聞いた」
「ヒョウ!? あの豹か?」
「うむ、あの豹だ。そういう観点だと、敵に対して自由に動ける位置を考えたのかも知れぬな。本隊に組み込まれると、臨機応変には動きにくいと思ったか」
「なるほど──」
剛会も阜漫の推測に、一定の理をみた。
しばしの黙考のあと剛会は口を開く。
「儂はもう二千の偽装をやめ、千五百の一軍として堂々と対峙するべきと考えるが、中佐はどう見られるか?」
「うむ──。いずれバレるぐらいなら、こちらから晒した方が良いかも知れぬな」
「儂も正直、動きにくいと思っていたところだ。臨機応変に対処するためには、ここいらが潮時だろう。幸い敵の兵力は別働隊が削ってくれたからな」
そういって剛会は笑い、阜漫もそれに微笑んだ。
剛会は笑顔の下で。
──この男は、こんなに素直だったか。
──己を『人を見る目はある』などとは思わんほうがいいな。
阜漫の実際と、自分の中の印象との差に、独り内省を持つに至った。
斯くして鮑謖の奇行は、侵攻軍全体に影響を与えることとなった──。




