第37話 思慮交錯
「そいつは見たかったな──」
袁望から話を聞いて、仞操はそう返した。
今、鮑謖隊は岐路を、別働隊が行った北道ではなく、南側を選び進んでいる。
道中、仞操はその経緯について袁望から聞き、猟師との絡みで出てきた豹について、そのやり取りの詳細を尋ねていたのだ。
──やはり隊長は強い。
仞操は思う。
後翼軍との戦いを見たが、武人の動きだった。圧倒的な攻撃力は魔法なのだろうが、足の運びや体幹の使い方を見るに、武術の修練も相当に積んでいると判断できた。どこからか湧いた、当百の魔女という噂も、誇張ではあったが的確だと仞操は見ていた。
あとは楊休という、鮑謖隊に割り当てられた兵の一人。
──矢を曲げるか・・
そういう技があるというのは小耳に挟んだことがある。文字通りの曲技であろうと思っていたが、豹を狙ったときの話だと、あながち曲芸とも言い切れない。
──五万といるな。
強者の話である。
仞操も腕を上げたと自負していたが、成嬰と稽古してみると、彼もまた強くなっていて、差が縮むどころか開いたような気さえした。己はまだまだだと、あらためて知った仞操は、鍛錬にも況して力を入れるようになり、他人の強さにも関心を持つようになっていた。
「見たかった──」
仞操の強さへの志望が、再び同じ言葉を発語させた。
しかし流石に、そこまでの念慮は伝わらなかったのか──。
「ハハッ──。まぁ確かに、貴重なものを見させてもらったわ」
袁望は、単に仞操が珍しい体験を羨んでいるのだと解釈したようだ。
「ああ──、羨ましいぜ」
仞操も、袁望にあわせて返した。
野営の準備は終わった。
「諦めたか──」
阜漫はつぶやく。
彼が置き去りにした鮑謖隊は、終ぞ、あらわれなかった。
ここまでの道中、何度か後方に斥候をやって確認したが、追ってきている様子はなく、この時間まで姿がないのを見ると、ほぼ間違いないと思えた。
「いや──、おおかた、腹を立てて帰ったに違いあるまい」
阜漫はそう臆断した。
鮑謖隊に割り振った二十も、共に消えてしまったわけだが。
「誤差の範囲だ」
むしろ減らしておいて正解だったと、自身の判断に満足した。
阜漫は、痞えが取れたかのように感じて、行軍中の夜にしては意外なほど、すんなりと眠りに就くことができた。
夕食の準備は終わった。
「今度は風味豊か──」
鮑謖は鼻腔をくすぐられる。
彼女が選択した南側の道は、おしなべて、緑が豊かであった。
それゆえに道中、何度か道ばたに生えた野草を摘んだ。前回の鹿肉の残りで作ったスープに加えると、香味が程良く交わり、絶妙であると思えた。
「いや~、待ち遠しい。この香りは美味しいに違いないよ」
鮑謖はそう断言した。
別働隊に置いて行かれた鮑謖だったが。
──鹿肉独占できる!
むしろ妬まれずに済むからラッキーと、不穏な状況を喜んだ。
鮑謖は食を愛する者であるため、誰よりも食べ物の恨みを恐れている。他の隊にも分配をと考えていただけに、その気苦労から解放されたのは慶事だった。
鮑謖以下、隊の一同は、続けての美味い食事に満足し、その英気を養った。
辛軍は三百。相手は五百というから、こちらは寡兵である。
それでも勝算はあるとされた。汐径軍の行軍ルートがわかっていたからだ。細く狭隘な場所で前後を塞ぎ、更に横腹を突く、三方からの同時攻撃が計画されていた。
「後翼はどうやったんすかね」
同隊の少尉が話しかけてくる。
「向こうはそういうのが得意のようだからな──」
花文は、一応、受け答えた。
味方の三百は三隊に分かれて埋伏している。花文は、敵の前方を塞ぐ隊に配属され、三十名の小隊を任されていた。
少尉の声かけは、件の汐径軍の予定が、後翼軍からもたらされた情報だったことを指しての発言であった。
また、偵察の結果、汐径軍は確かに情報通り、こちらへと向かってきている。
「まっ、あってんなら何でもいいっす」
少尉は自分で振ったくせに、さして関心は無いようであった。
「前もそうだった──」
花文は無意識に言葉を発してしまった。
情報通り、勝ちが確実視されるなか行われた作戦だったが、結果は敗退だった。花文としては話が違うという思いがあり、それが鬱憤のように溜まっていたからだ。
言ってから『しまった』と思ったが、出た言葉は戻らない。
上層部批判として受け取られていないか危惧した花文だったが。
「あっ、大変でしたね──」
少尉は急にトーンを変えて返した。その反応に──。
──またこれか・・
花文は思った。
花文中尉は姪を亡くし、心を痛めている。その責任を重く受け止めている。世間ではそのように言われていたが、本人としては、花廉について特に思うところはなかった。
花文はただ自分には関係ないと、花廉のことを慮外とし、帰還後も型どおりの対応をしていただけである。なのに、何をどう誤解したのか、おかしな評価が流れた。
また、上役たちは勝手に花文の責任感を酌み取り「兄嫁を引き取ったらどうか?」などと提案してきた。
まったく以て迷惑な話であったが、花文もそれを否定するほどの意地を張れず、なしくずしに事実として出来上がってきていた。
たぶん少尉は、花文は心痛なのだとか思ったに違いない。
──どいつもコイツも勝手に決める・・
自分の心を推し量り、頭越しにあれこれ配慮する。花文にはそれが、自己の存在を無視されたかのように思えて、酷く不快だった。
「伝令。まもなく敵が到着する、各隊は準備を確認し、合図を待て」
百軍の指揮をしている少佐から指示が来た。
「了解した」
花文は素早く返した。
──今は作戦に集中だ。
花文は任務に没頭することで、厭わしさから逃れようとしていた。




