第32話 パラノイア
汐径の辛国侵攻軍は、東北部の街、馗門に集結した。
総勢二千五百。この地より、少し東に行ってから北上する本隊が二千。西に進んでから北上する別働隊が五百である。
此度の辛国攻めは別段、喧伝したものではないが、この規模になると必然的に内外に知られることとなる。よって、全軍として奇襲の意味合いはないが、それでも別働隊の存在は、幾らかその含みがあった。
本隊を率いるのは大佐の剛会。
今回の軍事報復を主導した中心人物だ。豪快が服を着て歩いているような男で、軍人たちからの支持も高い。やや癇癖が強いところがあったが、最近はそれも穏やかになった。一時期は対立していた准将の徐厥とも上手く付き合うようになった事で、次期准将の椅子を本気で狙いに来ているというのが、本営に於いて専らの噂であった。
一方、別働隊を率いるのは中佐の阜漫。
現在の主流派からは外れた人物であったが、特に反対勢力というわけでもなく、人畜無害な者として可もなく不可もなしという見方をされていた。年齢的に、これを最後の大きな作戦と捉えて、勇退するのではないか、との噂もあった。
多くの注目を集める中、本隊二千は動き出した。そして、その視線から逃れるように、別働隊五百も静かに馗門を離れた。
別働隊は迅速に行軍した。もとより軍の規模が大きいほど遅いのは当然として、辛国に入ると、本隊に比べ起伏の多い地形を移動する事になるため、平らなところで時間を掛けたくないという心理が働いていた。
そろそろ北上するといった頃合いの所で、小隊が待機していた。
「あれが例の部隊か」
阜漫はつぶやいた。
恂門管轄の砦の兵三十が、ここで合流する。
二度にわたる辛国軍の攻撃を、寡兵を以て退けた強兵という。そして、その砦の守備隊の隊長は、一人で百の後翼軍を撤退させた、当百の魔女という噂だ。
──馬鹿馬鹿しい。
阜漫は思う。
辛軍を倒し、撤退させたのは恂門の軍だ。砦は、援軍が駆け付けるまでの時間稼ぎをしていたに過ぎない。少数で猛攻に耐えるのは大したものだが、守りと攻めでは戦うといっても異なる概念だ。侵攻軍に加えるなど、畑違いも甚だしい。
加えて当百などと、何かの見間違えか、尾ひれはひれがくっついた話であろう。
──そこまではいい・・
多少の誇張があっても戦捷の者。少なくとも無能ではないだろうから、戦力として数えることに指揮官としても吝かではない。
さはさりながら。
阜漫が不満なのは、彼ら砦の部隊が独立行動権を持っている事だ。
書類上、件の部隊の立ち位置は本隊、剛会大佐の直属ということになっている。それが別働隊に、派遣されているような形だ。
あたかも剛会によって監視の目として付けられたか、もしくは、手柄の横取りを画策しての配置ではないかと、阜漫は訝しんでいた。
国境を越える直前に休息をとった。
「恂門、守備隊所属、鮑謖大尉です。騎兵十、歩兵二十と共に、侵攻軍に参加いたします。よろしくお願いいたします」
砦の隊長が挨拶に来た。
──若い。若すぎる。
第一感、阜漫が思ったのがそれだ。
──儂が大尉になったのはどれくらいだ?
汐径軍は、誰が言ったか「全ての兵の背嚢には軍配が入っている」という考えのもと、力を示した者が出世する、実力主義をとっている。誰もが将軍の立場を目指せるということだ。実際、過去には一兵卒から大佐まで登った者がおり、理想の方便ではない。
だから早早と出世する者がいても、おかしくはない。ないが──。
──眉唾物だ。
新進気鋭の大尉が、当百の戦力で、大佐の直属として独立して動く。話として出来過ぎているのではないか? そんな存在がいたら、仮に別働隊が大きな戦果を上げても、英雄がいたのだからと、話が挿げ替えられてしまわないだろうか?
それらの観点から考えると、やはり、剛会が手柄欲しさに送り込んできた者との思いが強くなる。彼は准将を目指している。功績は幾らでも欲しいはずだ。
とたん阜漫は鼻白んだ。
──ちょっと勝ちを拾った者を異常に持ち上げて、自分の手駒とする。
この作戦の裏に隠れた、腹黒さのようなものを感じて、厭悪した。
「大尉には、こちらから二十の兵を付けよう。それで五十の部隊として、独自の判断で動いてもらう」
阜漫は鮑謖にそう言った。
「お待ち下さい。僭越ながら、大尉には百名ほどの部隊になるよう兵が付けられると、恂門の指揮官殿より聞き及んでおります。予定に変更があったのでしょうか?」
鮑謖の従者の一人が尋ねた。
「現場の判断だ──。大尉の噂は、かねがね聞いている。兵たちの練度も高そうだ。儂は、五十でも十分に活躍できると見立てている」
阜漫は悠然と答えた。
従者は尚も困惑の表情をしていたが。
「はい。五十の部隊として行動いたします」
鮑謖は泰然として言った。
ここで、幾つかの誤解を整理しておく。
阜漫は周囲が認識しているほど無害な男ではない。彼は出世戦略として、敵を作らぬよう生きてきただけだ。しかし同時に味方も上手く作れず、結果として中佐という立場を得たが、彼としては不本意だった。
だから勇退の噂などは、阜漫にとっては、自分のキャリアを終わらせようする、腹立たしい話でしかなかった。
剛会が鮑謖を使って手柄を横取りしようというのは、阜漫の曲解、邪推の類いだ。准将を目指す剛会と自分と比べ、ある種の劣等感によって認識が歪められた。
鮑謖の兵が減らされたのは、先の前提から、彼女を活躍させないようにとの考えだ。そして、阜漫本人は気付いていないが、己の過去と類比したことで生まれた、鮑謖への嫉みも幾許かそこにはあった。
鮑謖に関する評価云々は、当たらずとも遠からず。
鮑謖は、予定より兵が減ったが。
──百とか、無理じゃないかな・・
と、端から気後れしていたので、数が減って、むしろラッキーぐらいであった。
休息が終わり、別働隊は北を進んだ。
真実と虚像が入り混じった、複雑な情緒を内包したまま、彼らは国境を越えた。




