第31話 参戦命令
馬では無理だった──。
恂門から呼び出された鮑謖は、馬でも立ち乗りならば酔わないと踏んで実行した。実際の技術として騎射などで使われていたから、やってやれない事はないと思ったのだ。
さりとて。元々、普通に馬に乗ることさえできぬ者が、斯様な上級テクニックをなせるはずもなく。鮑謖は使ったことのない筋肉の疲労に、早早と腰を下ろし、いつものように振動を身に受けて酔った。
鮑謖が恂門に到着したとき。例によって不快感からジトっとした彼女の表情を、軍営の衛兵たちは、深淵を見つめる鋭い瞳のように感じて憧れ、わかり易く敬意の眼差しを送っていた。
恂門の指揮官と面談した鮑謖は。
「大尉には三十名ほどを率いて、次なる辛国攻めに参加してほしい」
と、言われた。
──守備隊とは?
鮑謖は、分不相応の仕事に困惑した。
他国を攻めるとかいうのは本営の管轄である。中央と地方が、おおよそ、矛と盾の関係になってるのが汐径国の軍事構造だ。地方の軍営に属する守備隊の仕事は、地域の治安維持と斥候であり、そもそも攻勢の組織ではない。文字通りの守備が任務である。
それが攻撃役をやれと言われてるのだ。
さしもの鮑謖も、いや──、スローライフを夢想した彼女だからこそ、突然のビーアクティブに、拒否感を強く持った。
鮑謖が難しい顔をしていたからであろう。
「安心したまえ。大尉の下には本隊から追加で人員が付く予定だ。部隊としては百名ほどになるのではないかな? それに──、だ。大尉には独立行動権が与えられる。かの女傑、徐厥准将直々の下命だぞ。大いに誇りなさい」
指揮官は励ますように言った。
──准将!?
またとんでもなく偉そうなのが出てきたと思うと同時に、恂門の指揮官に抗議したところで、どうにもならん存在であるとも認識した。
鮑謖は諦観を持ったが。
「独立行動権とは、どのようなものでしょうか?」
流石に気になったので聞いた。
「攻撃軍は大きく二軍に別れて侵攻すると聞いている。大尉も当然、そのどちらかに属するわけだが、その一軍の中に於いては、あらゆる命令は要請にしかならない。極論、一軍全体が右に進むと決定しても、大尉が率いる部隊は、それを無視して左を行くこともできるという事だ。尤も、全軍の指揮権には逆らえない。つまりこの事から、大尉は別働隊側に配属されると推測できるわけだな」
指揮官は少し自慢気に言った。
おそらくそれは、鮑謖が恐ろしく頭が回る人物だという思いから、自分だってこの程度の予測はできると見せたい気持ちがあった。
「なるほど──」
鮑謖の何とか理解したというリアクションは。
『流石です。御見逸れいたしました』
と、指揮官に伝わり、彼を満足させた。
この些些たる齟齬の影で、大いなる誤解が生じていた。
鮑謖の独立行動権は、彼女の軍才を重く見た本営が、いざというときに実力を十分に発揮できるよう、ある種の切り札として用意したものだった。
ところが鮑謖は。
──私は、ある意味、本隊側から出向してきたような形になる。
──なんで、そんなややこしい事をするのか?
ここまで考え、ふと先日の六臣会を思い出した。
──急に、報告書の書き方をダメ出しされた。
──あと、軍を見た感想も求められた。
これらを考え、鮑謖が辿り着いた結論は。
──私は軍監かも知れない!
本営のお偉いさんたちは、鮑謖に別働隊を観察させ、あとで報告させる気なのだろう。
だがそうなると、おかしな点もある。
本来、軍監は役職として堂々と監視することで、軍自体を引き締め、規範意識を高める効果も期待するものだ。しかし、鮑謖の推測通りだと、本営にその考えはないことになる。
──もしかして、ワザと游がせるとか?
きっと本営は、別働隊が、何かやらかすことを想定している。
その結果どうなるかは、鮑謖のサーモンピンクの脳細胞では想像が及ばないが、この流れは最早、誰の命令とかいう次元の問題ではないというのはわかった。
鮑謖はあらためて諦念を持ち、粛々と仕事をするしかないと思った。
──報告書かぁ・・
自分のことを書くのでさえ一苦労なのに、軍を観察したものをまとめるとか、考えただけで鮑謖は頭痛がした。
──ここはウチの知恵袋に活躍してもらうしかない!
と、鮑謖はあっさり人任せにすることを決めた。
ともあれ。
今度は砦への帰路に就くことになったわけだが、騎乗した瞬間、来たときの知らない筋肉の疲労が依然として残っていて、鮑謖は最初から腰を着けた。
──あれ? 軍を率いる場合って、騎馬?
思ったが。
──まぁ、そっちもウチのリーダーに頑張ってもらおう。
と、こちらも他力本願で行くことを決めた。
先行きに色々と懸念はあったが、鮑謖には目の前の揺れの方が忙しく、それ以上考えることはなかった。




