第111話 勘決の魔女
結果的に大勝した。
敵は崩されたところを立て直せず、早早と逃げ足に転じたため、味方の損害は軽微であった。すぐさま追撃戦となり、激突時でおよそ千、追い打ちで二千弱を討ち、賊は三千程の兵を失ったことになる。
惜しむらくは、味方の疲労があったことだろう。敵は軽装ゆえに逃げ足が速く、追い縋るのが精一杯で、連合軍に回り込むほどの余力はなかった。
勝ち戦は喜ばしいことだが・・
──また汐径が手柄を立てた。
漣軍の将軍は思う。
──それも、総大将である自分の指示を無視する形でだ。
兵に竦みを感じ、慎重で確実な選択をした将軍だったが、汐径軍はそれを嘲笑うかのように強引に勝機を生み出した。
あの時は全てを腹に閉まったが、振り返ると腸が煮える思いがする・・
将軍としては、誰もいなければ大声を出したい程であった。無論、そのような事できる可くもなく、彼は拳を強く握るにとどめた。
そんなとき早馬が到着した。
将軍に、漣本国からの書状を運んで来たもので、早速それに目を通した。
「ついに動いたか──」
将軍は独りつぶやくと副官を呼び。
「軍議を開く」
短く言った。
連合軍は戦捷に沸いた。
特に辛酸をなめてきた八角の反応は顕著で、全軍に対して彼らから肉が提供され、この日の食事は満足度の高いものとなった。
八角軍も糧食が満ち足りている訳ではないが、それだけ喜びが大きかったという事だと解釈されていた。勿論、彼らは国内から補給を受ける事も可能なので、それ故というのもあるだろう。
ともあれ──。
汐径軍。そして鮑謖隊の百軍も、これを楽しんだ。
鮑謖は、密かに持ち込んだ乾燥ハーブも提供し、鮑謖隊の食事はワンランク上の仕上がりとなった。
何でハーブなんて持っているかというと、鮑謖は、騎馬隊を倒すどさくさで馬を半殺しにして、あとで肉にしてしまおうと目論んでいた。過去の遠征での経験から、文字通り、味を占めていたのだ。
ところが、いざ戦ってみると団匪には騎馬隊がなく、指揮者と思しき一部の者が馬に乗ってる程度であったから、彼女としては使いどころに困ってもいた。八角からの肉は渡りに船で。
「使うなら今でしょ」
と、惜しみなく供出した。
皆、旨い食事に気をよくしていたが、一人、杜察は神妙な面持ちだった。
──あの人が飯に何かするときは、何か起きるっす。
杜察は過去に鑑みて、鮑謖が美味い物を食わせるときは、何かの前触れである可能性が高いと考えてしまい、手放しで喜べなかった。
そんな彼を気に懸ける者もいて。
「軍曹、体調でも悪いのか?」
などと声を掛けたりもした。
「いや──。この後、どういう展開になるんだろうと考えていただけっす」
杜察は変に不安を与えないよう配慮して言った。
「まぁ、敵をどんどん南に追い込んでいく感じじゃないか?」
相手は軽く応えつつも、杜察に指揮者としての自覚が芽生えてきたように見ていた。
実際、先の戦いでの中隊長との時間差攻撃は見事で、流石は鮑謖少佐が一目置く者との見方を補完する形となった。
杜察の知らぬところで、彼の評価はまたぞろ上がっていくのだった──。
「准将。軍議を執り行うとのことです」
副官の知らせに。
「わかりました──。鮑謖少佐にも出席するように伝えなさい」
徐厥は、そう返した。
勝ち戦のすぐ後だから、敵の後を追う算段か、それとも敵が反攻の構えを見せたか、普通に考えればそんなところが予測される。
しかるに徐厥としては別の可能性を考えた。
──時機としたら今頃か・・
彼女が、汐径軍の准将として考えるのは、後翼の動きである。彼らの侵攻を伝える知らせが舞い込んだのではないかと推測した。
ならば、それを誰よりも早く見抜いた鮑謖を同席させない手はないとの判断だった。
「汐径も準備をしています・・」
僅かな不安を紛らわすため、わかりきった事を徐厥は静かに声にした。
──たまたま、敵に隙が見えたので・・
「で、いいかな?」
鮑謖は軍議に出るにあたって返答をシミュレートした。どうせ攻撃を仕掛けたことを聞かれるだろう、との見立てからだ。
鮑謖としても、有利な状況にテンションが上がってしまい暴走したとの自覚は持った。しかし同時に、敵の様子が丸わかりだったのだから仕方がないとも思い。今回は、それを他者にも当てはめる気なのだ。
やや強引でも、大勝しているから問題にはなるまいと鮑謖は考えた。
他にも幾つか問答を想定しながら、鮑謖は軍議の開始を待った。
「早速だが──。集まってもらったのは不測の事態の共有と、それに伴う今後の方針について話して置かなければ為らなかったからだ」
開口一番、漣国の将軍が言った。
彼の言葉に、軍議に会した者たちは緊張の色を持った。勝ち戦の直後である。高揚した気分だったものが一気に熱を失った感であった。
それは将軍にも伝わったのか。
「まぁ、この場にいる我らに関わる事だが、直接この軍が、という話ではない」
ひとまず皆の心を落ち着かせる言葉を吐いた。彼は続けて。
「実は漣より知らせが来て、それによると後翼国が汐径に侵攻したとのことだ──」
これに幕舎の中は響めきが起きた。
将軍は、手で皆に鎮まるようにジェスチャーすると。
「しかもその規模は三千の大軍だ」
加えた言葉に。
「なんと!?」
「それでは汐径国が・・」
最早、思わず音が出てしまうレベルではない──。一同はハッキリと、驚きと困惑を表現し出した。
しかしながら、動じる幕舎の中で、汐径の面面は不思議な静けさを保っていた。
ある者は、ショックのあまり言葉を失ったと見。またある者は、その様相を不気味に感じ、深刻な話とあわさり、言いようない不安感に駆られた。
皆のリアクションが一息付くのを見計らったか。
「ここで連合の盟主、漣国としての意見を言わせてもらう──」
将軍はそう断ると。
「汐径軍は速やかに本国に帰還し、国土の防衛に当たるべきだと考える。幸いにして我らは勝ち、彼我の戦力には余裕がある。また漣国から追加で千五百の兵を出すことも決定した。数日の内には此方に合流できるだろう。汐径軍には、連合の負担と思うことなく、自国の防衛に専念してほしい」
朗朗と述べた。すると・・
「おお──。流石は漣国だ」
「汐径軍はこれまでの働きで、十二分に役割を全うしてくれました。先の戦いの勝利も、兵糧を守れたのもそうです」
「そうとも。こちらに遠慮をする事はない。急いで戻った方がいい」
将軍の言葉を肯定し、汐径軍の離脱を是認する流れが生まれた。
──果たせる哉、武南将軍の勘が当たっていましたか・・
漣国が兵の追加を発表したことで、徐厥の中では。
──後翼を嗾けたのは、西漣。
それが確信となった。
如何に大国といえども、遠征軍を用意するのには物資の調達などの物理的障害がある。後翼の侵攻を知ってからではなく、最初の軍を送り出した直後から準備をしていなければ、このタイミングで、あと数日で到着などとはならない。
これは少し客観すれば、手際が良すぎると感じてもおかしくないが。
──三千と言われると、流石に危機感が先行しますね。
印象の全てが持って行かれたように思えた。
場は汐径の帰還で進んでいるが、汐径軍としては、その必要はない──。
元より後翼が攻めてくることは、鮑謖により看破されているのだ。そのための準備も覚悟も、汐径では十分に為されている。その上で、どのようにこの事実を披露するか。
──当の本人の口から言わせましょうか。
徐厥は、鮑謖に意見を求め、彼女に「必要ない」と断言させることを考えた。
今や、鮑謖の存在は汐径軍のみならず、連合の兵にも広く知れ渡った。汐径の功績とされる二つの戦捷も、結局のところ鮑謖の手柄である。
あえて言えば、この連合軍に於いて最も目立った者が鮑謖であり、彼女の言葉は、この場にいる誰よりも至言に近いものと解釈されるだろう。
「さて──。徐厥准将、各国の方々もこう申しておるが、どうかな?」
漣の将軍が問うてくる。
「そうですね──」
徐厥は言うと、体の向きを鮑謖へと直して。
「鮑謖少佐は、どのように考えますか?」
そう尋ねた。
鮑謖は、泰然自若が売りである。また、これまでに何度も予想外のことが起きて、その都度、動揺を見せまいと自如に徹した経験値もある。
であるから、後翼の侵攻を聞いても。
──ええぇ・・ 一大事でしょ!
と、思うにとどめ、表情は穏やかを保った。そして周りのリアクションを余所に、同じく静かにしている徐厥以下、汐径の者を見て。
──うん、流石!
全く動じていない姿に。
──やっぱり准将ともなると、百戦錬磨の貫禄があるなぁ~。
と、苦手意識は置いておいて、素直に尊敬を持った。
そんな矢先。
「鮑謖少佐は、どのように考えますか?」
徐厥が鮑謖の方を向いて聞いてきた。
──どうもこうも・・
後翼が攻めてきた。それも三千なら激戦は必至だろう。しかも位置的に恂門付近で戦うことになると思われる。そうなると砦の守備隊にも関係が及んでくる。
──大軍に対抗するため、守備隊も動員されてるかも知れない。
その場合、隊員は何処かの軍に組み込まれる形になるに違いない。
──成嬰少尉に指揮権があればいいけど・・
彼の能力は鮑謖がよく知っている。彼女としては、軍は成嬰に任せておけば万事オッケーぐらいなのだ。実際、梟国での董彬との戦いでは、四百の軍を巧みに動かし、董彬の親衛隊とサシの勝負に持ち込んだ。
さりとて、軍は縦社会である。
無能な上官の下に付いたら、如何に成嬰が精鋭であっても、その真価を発揮できない。
──う~ん。これヤバイ気がする・・
あらためて考えてみると、祖国と砦の皆が、非常に危険な状態に陥っていると思えてならなかった。
──ここは流れに乗っていいか・・
鮑謖の性分として、あまり意見など言いたくないが、求められた以上応えなければならない。そして丁度良く、将軍を始めとする列国の方々が帰還を推している。
この状況に、鮑謖は気後れすることなく堂々と言った。
「私は、速やかに本国に帰還するべきだと考えます」
「えっ!?」
徐厥は思わず変な声で反応してしまった。彼女はすぐに咳払いをして。
「それは、汐径軍全軍を以てということですか?」
激しく動揺する己を落ち着かせるべく、努めて落ち着いた声で問うた。
鮑謖は、少し考えると。
「輜重は置いていくべきかと──。必要量を携帯し、迅速な移動を優先するべきかと」
そのように答えた。
──どういう事です!??
徐厥には鮑謖の意図が、全く理解できなかった。
それはそうである。
後翼の侵攻を読んだのは彼女で、東錬も動かぬと断言した。今、西漣の作ったシナリオに乗って帰国することに、何の戦略的意味があるのか?
──わかりません・・
徐厥は困惑せざるを得ない。
さはさりながら。
──彼女は百手を読む者・・
事ここに至り、徐厥は諦観を持った。
きっと鮑謖は、自分には想像も付かない未来を見て、そこから導き出された結論なのだろうと、徐厥は自身を納得させるしかなかった。
「わかりました──」
徐厥は言うと、再び向きを直して。
「断腸の感を禁じ得ませんが、皆様方のご厚意に感謝し、我ら汐径は連合軍より離れさせていただきたく思います」
凜として言った。




