第110話 攻一転(後半)
──日が出た。
徐厥が思った直後、敵が進軍を始めた。
「なるほど──、敵も然る者ですね。私が向こうでも、このタイミングで仕掛けます。今一時なら、高台側が不利でしょう」
下からの朝日が当たることで兵の視界は悪くなる。それで敵を視認できない程にはならないが、目を細めながら相手をするのは面倒な話であった。
──ましてや連合は二の足を踏む状態・・
冷静に相手の力量を評価した感の徐厥だったが、言葉以上に危機感を覚えていた。
「伝令。各軍は弓を射掛けたのち、適宜、敵を迎え撃て」
漣国の将軍から指示が来る。
──セオリー通りではある。
意図としては、出来得る限り数を減らしてからぶつかる、というものだろう。
しかしながら此度、連合軍は上を取っている。本来なら一気に駆け下り、その勢いごと敵を粉砕するような戦いをすべきである。細かな利点もあるだろうが、煎じ詰めると高低差を利用しての攻勢が、ここに布陣した根幹のはずだ。
──それだけ、兵の腰が引けているか・・
彼女が汐径兵を洞察するように、総大将である将軍も、味方の士気に不全を見ている。徐厥は逆説的に、連合全軍の状態を把握した。
さはさりながら、十分でないことを嘆いていても仕方がない。もう既に敵は迫ってきているのだ。足りぬなら足りぬなりに戦うまでである。
「各隊は弓を──」
徐厥が命じようとしたとき──。
ワァ──ッ!
喊声と共に敵に駆け下りていく一軍がいる。
「あれは!?」
問うたわけではなかったが、側近が声を拾い。
「鮑謖少佐の百軍です」
と、答えた。
──まっぶしいな~。
鮑謖は思った。日の出の光が高台を直撃した形だった。
──戦でもなかったら、ゆっくりと自然の雄大さを楽しめたのに・・
日は昇っても沈んでも絵になる。八面玲瓏とまでは言わないが、表裏共に美しさがあると鮑謖は考えていた。
と、ジオグラフィックに浸っていてもしょうがない。敵は動き出してしまった。
「うん。じゃあアレに向かって行こうか」
鮑謖は敵の中枢と思しき一団を指して言う。
「私が突破口を開くから、あとは二人で連携して上手くやって──」
中隊長と、副官となった杜察に、極めてざっくりとした指示をすると、杖を高々と掲げ。
「私に続けっ!」
言うや否や、脱兎の勢いで鮑謖は駆け下りた。
無論、この時点で突撃の命令など出ていないのだが、そこは鮑謖である。独立して動いてこその特別遊撃隊だとして、賢しく己が行動を正当化する腹積もりである。
尤も、自分の麾下になれば特別遊撃隊という解釈は強引な気もするが・・
ともあれ、鮑謖は先陣を切って敵に詰め寄る。
──よし。見やすくなった。
高台を下りたことで陽光の角度が変わり、まぶしさが緩和された。
ワァ──ッ!
後ろから百軍が続いている。彼らの喊声を背に受けながら鮑謖は団匪の草原に躍り込んだ。
「私は右側五十、お前は左五十だ」
「了解っ!」
中隊長の声に、杜察が応じる。
五十の指揮は勿論、他の将校を差し置いてや、連携とは何ぞやという問題など色々あるが、もうそんなことを考えている時間はない。
鮑謖少佐が「やって」と言って、駆け出してしまった以上、やるしかないのだ。
──もう何なんすかっ!
杜察としては正直、泣き出したいぐらいの心境だったが、そんな暇もなかった。
遙か先頭を駆ける鮑謖が敵と接触した。次の瞬間、敵がバタバタと崩れ出す。
それはあたかも大鎌を用いて草を刈るように、鮑謖が右に左に杖を振ると、敵がまとめて押し倒されるようになる。
──相変わらず、めちゃくちゃっす。
杜察は辛国と梟国で鮑謖の戦い振りを目にしていたが、斯様な破天荒を見慣れる可くもない。
とはいえ。
──流石、突破口をこじ開けたっす。
有言実行を為す力量は感嘆を禁じ得ない。
と、ここで中隊長が率いた半分の五十が動いた。杜察としても上手く連携したかったが、彼にそこまでの指揮能力はない。
──似たようにやるしかないっす。
代案として、杜察は中隊長の動きを模倣し、残りの五十を動かした。
これが功を奏した。
中隊長が攻め、遅れて杜察が攻める。この時間差が偶然にも絶妙な間合いとなり、効果抜群の波状攻撃となった。
結果、鮑謖隊の攻撃は、団匪に対して楔を打ったように陣形を崩した。
「攻めとは斯くあるべきです」
徐厥は言った。彼女は続けて──。
「少佐は己で勝機を生み出しました。私たちは、これを大いに利用します」
徐厥は槍を掲げると。
「全軍、軍神に続け!!」
言って、自らも馬腹を蹴って駆け出した。
それで汐径軍は雪崩の如く団匪に攻め掛かる。
先程まであった竦んだ気配は、鮑謖と彼女の麾下が敵を穿った時点で霧散していた。むしろ、あまりに鮮やかに敵を断ち割ったものだから。
──敵は大軍でも脆い。
──押せば折れる。
──存外弱い。
怯えの感情がひっくり返り、却って彼らの心胆を太くした。
その上で団匪の塊とぶつかってみると。
──思った通り、粘りがない!
抵抗はあるものの、敵は一度崩れると立て直せない。そこにつけ込み更に敵を崩す。結果に裏打ちされたことで、汐径兵は況して強気になった。
──矢を射るのではなかったか!?
河晏の准将や八角の将軍は、汐径軍の突撃に軽く混乱した。
さりはさりとて、彼らも、この事態に総大将にお伺いを立てるような間抜けではない。何がどうしたかは後にして、現状を分析するに・・
「賊は汐径の攻撃に対応できていない」
そのように判断。
彼らは、この機を逃さず。また、汐径軍ひとりに活躍させてなるものかとも思い。同じく突撃を以て敵に当たった。
こうなっては総大将がいる漣軍も弓に拘ってはいられない。
将軍は攻め時が来たという認識と、それを生み出したのは汐径軍で彼らに出し抜かれたという思い、その狭間で名状しがたい葛藤を持ったが、全て飲み込んで言った。
「敵には混乱が見られる。これより突撃し団匪どもを粉砕する。我らは連合の盟主、他国に後れを取るな!!」
これにより、高台に布陣していた連合軍は、眼下の敵に向かって駆け下りることとなった。
百ほどの部隊が動くのが見えた。
──恐怖心で壊れたか?
山單はそう見た。
恐れのあまり敵に向かって行く。兵個人ではあまりないが、指揮者の立場になると、この逆説は屡屡生じる。
戦いに於いて受け身の姿勢はそれだけでストレスであり、そこから逃れたい心理や、先手必勝のような希望的観測、それらが複雑に相俟って攻撃を選択させるのだ。
「おおかた才気ばった若い将校だろう。これまでの成功体験がある分、タチの悪い結果となったな・・」
山單は斯様に評した。
ところが、僅か百の部隊に味方は大きく崩された。
「何をやってる!」
呆れの音を含ませる山單だったが、続く汐径軍の突撃に驚きを禁じ得ない。そして、その後には八角、河晏、そして西漣もが突撃を始めた。
──馬鹿なっ・・
ついさっきまで怯えるようにしていた軍勢が、一転強気の気配で迫ってくる。
「いや──。敵も昨日の疲れがある。いつまでも攻勢を続けることはできん。守りを固めて息切れを待て!」
山單は言うが、前線は次々に崩れていく。
──受け手に回ると、こうも骨がないか・・
攻めているときの義勇軍は、捕食者としての狂気に満ちて苛烈だが、今の彼らは酷く惰弱に見えてしまう。
──このままでは崩壊する。
山單が思ったとき、すぐ近くまで敵の気配が迫っていた。
「こんな所までっ!」
言った彼の視線の先。血にまみれた者──。
目が合ったと認識するや否や、山單は馬首を返して逃げを選択した。
──あれは熊か虎か、そういう類いだ。
まともに相手をしてはいけないと、山單の生存本能が告げていた。
必然、山單の周りの酉軍の兵も彼に続く。これは、危険な存在から一時的に距離を取るという、戦略的退避行動であった。
あったが──。
「中佐! 敵が此方を追っています」
言われて振り返ると、あの血まみれが棍だか杖だかを振り回しながら追走している。そしてその後ろからは百軍が味方を蹴散らしている。
「しつこい・・」
山單は馬を疾駆させ、完全に敵を振り切りに行った。
これが良くなかった──。
義勇軍の兵は、逃げ駆ける山單と取り巻きを見て。
──指揮官が逃げ出した!?
と、誤解した。そして・・
──自分も逃げよう。
そう考えた。
これは瞬く間に伝播し、義勇軍という名の団匪は足の向きを変えた。
一度流れができてしまうと、山單を始めとする指揮者たちには為す術がなく、彼らは追認する形で軍勢は撤退を選択した。
朝方の大軍同士の激突は、唐突に始まり、あっという間に終わった。




