第109話 攻一転(前半)
眼下には一万の団匪がいる。
輜重隊を狙った千が除かれているから、実質九千とはいえ、これまでに見たこともない大軍に、連合軍の兵たちは緊張の色を篤くした。
それは列国の指揮官たちも同じで。
──高台を取ったのは、果たして正解だったのか・・
敵の姿が視認できることで、却って恐れが増したのではないか?
己が緊張の理由付けとして、斯様な仮説を立てた。
大概の国では中央軍の兵は多くても四千ほど、閲兵式のようなものがあっても、その規模であるから、九千の軍から受ける印象は相当なものだ。
尤も、連合軍も額面八千であるから、互角の勢力と言えるのだが・・
──敵として対峙すると、また違うな。
圧力は、一万の中央軍を持つ漣国の将軍であっても、ひしひしと感じるほどだった。
彼ら連合軍のほとんどの者は思った・・
──厳しい戦いになりそうだ。
──ん? これ楽勝じゃない?
鮑謖は思った。
「これは勝ったね」
彼女は誰にともなしに言った。
「うん。これなら私にもわかる・・」
──だって、敵の動きが丸見えだもん。
およそ個人であれ軍であれ、横や背中から攻撃されれば対応に苦慮する。だからこそ、相手の側面を取ろうと、背後に回り込もうと巧みに兵を動かすことが重要になってくる。
同時に、横や後ろを取られまいとするのも、また重要である。
詰まるところ用兵とは、相手の虚を衝き、如何に有利な状態に持って行くかに尽きる。
鮑謖は、これがわからない・・
無論、彼女とて武官学校に行っていた者だ。知識としては知っている。さりとて、実際の機微となると話は別である。
鮑謖は自分に向かってくる気配を感じ取ることはできても、その周りがどうなってるか、味方がどうしてるか、随時それらを俯瞰的に理解し判断する能力はあまりない。
よって実際の指揮は基本丸投げ。自身は突撃するぐらいでしか攻め筋を作れない。
これを踏まえて現状を考えると──。
高台に陣取っていることで、敵の動きは容易に把握できる。相手が回り込もうとしても、一目瞭然でしかないのだ。敵が上手いこと兵を動かし、こちらの意識を分散させても、見えてるのだから気付くなという方が無理である。
同じく、相手の注意が不足している箇所も自然と見えてしまう。
これは鮑謖をして。
「簡単だな──」
そう言わしめるほど、守るにしても、攻めるにしても、とっても有利な状態だった。
鮑謖は普段あまり積極的ではない。仕方ない。仕様が無い。諦めが最初に来てから行動に移るタイプで、受動的とも言える。しかし高台のアドバンテージに。
「たぶん、あの辺が司令塔だよね。あれを叩けば崩れるでしょ」
指を指しながら能動的な言葉を発した。
「これは勝った・・ 私にもわかる・・ 簡単だ・・」
鮑謖のつぶやきに、周囲は、はっとした。
──たしかに、自分にもわかる・・
敵の配置は明らかであり、ここから相手がどう動こうと、それは手に取るようにわかる。そして同時に理解した。
──自分は大軍に呑まれていた。
敵味方の位置取りは自軍が圧倒的に有利。にもかかわらず、相手の数に怯み、戦いの行方に不安を感じていた。今、鮑謖の言葉で、それらの呪縛が融解した。
──少佐は、皆を諭そうとしている。
恐れるな、気合いを入れろ、そのように言うのは容易いだろう。実際、指揮者の立場なら、それが早くて簡単だ。
だが鮑謖はあえて「私にも」とし、言外に「みんなにもわかる」と、兵たちに考えさせた。そして兵、一人一人が己が結論として現状の有利を理解した。これは兵を教え、導こうとする姿勢に他ならない。
──これが、遊撃隊の強さの秘密か!
鮑謖が希世の傑人であるのは当然として、彼女が直接率いる遊撃隊が挙げてきた戦果もまた、類い稀なるものだった。彼らは、元は地方の守備隊に過ぎないのに、どうしてそこまでの活躍が出来るのかと、鮑謖の存在があっても、本営の兵としては訝しむところでもあったのだ。
しかるに今、軍神の薫陶を受け、自身の内側より湧き起こる兵として、軍人としての気構えを知ったことで、日頃からそれを享受しているであろう遊撃隊の成長を類推した。
──負けていられない!
ただ漠然とした憧れではなく、身を以て体験した故での羨望と嫉妬、そして尊敬。
鮑謖麾下となった百軍の兵は、ここにおらぬ遊撃隊の存在に触発され、自分もそれに並び立とうと、本営の兵としての誇りと気概を持った。
それは、大軍に竦んだ連合軍に於いて、異質なほどの色を放っていた。
──これはひょっとすると、ひょっともするかも知れん。
山單は対峙する敵を見て、僥倖との認識を持った。
「見てみよ。敵は震えているぞ!」
これは虚勢でもハッタリでもない。真実、連合軍には怯えが見える。
──朝を選んで正解だった。
夜戦など素人に出来るものではない、との見立てから早朝の戦いを推した。その判断に誤りがあるとは思っていないが、この時間の対峙は、山單の予測を超えた効果をもたらした。
──見えすぎるのも考え物かもな。
敵は見下ろした結果、おそらく面積という概念で此方の数を認識したはずだ。早い話、その迫力に圧倒されたのだろう。
片や酉国義勇軍は見上げる形だ。兵力で考えれば、こちらも未知なる大軍を相手にするに同じ。しかし密集して見える分、かつて対峙した三千の八角軍、その延長線上にある圧力といった印象だった。
──この機を逃す手はない。
山單が思ったとき。
──!
旭光が高台を照らした。
「ハハッ──。天も味方をしているぞ!」
山單は疾く決断した。
「全軍前進!!」
この大喝で、九千軍は一斉に動きだした。
(後半へ続く──)




