第108話 虚実皮膜
連合軍の中で、汐径は一足先に戦闘したことになる。
戦果はこの上なく──。一概に大勝と言えたが、相手も千の兵であったから、汐径軍もそれなりにダメージを負った。
軍では、犠牲者、負傷者を除いて人員を再編成がなされ、その一つの百軍の指揮者に、千軍との戦いでも活躍した鮑謖少佐を、本人たっての希望もあって割り当てた。
「いや~。私も少々不安があったけれど、軍曹のような有能な人員がいるところに配属されて、今は大変心強く思っているよ」
百軍に数いる将校、下士官を差し置いて、鮑謖少佐は一人の男に声を掛けた。
「いえ──、自分は大したもんじゃないっす・・」
恐縮しながら応えるのは、杜察である。
東錬報復戦に於いて、鮑謖には何の褒賞も与えられなかった。假道の計は、表向き単なる侵攻の過程であって、実際の東錬軍との戦闘にも参加しなかったためである。
ただ、彼女が率いた兵たちには一応の評価が為された。そこには当然ながら、指揮者であった鮑謖の評が影響する。
しかるに──。
軍神と呼ばれる魔女が最も評価した兵こそ、杜察であり、結果として彼は伍長から軍曹に昇任することとなった。
──なんなんすか、この人・・
杜察は眼前の魔女に困惑を禁じ得ない。
今や汐径国に、鮑謖の英名を聞いたことのない兵はいないだろう。
公に手柄があったかどうかは問題ではない。兵たちは互いに情報を共有しあっている。鮑謖少佐が、国々を股に掛けた軍略で勝利を牽引し、ついには三国協約まで実現させたと、皆が知っているのだ。
もう名前だけで畏敬の対象と言っても過言でなかったが──。
先の千軍に対する鮑謖の戦い振りを見た兵は思った。
──まさしく、一人当百。
溯って、兵糧が狙われるのを看破していたという話は。
──まさしく、百手の読み。
これらを成すことが出来る存在ならば。
──まさしく、軍神。
彼らは鮑謖の存在を噂という虚像ではなく、リアルな実像として脳裏に刻み込んだ。
さすれば、鮑謖少佐に声を掛けられる事は栄誉であり、剰え、有能とまで言わせるのは神に認められるに等しい偉業であった。
──絶対。俺に対する評価がおかしいっす!
杜察は真面目な男だが、残念ながら、百軍の指揮者が「心強い」などと声を掛けるほどの力量はない。
それなのに鮑謖は杜察を評価する。理由はおそらく屠殺が上手いからだろう。
杜察が見るところ、鮑謖は食い物に拘る人で、それ故に、糧食に関する評価点が異常に高くなっているのではないかと考えた。
──百歩譲って、解体に関することならわかるっすが・・
──この流れだと、俺が頼れる兵みたいな感じじゃないっすか。
──俺は、そういうキャラじゃないんっすよ!
なんとか鮑謖をやり過ごして、この場から離れたい杜察であったが・・
「では、杜察軍曹を少佐の副官として付けましょう」
中隊長にあたる中尉が言った。
──ちょっと待つっす!
慌てた杜察は。
「自分には、知識も経験もないっす。とても副官など務まりません!」
必死に自己否定しようとするが、中尉は逆に、杜察が謙遜か遠慮をしていると思い、背中を押すつもりで。
「ならば、この機会を生かし、大いに学べ!」
力強く言葉を放つ。そして追い打ちとばかり──。
「うん。それはイイね。たのんだよ」
鮑謖少佐が笑顔で言い。それは決定事項となった。
こうなっては、もう置物のようになって存在感を消すしかないと思った杜察だったが。
「軍曹さすがです」
「自分も軍曹は出来る人だと思ってたんですよ」
などと持ち上げる者がいて──。
そうでなくとも、嫉妬と羨望が入り混じった視線を向けられ、杜察は何もせずとも存在感マシマシの状態になってしまった。
ならいっそ。
──こんなことやってられるか!
とは、ならないのが杜察という男であって。彼は不本意ながらも、副官として細細した差配を粛々と始め、それを見た周囲は。
──何のかんの言っても、すぐに仕事を熟してるな・・
杜察のことを、軍神が一目置く実力者と見定めた。
「疲れているなら夜襲だろう。なにも体力を回復させてから戦う必要はないはずだ」
義勇軍の幹部から指摘が出る。これに対し──。
「いえ──。体に無理をした後は気が張っており、眠りも浅くなります。そのような状態では夜襲の効果は薄く、また此方も、夜陰での戦闘は不慣れです。よって、狙うなら朝方。気が静まることで、疲れは却って在り在りとしてくるはずです。そこを叩きます」
山單は理路整然といった感で返す。
尤も、彼の言葉は、半分ハッタリのようなものだ。
山單が言ったように気が張ってということもあるだろう。だが、疲れて見張りまで眠りこける可能性だって勿論ある。
詰まるところ、兵、個人個人で、もしくはその時々で反応が異なる。そういう類いの話でしかないのだ。
しかし同時に、夜戦の経験がないという純然たる事実も提示する。
これにより、可能性の一片と事実の混同が起き、山單の言葉は説得力という魔性を持った。
義勇軍の幹部たちは、これに反論する術を知らなかった。
それでも幾つか、本筋の作戦に影響しない程度の意見は出していた。
──己が存在感の誇示か。
山單は少し呆れながらも、輜重を狙いに行った別働隊への関心が薄いことに安堵した。
とまれ──。
義勇軍こと酉国の団匪は、明朝の戦いに向けて準備を始めた。




