第107話 シフトチェンジ
戦況を監視させていた早馬が戻った──。
「千軍は輜重隊の思わぬ抵抗に遭い、混乱状態に陥ったようでした。そこに汐径軍の騎馬隊が駆け付け、続けて歩兵による包囲となり、ほぼ全滅したと思われます」
件の兵は報告する。
敵味方共に気付かれぬ距離からであるゆえ詳細はわからぬし、推測に拠るところも多いが、重要なのは、兵糧を奪い行った兵力千の軍が返り討ちにあったという事だ。
「わかった──。ご苦労だった」
山單は静かに言葉を掛けた。
「くそっ──」
兵の前では毅然として見せるが、山單の胸中は動揺と当惑に満ちていた。
足りぬ糧食を補うため輜重を奪うことを計画し、その思惑通り事は進んでいた。
敵の本隊は、こちらが高台を取ることを良しとせず移動を強行し、輜重隊との分離は成っていた。あとは護衛を蹴散らし、輜重を奪えば済む話──。
にもかかわらず、作戦は失敗した。
奇襲の軍を率いた義勇軍の幹部の男。高圧的な振る舞いで、どこか実力はありそうな雰囲気を出していたが、何のことはない、ただ数を笠に着て威張っていただけだったという事だ。
「フンッ。凄んでいても所詮素人か。輜重隊如きに後れを取るとは・・」
山單は己が不安を紛らわすため、あえて蔑みの音を発した。
それで事態が好転するわけではないが、自分の所為ではないと割り切ってしまえば、心には幾許かゆとりが生まれる。
それは建設的な思考をする上で必要な過程でもあった。
「ひとまずは伏せるしかない・・」
兵糧が手に入らないことは勿論だが、自らが提案した作戦が失敗し、千軍を失った状況は、山單の立場を著しく悪くするだろう。そうなると、彼と彼の部下が活命でいられるかも怪しくなってくる。
尤も、味方が戻ってこない以上、いつかは知られてしまう。
「こうなっては──、攻めるしかない。そして説得するしかない・・」
連合軍は有利な地形を確保するため移動に無理をした。その疲労は確実にある。それが兵の動きにどう影響するか、敵味方の有利不利、その正負の判断は極めて難しい。
難しいが、もうそれを考え、迷っている暇はない。
「敵は疲弊している。押し込めば崩れる!」
──そのように言い切るのみ。
山單は覚悟を決めた。
ようやっと本隊に合流し、遅めの夕餉を取ろういうとき──。鮑謖は連合軍の軍議に呼び出された。
彼女としては、何とか上手いこと回避したいところであったが。
──う~ん。流石に無理っぽい・・
輜重隊を狙った戦闘があったばかりであり、それに先陣を切って参加した形であるから、事情を説明しないわけにもいかなかった。
「──と、大尉から申し出があり、また私も、大尉の指揮能力に問題があると感じたため、特別遊撃隊の権限を行使し、彼らを指揮下に置きました」
自らが輜重隊の兵を動かした経緯について鮑謖は語った。
権限としたが、厳密には、そのようなものは無い。鮑謖は准将直下であるから、あとから徐厥が追認すれば成立するという話である。
「それ以前に、漣、河晏の隊に比べ遅れていたのは何故か?」
八角国の将軍が問うた。
「えー。たまたま遅れていただけです。汐径の輜重は多いので、そのせいもあるかと・・」
鮑謖は万能言辞「たまたま」を使い、それっぽい理由も付加した。これに何人かは視線を交錯させたようだが、鮑謖は泰然としていた。
──こーゆーのは堂々としてればいいの。
鮑謖の言葉は方便である。故に、訝しむ者もいるだろう。さりとて、鮑謖はこの分野に関して一日の長がある。数々の報告を「たまたま」で乗り切ってきた熟練だ。その経験則から賢しく出された結論が、不動の姿勢であった。
「それで──、激しい戦闘だったようだが・・ 少佐自身は、何ともないのかね?」
血で汚れた鮑謖を見てか、一人が聞いた。
「はい。全く問題ありません」
鮑謖の返答に。
「それはなによりです──。ところで鮑謖少佐、貴方は先日、自分自身で輜重隊の護衛を続けると言いました。それは今も変わりませんか?」
徐厥准将が問うてきた。
ここで鮑謖は考えた。
──輜重隊も普通に狙われるな・・
──奪いに来るヤツはともかく、火を付けるのだと困る・・
──何かあったら、また、あの大尉が責任を押しつけてきそう・・
──賊も多いだけで弱かった。
──これなら前線の方が気が楽かも知れない。
うん。うん。と独り頷いた鮑謖は。
「いえ──、護衛の任は十分果たしたと思います。これよりは戦闘部隊への配置を希望いたします」
軍人の音で、小気味良く言った。
この言葉に徐厥は何か思うようにすると。
「わかりました──。考慮しましょう」
そう応じた。
高台を陣取った漣軍の将軍は、遅れている汐径を除く各軍の主立った者を集めた。
それは今後について話し合うという体で、汐径軍の遅延を責めるための土台作りの場にする腹積もりだった。
特に漣軍側から何か言わずとも──。
「汐径は遅れているのか?」
「高台を取る趣旨をわかっていないのか?」
「我らが占拠すれば、自分たちは遅れても構わんと考えているのでは?」
汐径軍に対する不審、疑念、それらに類する声は自然と上がった。
──これなら、汐径の威信も損なわれよう。
漣の将軍は内心ほくそ笑んだ。彼が想定した通りの展開になっている。その気分の良さが思考を回し。
「まぁ、なにか事情があったか、異国での不慣れもあろう」
鷹揚な態度を見せ、漣国の度量というもの表現した。
──汐径が下がったぶん、漣は逆に上がるわけだ。
将軍は己が機転に酔った。
全ては思惑通り──。そんな流れに見えていた。
しかし早馬が駆け付け、報告した。
「漣と河晏の輜重隊が襲撃を受けました──」
この第一声に、一同は青ざめた。
──高台は餌だったか!?
兵糧に関する事は勿論だが、自分たちが敵の術中に嵌まったのではないかという恐怖が、彼らの心胆を寒からしめた。
しかるに。
「──が、汐径の輜重隊が動き、これを妨害。敵が混乱している間に汐径軍本隊も駆け付け、彼らが中心となって包囲殲滅。逃亡した者は僅かの模様です」
と、事の顛末を聞き、寒心を払った。
汐径軍が合流し、徐厥准将が軍議に参加した。
彼女に対して、皆が賞賛を向ける形になったが──。
「私たち汐径には、先読みを得意とする者がおります。私は、その者の動きを見ながら、適宜、軍を動かしただけです」
こう応え。
「それは噂に聞く、軍神と呼ばれる魔女ですか?」
「如何にも──」
河晏の者の問いかけに、頷くように答えた。
是非に件の魔女の話を聞きたい、という意見が出て──。かなり時間が経ってから、到着した汐径軍、鮑謖少佐を呼び出すこととなった。
それに先だって。
「彼女は、二言目には『たまたま』を繰り返します。偶然という建て前で、味方を出し抜く女です。よく知る者に言わせれば『奇人の脳みそ』との評。訝しむ点があるかと思いますが、その辺りはご容赦下さい・・」
徐厥准将は軍議の面面に、あらかじめそう言った。
鮑謖少佐が血に汚れた姿であらわれ、経緯について語った。そして、徐厥の言う『たまたま』が出た。
既に輜重隊の様子は、同隊の軍監からの報告があがっており、それによると。
『鮑謖少佐は敵の襲撃を予見し、あえて行軍を遅くし、戦闘の英気を高めた模様』
との事だったから、彼女の言葉は虚言であるのは明白だった。
手柄を誇張するならまだしも、無いものとして話を進める嘘は理解に苦しむが、同時に得も言われぬ不気味さを感じさせた。
戦闘に於いても同じで、報告をまとめると、鮑謖一人で百名ほどの敵を屠ったと考えられ、それは彼女の血汚れからも戦慄という印象を与えた。
鮑謖が去ったあと──。
「おそらく敵は明日にでも決戦を仕掛けてくる。鮑謖少佐は、そう考えているでしょう」
徐厥が言った。
ここまでで、汐径の存在感は減衰するどころか、況して増している。
漣の将軍としては、叱責で吊し上げるはずが、賞賛で持ち上げる展開となり、心中穏やかではいられなかった。
だがしかし──。
──なら便乗するか。
将軍は頭を切り替え。
「軍神かくやの見立てなら是非を問うまい。明日、払暁には動けるよう、おのおの準備しようではないか」
そのように言った。
敵の位置から、一旦対峙する方向に行くのではと将軍は読んでいた。だから、すぐに決戦が起こらぬ公算は高く、汐径の見立て違いになると踏んだ。そうなれば、一度上がった威信は戻るどころか、勢いを付けて下降するに違いない。
また、決戦が起きたとしても、全面的に支持したとして漣国の威は保てると見た。
八角の地にて思惑、決心、打算、入り混じった戦機が訪れようとしていた──。




