第105話 恂門の戦い(前半)
「臧超。魔法はまだ使えるか?」
「ハッ、俺を誰だと思ってる。並の奴らと一緒にすんなよ!」
相変わらずの傲岸不遜であったが──。
虚勢というか、意図して増上慢に振る舞うことで己に気合いを入れている。雁去病は、臧超の返答をそのように解釈した。
無論、あえてそれを指摘したりはしない。
「そうか──。なら一回分は残して置いてくれ」
雁去病は臧超を見ずに言った。
対峙したその夜に夜襲が決行されたが、それは相手も同じで、そこからの全軍を挙げての夜戦となった。
この展開は、さしもの雁去病も想像だにしなかったが。
──悪くない・・
そう思っていた。
雁去病は此度の侵攻自体、西漣の仕掛けと見ており、同じく西漣によって梯子を外される状況に陥るのではと危惧していた。
それでも大軍で圧倒し、街を占拠できれば旨みもあると考えていたが、汐径軍も同規模の戦力を当ててきたことから、雁去病は撤退を進言した。
敵が東錬は動かぬと見ているのは明らかで、且つ戦力同等から、一進一退を繰り返す長期戦の可能性を感じたからだ。それはそのまま八角へ行った遠征軍の帰還に繋がり、この増援に抗う術はないと考えた。
しかるに提案は退けられた。
だが後翼軍は速攻を選び、雁去病としては次善の策となった感だった。
現在の状況は、緒戦から続けざまに決戦へと移行したような形で、時間を掛けるべきではないという雁去病の考えとも一致していた。
「どのタイミングで使う気だ?」
臧超が問うが。
「さぁ──。その時になってみなければわからん・・」
真実の言葉として雁去病は言った。
「大佐殿お得意の臨機応変かよ」
「まぁ、そうだな──」
雁去病は臨機応変の者と謂われている。本人も哲学として語っている。しかしこれは、やや体裁を取り繕った言い方でもある。より直截に表現すれば・・
──即興だ。
と、なるだろう。ただ、外聞として何も考えてないみたいになるので口には出さない。
攻め筋を幾つか考えたら、あとは出たとこ勝負──。
それが雁去病という用兵家だった。
──これじゃ、やりようがない・・
楊休は思った。
彼女の持ち味は、小型の弓での近距離攻撃である。味方の背中越しに射掛ける、飛び道具というより、間合いの広い武器として戦う独特の戦法だ。
しかし夜戦の闇の中では、流石に狙いを付けることは出来ない。
楊休も歩兵隊の一人であるから、剣や槍で戦うことも勿論できるが──。弓を使えないことに、息苦しさに似たものを感じていた。
いっそ適当に放ってやりたくなるが、そんなことをすれば互いに撃ち合いような形になり、それを避けるため乱戦へと移行するだろう。そうなったら、最早だたの混沌だ。
斯様な観点から考えると。
──変に分別がある。
よくわからぬ内に始まってしまった夜間の激突の中にも、秩序に似たものが存在することに、楊休は不思議を感じていた。
青い世界が広がってきて、敵味方共に軍勢の動きが幾分か見えるようになった。その上で、恂門の兵が予想外に良い動きをしているのがわかった。
「勝手知ったる自分の庭ってところか」
剛会はつぶやいた。
恂門の地方軍は、夜陰の中でも感覚的に自分の位置を把握していたのだろう。それがアドバンテージとなり、余裕を持って実戦を経験した。今も一撃離脱の攻撃を仕掛けているが、既に熟練の気配すら感じさせる動きであった。
「本営の兵に気合いを入れさせろ! 地方軍に遅れを取るなとな」
「はっ」
部下が素早く動く。
夜通しの戦いで皆の疲労は限界に達している──。同じ時間戦うのでも、昼間と夜間では神経の磨り減り方が違う。
さはさりながら、困憊しているのは敵も同じ。となれば、あとは気力の勝負であろう。
闇雲に「気合いだ」「やる気だ」と言ったところで、疲れた兵は鼻白むだけだ。だが、奮闘している味方がいれば「自分たちも」という気概が生まれる。
剛会は、調子の良い恂門の兵を意識させることで、中央の兵たちのプライドを刺激し、彼らの闘争心に火が付くことを期待した。
この細工が功を奏したか定かでないが、全体の流れは汐径軍が押し込む方向に進んだ。
──判断を誤ったとは思わん。
さりとて。
──分が悪い・・
純然たる事実が、裴植に重くのし掛かった。
──このままゆけば敗色濃厚となるのは間違いあるまい。
そうなっては潰走という最悪も見えてくる。
──情けないことだ・・
忸怩たる未来の想像を禁じ得ないが、先行きを呪っても仕方がない。
──味噌が付こうと、為すべきことを為すまでだ!
裴植は、次期将軍の責任として軍を保っての帰還を決断した。
「全軍に通達。守りを固め、徐々に後退する」
下知を出したとき、裴植は口の中に、存在せぬ苦みを感じた。
──よい判断だな。
後退の指示を受け、雁去病は思った。
ジリ貧とまでは言うまいが、流れの悪さは如何ともし難い。力比べを続けていても、事態が好転するとは考えにくかった。
「大佐殿。准将はどうすると見る? 退却か?」
臧超が聞いてくる。
「九割方、そうだろうよ」
一度チラリと臧超を見たついでに、周りの兵の様子を確認してから、雁去病は答えた。
「なんだ? 大佐殿には勝ち筋が見えてんのか?」
一割の方を知ってるなら教えろ、という態度だ。
「まさか──。だが、敵は存外に積極的だ。防衛戦なら追い返して勝ちだろうが、より多くを求めてくるかも知れん。私が見ているのはそれだ。そこに何らかの隙が生じるのではないかとな。おそらく裴植准将も似たような事を考えてるだろう」
聞いた臧超は。
「つまり、欲をかくってことか・・」
「一言すればな」
雁去病の言葉に。
「俺の魔法の使いどころって訳だな・・」
臧超も覚悟を持った声で言った。
あらためて雁去病が観察するに、臧超は感情のメリハリがわかり易く、それは良くも悪くも周りに伝播するようだった。
今、臧超が闘志を内包させたように、雁去病の麾下もまた、静かに力を溜めだした。
──これならばいけるか・・
思った雁去病は部下に。
「准将に『雁去病はいつでも動ける』と伝えよ」
と、言った。
日の出の寸前、敵が引く流れになった。
──勝ち戦か。
鵡望はそう見た。しかし同時に・・
──勝ちきれない。
そのような思いも湧く。
鵡望は、辛国報復戦の際に千五百で侵攻してきた後翼軍と戦っている。あのときは武南将軍の下、防戦に徹して敵を退けた。
これも勝ち戦であったが、勝ったという感慨はなく、むしろ追撃部隊が返り討ちにあったことで、心理的には負けたという気持ちが強かった。
そういう意味では。
──またか・・
鵡望には歯痒さが募った。
夜襲からの夜戦という短期決戦で敵は撤退の流れ──。鵡望としては主張通り、思惑通りのはずなのだが、どうにも不満を禁じ得ない。
彼は、人知れず、勝利を欲していた──。
(後半へ続く──)




