第104話 鏡映し
斥候が戻ってきて──。
「後翼軍が恂門の北にあらわれました。数は、およそ三千です」
と、報告した。
「わかった──」
剛会は言うと。
「全軍前進! 後翼の正面に出るぞ!」
そう下知を出した。
予定通り──。という雰囲気を出しながらの命令であったが。
──多いな・・
胸裏では剛会をして緊張を持った。同時に。
──タマ子めっ。これを読んでいたか・・
噛みしめるように思った。
鮑謖は後翼の侵攻を予見するばかりでなく、その規模がこれまでにない大軍であると見抜き、遠征軍への増員に反対した。また、東錬は動かない、もしくは小規模という彼女の見立てから、汐径軍は兵力を北に集中させることとなった。
結果。本営の兵、二千五百を動員することで、後翼三千に匹敵する戦力を生み出した。
煎じ詰めると、鮑謖の先読みがなければ、敵の進軍を阻む術はなかっただろう。
汐径軍は恂門を背にする形で陣を組み、後翼も対峙する構えとなった。
「さて──。懐に招き入れたが、思ったより敵は大軍だ」
軍議の冒頭、剛会は率直に言った。兵の手前、慮外という反応は憚られたが、ここにいるのは主立った指揮者たちだ。虚勢は判断を誤らせる。
「まったくだ。せいぜい二千幾らと思っていたが、後翼はそれだけ本気という事か・・」
鵡望もそれに合わせる。
今回、迎撃軍の首将は剛会大佐が務める。鵡望大佐は副将だ。同じ階級では慣習的に避ける配置であったが、武南将軍は、あえてこれを敢行した。
その意図は本人の胸中にしかないが、二人の大佐は「上手くやって見せろ」と言われている気がしていた・・
「敵も足を止めました。向こうも此方の規模は想定外だったのでしょう。今頃は、どうするかの作戦会議ではないでしょうか」
「誘い込まれた──。そのように見ているでしょうね」
「ああ──。そのつもりだったが、大軍を以て正面から打ち破る展開は難しくなったな」
「そしてそれは、たぶん相手も同じか・・ 奇妙な一致だ」
「焦る必要はありません。私たちは文字通り受け身なのですから、相手の出方にあわせて対処すれば良いのです」
「互いに速攻は成立にしくいだろう」
場の流れは、じっくり腰を据えて戦うべしという意見が支配的だった。
確かに汐径側からしたら急ぐことはない。長期戦になれば敵は補給を受ける必要も出てくるだろうし、そうなると深く入り込んだ現状は彼らにとって不利になるかも知れない。汐径軍は、敵の補給を妨害しつつ、兵糧切れを待つ戦略も取れる。
但しこれは、東錬が動かないという前提での話だ──。
「私は時間を掛けるのには反対だ」
鵡望が言った。彼は続ける。
「此度の作戦は、鮑謖少佐の百手の読みに依存するところが大きい。私も彼女の神算を疑う訳ではないが、ここでの後翼との対峙を東錬が知れば、彼らが何らかの行動に出る虞はあるはずだ。時を掛ければ掛けるほど、そのリスクは大きくなる」
こう述べた。
「鵡望大佐の仰ることも尤もかと──。当初は見送っていても、此方が長引いていると知れば、考えを変える可能性は十分あります」
賛同する声も上がる。
これもまた理のある話であった。
如何に軍神と呼ばれる魔女の先読みであっても、刻々と状況は変化する。今日までは正解でも、明日からは間違いなんていうこともあり得るからだ。
皆の意見を聞いた剛会は、しばし黙考し──。
「速攻、持久、それぞれに理がある。そこで儂は根本の方針を思い起こす・・」
こう切り出した。
「武南将軍の言うように、後翼の裏には西漣の暗躍があるだろう。そして汐径は後翼を返り討ちにすることで、暗躍した西漣の一派、その弱体化を図る。その上で、西漣の非主導派とも言える者らと政治的な折衝を考える」
剛会は、かねてから計画されている大綱とも言える方針を再確認した。
「これを成すためには、単に防衛できるというだけでなく、儂らが全力で戦える状態でなければならん。そこから考えると、東錬の横槍は面倒すぎる話だ──。よって今回、持久策はなしだ。おのおの、そのつもりで考えてくれ」
そして迎撃軍としての方針を示した。
これに基づき軍議は、より攻勢の意見が出された──。
「フ──ッ」
熊任は緊張の高まりを鎮めるため、圧力を抜くかのように大きく息を吐いた──。
彼女は、夜襲の軍に参加する。騎馬を中心とした足の速い部隊で、規模は五百だ。
奇襲攻撃ではあるが、枚を銜ませる事はしない──。互いに篝が見える距離なのだ。隠密性よりも速度を重視するという判断だった。
気付かれないようにではなく、気付かれても対処される前に叩く、そういう作戦だ。
「進発する!」
この夜襲の指揮官となった中佐の声だ。それで五百は粛々と動き出した。
いくら隠すつもりがないとはいえ、わざわざ教えてやることもないので、皆それなりに静かな行軍となった。
移動の間、熊任は長めに息を吐くことを続けていた。
敵との距離はよくわかる。
──そろそろか?
熊任が思ったとき。
ワァ──ッ!!
喊声が聞こえた。
──気付かれた!?
一瞬、敵が先手を打って反攻しに来たかと思ったが・・
──自陣か!?
声は後方から聞こえたものだとわかった。
夜襲を仕掛けようという、この状況で、味方があえて敵を起こすような真似をするとは考えにくい。このことから・・
「後翼も夜襲を仕掛けたのかっ!」
熊任は苦い物でも口にしたような表情で言葉にした。
奇しくも両軍の方針は速攻で一致し、期せずして最初の夜に互いに夜襲を計画した。
──後手をとった。
敵に対して遅れたという思いが湧くが、行軍の速度は変わらない。
──喧騒に紛れるつもりか?
熊任は中佐の思考を想像する。
夜襲は一歩遅れた。それはもう取り返せない。だから成果という形で敵よりも多くを得る方向に考えを変えた。敵の作り出した音に隠れ、ギリギリまで存在を隠した上での奇襲。自分たちの夜襲が成功したと思っている、その隙を衝く攻撃。
──まだ、取り返せる!
熊任は戦いに強い意気を持った。
「戦闘速度!」
指示が聞こえ。
「戦闘速度!!」
熊任も同じく自身が率いる中隊に言う。他の隊も同じだ──。それで五百の軍は一気に加速した。
「突撃!!!」
次の瞬間、汐径軍は声を張り上げながら敵陣へ雪崩れ込んだ。
敵兵は待機し守りを固めていた。おそらく夜襲が失敗する可能性や、相手が反撃に動くことも想定していたのだろう。普通に攻めたなら、奇襲の効果は薄かったかも知れない。
さはさりながら、味方の攻撃が成功したと思しきタイミングでの反攻は、敵も慮外だったようで、そこには混乱が見てとれた。
──そこだッ!
敵の動揺から生じた防御の乱れ。それを見逃す熊任ではない。彼女は、今度は圧力を高めるように息を大きく吸って──。
「私に続け!!」
熊任の中隊は彼女を先頭にして敵の急所に突っこんだ。大軍相手の騎馬での分断は、東錬との実戦を経た今、最早熊任の十八番である。
熊任の麾下が切り開き、後続が遅れて突撃する。そこは細かく指示を出さずとも、遅れる時間を計算し、結果として絶妙のタイミングになるよう計った。完全に指揮下の動きを把握していなければ出来ない、妙技であった。
熊任隊が敵を崩した。そこに味方が殺到し、敵を次々と倒していく──。
「よしッ!」
熊任は手応えを口にする。
──三手の読みだ。
自分の動き、敵の動き、味方の動き。熊任が見ているのは、たった三つである。友のように世界を俯瞰した先読みは無理でも、敵味方がぶつかる戦場の状況なら、眼前の三つの事象なら自分でも読むことが出来る。
──いや、むしろ私のが優れている!
熊任は、友人に負けてなるものかと、己に矜恃を持った。
「撤収!」
退却の指示だ。元より長居するつもりはない。それに、自陣が受けた夜襲の方も気になるところである。
五百の軍は素早く敵陣を離れ、自陣に向かった。
──とりあえず作戦は終了・・
熊任ばかりでなく、夜襲に参加した者は等しく思ったであろう。
しかしながら、これは幕開けでしかなかった──。
後翼軍は全軍を挙げて前進を開始し、汐径軍もそれに呼応するように軍を動かした。
ひょっともすると、後翼は威圧の意味だったかも知れないが、汐径もそれを黙過しなかったため、いつの間にか軍勢同士の搗ち合いとなった。
こうなると駆け引きや、タイミングや隙を窺うなどという展開にはならない。暗闇の中、敵味方の判別は、前から押してくる者か否かというしかなく。両軍の激突は、単純な力比べの様相を呈した。
この戦場の六千の兵たちにとって、長い夜が訪れた──。




