第102話 双方向(後半)
「あれはどこの軍だ?」
「たぶん西漣と河晏のですね」
「おい──。汐径がいないじゃないか! 話が違うだろ!」
千軍を率いる義勇軍の男は激昂した。
彼らは連合軍の輜重隊から兵糧を奪う目的でやって来た。そしてその標的の第一候補が、汐径軍の輜重であった。
しかるに、眼前を通り過ぎるのは余所の輜重隊で、潤沢とされた汐径軍のそれが見当たらないのだ。
「おいっ! どういう事だ!」
尚も指揮者の男は怒気を振りまく。
「い、いや──、どういう事でしょう・・」
聞かれた方は堪ったもんじゃない。指揮者がわからぬように、ここにいる他の義勇兵たちもわかりはしない。
あえて問う相手を選ぶなら、この作戦を提案した酉軍の山單中佐にするべきであろう。
「ひょっとしたら、もう既に移動してしまったのでは?」
「なんだと!? なら輜重隊を分離するという作戦自体が失敗だろうが。あの腐れ将校め、尤もらしいこと言いやがったな。糞が!」
「そ、それで──、どうします?」
「どうするもこうするも、やるしかないだろうが。どのみち可能なら全部いただくつもりだったんだ。やる事は一緒だ」
想定していたようには行かなかったが、どこの軍の輜重であっても兵糧は兵糧だ。目の前に獲物がいるのだから、あとは襲いかかるだけの話だ。
「あれはどんくらいになる?」
男は誰ともなしに問うた。
周囲の多くは意味を解せず困惑したが、勘の良い者が。
「たぶん二百もいません。両軍合わせても百五六十ってとこじゃないですか」
敵の兵の数を答えた。
「カッ──。だと余裕だな。なら半分で進路を塞いで、残りで敵を倒すか」
指揮者はざっくりと作戦を立てると、すぐに指示を出し、それで千軍は動きだした。
「報告します! 先行する西漣、河晏の輜重隊に、敵軍と思しき集団が迫っています」
隊長の下に兵が駆けてきて言った。
──!
この瞬間、大尉以下輜重隊の兵たちにとって、鮑謖の言葉は未来記となった。そしてそれを綴ることの出来る鮑謖は神憑りであり、まさしく軍神の顕現であった。
「しょ、少佐! 我らは今このときを以て少佐の指揮下に入ります。賊を討つため、采配をお執り下さい!」
隊長である大尉は、感動と畏れのあまり声を上擦らせて、震えるように言葉にした。
──ええぇ・・ この人、めっちゃビビってるよ・・
さしもの鮑謖も戸惑った。無論、それを表情に出すことはない。
鮑謖は決して仕事熱心な者ではないが、将校として兵を率いるからには、何事にも自如自若でなければならないと心得ている。
指揮者の態度が兵に伝播することは、武官学校の学徒でも知っている話だからだ。
にもかかわらず、輜重隊の隊長は敵を前にして震えている。
鮑謖としても、突然に敵が現れたことは驚きだったが、大尉の狼狽ぶりは、そのような次元の話ではないように思える。
──これはマズイね!
これでは動揺が周囲に伝染し、動ける者も動けなくなり、軍という組織が死ぬ。
──ああ。所謂、是非もなしか・・
隊長が恐れをなし、自ら指揮権を放棄するこの事態を、汐径軍の少佐として見過ごす訳にはいかない。最早、のんびりしたいとか言ってられない状況だ。
事ここに至り、鮑謖は諦観を持った。
「うん。わかった──。それで、戦闘員として動けるのは何人ぐらいかな?」
鮑謖が大尉に穏やかに聞く。
「はっ。五十人であります!」
先程のまでの動転を消し、軍人の音で返答が来た。
──ええぇ・・ 何この人、急に元気になったよ・・
大尉の豹変ぶりを、責任から解放されたことによるものと解釈した鮑謖は、内心、彼のことを鼻白んだ。
「えーと。実戦経験はどれ位かな?」
「大半は未経験です」
「うん。なら一撃当てた後は、他の軍の人達と協力して防御中心でいいかな」
鮑謖は考えなら言うと。
「よし。行こうか」
と、つと駆け出し、大尉たちは慌てて彼女の後を追った。
大概の者は、芋虫を気味悪りがり、蛇を怖がる。
しかし絹糸を作る蚕に対しては世話を焼き、鰻となれば手づかみで捕まえる。
これを以て古の賢者は──。
『人は利があれば勇者になれる』
と、説いた。
義勇軍の兵は、その実、ただの一般人である。
彼らが次々に街を落としてきたのは、圧倒的な多勢によるものだが──。敵兵とぶつかる際は、人並みに恐怖が生じた。
それでも逡巡という形にならなかったのは、彼らが飢えた狼であって、標的を狩り貪り尽くすことを覚えた獣だったからだ。
まさしくそれは、見方によっては勇者であった。
義勇軍は、半分の数で西漣、河晏の両輜重隊に襲いかかった。もう半分は、敵の退路に先回りして逃がさぬようにする。
敵は二百もなく、味方は半分でも五百だ。負けるわけがない。
ましてや、相手は戦闘が本職ではない輸送部隊である。歴戦の勇者の敵ではない。
事実、敵兵はぶつかる前から腰が引けている。
「カッ。連合軍っても大したことねえぞ! このまま突っ込め!」
指揮者の男は、元からの気合いに勝利の確信が乗って、況して声を張った。
彼ら義勇軍という名の団匪によって、輜重隊は踏み躙られようとしていた──。
賢者の言葉ではないが──、物事には陰陽、正負、プラスとマイナスが存在する。
仮にマイナスの利があったら、人は何になるだろうか?
魔法を打ち返し、騎兵に正面から挑む鮑謖が恐れるのは、食い物の恨みである。今、兵糧を積んだ輜重が奪われようとしている事態に彼女は思う。
──自分で護衛を続けるって言っちゃったしな・・
──これ兵糧取られたら私の立場ってどうなるの?
──どう転んでも、やっかまれそうなんだけど・・
西漣、河晏の兵からは標的にならなかった事で逆恨みを受ける可能性があり。友軍として兵糧を分配するだろうから、八角は元より自軍の兵からも恨まれるかも知れない。
不可抗力の類いであっても、人は誰かに責任を見出す。断章取義でも牽強付会でも、屁理屈をこね出したら咎人を作るのも容易い。
──ちょっとまって!
──指揮権とか采配とかって、そういう意味!?
鮑謖は考えるにつれ、輜重隊の隊長である大尉によって、自身がスケープゴートにされようとしているように感じた。
──あの震えた感じも演技だったかも?
──能力のない振りをして、責任から逃れた!?
──くわぁ~。いい人そうな顔して、なんて恐ろしい!!
鮑謖の妄想が止まらない。彼女の中で、輜重隊の大尉は完全な悪役となった。
「謀られたぁ!!」
鮑謖は駆けながら叫んだ。このままでは、ある事ないこと自分の所為にされてしまう。そんな危機感を鮑謖は持った。
只でさえ誰よりも速い彼女は、況して速度を上げ、疾風の如く駆け、賊の集団に独りで突っこんでいった。
──なんだ?
敵にぶつかり、今これから圧殺をせんとしているときに、あさっての方向から衝撃を感じた。
「なんだ?」
指揮者の男は声に出しながら件の方に目をやった。
すると何かが凄い勢いで味方を蹴散らしながら迫ってきている。
杖を右に左に振り回しながら、軽快なステップで止まる事なく、義勇軍の兵を屠りながら前進を続ける女。その進路は、まっすぐに自分に向かってくる。
──馬か!
義勇軍には騎馬が殆どいない。単純に数が用意できなかったのもあるが、鹵獲したものも、糧食として潰してしまっていたのだ。
必然、騎兵は指揮者か早馬のみとなった。
杖の女は、騎兵の自分に当たりを付けて叩こうという算段であろう。
一瞬。
──降りるか?
思ったが、同時に馬鹿にされたような腹立たしさが込み上げてくる。男は、その憤怒の感情そのままに。
「そいつを殺せぇ! 囲めぇ! 潰せぇ!」
獲物を前にして、その矛先を杖の女に向けた。
しかしながら義勇兵たちの動きが悪い──。いや、相手の動きが良すぎる。
──何が、そこまでさせる!?
指揮者の男のみならず、女を視界に収めた者は、その躍動の根幹を訝しんだ。
さはさりながら、推考に浸る時間はなかった。
女はすぐそこまで来ていた。彼女の通った後は、ただ躯となったものが転がっている。
指揮者は距離を取ろうと馬首を返したが、そこに女が杖を一振りする。すんでのところで馬は駆けだしたが、その際、杖が馬の尻をかすめ打った。
その衝撃に馬は狂ったように暴れた。
必定、男は振り落とされ、馬は味方を踏みつぶすようにして何処かへ暴走した。
この事で空気が変わった。
それまで義勇軍を支配していた捕食者としての狂気が消え、異質なものに恐怖する正気が彼らを満たした。
義勇兵はもう勇者ではなく、良くも悪くも正体を取り戻した。
そしてこのタイミングで汐径軍の五十が突撃した。
十倍の数に向かっての攻撃だったが、静かに練った闘気と鮑謖が作り出した混乱、そして怯えを持った敵兵に、汐径兵は五百の軍を突き破った。
こうなると逃げ道を塞いでいた、もう五百も静観できない。彼らは火の消えたような味方を救出すべく、攻勢に転じた。
だがしかし、そこに何処からともなく騎馬隊があらわれ突撃。崩れたところを立て直している間に千を超える歩兵が間近に迫った。
徐厥率いる汐径軍である。
輜重隊に何かが起こる事を予感した彼らは、距離を保ち、監視を続けていた。
混乱した団匪。それを取り囲む汐径軍。この様相に西漣、河晏の兵たちも攻撃に打って出た。彼らは互いに連携し、賊を次々に倒した。
そして同時に、彼らは知ることになった。
団匪に対して独り、血まみれになりながら奮戦する鮑謖を──。それは紛うことなき当百の魔女の姿であり、どこか鬼気迫る、鬼神の如き様相であった。
畢竟。利を求めた者が勇者になったように、負から逃れようとした鮑謖は鬼になった。
元より賊に情け容赦などない鮑謖だが、自身が追い込まれるかも知れないという疑心に駆られた彼女は、一切の妥協、手抜き、惰性もなく死体の山を積み上げた。
この日の移動中、連合軍の輜重隊が奇襲を受けた。しかし、汐径軍を中心にしてこれを撃退し、兵糧は全て無事であった。
また、ここでの戦闘によって鮑謖の存在が汐径軍だけでなく、数々の異名と共に、列国の兵たちにも広く認識されることとなった──。




