第101話 双方向(前半)
「高台を押さえるべきです」
軍議の場にて八角の将校が主張した。
「敵の進軍速度から考えて、このままでは先に布陣されてしまいます。方向的に、ここを取られても我々が不利になることはありませんが、有利になる場所を失うのは相対的に損失だと考えます」
自分たちにとって絶好な場所に敵が先着する。それを防ぐためには、此方の行軍速度を上げなければならない。
しかしそれを為せば──。
「兵の疲弊は免れません。地形的に有利でも、果たして、バテた兵を消却できるほど見返りがあるのでしょうか?」
河晏の者から問いが出た。
これに主張者は。
「すぐさま戦闘になれば、正直、微妙なところです。されど敵からすれば、見下ろす大軍を相手にする訳ですから、そのプレッシャーたるや如何ほどかと。余程の戦巧者でもなければ、攻め掛かる決断は下せないのではないでしょうか」
なめらかに返答した。
連合軍の指揮官たちも、軍議で時間を浪費する愚を犯すつもりはない。彼らは高台を占拠することに一定の理を見て、すみやかに行軍を再開した。
その移動速度はこれまでより速く、必然、足の遅い輜重隊は後方に離される形になった。
ハイペースでの移動の最中──。
「将軍。汐径軍が大分遅れているようなのですが・・」
西漣こと漣国軍の指揮官の下に、斯様な報告が入った。
漣国は此度の連合の盟主であり、漣軍の指揮官たる将軍は、全軍に於ける総大将と位置付けられている。無論、上下の関係ではないので、命令ではなく要請を出す立場といった感じである。
各国の軍も、漣を立てて、将軍の指示には従っていた。
ちなみに──。
漣国は中央軍だけで一万もの兵を有する大国で、規模は他の国々の倍以上である。そのため将軍が軍の頂点ではなく、三将軍の上に元帥を置く軍制を敷いている。
汐径と河晏は、将軍が遠征に参加するわけにもいかぬから、必然、格という基準に於いても漣国が上位にくることになる。
「ハッ──。外交の動きは素早くとも、軍勢となれば鈍間か」
将軍は汐径の国としての動きと、軍の動きを比較して、嗤った。
「東国の侵攻を何度も撃退した女傑だと聞いていたが、果たしてどうして、所詮国内の地の利を生かして勝っただけの者のようだ・・」
やや言い過ぎている自覚は将軍とて持ったが、己の口から出る言葉を止めなかった。
将軍は本国を出る前に密命を帯びていた──。
後翼による汐径への侵攻。彼はそれが起こることを知っている。
漣国が働きかけ、後翼を動かし、此度の汐径の躍進とも言える外交的動きに水を差す。その一連の謀略も含めてだ。
時が来れば、汐径軍を帰還させることも織り込み済み。同時に本国から追加派兵も到着する算段になっている。
これらは偏に、汐径の国家としての存在感が増す事への拒絶である。
将軍も、その考えに基づいたため、彼の思考には一部片寄りが生じていた。
「まぁいい──、ほうっておけ・・」
──遅れるなら、好きなだけ遅れればいい。
そうなれば後翼が云々、途中で帰還がどうこうならずとも、足並み一つ揃えられぬ間抜けとして、最早立場などあるまいと考えた。
将軍は汐径に対して特に指示は出さず、そのまま行軍は続けられ、全体と汐径軍との差は大きく開いた。
「准将。他国と大分引き離されてしまっていますが・・」
徐厥に対して、現状を心配する声が上がった。
「構いません。それよりも、輜重隊との距離に注意しなさい。目視できぬギリギリの間合いを保つのです」
揺るぎない信念の言葉かのように徐厥は言った。
「はい──。そちらは斥候による監視を続けております・・」
副官の一人が現状を報告する。
「准将は、輜重隊に異変が起きるとお考えという事でしょうか?」
別の者が、徐厥の真意を問うた。
これに徐厥は少し笑うようにして。
「正直なところ、私にもわかりません──。根拠や確証など皆無です。ですから、この位置取りが無駄になる虞もあります」
静かに言った。
「やはり、鮑謖少佐が動かない事に意味があると?」
「ええ──。彼女の、あの顔を覚えていますか? 飄々として、まるで意に介せぬようにして輜重隊にいることを選びました。何かあっても、またぞろタマ子の渾名の通り『たまたま』と言って味方をも出し抜く顔です。おそらく避難民に兵糧を分け与えたのも、その関連でしょう」
徐厥は思い出すように語った。
「鮑謖少佐は、准将が警戒することも想定しているのでしょうか?」
「さぁ──。全ては彼女の予測の内か、それとも、どう転んでも良いと考えているか。いずれにしても、少佐の存在が鍵となる。そういう展開になるでしょう」
確証は無いとした徐厥だったが、その声は確信めいていた。
本隊は制高による地の利を得るためとして行軍速度を上げた。要は、ここを取れば敵を見下ろせて有利になる、という話だ。
鮑謖は軍議の内容を知らないが。
──要所の確保というだけならば急ぐ必要はないはず・・
そこから溯って考えると。
「敵に取られる可能性があるか・・」
そういう推測が成り立ち。
「近くまで迫っている・・」
現状が見えてくる。
──なら、輜重隊としては尚更急ぐ必要はないね。
下手すりゃ現地到着と同時に戦闘が起きているかも知れず、そんな場所にわざわざ汗だくになって向かう事はない。
斯くの如く鮑謖は考え。
「私たちは自分のペースで、のんびり行きませんか」
輜重隊を指揮する大尉に提案した。
鮑謖少佐が不意に発したひと言に、周囲は瞠目を彼女に向けた。そして、続けて放たれた言葉を聞き、思わず声を上げそうになるほど驚いた。
──兵糧を奪いに、敵が迫っている!?
彼女の言葉を繋げると、そう解釈せざるを得ない。
──そんな馬鹿な!
と、思う者はいない。団匪の略奪は皆も知るところであるから、彼らの糧食が十分でないことは容易に推測できる。相手が輜重の奪取を目論むことも、ありうる話だ。
さりとて──。
今、このタイミングで唐突にそれを言い出した事の理解が追いつかない。
鮑謖少佐は輜重隊と共に行動している。彼女が誰かから連絡を受ければ、それは自ずと皆が知ることになるであろう。
この事から、これは情報による答えではないとなる。それは即ち──。
──軍神の先読み!?
山を越え、闇を越え、国境の向こうまで見通すと謂われる百手の読み。それが今まさに、眼前で為されているのではないか?
だとすれば、悠長にしている暇はない。本隊から離された状態で攻撃を受ければ、輜重隊だけでは対処にも限界がある。
──急いで本隊に追いつかねば!
斯様な決意を持った矢先。
「私たちは自分のペースで、のんびり行きませんか」
鮑謖少佐はゆったりと言った。
──!??
隊長である大尉を始め、鮑謖の言葉を聞いた者は一様に混乱した。
それはそうである。敵が来ると言い出した張本人が、のんびり行こうと言うのだ。しかも言葉だけでなく、その態度も極めて鷹揚ときている。
このことから──。
──鮑謖少佐は迎え撃つつもりか!?
そう考えざるを得ない。そればかりか、その泰然とした姿から想像するに・・
──少佐には勝算があるに違いない!
輜重隊の面面は、それぞれに戦闘の予感と覚悟を持った。
「はい。少佐のお考えに従いたく思います」
隊長も決意を持った声で応え、その心胆は、輜重隊の隊員たちに自然と伝播した。
汐径軍の輜重隊は、若干一名を除き、静かに闘気を練りなら粛々と進んだ。
(後半へ続く──)




