第166話 九死に一生
「————ぁぁぁぁあああああっ!!??!!」
ゴウゴウと暴れる強風が俺の体を叩く。しかし、もはや体を殴る風の痛みなど感じられないほど、俺は恐怖に溺れていた。
白い雲を潜り抜け、眼下には青青と輝く広大な海が広がる。徐々に俺は自身の恐怖心と手を組んだその広大な海へと飲み込まれ掛けていた。
こんな状況になったのは、ほんの少し前、10分ほど遡る。
死体と化した巨大な猪の元を離れた俺は、先ほど見つけた森の先へと足を進めた。そして辿り着いた先は瓦礫と苔に覆われ、人の気配が一切しない場所だった。
軽く見回してみるが、広さはそこまでではない。“千里眼”で見回してみても『村』と呼ばれる程度の広さだった。
しかし、その村の端が奇妙だった。
村の端に位置する部分から先には大地が無く、その先には広大な空が広がり、村の下に雲が浮かんでいるほどなのだ。
「壮大だな」
俺は端から天上を眺める。空は澄み渡るほど綺麗な青が広がっている。雲の上の空は青色ではなく無色だ、と誰かから聞いたことがあるが、実際はどうなのだろうか。
「まぁ、ダンジョンだしな」
俺はそう嘯く。もはやここにいる限りこの言葉で全て片付けられてしまうのではないだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、次は眼下を見下ろす。寒さからか恐怖からかぶるりと体が震えを訴える。下には一面の雲が広がり、その下には何があるのか見えない。
「・・・あっ」
もう少し覗いてみようと、身を乗り出した瞬間、俺は村の端に置いていた手を滑らせた。あまりにも呆気なく俺の体は村から離れ、中空に放り出された。
「やべ・・・」
そんなとんでもなく幼稚な理由で、身を投げ出された俺は、しかしながらそこまで焦っていなかった。
確かに空中に突然、身を投げ出されれたため一瞬パニックにはなったが、すぐにスキルを使うことに頭はシフトした。
——しかし、恐怖が始まったのはここからだった。
「・・・・・・は?」
空中を踏むため、あるスキルを意識しながら中に足を踏み出す。しかし、これまで何度かお世話になった柔らかい粘度を踏むような感触はなく、そのまま踏み出した足は空を切った。
俺は自分が信じられず、無我夢中に空中を踏みしめようとする。しかし、その甲斐も虚しく全て空を切り、念じてもあのスキルは発動する気配を見せない。
「な、なぜだ?!“空歩”が使えない?!」
そう、今まで空を走る時に活用していたはずの“空歩”のスキルを使えなくなっていたのだ。スキルを大量に保持している弊害が出た。
もともと自分はめんどくさがりであることは自覚していた。そのため、取得したスキルも取るだけ取って、管理していないというのはザラだったし、俺以外に他人のスキルを奪える奴などいないと気づいてからは、余計にその傾向が強くなっていた。
「ま、まずい!このままじゃ・・・!」
雲海を抜けて眼下に広がったのはどこまでも青青と輝く広大な海原だった。
俺はなんとか体勢を整えようと、今度は“魄雷魔法”で風を操ろうとするも、体が逆さになって頭に血が上っているからか、焦っているからなのか、魔法をうまく発動出来ない。
「ぐっ、うぐっ」
挙げ句の果てには、乱雑に発動してしまった魔法による風で体が煽られ、より苦しくなる。もはや視界と脳が揺れ、思考が定まらない中、取れる選択肢はない。
——そして、冒頭に繋がるのだった。
「あぶなーーーーーーい!!!!!」
ザッパーーーーンッ!!!と水面を叩く音が辺りに強く響き渡る。その衝撃で水面から弾かれた水が俺を中心にして波打つように円状に広がっていく。
しかし、俺の体は叩きつけられた際に発生するはずの痛みを訴えてこなかった。それどころか、俺の体には一滴の水滴も付着していない。まぁ冷や汗は大量にかいているが。
「な、何が・・・」
「あぶないあぶないあぶなーい!!なにしてんの?!あたしがぎりぎり、まにあったからよかったけどさ!!」
「シ、シルフィ」
水面に当たるか当たらないか、ギリギリのところで浮かんでいる俺の眼前でぷんすか怒り狂っているのは、どこかに旅行していたはずのシルフィだった。
「りょこうなんてしてないっ!だいせいれいさまによばれたっていったでしょ?!もう、ほんとにあたしがいないとだめなんだから!」
シルフィが言うには大精霊が緊急招集をかけたらしい。その内容は、シルフィの言葉ではほとんど分からなかったが、纏めると、最近外の世界で生きている精霊達の消息が、大量に消えているらしい。
そのほとんどは意思なき精霊でほぼ自然と同化しているようなのだが、それはつまり彼らの棲む自然が破壊されていることと同義である。
しかし、シルフィはそれ以上に重要なことを言い出した。
「なんかね、むこうのほうでなんかいろいろたたかいのじゅんびをしてるみたい。さらまんどらに、たたかいにさんかしてほしいって、たのまれてたらしいの。でも、めんどくさいからってことわってた」
「精霊に頼みねぇ。誰が頼みに来てたかは分かるか?」
「ううん、だれかはしらない。でも、ゔぁんぱいあだったよ」
「そうか・・・」
俺はシルフィの言葉を吟味する。単純に考えるなら【色欲】率いる吸血鬼集団が、何かしら準備を進めているのだろう。それはおそらく俺と対するための準備である、ということは直感的に分かった。
しかし、引っかかるのは『さらまんどら』と呼ばれる精霊に声をかけられることだ。もしかしたらそいつは俺とシルフィのように精霊と契約を交わしているのかも知れない。だが、その関係はあまり親密とは言えないと思われる。
「とりあえず、ここだとまともに話しづらいから陸まで運んでくれるか?」
「えぇ〜っ?!」ここからどれくらいとおいとおもってるの?!しんどいよぉ・・・」
「後でお肉やるから」
「ぜったいだよぉ?」
シルフィはぶつくさ言いながらもどこかに向けて俺の体を移動させる。どういう流れでここまで俺が落ちてきたのかは分からないが、“千里眼”で見通してもぼんやりと陸地が見える程度。
(相当、風に流されたんだな)
直下していた記憶はなかったので、ある程度は覚悟していたが、ここまで陸地が遠いとは思わなかった。まぁ地面に叩きつけられるよりかはいいのかもしれない。
俺は風のゆりかごに揺られながら、シルフィとしばし歓談をして過ごすのだった。




