第142話 繋がる想い
「ブルルッ!」
私たちを見る黒いイノシシが低く唸る。そしてブンッと頭を振ってツノに刺さったタイシィを放り投げた。勢いのついたタイシィの体は勢いよく飛んでいき、直線上にあった太い幹にぶつかって崩れ落ちる。
「タイシィさん!」
「ブルァァァ!!!」
私は思わず、吹き飛ばされたタイシィの元へ駆けつけようとするが、目の前の黒いイノシシがそれを許すはずもなく、再度、私たちを威嚇するように大きく吠え、一直線に私たちに向けて突進してくる。
「テミスさん、うちが食い止めるからテミスさんはタイシィを見てあげて!」
そう言ってミユが私の前に躍り出る。そして刀で迎え撃とうとするが、思いの外イノシシの速度が早く、あと一歩抜くのが間に合わないと悟ったミユは、突進してくるイノシシの左右の細いツノを両手で掴んだ。
「ミユさん!?」
「くうっ!・・・テミスさん、早くっ!」
「は、はい!」
ミユに発破をかけられ、私は一目散にタイシィの元へと駆け寄る。背後ではイノシシの突進力を抑えきれなかったミユが、地面に轍を作りながら森の奥へと押し流されていった。
「ミユさん!・・・くっ、タイシィさん?タイシィさん!しっかりしてください!」
「・・・」
私は幹にもたれかかるタイシィに声をかけながら“神聖魔法”で腹にいくつも空いた傷を癒す。運良く肩が上下しているし、呼吸音も確認できるため死んではいなかったが、私の声に反応を示さず、気を失っていた。
「タイシィさん!タイシィさん!!しっかりしてください!」
私はこの命の糸を切らさないために必死で声をかけ続ける。血も多く流しているため、バッグから増血剤を取り出して水と一緒にタイシィの口へと流し込んだ。増血剤はこれで最後となったが、関係ない。
「ゥゥ・・・」
「タイシィさん?!」
私の“神聖魔法”が功を奏したのか、微かにタイシィが意識を取り戻す。私はそのきっかけをとりこぼさないように懸命に声をかけながら、より強く、より繊細に癒しの魔力を送り続ける。
「ゥゥ・・・グルゥフッ」
「タイシィさん!喋らないで!今は傷を塞ぐことだけを考えてください!」
私はタイシィの何かを伝えようとする声を遮り、腹に大きく開いた穴を塞ぐ。死を悟ったようなセリフはもう聞きたくない。私はもう誰も目の前で失いたくないのだ。
「グルル・・・」
「タイシィさん!」
その思いが通じたのか、みるみるうちにタイシィの腹に開いた傷が塞がっていく。これは私の魔法の効力もあるだろうが、1番は彼の生命力の強さがもたらしたものだろう。同じ傷を人間が負ってしまえば、ここまでの回復力は見込めない。
「良かった!タイシィさん、私が分かりますか?!」
「グルル、グルッ?!」
「タイシィさん?!何してるんですか!」
意識を完全に取り戻したタイシィは私の問いかけに力強くうなづく。そして私に『もう大丈夫だ』と伝えようとしたのか、開いた穴の部分を自身の掌で叩いて、痛がっていた。
「でも、よかった。あなたが無事で本当によかったです。ただ、ここはまだ危険です。すぐで申し訳ありませんが、立ち上がれますか?」
「グルグル」
ミユが引き離してくれたとはいえ、そう遠く離れていない場所から戦闘の音がこの森に響いている。いつ、こちらにもその余波が飛んでくるか分からない。
しかし、やはり傷が塞がったとはいえ、致命傷に近い傷だったせいか、タイシィはゆっくりと震える左手を持ち上げる。
それははっきりと否定の意思だった。だが、無理もない。先ほどまで生死の境を行き来していたのだ。
「分かりました。では、私があなたを持ち上げます」
「グルッ?!ブルブル!」
けれど、ここでタイシィをそのままにしておくこともできないと考えた私はひとまず、この場から彼を遠ざけるため、彼自身を運ぶごとにした。しかし、よほど嫌なのかタイシィは左手を上げる前に首を左右に振る。
「でも、このままあなたを放置するわけにも行きません・・・」
「ゴレ・・イケ」
緊急事態のため、彼の意思を無視して彼の体を持ち上げようとした時、彼が理解のできる言葉を喋った。そして私の腕を掴む右手から、何か硬い感触が腕に当たった。
「え?」
「コレ・・・イケ。オレイイ、ィユイゲ!」
「タイシィさん?これは・・・」
思わずタイシィの顔を見る私に、彼は右手に持った何かをしきりに押し付ける。逆えず受け取ってみると、そこには精緻な装飾が施された片眼鏡があった。
何がきっかけで喋れるようになったかは不明だが、ようやく喋れるようになったためか、ミドルゥより片言だった。だが、それなりにミドルゥの片言を聞いてきた私はタイシィの言葉も理解できた。
「これを私に?そしてミユのところに行け、というのですか?」
「グルグル」
タイシィはその通りだ、と首を縦に振る。
「では、タイシィさんはどうするのですか?!」
「グルァ!」
タイシィは再度、『自分は大丈夫だ』と示すようにまた傷の塞がった自身の腹を小気味いい音を立てながらはたいた。
「本当ですね?信じますからね?」
「グルグル!」
「・・・分かりました。でも、無理はしないで下さい。動けるようになったらすぐにここから離れてくださいね?絶対ですよ!」
「グルァ!」
私は渡された片眼鏡を左目に掛ける。それはまるで今までずっと愛用してきたかのように私にフィットし、さらになぜか使い方が頭に流れ込んで来た。
「なるほど、魔力をこう流して・・・、これをこうすれば・・・うっ?!」
その瞬間、左目の見える世界が変わった。左の視界が情報で埋まり、右目との差異の大きさに目眩を起こす。だが、それもすぐに引いていき、徐々に左目からもたらされる情報を取捨選択できるようになっていった。
「これは・・・まさか“鑑定”をしているのですか?!」
左目に映る木々の種類、草の名前、きのこなど食用として食べられるものかどうか。顔を右に向ければ、澄んだ池に浮かんだ瓦礫と崩れかけた洞窟が目に入る。
流れた情報を読み取ると、池には魔力を少量回復させる効果があり、そこに生息する魚を食べればその効果はさらに伸びる。そして、その奥に続いていた洞窟には、体に塗れば軽い毒ならば瞬く間に中和する苔が生えており、光源にもなりうる、と書いてある。
「これはすごいです!タイシィさん!!」
「グルォア!!」
「ありがとうございます!でも、こんないいものは貰えないのでミユを助けて帰ってきたら返しますね」
「グルグルォ!」
未だにタイシィを心配する私に焦れたのか、ミユのところへ早くいけ、と音の方へと指を差す。私もミユの様子が気になっていたので、タイシィに頭を下げてミユの元へと走った。
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ようやく行った・・・。
自身よりももっと心配する者がいるだろうに。いや、仲間だからこそ彼女が勝つことを信じているのか。だとするならば、やはりあの秘宝を渡して正解だったのだろう。
「グル・・・」
仲間の元へ走っていく魔族の彼女の後ろ姿を眺めながら、自身の腕を背中に持っていく。するとべとり、という粘度の高い液体の感触が肌に触れた。
見ると少し黄色がかった透明な液体とそれと混ざって赤黒い血液が手のひらを濡らしている。
ーーそう、別に傷は塞がっていないのだ。
背中には今も複数の穴が空いている。なら、なぜ彼女は自身の傷が塞がったのか、と思ったのかと言うと、自身が気合と筋肉で腹の傷を埋めたからだった。なのでその分、背中の傷が開き血が流れてしまった。
幸い自身の体が大きいからか、単に彼女が慌てていたからなのか気付く様子はなかったが。
「グルォ・・・」
そうそう、彼女に渡したあの片眼鏡は本来、彼女に見つからないように渡せ、と長から伝えられていたものだった。真正面から渡しても受け取らないだろうから、と。
だが、洞窟で別れるまで彼女に本当にアレを渡すかどうかをずっと迷っていた。
なぜならアレは自身らの一族に伝わる秘宝なのだから。
そもそもなぜそんなものを長が持っていたのか。単純である。それは長が集落から盗んできたからである。ならなぜ、別々の階層にて集落を作る自身らでさえ、その秘宝を知っているのかというと、元は自身らは一つの大きな集落にて暮らしていた。
だが、自身が生まれるずっと前、その集落があの煩わしい虫の棲む森に飲み込まれた。その際に自身らの集落が何者かに切り取られるように分割されていったのだ。
それから数えることもできない自身らは永い時を過ごすうちにその森に適応する術を身につける。代わりに外への興味を失いながら。
けれど、いつの時代にも掟に歯向かうものは現れるのだろう。どこの集落にも外への興味を持つ者がいた。まるで先祖返りのように。その内の1人である自身らの長は、たまたまその集落に祀られていたあの秘宝を奪って今の集落へと逃げてきたのだ。
そしてそれは秘宝と語り継がれるのと同時に真の君主が持つものとしても語り継がれていた。そのためそれを掲げた長は誰からの反対もなく、今の長の地位へと就いた。
自身も我が集落に伝わる秘宝の話は知っていたが、本物を見たことはなかった。しかし、その秘宝はそれを偽物と断ずることはできない威容を放っていた。そしていつか自身も自身らの一族に向けて威を示し、掲げたい、と願ったものでもあった。
そのため、なおさら彼女たちにあの秘宝を渡すことはできないと思っていた。
長がどれだけ彼女に恩を感じていようと、彼女たちを好意的に見ていようとそこまですることはない、と思っていた。
最初は謝意と興味本位から彼女たちの護衛を立候補した。たかが物ごときにあそこまで怒り狂うとは思わなかったが、それでも気を悪くしてしまったことに変わりはない。
勘違いから始まった戦いだったため、真相を知ったときにはより一層申し訳なさが立った。
だが、所詮はその程度だった。
けれども彼女たちと話しているうちに自身の興味は徐々に好意へと変わっていくのを感じた。そして、別れを惜しむくらいには彼女たちを仲間だと感じていたのだ。
だからこそ、あの秘宝を渡すことが出来なかった自信に歯痒さを感じたし、別れた後、彼女たちを追いかけられなかった自身の情けなさにくずおれた。
そんな惨めさを彼女たちへの別れの声で誤魔化していたところをあの獣に襲われた。
今思えば本当に迂闊だった。自身らは一度奴と遭遇している。そしてその時から対して時間も経っていない。ならば、奴がまだ徘徊していてもおかしくないというのに、それすら忘れるほど彼女たちとの時間は楽しかったのだ。
そうして結果的に彼女たちを危険に晒してしまった。まぁ運良くあの秘宝を渡し、長の願いを叶えられたと思えばいいだろうか。
「グ・・・ヅゥ」
テミスが飲ませてくれた薬のおかげか、体の奥底が微かに熱を持つ。しかし、それを飲み込むように血を失った体が寒気を訴え始めた。
もう、腹に空いた穴の痛みさえ薄らとしか感じない。遠くで奴と彼女たちが懸命に戦っている音が徐々に聞こえなくなり、視界はだんだんと暗くなる。
「ミユ・・・、テミ・・・ゴ・・メ」
また会ったら今度こそ全力で戦おうと約束した彼女。奴を退け、ミユを助けたら自身のことも救うと言ってくれた少女。
どうやら自身は彼女たちの約束すら守れないらしい。
ーーけれど、きっと長の想いが、そして自身の想いがあの秘宝を通じて伝わっていると信じて。
今はゆっくり、眠ることにしよう。
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