第110話 深く昏き心海
「俺は....いったい...」
気がつくとそこは何も見通せないほど真っ暗闇の空間だった。どこを見渡してもどこまで続くかも分からない暗闇。果ては自分の腕や体でさえ見えない。
「うん、まだ自我は残ってるみたいだね。それなら良かった」
「誰だ....」
そんな時不意にどこからか声が聞こえてきた。その声は男とも女とも判別つかないような声で姿も現さず俺に語りかけてくる。
「堕ちちゃだめだよって言ったのに...。はぁ。でも、ここまで来ちゃったなら仕方ないよね。後はここからどうするかを考えようか」
「誰なんだよ....!やめろ!訳が分からなすぎる!もうたくさんだ!.....ぐっ?!」
その時俺の言葉がきっかけになったのか、これまでの出来事がフラッシュバックしてきた。【暴食】との戦闘やエルフの弔い、そしてキノの亡骸。
「あ、あぁぁ、ああぁぁぁぁ.....」
何故すぐに思い出せなかったかは分からないが、ここまで一気に色々なことが起こったことが鳴りを潜めたからか、様々な感情が湧き出してくる。
抱えきれないその感情は、表しきれないその想いは全て滂沱の涙となって表面へと溢れ出した。
「落ち着いたかい?」
それからどれだけ経っただろうか。それまで一切声を掛けてこなかった謎の者は、一頻り泣いた俺に対してタイミングを見計らって声をかけてきた。
「....あぁ、すまない。それで?お前は誰なんだよ」
「ボクかい?まぁ名前くらいなら大丈夫かな。ボクの名前はレティクル・ヴァイス。よろしくね」
「レティクル・ヴァイス...?何者なんだ?」
「うーん、今はちょっと特別なだけのしがない放浪者さ。それより君にはまだやるべきことが残ってる。ここでこのまま朽ち果ててもいいのかい?」
「どういうことだよ?」
「今、君は自分の体を見ることができるかい?」
「いや....」
「....ほんとにギリギリだった....。取り乱さないで聞いて欲しいんだけど、その闇に君の体が全て呑まれてしまったら、もう二度と君はこの闇から抜け出せないんだ」
「は?何だそれ?!」
「うん、困るよね。だって二度と外の娘たちに会えなくなるのと同義だし。でも、それはボクも望むところじゃないから、こうしてボクが来たのさ」
「....何をしたらいい?サニアたちに会えないのは嫌だ。それに俺はあいつを....、【色欲】をぶっとばさないと気が済まないっ!」
「分かってるよ、ちゃんと出る方法を教えるから。と言っても難しいことじゃないよ。君が闇に頼らず、外へと...、光へと進む勇気を見せれば自ずと道は出来るから」
「は?なんだよ、その曖昧な方法は...。もっとないのか?こう...あれをしろ!みたいなさ...」
「世の中そんなに単純じゃないんだよ。実際、今君のいる場所は君の心の中だからね。君がどうにかするしかないんだよ。....おっと、これ以上ここにいるとボクもまずいかな...。それじゃ方法は教えたからね!頑張って!あ、それとボクの名前は誰にも言わないでね、たとえ彼女たちにも」
「おいっ!なんかもっと具体的なものないのかよ?!」
「...それじゃあね。ボクは君を待ってるよ、カイトくん」
「おい?おいっ!返事しろよっ?!.....くそ、結局何にもわかんねぇじゃねえか。それにレティクル・ヴァイスだと....?どっかで似たようなの....」
あの声の人物が誰なのか思い出そうと記憶を掘り返している時、唐突に右耳から音が消えるような感じがした。いや、実際にはこの空間に一切の音はないはずなのだが、聴覚が潰されるようなそんな感覚がした。
「な、なんだ?今の....」
まさか、あれがこの闇に体を呑まれるってやつか?だとしたら、体が見えない中耳までってことはだいぶまずいんじゃないか?
「くそ!こうしちゃいられない、すぐに出る方法を考えないと!」
あいつは闇に頼らず、外へと出る勇気を見せろ、と言っていた。だが、外へと出たいのなんか当たり前だ。なら勇気ってなんだ?
とりあえず、俺はもはや存在していないのかもしれない手足でがむしゃらにもがき、なんとか前へ進む意志を見せる。
「というか、見せるって誰にだよ?」
俺自身にってことか?なら、俺はこの闇に頼ろうとしてるってことなのか?
その時、今度は左耳が潰れるような感覚がした。あー、あー、と声を出してみるが、今までかろうじて聴こえていた俺の声が何も聞こえなくなっていた。
『これは本格的にまずい。俺はまだ死ぬわけにはいかない!』
あいつはここが俺の心の中の世界だと言った。ならば、後俺に出来ることはひたすら意志を込め続けること。外へ出る意志、何者にも呑まれない意志を。
俺の光はなんだ。俺を照らす光は。
それは紛れもなく彼女たちだ。色褪せること無き彼女たちだ。
今度は口の感覚が潰れた。いよいよ徐々に何かに浸食されている感覚が強くなっていく。続いて鼻の感覚が潰れた。そこに痛みはない。それが余計に恐怖を掻き立てる。
ーー必ず戻る。
その意志だけを携えて俺はこの深海のような場所を進んでいく。左目の部分が侵されたところでようやく目前に小さな光点が見えた。
あと少し。
「..........ん!」
「...........ま!」
「..........さん!」
視界が黒く染まっていく。だが、不思議と不安はなかった。なぜならーー。
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