第108話 唐突な......
グシャリ、と何かが潰れる音がする。
べちゃり、と何かが飛び散る音がする。
否応にも嗅ぎ慣れた濃い血臭が辺りを覆い尽くす。
「な、なにが」
「やっぱりいた....。部下がいるなら....あんたもいると...思ったんだよね」
「お主が、なぜ....」
「伊達に数年も....一緒にいてないよ」
「なぜじゃ!お主がなぜ!男を守る?!」
「当たり...前じゃん。キノの好きな人...だよ?守るに決まってる....じゃん」
キノが何を思ったのか、自身の胸に突き刺さる【色欲】の腕をガッチリと掴んだ。しかし、【色欲】は放心しているのかキノの前から動こうとしない。
「なぜ、なぜじゃ。妾はお主を愛しておる。お主は劣等種ではなく妾の側にいるべきじゃ!」
「知ら...ないよ。キノは...カイトのとこに....いたいんだもん。それに、あんたの....気持ちは知ってる...けど、やっぱり...キノには、難しいかなぁ」
「ならん!お主は妾の側にいるのじゃ!でなければ!でなければ、妾は何のために...」
「あはは...。あんな御触れ..出しといて....何言ってんの....?」
「あ、あれは!木端なぞにお主は負けん!せめてお主の居場所さえ分かれば良かったのじゃ!」
「とに...かく」
キノは掴んだ【色欲】の腕を自らの体から引き抜いた。途端に堰き止められていた血液がドポッと傷口から溢れ出す。
「うぐっ!.....キノは....あんたのとこには....帰らない。だって...キノの...居場所は....カイトの....隣だから」
「やめろ....」
「じゃあね、セレ...ス」
「やめろ!」
「キノ?!」
「キノさん?!」
俺は咄嗟に倒れるキノを抱え込み、なんとか傷口を埋めようとあらんかぎりの魔力で“熾天魔法”による治療を施す。慌ててテミスも参加してくれ、さらにミユやサニアも水を出したりなどで手伝ってくれる。
対して【色欲】は突き返された自身の腕を抱えきれず、尻餅をつく。しかし、未だ放心しているようで立ち上がる様子はない。
「女王様?!」
「あ、あぁ、嘘だ!ありえない!こんなものは間違っておる!ぁぁぁぁ!!」
「女王様!気をお確かに!!申し訳ありませんっ、一度ここから離れます!」
「妾は、妾は悪くない...。そうじゃ、悪くない!悪いのは、貴様だァァァ!!【黒隻】ィィィィ!!」
叫ぶ【色欲】の声が次第に遠くなっていく。だが、今はそんなもの耳には入らない。
「キノ!しっかりしろ!今治してやるからな!」
「カイト...大丈夫....?ケガ..してない?」
「あぁ、大丈夫だ!それよりも喋るな!くっそ、血が...!」
「カイトさん!ここまでになるとまず、包帯で締めて傷口がこれ以上開かないようにする方が先です!」
「わ、分かった!....ほら、これでいいか?」
「はいっ、では、私が傷口を押さえますので引き続きカイトさんは魔法で止血処理をお願いします!」
「分かった!」
「ねぇ、カイト...。キノ、役に...たったかなぁ?」
「何言ってんだ?!役に立つとか関係ない!お前が側にいるだけでいいんだよ!だから、今は喋るな!安静にしてろ!いいな?!」
「はは、カイトが...必死になって...くれてる..。うれしいな」
「当たり前だろうが!」
「....でもね、わかるよ...。もう無理だって...。自分の...体だもん」
「はぁっ?!諦めてんじゃねぇ!俺は絶対に諦めないからな!絶対に死なせるか!」
「ごめんね...、ごめん。ゲホッ!」
「キノ?!」
キノは自分の顔の半分ほどもある大きな血塊を吐き出す。喋るな、と言っているのにそれでも何かを残そうとするキノはさらに言葉を紡いでいく。
「ねぇカイト?....キノ、このまま...消えたく..ないよ。このまま....世界から...忘れられた...ままで..いたくない」
「当たり前だろ!絶対に、死なせない」
何度魔法を使っても流れる血が止まらない。テミス達が協力して傷口を押さえ、俺は絶えずありったけの魔力で以って“熾天魔法”を使っているにもかかわらず。
「カイト...ありがと。でも...、無理だよ...。だって...」
「うるさいっ!いいから静かにしてろ!目が覚めたら元通りの元気な体になってるから!」
「あはは、そうだと...良かったん..だけどね。....でも、無理だよ...。....だって、もう...心臓が...ないから...さ」
....それもそのはずだった。
必死に魔法をかけている傷口である心臓部分は穴が開いたように空虚になっており、そこにあったはずの臓器はぐちゃぐちゃに握りつぶされている。そしてそこからは命を浪費する様に、絶えず血が溢れ出していた。
「正直...、もうほとんど...聞こえ、ないし...見えないん...だよね。でも、助けて...くれようと...してるの、わかる...よ」
「いいから黙って...」
「だから、ありがと。...でも、もうさすがに...やばい..から、さ。カイトが...キノを...もらっ...て?」
「.....は?」
「このまま....キノ、消えたく...ない。だから...せめて..カイトの...中に..いたい」
「....まさか」
「ごめんね...、こんなことに...なっちゃって。こんなこと...言ったら...カイト...苦しむの...分かるのに」
「.....やめてくれ」
「でも...、おねがい...」
ーーキノを....殺して...?
「やめろっ!!俺にトドメを刺せって言うのかよ!!」
「ご..めん...ね?」
「くそ!くそ!!」
キノを抱えている左腕が一層軽くなっていく。絶えず溢れ出す血によって体積が減っているようだった。そしてそれはキノの命がもうあとわずかであることも示していた。
「キノ!何か別の方法を考えよう!お前を死なせずに済む方法を!」
「..........」
「キノ!?」
すでにキノは返事すら出来なくなっていた。むしろここまで息を伸ばしていることの方が奇跡だった。かろうじて浅く呼吸だけはしているが、それももはやいつまで続くか分からない。
「ああああっ!くそっっ!」
そんな嘆く俺のそばには誂えたかのように転がる刀が目に入る。ふと俺は何かに促されるように抱いているキノを地に寝かし、刀を手に取った。取ってしまった。
「カイトくん?!」
「.......主さま」
「カイトさん....」
俺は刀を逆さに持ち、切っ先をキノの首に突きつける。眼下のキノは今まさにトドメを刺されようとしているのにもかかわらず、とても穏やかな表情をしていた。
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