普通じゃない?
「………ん…?」
五分ほど後、唯衣はやっと目を醒ました。
「あ、やっと起きたのね?…さぁ、さっきの事を説明して貰いましょうか?」
「さっき……?」
「あなた、私の傷を治してくれたでしょ?ほら、ここのおでこの。」
と言って、額を指差す。それと、これは既に確認済みの事だが、頬の切り傷は治っていなかった。
唯衣は額に乗せられている湿った手ぬぐいを取って起き上がり、何かを思い出す様な口調で語り始める。
「あぁ、それね。……何て言ったっけ、えーっと紅魔館?って所に挨拶に行った時、パチュリーさんっていう魔女さんに教えてもらったんだよ。」
「あの紫モヤシか……」
「うん?モヤシ?…あぁ、成る程、確かに細かったもんね。でも喘息だって聞いてたけど、普通に元気な人だったねぇ。よく笑ってたし、僕が魔法を使えなかった時も、丁寧に教えてくれたし。」
「えっ?」
………えっ?
何だか、言い表しようの無い違和感を感じた。
「それ、本当にパチュリーよね?」
「は?えっと…うん、そうだったと思うけど。」
本人だった時の方が一大事なのだということに、唯衣は気付いていない。
「……うわぉ、これは…」
私の知る紫モヤシことパチュリー・ノーレッジは、一日を図書館で過ごし、日中もろくに外に出ないで、常に仏頂面に隈を浮かばせて等々…まぁ、人付き合いはかなり悪い方であったと記憶している。
だが、唯衣の話を聞いた限りは、決してその様な事は無い…寧ろ、まるで普通の女の子の様な振る舞いをしていた様だ。
これは明らかに……
「……先に唾付けておいて良かったのかしら、ね…?」
まぁ、今日付けで唯衣は外の世界に帰ってしまうのだから、あまり関係は無い様な気もするが。
……いかん、ちょっとテンション下がって来た。考えない様にしよう。
閑話休題。
「……っていうか、何であなたが魔法使えるのよ。普通の人間でしょ?」
「その筈なんだけどねー…そもそも、パチュリーさんに教えて貰った時も最後の一回以外は成功しなかったんだよ、これ。」
そういえば発動した時パチュリーさんも驚いてたなぁ、と首を傾げる唯衣。
しかし、ろくに発動しもしない魔法を、こともあろうに他人に対して使おうとしたのか、この男は……
暴発でもしたらどうするつもりだったのだろうか?
「……とりあえず、『それ』は外の世界に戻ったらもう、二度と使っては駄目よ。」
兎にも角にも、唯衣が魔法を使える様になってしまったのは実にまずい。計算外にも程がある。
私達はこの子を、これ以上人間から遠ざけてはいけないのだから。
「確実性ってものが無い上に、そもそも魔法の存在しない世界で魔法なんて使ったらどうなるか…わからないあなたじゃあ無いでしょう?」
「うん、それはわかってるよ。」
「なら良いわ………っていやいや、良い訳が無いでしょうが!?」
「うわぁ!?」
なにが!?と、目を皿のようにして驚く唯衣。
……危ない危ない、危うく本当の問題を忘れるところだった。
「何であなたが魔法使えるのよ?普通の人間でしょ!?」
「その質問はさっきもされた様な…」
「意味が違うのよ、意味が。言わば魔法を使う際の燃料…例えば霊力、例えば魔力、例えば妖力…あなたは、そのうちのどれかを持っている。……いや、持っていていいはずが無いのよ。」
話が複雑な方向に進んで来たからか、当の唯衣は首を傾げたまま固まっている。
「つまり、あなたには魔法を使う素質がある。でもそれは、普通の人間が持っていていいものじゃ無いってこと。」
「……いや、それはわかってるんだよ。でも…それって、つまり、どういう事なの?」
そう言う唯衣の顔は、もう既に青白いを通り越して蒼白になっている。
恐らく、もう気付いているのだろう。
「つまり…あなたはもしかしたら、少なくとも『普通の』人間では無いかもしれない、って事。」
「……………」
黙って、下を向いてしまった唯衣。
予想していた事とは言え、心が痛んだ。
「……そんなに気を落とさなくても良いのよ。少なくともあなたは、今まで普通に外の世界で暮らして来られたんでしょう?これからも大丈夫に決まってるわよ!」
私がそう励ますと、唯衣はゆっくり顔を上げ、
「……ありがとう、霊夢。」
と、軽く微笑んで見せた。
……唯衣には、この事は言わない方が良かったのかも知れない。
そりゃあ、自分がマトモじゃ無いなんて言われたら誰でも傷付くだろうし、そもそも言わなかったところでもう私には関係無いのだ。
私達はその後も色々と話をしたが、内容など、全く頭に入って来なかった。
「……ごめんね、霊夢………」
〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜・〜〜〜
「あぁ、もうそろそろ時間みたいね。」
気が付けば、空の色は青から赤紫へと変化してきていた。
逢魔が時。この世を包む得体の知れないエネルギーが、最も強くなる時間帯である。
「……さて。」
何となく顔を見られたくなくて、夕日を見つめながら伸びをする振りをした。
そんな私の横で、唯衣がゆっくりと立ち上がる。
「そうだね。…もう、お別れなんだよね。」
目の前にいる少年は、こうして改めて見てみると、私よりずっと背が高くて肩幅も広かった。なよなよとしたイメージが強かったが、案外肉体面はそうでも無いのかもしれない。
……まぁ、今更そんな事を知ったところで、どうという事も無いのだが。
「…行きましょ。」
私は唯衣の問いには答えず、彼に向き直った。方向的には、神社の鳥居を背にした向きとなる。
「…………?」
言葉と矛盾している私の行動に疑問を感じたのか、唯衣は頭の上にはてなマークを浮かべて黙ってしまった。
……あぁもう、じれったい。
「……んっ。」
目線を彼から背けながら、口を突き出す。
……今まで散々お預けを食らって来たのだ(よく考えてみたら、「お預け」を「食らっ」ている時点で色々笑えなくもない。…いや、笑えないか)、この位の役得はあって然るべきだろう。
「………えっ、と……」
何やら戸惑っている雰囲気が伝わって来たが、知った事か。こっちはこれを逃したらもう機が無いのだ。
必死にもなろうというものである。
「……早く。」
「ええっ……?」
恥ずかしくなってきたので、目を固く瞑る。恐らくだが今、顔は熟れた鬼灯の様になっているのだろう。
「…………」
「…………」
じゃり、と一歩。
こちらへ踏み出して来る音がして、思わず肩を竦めた。
「恥ずかしいなら、無理しなければ良いのに。」
「……煩いわね、良いじゃないの。」
依然、目は閉じたままで反論。…あまり可愛い絵面にはなっていないであろう事が残念だった。
「ん、っ……」
「ぅ………」
いつの間にここまで近付いてきていたのか。いや、最初からあまり距離は無かったのだろう。
気付かない内に私のすぐ近くに立っていた彼は、そっと、私の唇にキスをした。
男の子のものとは思えない、柔らかい感触。
ともするとこのまま流されてしまいそうな、そんな心地良さ。
(……何だ、これ……)
快感と言うよりは、とても漠然とした満足感が、私の心の中を支配していた。
(背筋が…ぞくぞくする……)
もっと彼と深く繋がりたくて、後頭部に手を回し、舌を差し込む。くしゃりとした髪の毛の感触が伝わって来た。
絡めた舌の柔らかさを感じながら、思いを巡らせる。
(……本当の本当に、もうお別れなのね。)
それは奇しくも、先程私が問われた内容と同じもので。
そしてその瞬間、いつの間にか流れていた涙が口に入り、僅かに塩辛い味を伝えて来た。
どこかで聞いた話だが、同じ涙でも悔しさにより流された涙は、他とは比べ物にならない程しょっぱいものらしい。
それで言うなら、今私が流している涙は間違い無く悔し涙だ。
好きな男の子一人繋ぎとめて置けない悔しさ。そして、そんな自分に対して開き直る事も出来ない悔しさ。
人間が持てる負の感情、それの全てをごちゃ混ぜにしたら、恐らく「悔しい」という感情が出来上がるのだろう。
色々なものが凝縮されているから、悔し涙はしょっぱいのだ。
自分の中に渦巻いている未練を全て流しきってしまおうと、私はその後も涙を零し続けた。




