第3話 重ねられる交流
アテナとヘルカイザーが顔を合わせる機会は、少しずつ増えていった。
ある日は庭園で、噴水の設計図を囲んだ。
ある日は研究室で、新しい発明について話し合った。
初めに交わした約束は、一度きりで終わらなかった。話せば疑問が増え、その疑問を調べれば、また伝えたいことができる。
二人の間には、いつも次の話題があった。
アテナが研究室を訪れたとき、ヘルカイザーは、前に話したことを覚えていた。
彼女が気になったと伝えた箇所には、印が残っている。調べた結果が書き添えられたものもあれば、まだ考えかけのものもあった。
「こちらのお話、覚えていらっしゃいますか?♪」
「ええ。あのとき、別の案も考えてみたいとおっしゃっていましたね」
「そうなのですよ♪ それで、少々、描いてみましてねぇ♪」
広げられた紙を見れば、自然と続きを思い出せた。
アテナも、調べてきた資料を机へ置く。
話したいことを順番に説明していると、彼からも質問が返ってくる。答えを考えている間に、新しい案が浮かぶこともあった。
噴水のそばで交わした約束は、こうして、一つずつ次の時間へ繋がっていった。
「アテナさん、こちらをご覧ください♪」
研究室へ入ると、ヘルカイザーが待ちきれない様子で図面を広げた。
机の上には、何度も書き直した紙が並んでいた。
彼はその中から一枚を選び、アテナの方へ向ける。説明したい場所を探す前脚が、すぐに紙の端から中央へ動いた。
アテナは、その様子を見て微笑んだ。
話を聞く前から、彼が続きを楽しみにしていることが分かった。
入口で挨拶をしたばかりなのに、もう、どんなことを考えたのか知りたくなっている。
「……まあ。また、新しいものを?」
「ええ♪ 前回のお話から、少々思いつきましてねぇ♪」
「また、『少々』で済むお話でしょうか」
アテナが紙の上を覗き込むと、ヘルカイザーは楽しそうに笑った。
「さてさて♪ お話ししてみませんと、分かりませんねぇ♪」
「もう、随分と書き込んでいらっしゃいますよ」
「ええ♪ 書いているうちに、考えるところが増えてしまいましてねぇ♪」
彼は、余白へ伸びた線を示した。
アテナは、その線の先を目で追った。
なるほど、ここから話を聞くことになりそうだ。
彼女は持っていた資料を置き、図面が見やすいように、机のそばへ椅子を寄せた。
アテナは机へ近づいた。
彼の発想は、いつも型にはまらない。
当たり前だと思っていた仕組みを別の角度から見直し、これまで考えなかった組み合わせを示してくる。
説明を聞きながら、アテナは、最初の案がどこに残っているのかを探した。
ここは、前に話したことから繋がっている。
けれど、その先は初めて見る形になっていた。
「……こちらを先に動かすのですか?」
「ええ♪ 順番を変えれば、こちらの考え方も使えるかと思いまして♪」
アテナは、二つの箇所を見比べた。
同じことを考えていたはずなのに、彼は別の入口を見つけている。その入口から見直すと、今まで難しく思えたところにも、違った道筋が見えた。
彼女は、図面の端へ指を置いた。
面白い。けれど、このままでは、ここが気になる。
そのすべてが、すぐに実現できるわけではなかった。
「……この部分は、難しいのではありませんか?」
「ふむふむ。では、難しくないように作り直せば良いのですよ♪」
あまりに当然のような返事に、アテナは思わず笑った。
「そう簡単に言ってしまうのですね」
「ええ♪ どこが難しいのか分かれば、考えることができますからねぇ♪」
「では、こちらの箇所から、お話ししても?」
「もちろんですよ♪」
アテナは、問題だと思ったところを説明した。
ヘルカイザーは途中で口を挟まず、彼女が示す先を見ていた。説明が終わると、自分でも同じ順番に図を辿り、それから頷く。
「なるほどですねぇ♪ そこへ、先に影響が出てしまうのですねぇ♪」
「はい。こちらが予定どおりに動く前に、ほかの部分が変わってしまうと思います」
「ふむ……でしたら、こちらだけを変えても足りませんかねぇ」
前脚が、すでに描かれた線の上で止まった。
彼は、少し離れた箇所を見ている。
アテナも、その視線を追った。
新しいやり方を考えるときには、どこまでを変え、どこを残すかも決めなければならない。二人は同じ図を眺めながら、しばらく言葉を止めた。
ヘルカイザーは、指摘された箇所へ印をつけた。
「さてさて♪ どこから変えてみましょうかねぇ♪」
その声を聞いていると、アテナまで続きを考えたくなった。
失敗する可能性があるからといって、話はそこで終わらない。
失敗したなら、理由を調べる。その理由が分かれば、改めて試す。
彼にとって、その過程も発明の楽しみなのだろう。
アテナは、図面の隣に置いた資料を開いた。
「こちらのお話が、関係するかもしれません」
ヘルカイザーの顔が上がる。
「おや♪ 何か見つかったのですか?」
「まだ、そのまま使えるかは分かりません。ですが、今のお話と比べてみたいのです」
「ええ♪ ぜひ、聞かせてください♪」
説明している間に、彼女自身にも、新しく思いつくことがあった。
ヘルカイザーが問いを返すと、資料を一つ前へ戻して読み直す。二人で見比べながら、図面の余白へ言葉を書き加えていく。
持ってきたときには、ここまで話が広がるとは考えていなかった。
アテナは、顔を上げた。
ヘルカイザーも、何か言おうとしたところだった。
二人は一瞬、互いの返事を待ち、それから笑った。
「……どうぞ、先に」
「いえいえ♪ アテナさんのお話から、伺いましょう♪」
机の上には、まだ考えたい箇所が残っていた。
◇
噴水の小型模型を動かしたときには、思いがけないことが起きた。
図面で何度も話していた水の流れが、小さな装置の中に収まっていた。
アテナは、机の上の模型と、その隣の図面を見比べた。
紙の上で辿っていた流路が、そこにある。
「……これが、あの案なのですね」
「ええ♪ まずはこちらで、動きを見てみようと思いましてねぇ♪」
ヘルカイザーは、模型の一角を示した。
アテナが気にしていた場所だった。
「こちらも、変えてみたのですか?」
「はい♪ お話ししていたことをもとに、少々、組み直してみましたよ♪」
アテナは、もう少し近くから覗き込んだ。
頭の中で考えていた形と、実際に作られたものが重なる。
ここを水が通り、あちらへ流れれば、あの日の案が動き始める。
ヘルカイザーが、準備を終えて顔を上げた。
「では、始めてみましょうかねぇ♪」
装置が動き、水が持ち上がる。
初めは、細い流れだった。
水が小さな弧を描く。
アテナは、図面の中で流れを想像していたときとは違う嬉しさを覚えた。自分が指し示した箇所を、今、本物の水が通っている。
ヘルカイザーも、その動きへ視線を向けていた。
机の上に、庭園よりも小さな水音が生まれる。
アテナは、その音を聞きながら、切り替わるはずの場所を見つめた。
アテナは、その流れを確かめるために、少し顔を近づけた。
次の瞬間、水が予想とは違う方向へ跳ねた。
「……っ!?」
細かな水滴が、彼女の顔にかかる。
ひやりとした感触に、思わず目を閉じた。
一瞬遅れて、何が起きたのかが分かる。
予定していた弧よりも高く跳ねた水が、模型のそばまで届いていた。
向こうで、ヘルカイザーが慌てて動く気配がした。
「おやおや! これは失礼いたしました!」
ヘルカイザーは、慌てて装置を止めた。
水音が途切れ、研究室に短い静けさが戻る。
模型の上から、最後の水滴が落ちた。
ヘルカイザーはアテナの顔を見て、今度は模型を見た。先ほどまで、説明したいことが次々と出てきていた彼が、言葉を探している。
アテナは、そっと目を開けた。
目の前には、動きを止めた小さな噴水がある。
何度も頭の中で描いていた流れは、つい先ほど、思いがけない方向へ跳ねた。
あれほど真剣に待っていた自分の顔を思い浮かべると、少しおかしくなった。
アテナは濡れた前髪に触れ、それから模型を見つめた。
「……ふふっ」
笑い声が漏れた。
「少し、圧力が高すぎましたね」
言いながら、アテナは模型へ目を戻した。
水が通った場所と、跳ねた方向は、まだ覚えている。
ヘルカイザーが、そばにあった布を差し出した。
「こちらをどうぞ……。いやはや、驚かせてしまいましたねぇ」
「ありがとうございます」
受け取った布で、濡れた前髪を軽く押さえる。
ヘルカイザーは、まだ心配そうにこちらを見ていた。
「……そんなお顔をなさらなくても、大丈夫ですよ」
アテナが微笑むと、彼はようやく少し息をついた。
「いやはや、そのようですねぇ……」
申し訳なさそうな彼を見て、アテナはさらに笑った。
「大丈夫ですよ。それより、今の流れをもう一度確認しましょう」
「おや……よろしいのですか?」
「ええ。次は、少し離れて見ていますから」
アテナは、椅子をほんの少し引く仕草をしてみせた。
「ここからでも、流れは見えますものね」
ヘルカイザーは、模型と彼女との距離を見た。
「……ええ。それでしたら、もう少し落ち着いてご覧いただけそうですねぇ」
「ただ、こちらが動くところを見たくなったら、また顔を近づけてしまうかもしれません」
アテナが模型の一角を示すと、彼は少し目を丸くした。
それから、ようやく笑みを浮かべる。
「いやはや♪ では、そこは、よく見ていただけるように直しませんとねぇ♪」
アテナも笑った。
濡れた前髪には、まだ少し冷たさが残っている。
けれど、そのことも含めて、今の実験を忘れそうになかった。
その言葉に、ヘルカイザーの顔にも笑みが戻った。
「では、計算し直しですねぇ♪」
二人は模型を挟み、先ほどの動きを記録した。
「水が跳ねたのは、この辺りでしたね」
アテナは、図面へ指を置いた。
「ええ。その直前に、こちらの流れも少々、変わっておりましたねぇ」
「私も、そこを見ていました」
ヘルカイザーが書いた言葉の隣へ、アテナも覚えていることを書き添えた。
見ていた場所は、少しずつ違う。
一人では気づかなかった動きが、相手の説明から見えてきた。
先ほど、水が跳ねた瞬間について話すときには、アテナの口元に、また笑みが浮かんだ。
「……こちらの動きだけは、よく覚えています」
「ええ……。自分も、忘れませんねぇ」
ヘルカイザーが少し困ったように答え、アテナは小さく笑った。
それから二人は、改めて模型へ向き直った。
今日の記録から、どこを変えるかを考える。
同じ場所で水が跳ねないようにするには、どこまでを調整する必要があるのか。図面の上で案を比べ、次に見たいところへ印をつけた。
アテナは、最後に書いた箇所を読み返した。
うまく動かなかった模型を前にしても、もう、次に動くところを見てみたいと思っている。
「直したものも、拝見できますか?」
「もちろんですよ♪ ぜひ、見ていただきたいところです♪」
その返事を聞き、アテナは頷いた。
翌日には、もう改良型が出来上がっていた。
アテナがその早さに驚くと、ヘルカイザーは嬉しそうに模型を示した。
形だけを見れば、昨日と大きく違っているようには見えなかった。
アテナは図面を隣へ置き、書き加えた印を探した。
ヘルカイザーが、その箇所を示す。
「昨日、二人でお話ししたところですよ♪」
「……本当ですね。こちらが変わっているのですか」
「ええ♪ それに合わせて、こちらも調整してみました♪」
アテナは説明を聞きながら、模型の中を目で辿った。
昨日、言葉を交わしたときには、まだ図面の上にしかなかった変更だった。
それが今は、目の前の形へ繋がっている。
記録を取ったことも、どこを変えるか一緒に考えたことも、その続きを作るために使われていた。
「今度は、こちらの流れを調整してみました♪」
アテナは、念のため少し離れて見守った。
ヘルカイザーが彼女の立ち位置を見て、小さく頷いた。
「ええ♪ そちらでしたら、よく見えると思いますよ♪」
「昨日のことは、覚えていますから」
アテナが答えると、彼は少し照れたように笑った。
模型が動き始める。
水が持ち上がり、予定していたところへ向かって落ちていった。
アテナは、昨日、水が跳ねた場所を見つめた。
まだ、顔を近づけない。
そのまま待っていると、小さな流れが、図面で描いたとおりの形へ変わっていった。
模型の水は、今度こそ予定した方向へ流れた。
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
「……今度は、よく見えました」
「ええ♪ 今度は、顔に水がかからずに済みましたねぇ♪」
ヘルカイザーの言葉に、アテナはまた笑った。
「では、昨日の記録にも、続きを書かなければなりませんね」
「もちろんです♪ 変えたところと、動きの違いも残しておきましょう♪」
アテナは、模型から図面へ目を移した。
水に濡れて驚いたことも、笑いながら案を直したことも、この動きへ繋がっていた。
自分が見ている間にも、小さな噴水は水を流している。
紙の上で描いた線が、二人で眺められるものになっていた。
アテナは、しばらくその流れを見ていた。
ヘルカイザーも、隣で同じ場所を見ている。
「……できましたね」
「ええ♪」
短い返事を聞き、アテナはもう一度、嬉しそうに微笑んだ。
◇
アテナは、研究の成果をゼウスにも報告するようになった。
神界中央の宮殿で、彼女は持参した資料を広げる。
机の上へ置いたのは、研究についてまとめた記録と、検討に使った図面だった。
最初の案だけでは、今回の話は伝わらない。
どこで難しいところが見つかり、何を変えたのか。その後、模型がどのように動いたのかも、一緒に説明したかった。
アテナは、話す順番に資料を整えた。
書き込みを目にすると、研究室で交わした言葉まで思い出される。
思わず微笑みかけてから、彼女は顔を上げた。
「ゼウス様。今日は、ヘルカイザーさんの研究についてお伝えしたいのです」
「ほう。あの発明家の話か」
「はい」
アテナは、図面の一部を指し示した。
どこが新しい発想なのか。どのように検討を重ねたのか。最初の案から、何を変更したのか。
ゼウスは、差し出された図面へ視線を落とした。
「……こちらが、初めに考えた形か」
「はい。そのままでは難しい箇所がありましたので、話し合いながら描き直しました」
アテナは、変更したところを示した。
別の案を出したこと。その案にも、考えなければならないことが見つかったこと。
順に説明すると、ゼウスは、前の図面へ一度視線を戻した。
「一度で、この形になったわけではないのだな」
「はい。何度も考え直しています」
アテナは頷いた。
図面だけを眺めれば、そこにあるのは線と書き込みだった。
けれど、その線が引かれるまでに、彼が何を面白がり、どの指摘に頷いたのかを知っている。
そのことも、できるだけ伝えたかった。
話しているうちに、自然と説明に熱がこもった。
「ただ奇抜なだけではありません。指摘を受けた箇所も、一つずつ確かめているのです」
「ほう。模型の方も、初めからうまく動いたのか?」
ゼウスが尋ねると、アテナは一瞬、言葉を止めた。
跳ねた水と、慌てたヘルカイザーの顔が思い浮かんだ。
「……いいえ。少し、予定と違う動きをしました」
口元が緩む。
ゼウスは、その表情を見て、静かに続きを待った。
「水が、考えていた方向へ流れなかったのです。それで、何が起きたのかを二人で記録しました」
アテナは、次の紙を広げた。
「こちらが、そのときの記録です。そして、こちらが、調整した後のものになります」
彼女は、変更した箇所と、水の動きの違いを順に説明した。
驚いて、笑った出来事も、資料の上では、次の改良へ繋がる記録になっている。
「失敗したところを、そのままにせず調べ直すのだな」
「はい。何が違ったのか分かると、次に何を考えればよいかが見えるのだと、おっしゃっていました」
ゼウスは、二つの記録を見比べた。
ゼウスは静かに資料を読み、感心したように頷いた。
「……なるほど。人間だった者が、ここまでの研究を行うとはのう」
「ええ。それに、新しいことを考えるのが、本当にお好きな方なのです」
「実に見事だ。わしも、その才能を高く評価したい」
アテナは顔を上げた。
「……ありがとうございます」
自分が代わりに礼を言ったことへ気づき、少しだけ笑みを深める。
ゼウスも、穏やかに彼女を見た。
「まだ、考えかけのところもあるようだな」
「はい。調べていることは、ほかにもあります」
アテナは、余白に残った印を示した。
「今回の動きが見られたからこそ、次に考えたいことも見つかりました。ヘルカイザーさんも、また案を描いていらっしゃいます」
「それは、また楽しみなことだ」
「ええ」
アテナは、自然と明るい声で答えていた。
「お主も、随分と楽しんでおるようだな」
ゼウスの言葉に、アテナは少し目を瞬かせた。
それから、自分が先ほどまで、どれほど熱心に図面を示していたのかを思い返す。
「……はい。お話を聞くたびに、私も考えてみたいことが増えますので」
手元の記録へ目を向ける。
自分が書いた箇所もあった。ヘルカイザーの説明を聞きながら、思いついたことを添えた場所だった。
「こちらは、私から意見をお伝えしたところです。その後、別の案へ繋げてくださいました」
「ほう。二人で話しているうちに、形が変わっていくのか」
「ええ。そうしたところも、とても面白いのです」
話しながら、アテナは微笑んだ。
ゼウスは、もう一度図面へ目を落とした。
「では、その続きも、また聞かせてもらおう」
「はい。ぜひ、ご報告いたします」
アテナは頷いた。
話を聞いてもらえたことも、彼の発想を認めてもらえたことも、嬉しかった。
アテナは、まるで自分が褒められたかのように喜んだ。
彼が楽しそうに図面を広げる姿を知っている。
うまくいかなかったところを何度も調べ、改良したものを見せてくれたことも覚えている。
その積み重ねが認められることを、嬉しく思った。
アテナは、資料を揃えた。
ゼウスの言葉を、彼へ伝えたいと思った。
研究室でそれを聞いたら、ヘルカイザーは、どんな顔をするだろう。
丁寧に礼を言い、それから、今考えている図面を見せてくれるかもしれない。
その姿が容易に思い浮かび、彼女の口元にまた笑みが浮かんだ。
次に会うときの話題が、一つ増えていた。
後にその言葉を伝えると、ヘルカイザーは、いつものように姿勢を正した。
「おやおや♪ それは、光栄ですねぇ♪」
「どのように考え直したのかも、お話ししました。模型の記録にも、目を通してくださいましたよ」
「そうでしたか♪ お伝えしてくださって、ありがとうございます♪」
丁寧な礼を聞いて、アテナも微笑んだ。
彼は手元の図面を見て、それから、次に考えている箇所を示した。
やはり、続きを見せてくれるのだ。
アテナは、その隣へ近づいた。
◇
ある日、研究が一段落したところで、ヘルカイザーがふと尋ねた。
「アテナさんは、なぜそこまで楽しそうにしてくださるのですか?♪」
「……え?」
「自分の発明のことを、いつも本当に嬉しそうに聞いてくださるので♪」
ヘルカイザーは、机の上へ目を向けた。
「動いたところを見ていただいたときも、図面をお見せしたときも、楽しそうになさっておりましたからねぇ♪」
アテナは、模型が動いた瞬間を思い出した。
流れる水を見て、ヘルカイザーと顔を見合わせたことも。
自分がどのような顔をしていたのかまでは、意識していなかった。
けれど、そのときの嬉しさは、今もはっきりと覚えている。
ヘルカイザーの問いには、ただ理由を知りたがっている響きがあった。
アテナは、すぐに言葉を返す代わりに、手元の図面を眺めた。
アテナは、少し考えた。
初めて会ったときには、知らない力を持つ相手を警戒していた。
今は、新しい図面を見せられると、その続きを聞くのが楽しみになっている。
何が、その変化を生んだのだろう。
机に残された書き込みへ目を向ける。
自分の字と、ヘルカイザーの字が、同じ紙の上に並んでいた。
この一文は、彼が説明してくれたことを書き留めたものだった。
その隣には、自分が気になった箇所がある。
さらにその脇へ、ヘルカイザーが別の考え方を書き加えていた。
線を辿るだけで、二人がどこで考え込み、どこで顔を上げたのかまで思い出せる。
アテナは、そっと紙の端を押さえた。
初めて図面を見せてもらったときには、そこに描かれた発想へ驚いた。
今は、自分もその続きへ加わっている。
彼が話してくれたことを調べ、知っていることと比べ、次に会ったときに伝える。すると、その言葉をもとに、また新しい案が生まれる。
その案に自分が問いを向ければ、二人で考え直すことになる。
紙の上には、そうしたやり取りの跡が残っていた。
「あなたが、新しいことを知る喜びを分けてくださるからでしょうね」
口にしてみると、自分の気持ちに近い言葉だと思った。
「お話を伺うと、今まで見ていたものにも、別の見方ができるようになるのです」
アテナは、図面の一角を示した。
「こちらも、初めに見せていただいたときには、どうしてこの形なのか分かりませんでした。けれど、ご説明を聞くうちに、ほかにもできることがあるかもしれないと思えてきました」
ヘルカイザーは、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「その続きを知りたくて、資料を読み直しました。そうすると、今度は私から、お伝えしたいことができるのです」
アテナは、顔を上げた。
「あなたが、また図面を広げてくださるのを楽しみにしているのでしょうね」
研究室へ来る途中から、どんな話を聞けるか考えている。
その理由を、今、自分でも言葉にできた気がした。
「……おやおや♪」
「私も、あなたとお話しする時間が好きなのですよ」
そう伝える声は、自然に柔らかくなった。
アテナは、あの小さな噴水へ目を向けた。
予定と違う方向へ水が跳ねたことも、翌日に綺麗な流れを見られたことも、楽しかった時間の中にある。
話したことが、実際に動くものへ繋がる。
その過程を隣で見て、一緒に喜べたことが、彼女には嬉しかった。
ヘルカイザーは、少し驚いたように彼女を見た。
それから、嬉しそうに笑った。
「それは、光栄ですねぇ♪」
ヘルカイザーは、机の上の書き込みを見た。
「自分も、アテナさんにお話しするのが楽しみなのですよ♪」
「……私に、ですか?」
「ええ♪ 何か思いつきますと、どんなご意見をいただけるかと考えましてねぇ♪」
彼は、彼女の書いた箇所を示した。
「こちらも、自分だけで考えていたときには、思いつきませんでしたからねぇ♪」
アテナは、その文字を見つめた。
自分も、次に会ったら伝えたいと思いながら書き留めた言葉だった。
「……それでしたら、また、気になったことをお伝えしますね」
「もちろんです♪ ぜひ、聞かせてください♪」
返事を聞くと、次に話したいことが、もう一つ思い浮かんだ。
アテナも微笑む。
かしこまって友情を確かめたわけではない。
けれど、次に会えることを楽しみにし、相手の喜びを自分の喜びのように感じていた。
研究室へ入るとき、アテナは、まず机の上へ目を向けるようになっていた。
前に話した図面があれば、その後どこまで考えたのかを知りたくなる。見覚えのない紙が広がっていれば、今度は何を思いついたのだろうと、顔を近づける。
ヘルカイザーも、彼女が持ってきた資料へ興味を向けた。
何を見つけたのかと尋ねられると、アテナは、調べていたときから考えていた説明を始める。
その続きを、彼が聞いてくれる。
言葉が足りなければ問い返してくれるし、面白いと思ったところでは、すぐに顔を上げる。
そうした反応を知るにつれて、アテナは話すことも楽しみになっていた。
「さてさて♪ でしたら、次のお話も楽しんでいただきませんとねぇ♪」
「……まだ、あるのですか?」
「もちろんですよ♪」
新しい図面が、机の上に広げられる。
アテナは笑いながら、再びその隣へ座った。
新しい図を見て、まず気になったところを指し示す。
「こちらは、前にお話ししたものと繋がっているのですか?」
「ええ♪ そちらも少々、使えそうだと思いましてねぇ♪」
「……では、また『少々』のお話なのですね」
アテナが顔を上げると、ヘルカイザーも楽しそうに笑った。
「さてさて♪ 今度は、どのくらい広がりますかねぇ♪」
アテナは、資料を手の届く場所へ置いた。
彼が説明を始めると、紙の上の線が、少しずつ意味を持ち始める。
途中で問いを挟み、答えを聞いて、今度は自分の考えを伝えた。
また一つ、余白に言葉が加わる。
アテナは、その続きを考えながら、隣の発明家の声に耳を傾けていた。
二人の交流は、こうして日常の一部になっていった。




