第24話 届かぬ撤回命令
「……ヘルカイザーさんが、見つかったのですか……?」
謁見の間へ入ったアテナの声には、隠しきれない期待があった。
呼ばれたと聞いてから、落ち着いて歩こうとは思った。
何が分かったのかを、まだ聞いてはいない。知らせがあるというだけで、自分の望んだ答えだと決めてはいけなかった。
けれど、足は、いつもより速くなった。
長い間、居場所さえ分からなかった友人。
捜索報告を読むたび、所在を示す記述を探した。
結果がないと分かっても、調べた範囲を確かめ、前の記録と照らし合わせた。
そうして待っていた時間に、ようやく、変化があったのかもしれない。
もう一度会えるかもしれない。
そう思っただけで、足が自然と速くなっていた。
何から話そう。
その問いが浮かび、すぐに、今の彼の考えを聞かなければと思い直す。
会いたかったという気持ちだけで、研究を認められないという判断が変わるわけではない。
それでも、本人へ言葉を届けられるかもしれないという希望が、胸にあった。
しかし、ゼウスの表情を見た瞬間、アテナは立ち止まった。
喜びを告げる顔ではなかった。
手元には、文書がある。
その紙へ添えた指と、彼女を迎えた目を見て、アテナは、浮かびかけた次の言葉を止めた。
「……何が、あったのでしょうか」
差し出された報告書を受け取る。
両手で紙を持ち、まず、書かれた名へ目を向けた。
彼の名前があった。
何度も捜索の記録で読んできた名前だった。
けれど、今日、その隣には、今までと違う内容がある。
発見された世界の記録もある。
場所が、記されている。
アテナの胸が、強く鼓動した。
どこか分からないという空白ではない。
少なくとも、彼がそこにいたと知ることができる。
そして、その下に――。
『排除作戦』
「…………」
アテナの指が止まった。
その言葉から、すぐに目を動かせなかった。
排除。
自分は、見つかったなら知らせてほしいと願った。
ゼウスも、そう約束した。
そこから、今、この記述へ、どのように繋がるのかが分からなかった。
読み違えたのだろうか。
もう一度、同じ文字を追う。
けれど、書かれている内容は変わらない。
「……これは、どういう意味ですか……?」
「指令が、誤って伝わっておった」
ゼウスは、彼女から目を逸らさなかった。
アテナは、紙から顔を上げた。
誤って伝わった。
その言葉を、まだ、うまく理解できなかった。
「わしが命じたのは、所在を確かめ、捕獲することだ。排除ではない」
ゼウスの声が、謁見の間へ落ちる。
自分が何を命じたかを、はっきりと告げた。
アテナは、その説明と、手元の記述を見比べた。
同じ任務について語っているはずだった。
けれど、その二つは、同じことを指してはいない。
「……では、ヘルカイザーさんは……」
「正式な命令だと信じた神々に、攻撃された」
アテナは、報告書を読み直した。
友人の居場所が分かった喜びは、そこに記された言葉の一つひとつに押し潰されていった。
対話を試みた対象。
継続された攻撃。
排除命令の告知。
短い記述を追うと、彼の姿が思い浮かんだ。
用件を尋ねたのだろう。
誰が命じたのかと、聞いたのだろう。
そして、言葉を返しても、攻撃が止まらなかった。
アテナは、報告書の先へ視線を動かした。
相手が、何をするつもりかを確かめている。
その答えを聞いた後で、彼は反撃した。
追ってはいない。
神々は撤退したと、そこには記されていた。
アテナは、震えそうになる手で、紙を持ち直した。
「……あの方には、ゼウス様が殺すよう命じたと、伝えたのですか……?」
「……そのようだ」
アテナは、目を閉じた。
自分たちが実際に望んだことと、彼へ伝わったことが違う。
その違いを、彼は知らない。
やってきた神々から、最高神の正式な命令だと聞き、攻撃を受けた。
彼の手元には、それを否定する言葉がなかった。
以前は、届くはずの手紙が捨てられていた。
会いたいと願っていた二人の間に、偽りの言葉が置かれていた。
自分は、研究へ集中したいという彼の意思だと思い、面会を控えた。
その説明が嘘だったと知ったとき、どれほどの時間を失ったのかを考えた。
今度は、ようやく見つけた相手へ、存在しない排除命令が届けられた。
「……また、なのですか……」
声が震えた。
以前の妨害と、今度の誤伝達が、全く同じ原因で起きたと分かったわけではない。
誰が、いつ、変えたのかも、まだ知らない。
けれど、彼へ届く言葉が、本人の知らないところで変わり、その結果として起きた行為だけが、確かなものになる。
そのことが、苦しかった。
なかった命令によって、実際に武器が向けられた。
後から誤りだと分かっても、その交戦は、消えない。
アテナは、ゆっくりと目を開いた。
今、何をすればよいかを考えなければならない。
悲しんでいる間にも、ほかの者たちが、同じ指令を持って動いているかもしれなかった。
ゼウスは、周囲へ向き直った。
「全ての関係部隊へ通達せよ。対象への排除命令は誤りだ。攻撃を中止し、所在の確認と報告を優先するのだ」
声には、迷いがなかった。
誰かが聞き違えたのかもしれないという曖昧な説明ではない。
排除命令は誤りである。
攻撃を中止する。
その内容が、ここで明確に告げられた。
そして、指令書を示す。
「いつ、どこで、誰によって命令が変わったのかも調べよ。古い記録から、全て照合するのだ」
神々が頭を下げ、謁見の間を出ていく。
アテナは、その背を見た。
言葉が、今度こそ、正しい内容のまま届いてほしい。
そう願いながらも、出されたというだけで、全てが済んだとは思えなかった。
ここで指示を聞いた者は、理解している。
しかし、既に別の世界へ向かった者たちは、まだ、何も知らないかもしれない。
その距離が、今はひどく重かった。
アテナは、出ていった神々から、ゼウスへ視線を戻した。
撤回を命じた声を、自分は直接聞いた。
ここにいる者なら、その内容を知っている。
けれど、ほかの世界で、以前の指令だけを開いている者には、この場の声が、そのまま聞こえるわけではない。
自分たちにとっては、もう、訂正された内容だった。
その同じ時点にも、別の場所では、まだ、排除が正式な任務として理解されているのかもしれない。
そう考えると、紙を持つ指へ、また力が入った。
通達が出されたと知ることと、全ての者が受け取ったと確かめることの間には、時間がある。
その間に、何も起きないと約束することはできなかった。
今、知らせるために動き出した者たちを、ただ、不十分だと責めたいのではない。
必要なのは、その言葉が実際に届くことだった。
古い指令を信じたまま向かう者が、途中で立ち止まれるように。
既に彼を見つけた者が、武器を向ける前に、正しい内容を知ることができるように。
アテナは、祈るような気持ちで、開かれた謁見の間の出口を見た。
出ていく足音が、遠ざかっていった。
アテナは、報告書を胸元へ引き寄せた。
「……私も、探しに行かせてください」
「危険だぞ、アテナよ」
「承知しています。それでも……」
彼女は顔を上げた。
自分が、彼の力を知らないから言っているのではない。
研究を止めようとして、術式を向けた。
その光が届かず、最後には、全て力を失った。
自分では止められなかったという事実を、忘れてはいない。
その相手へ向かう危険を、軽く見ているつもりもなかった。
それでも、今度の命令について、彼が誤ったまま理解していることを、そのままにしたくはない。
「直接、お話ししたいのです。少なくとも、私たちがあの方の排除を望んだのではないことを……」
話せば、全てが元へ戻るとは思っていなかった。
誤りを訂正したからといって、彼が研究を止めるという保証はない。
自分へ向ける考えも、変わらないかもしれない。
けれど、だから、伝える必要がないということにはならなかった。
自分たちが望んでいない命令を、自分たちの意思として、彼は聞かされた。
そこを、本人へ説明したかった。
会えたなら、まず、今回の命令について、分かっていることを伝える。
ゼウスが実際に命じた内容を、自分は聞いた。
指令に誤りがあったと認め、攻撃を中止させる通達が出されたところも、今、ここで見た。
伝えたいのは、その事実だった。
神々が全て正しかったと、彼に納得してもらうための話ではない。
誤った命令で実際に攻撃したことまで、小さくするつもりもなかった。
アテナは、手元の報告へ目を落とした。
自分は、彼の研究を認められない。
彼が過去にした行為も、許してはいない。
それでも、だから、誰かがその名へ嘘の命令を届けてよいとは思わなかった。
今度の攻撃について、何を知り、何を訂正すべきかを、曖昧にしてはいけない。
彼が、その説明をどう聞くかは分からない。
聞いたからといって、自分へ向ける考えまで変わるとは限らない。
その保証がないことは、伝えずに済ませる理由にはならなかった。
アテナは、報告書の端を、両手で揃えた。
アテナは、紙を抱えたまま、ゼウスの返事を待った。
ゼウスは、しばらく彼女を見つめた。
やがて、静かに頷く。
「……分かった」
アテナは、深く頭を下げた。
その許可を得ても、行く先で会えると決まったわけではない。
報告にあるのは、彼が見つかった場所だった。
その後、どこへ向かったかまでは、分からない。
それでも、今は、知った場所から探すことができる。
長い間空白だったところへ、ようやく記された情報を、アテナは、もう一度確かめた。
撤回の通達は出された。
しかし、別々の世界を捜索している全ての神々へ、その言葉が同時に届くわけではなかった。
◇
ヘルカイザーは、別の世界で調査を再開していた。
手元の記録へ、計測値を書き加える。
先ほどまで開いていた紙を、少し脇へ寄せた。
ここで得たものと、前に確かめた結果を、比べておきたいところがあった。
何が違い、何をもう一度確かめる必要があるか。
彼の意識は、その検討へ向かっていた。
「……ふむふむ。こちらは、もう少し確かめたいところですねぇ♪」
思いついた箇所へ、筆を向けかける。
その周囲に、新しい気配が現れた。
彼は筆を止め、ゆっくりと顔を上げた。
武器を構えた神々。
前に会った者たちと同じように、こちらへ敵意を向けていた。
ヘルカイザーは、相手の姿を見た。
研究の途中へ現れたというところまで、前の出来事と似ていた。
ただし、何をするつもりかは、今、目の前にいる者たちへ尋ねなければならない。
「危険な偽神め! 今度こそ排除してくれる!」
「……また皆さんですかぁ♪」
ヘルカイザーは、資料を閉じた。
まだ、確かめ終えていないところがある。
そこへ戻るためにも、相手が何のために来たかを知る必要があった。
偽神と呼ばれたことへ、意識を留める様子はない。
その呼び名ではなく、武器と、告げられた目的を見ていた。
「一つだけ、確認させていただいても?」
「言い訳など聞かん!」
拒む声が返った。
ヘルカイザーは、その声の後で、聞きたいことを口にした。
「皆さんも、自分を殺しに来られたのでしょうかねぇ?」
「当然だ! それが我々の任務だ!」
答えを聞き終えると、ヘルカイザーは頷いた。
前に聞いた返事と、同じだった。
相手は、任務として、自分の命を奪うために来ている。
言い訳は聞かないと答え、武器を構えたままでいる。
自分が望んでいる対話へ、応じるつもりはないらしい。
ヘルカイザーの中で、前の交戦後に書いた一文が、今の状況へ繋がった。
攻撃されるまで待ち、何度も話を聞いてほしいと頼み、ようやく制圧する。
その同じ過程を、また繰り返す必要はない。
「……でしたら、今回は少し早めに対応させていただくことにしました♪」
神々が術式を完成させるより早く、漆黒の衝撃が走った。
指揮官は、次の動きを命じようとしていた。
部下たちも、構えた武器へ意識を向け、攻撃のための形を整えかけている。
その手順の途中へ、黒い力が届いた。
指揮官の目には、相手が動いたことが見えた。
けれど、それを見てから、完成しかけていた術式を別のものへ変える時間はなかった。
次の指示を出そうとした口が、息を詰める。
部下の武器へ集まっていた光が、思ったとおりの位置へ保てなくなる。
放てば相手へ届くという見通しが、その前で失われた。
ヘルカイザーは、自分たちの攻撃を一度受けてから返したのではなかった。
殺すための任務だという言葉を聞き、構えを見た。
そこで、動いた。
前の交戦について知っていても、そのときと全く同じ順序で進むとは限らなかった。
自分たちは、こちらが攻撃するまで、相手は話そうとし続けると思っていたのだろうか。
その考えを、はっきりと問い直す余裕はなかった。
まず、崩れた身体を支えなければならない。
指揮官は、視界の端で部下が動くのを見た。
同じように構えを直そうとしている。
だが、最初に並んでいた位置へ戻るだけでは、もう、次の動きを揃えることはできなかった。
隊列が崩れる。
保っていたはずの間隔が、乱れた。
相手へ向かう準備をしていた身体が、今度は、自分の体勢を戻すために動く。
攻撃へ向けられていた力は、行き先を失って散った。
狙いを定めてから放つはずだった。
そのために集めていたものが、形を保てなくなっていく。
「……っ!?」
指揮官は、身体を支え直した。
部下の位置を確かめ、もう一度構えを作ろうとする。
しかし、視線を戻したときには、相手との距離が変わっていた。
指揮官が体勢を立て直そうとしたときには、白いドラゴンがすぐ前に浮かんでいた。
その顔には、穏やかな笑みがある。
近くで見ると、小さな身体だった。
それが、さきほどまで、自分たちが囲もうとしていた相手だった。
指揮官は、息を詰めた。
自分たちは、まだ、攻撃を放っていない。
その言葉が、頭の中へ浮かんだ。
「……我々は、まだ攻撃を……!」
「ですが、皆さんは自分を殺しに来たのでしょう?♪」
「…………!」
指揮官は、声を止めた。
その問いへ、自分で答えたばかりだった。
任務だと、はっきりと言った。
武器も下ろさず、術式を整えようとしていた。
攻撃が完成していないということは、相手へ何も告げていないという意味ではなかった。
「前の皆さんにも、お話を伺おうとしたんですよ♪ ですが、その間も攻撃を続けられましたのでねぇ♪」
彼は、困ったことを説明するように続けた。
「同じことを繰り返す必要は、ありませんでしょう?♪」
神々は、言葉を失った。
目の前の相手は、取り乱して反撃したのではない。
前に起きたことを覚え、今、自分たちが何をするつもりかを聞いた。
その上で、攻撃が来る前に動く方法を選んだ。
指揮官は、白い姿から目を離せなかった。
穏やかに理由を説明する声が、かえって、次に何が起きるかを測りにくくしていた。
怒りの言葉を吐き続けているのなら、それへ何か返せたのだろうか。
けれど、相手は、同じ手順を省いたのだと語っている。
こちらの武器が、もう一度、向けられるのを待つ理由はないという答えだった。
やがて、一柱が武器を手放した。
「……もう、戦うつもりはありません……!」
落ちた武器の音に、ほかの者たちも動きを止める。
指揮官は、その音のした方を見た。
自分たちが何をするつもりかを、今度は、行為でも示した者がいる。
ほかの神々の手も、止まっていた。
ヘルカイザーは、その様子を確かめた。
武器だけではなく、術式を整え直す動きにも目を向ける。
こちらへ攻撃を続けようとする者は、いなかった。
「そうですかぁ♪ でしたら、自分も研究を続けたいところですのでねぇ♪」
声は、変わらず穏やかだった。
戦わないという答えを聞いても、それを理由に、さらに苦しめようとはしない。
彼は距離を取り、黒い翼を広げた。
神々は、その動きを見ていた。
誰も、新しい術式を放とうとはしなかった。
追撃はなかった。
ヘルカイザーからも、神々からも、再び攻撃は向けられない。
次元が閉じ、白い姿が消える。
残された場所で、神々は、しばらく誰も言葉を発しなかった。
指揮官は、相手のいた場所を見つめた。
任務として来た。
相手に目的を尋ねられ、殺すためだと答えた。
その後、こちらの攻撃が完成する前に、力を向けられた。
最後には、戦うつもりはないと告げた。
今は、その相手が、もういない。
指揮官の手には、まだ、武器の感触が残っていた。
◇
撤回通知が届いたのは、その後だった。
文書を受け取った指揮官は、最初に、どの任務についての通達かを確かめた。
そこにある名を見て、指が止まる。
先ほどまで、目の前にいた相手の名だった。
続く一文へ、視線を移す。
『最高神ゼウスは、対象の排除を命じていない』
指揮官は、何度もその一文を読んだ。
文字を追い、前へ戻る。
最高神ゼウス。
対象の排除。
命じていない。
読み進めるたび、同じ否定へ辿り着いた。
「……命じて、いない……?」
自分が従った指令を開く。
最高神の権威に基づく、正式な命令。
そう信じ、疑うことなく武器を向けた。
その説明を聞いたから、任務だと答えた。
相手が殺すつもりかと尋ねたとき、指揮官は、当然だと返した。
その声を、今、自分で思い出していた。
しかし、手元にある二つの文書は、同じ相手について正反対のことを命じていた。
新しい紙を、古い指令の隣へ置いた。
名前は同じだ。
最高神の権威へ基づくとされる説明も、目に入る。
けれど、その名で排除を命じたという理解を、今度の通知は、はっきりと否定していた。
指揮官は、両方へ目を向けた。
自分が受け取ったものを、勝手に読み替えたつもりはない。
だが、誤りだと知らされた後も、従ってきたから正しいと言うことはできなかった。
相手が現れたとき、自分は、この通知を知らなかった。
それは、本当だった。
けれど、知らなかったことによって、さきほど向けた殺意が、向けなかったものに変わるわけではない。
「……では、我々は……」
誰も、その続きを言えなかった。
武器を手放した神も、文書へ視線を向けている。
自分たちが従うべきだと信じたものは、誤っていた。
その誤りを、相手へは、当然の任務として告げた。
今、本人に説明できれば。
指揮官は、そう考え、すぐに、白い姿が消えた場所へ目を向けた。
謝罪すべき相手は、既にいない。
そこへ呼びかけても、返事はなかった。
机へ残った二つの文書だけが、読み違いでは済まない違いを示していた。
指揮官は、新しい通知の端を、指で伸ばした。
読むべき内容は、もう分かっている。
それでも、手元の古い指令と見比べずにはいられなかった。
こちらを先に受け取っていたなら。
その考えが浮かぶ。
排除を命じていないと知っていれば、同じ言葉で名乗ることはなかっただろう。
武器を向け、殺すことが任務だと答える前に、違う動きを選べたかもしれない。
だが、それは、今知ったことを、過ぎた時点へ置いて考えているだけだった。
実際には、自分は、古い指令を信じて向かった。
相手は、その自分たちを見た。
その後で、今の通知が届いた。
文書を重ね直しても、その順序は変わらない。
指揮官は、閉じかけた古い指令を、再び開いた。
何に従って動いたかを、今度は、そのまま残しておかなければならない。
誤りだと知ったから、従った事実まで消せるわけではなかった。
その紙を受け取ったときの自分と、今読む自分の間には、既に、あの交戦があった。
◇
アテナのもとへ、二度目の交戦報告が届いた。
紙を受け取ったとき、まず、そこへ記された名を見た。
ヘルカイザー。
また、彼についての知らせだった。
今度は撤回が伝わったのだろうかと、思わず考えた。
けれど、その先へ目を進めると、望んだ内容とは違っていた。
今度は、ヘルカイザーが先に動いていた。
アテナは、すぐに次の行へ進まず、その前後を読み直した。
先に動いたというだけで、起きたことの全てを決めてはいけない。
何を聞き、何を確かめ、その上で、何をしたのか。
その順序を、目で辿った。
神々の殺意を確認し、攻撃が完成する前に制圧したという。
相手が何も言わないうちに、突然襲ったのではなかった。
殺すために来たのかと尋ね、任務だという答えを聞いた。
その返事を、前に経験した交戦と同じものだと考えた。
そこから、彼は、早く対応する方法を選んだ。
「……ヘルカイザーさん……」
報告書を持つ手に、力が入る。
彼が最初に対話を試みたことを、アテナは知っていた。
それが拒まれ、攻撃が続いたことも。
最初の報告には、用件を尋ね、行き違いではないかと話したことが記されていた。
話を聞いてほしいという言葉の間にも、攻撃された。
次も同じなら、長く話しかけても仕方がない。
彼がそのように考えたことを、今回の説明から読み取ることはできた。
そして、戦う意思がなくなったことを確かめると、追わずに去った。
そこまで読んで、アテナは、ゆっくりと息を吐いた。
事情を知ることは、その変化を、何も心配しなくてよいものへ変えることではなかった。
以前と同じ判断をしない彼が、さらに、新しい手順を選んでいる。
その理由になった出来事を、神々が作った。
「……また、変わってしまわれたのですね……」
今度の変化には、神々の行動が関わっていた。
負のエネルギーによって変わりきった価値観が、ここで元へ戻ったり、別のものへ入れ替わったりしたのではない。
その価値観のまま、彼は、起きた出来事から次の方法を選んだ。
もともと、彼は、試したことを確かめ、次の工夫へ繋げる者だった。
失敗すれば、どうしてそうなったかを考えた。
同じことを繰り返すより、違う方法へ進もうとした。
かつて自分が楽しんだその考え方が、今は、武器を向ける者への対応にも使われている。
アテナは、机へ報告書を置いた。
撤回の通達は出た。
けれど、届く前に、二度目の交戦は起きた。
その後で、神々は、命令が誤りだったと知った。
彼自身は、訂正の言葉を聞かないまま、姿を消した。
順序を辿れば辿るほど、届くはずのものと、既に起きたことの間にある時間が、胸へ重く迫った。
今、正しい指令がある。
その事実だけでは、それより前の行為を止められなかった。
アテナは、記された発見場所へ視線を戻した。
自分が伝えたい訂正は、まだ、本人のところへ届いていない。
直接話したいと願った理由は、何も変わらなかった。
アテナは、最初の交戦についての報告を、隣へ置いた。
同じ名がある。
同じように、相手へ問いかけた言葉が記されている。
けれど、動いた時点が違う。
最初は、攻撃を避け、話を聞いてほしいと頼み、その間にも攻撃を受けた。
今度は、殺意を確認した後、術式が完成する前に制圧した。
彼が起きたことから方法を選び直したという変化が、その二枚の間にある。
アテナは、どちらか一枚だけを見て、答えを出したくはなかった。
二度目に先に動いたことだけを取り出せば、最初から対話を望まない者に見えるかもしれない。
最初に対話を望んだことだけを見れば、その後の判断の変化を見失う。
自分が知らなければならないのは、その両方だった。
だから、並べて読んだ。
紙の上へ残された言葉から、彼が何を経験し、どう考えたかを辿ろうとした。
それでも、ここには、本人はいない。
報告を読む自分の問いへ、答えてくれる声はなかった。
けれど、それを知っても、過ぎた時間を戻すことはできない。
彼の研究記録には、早期の制圧によって無駄を減らせたという結果が書き加えられていた。




