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転生した主人公が次元神になる外伝  作者: ヘルカイザー
知恵の女神と偽りの次元神

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第19話 隠された悪意



 ヘルカイザーが神界から姿を消してから、幾日かが過ぎた。


 アテナは、静かな執務室で一冊の事件記録を見つめていた。


 頁を開くと、回廊で起きたことが並んでいる。


 あの神への拷問。


 自分が止められなかった、恐ろしい出来事。


 そして、そのきっかけになった包みの投棄。


 アテナは、その箇所へ指を置いた。


 読み返すたび、彼が何をしたかを思い出す。やめてほしいと訴えても、穏やかに答え、苦しめることを続けた姿が、目に浮かぶ。


 あの行為を、認めることはできない。


 研究室での対話と、その後の戦いを経ても、そこは変わらなかった。


 けれど、認められない行為があったからといって、その前に何が起きたかまで、調べずに済ませてよいわけではなかった。


「……あの包みは……」


 以前、アテナが信頼して預けたものだった。


 選んだ資料を揃え、彼へ渡してほしいと頼んだ。


 忙しくて自分では訪ねられなくても、届けてもらえれば、その間に読んでもらえる。


 次に会うとき、そこから話ができるだろうと思った。


 引き受けてくれた相手へ礼を言ったことも、覚えている。


 それなのに、なぜ届けられず、捨てられていたのか。


 アテナは、脇へ置いていた別の記録を引き寄せた。


 調査を始めたときから、疑問はあった。


 同じ神が、何度も関わっていた。


 けれど、関わっているというだけで、全てを嘘だと決めることはできなかった。


 今も、疑いだけで相手を責めるつもりはない。


 何があったのかを、直接確かめる必要がある。


 考えれば考えるほど、過去の出来事が結びついていく。


 返事のなかった手紙。研究中だと断られた面会。忙しいから会えないと聞かされた日々。


 そのときは、仕方のないことだと思った。


 自分にも執務があった。ヘルカイザーが研究へ熱心に取り組むことも知っていた。


 だから、会えないと聞けば、都合がよくなるまで待とうと考えた。


 その説明のどこまでが、彼の言葉だったのだろう。


 アテナは、記録を閉じた。


 あの扉を叩けば会えた相手は、もういない。


 今から確かめても、過ぎた時間を取り返すことはできない。


 それでも、その時間に何があったかを、知らないままにしたくはなかった。


「……確かめなければ……」


 アテナは、治療施設へ向かった。


     ◇


 あの事件で拷問を受けた神は、今も療養していた。


 身体の傷は回復へ向かっていたが、受けた恐怖は容易に消えなかった。扉が叩かれるだけでも、肩が震える。


 アテナは、その様子に気づいた。


 声をかける前に、少しだけ間を置いた。


 ここにいる相手が、恐ろしい目に遭ったことは事実だった。


 そのことを知りながら、自分は、包みについて問いに来ている。


 何を聞き、何を認めていないのかを、曖昧にしないようにしなければならなかった。


「……アテナです。少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」


 神は、かすかに頷いた。


 アテナは椅子へ腰を下ろし、静かに問いかけた。


「私がヘルカイザーさんへ託した包みを、なぜ捨てたのですか?」


「…………っ!」


 神の表情が強張った。


 アテナは、視線を向けたまま待った。


 相手が怯えているからといって、その反応だけを答えと見なすことはできない。


 理由は、まだ聞いていなかった。


「……あれには、事情が……」


「どのような事情があれば、人から託されたものを捨てて良いのでしょうか」


 神は俯いた。


 アテナは、膝の上へ置いた手を、そっと重ねた。


 事情があったと言われて、それだけで話を終えるつもりはない。


 頼まれたとおりに届けられなかったのなら、その理由を説明することもできたはずだった。


 少なくとも、自分は、捨ててよいと頼んだことはない。


 しかし、目の前の神は、自分の答えが、そのまま彼の仕打ちを認める理由にされるのではないかと恐れているのかもしれなかった。


 アテナは続けた。


「あなたが受けた仕打ちは、決して正当なものではありません。あの拷問を許すつもりはありません」


 神が、わずかに顔を上げる。


 アテナは、その目を見た。


 相手を安心させるために、思ってもいないことを言ったのではない。


 自分は、回廊で止めようとした。


 今も、あの行為を認めてはいなかった。


「ですが、それとあなたが私の信頼を裏切ったことは、別の問題です」


「…………」


 静けさが続いた。


 アテナは、急かす言葉を重ねなかった。


 知りたいのは、相手が恐れて選ぶ返事ではない。


 託したものが、どうして捨てられたのか。


 その問いへ戻った。


「……どうして捨てたのですか?」


 長い沈黙の後、神はようやく口を開いた。


「……あの者に、渡す必要などないと思ったのです……」


 アテナの手が、膝の上で止まった。


 渡せなかった、という答えではなかった。


 相手が受け取らなかったのでも、途中で失われたのでもない。


 必要がないと、彼自身が考えた。


 その答えを、聞き流すことはできなかった。


「……なぜですか」


「……元は人間で、自分で神の力を作っただけの……偽物ではありませんか……」


 アテナの目が、静かに細められた。


 ヘルカイザーは、その来歴を隠してはいなかった。


 自分で作った力だと、楽しそうに説明した。


 アテナも、初めて会ったときから、神々の力との違いを感じていた。


 その違いを知ることと、彼へ何も届ける必要がないと考えることは、繋がらない。


「……それが何か問題なのですか?」


 神は、少しずつ声を荒らげた。


「アテナ様ほどのお方が、どうしてあの偽物を……! 何度も研究室へ通い、神々よりもあの者の発明を喜び……!」


 アテナは、相手の顔を見つめた。


 自分が研究室へ通ったことを、彼は知っていた。


 発明を見て喜んだことも、知っていた。


 その同じ相手へ、自分は、資料を託していた。


 届けてもらった後、どのような話ができるだろうと楽しみにしながら、礼を言った。


 相手は、その親しさを、好ましいことだと思ってはいなかった。


 アテナは、ようやく悟った。


「……つまり、私たちが親しくしていることが、気に入らなかったのですね」


 神は答えなかった。


 アテナは、膝へ置いた指を、ゆっくりと握った。


 自分が誰の研究を訪ね、何を素晴らしいと思うか。


 それを、他者が気に入らないという理由で、託された包みを捨てた。


 その間に、自分たちへは何も告げなかった。


 胸の奥へ、怒りが広がり始めた。


 けれど、ここで知ったことは、まだ、あの包みの理由だった。


 ほかにも、確かめる必要がある。


 アテナは、持ってきた記録へ手を伸ばした。


     ◇


 アテナは、過去の記録を取り出した。


 自分が覚えていることと、頼んだものについて書き留めた紙だった。


 相手の目の前で、それを開く。


 一つの出来事を認めたからといって、ほかも同じだったと決めるつもりはない。


 だから、一つずつ尋ねた。


「以前、私は研究資料を届けていただきましたね」


「……はい……」


 アテナは、その返事を聞いてから、次へ進んだ。


「それも、捨てたのですか?」


 沈黙。


 神の視線が、下がる。


 アテナは、紙を押さえて待った。


「……はい……」


 指先へ、紙の硬さが伝わった。


 あの資料も、届いていなかった。


 ヘルカイザーが読んだ後に、感想を返してくれなかったのではない。


 その前で、止められていた。


 アテナは、記録へ目を落とし、次の問いを口にした。


「お茶にお誘いする手紙も?」


「……はい……」


 胸の奥が、また冷えた。


 研究についての用件だけではなかった。


 少し時間ができたなら、話をしたい。


 そのために書いた言葉も、彼のところへは届かなかった。


 返事がなかった日のことを思い出す。


 忙しいのだろうと考え、自分も執務へ戻った。


 読んでもらえたかどうかさえ、分からないまま、その日を過ごした。


 アテナは、顔を上げた。


「研究室で、ヘルカイザーさんが面会を控えてほしいとおっしゃったという話は?」


 神は、長い間黙っていた。


 アテナは、その沈黙の先を待った。


 これは、手紙とは違う。


 自分が会いに行こうとしたとき、彼の意思として聞かされた説明だった。


 研究に集中したいのなら、その時間を尊重しようと思った。


 自分の気持ちだけで、何度も扉を叩きたくはなかった。


 その判断の根拠にしていた言葉が、今、問いの前にある。


 やがて、神は、かすかに頷いた。


「……嘘でした……」


 アテナの胸に、冷たいものが広がった。


 嘘。


 彼が、そのように頼んだのではなかった。


 自分は、ヘルカイザーを気遣ったつもりで、その言葉を信じて待った。


 その待っていた時間は、彼が望んだものではなかった。


「……では、ヘルカイザーさんも、私と会おうとしてくださっていたのですね……?」


「…………」


 アテナの声が、揺れた。


 思い出すのは、久しぶりに会ったときの明るい声だった。


 資料を渡したとき、気にかけてくれていたのだと、礼を言った顔がある。


 その言葉を、今になって、別の重さで聞き直していた。


「……それなのに、あなた方は……」


 言葉が震えた。


 神は小さく呟いた。


「……私だけでは、ありません……」


「…………!」


「他にも、あの者を気に入らない神々が……」


 アテナは、相手を見た。


 一人が、たまたま一度、託されたものを捨てたのではなかった。


 複数の神々が、二人のやり取りへ手を入れていた。


 神々の一部は、ヘルカイザーを侮辱していた。偽物の神、作られた神だと。


 しかし、本人は何とも思わなかった。


 その言葉で傷ついている姿を、自分も見てはいない。


 彼は、本当に気にせず、次の研究の話を始めた。


 だから彼らは、アテナとの友情を狙った。


 手紙を捨て、伝言を変え、都合が合わないと告げた。


 一つひとつは小さな行為だった。


 だが、それらは二人から、長い時間を奪っていた。


 アテナは、開いていた紙へ視線を落とした。


 書いたときには、まだ、疑問として並んでいたものだった。


 その幾つもへ、今、答えが与えられた。


 届かなかった。


 伝わらなかった。


 彼が言ったと聞いた言葉は、彼の言葉ではなかった。


 そうと知らず、二人とも、相手の都合を考えていた。


 アテナは、すぐには、次の問いを口にできなかった。


 紙の上の一行には、短く書ける。


 けれど、その一行の向こうには、今日も無理なのだと知り、次を待った日がある。


 彼は、どう思っていたのだろう。


 訪ねてきたことを知らず、手紙も届かず、それでも、また研究を見せたいと思ってくれていたのだろうか。


「……私たちは、会おうとしていたのですね……」


 アテナの頬を涙が伝った。


「……それなのに……!」


 怒りを堪えながら、アテナは静かに説明した。


 マイナスエネルギー貯蔵庫から、ヘルカイザー自身へ負のエネルギーが流れ込んでいたこと。


 その影響で、長い時間をかけて価値観が変わってしまったこと。


 そして、今では元へ戻す方法が存在しないこと。


 伝える声は、何度も詰まりかけた。


 相手を恐れさせるために、この結論を口にしているのではない。


 自分たちから奪われた時間の間に、何が進んでいたかを、知ってほしかった。


 会えていれば、必ず救えたと約束できるわけではない。


 彼の変化を見て、すぐに原因へ辿り着けたと言い切ることもできない。


 それでも、一緒に資料を開く機会はあったはずだった。


 疑問に気づき、尋ね、調べるための時間が、自分たちにはあり得た。


「……もし、もっと早く気づけていたなら……」


 アテナは、震える声で続けた。


「……まだ、対処できた可能性があったのです……!」


 神は、言葉を失った。


 アテナは、涙を拭った。


 その可能性を、今、証明することはできない。


 過ぎた日々へ戻り、会えていた場合の続きを確かめることはできなかった。


 けれど、嘘がなければ、知り得たかもしれないことまで、なくなったわけではない。


 彼らの嘘が直接ヘルカイザーを変えたわけではない。


 しかし、変化に気づけたかもしれない大切な時間を奪ったことだけは、確かだった。


 アテナは、紙を閉じた。


 相手の沈黙を見ていると、もっと言いたい言葉が浮かぶ。


 なぜ、そんなことをしたのか。


 自分が礼を言ったとき、どのような顔で聞いていたのか。


 その問いを、何度も重ねたくなった。


 頼んだときの自分は、相手が届けてくれることを疑っていなかった。


 資料を選ぶ楽しさも、返事を待つ気持ちも、そのまま相手の前へ出していた。


 その信頼が、手紙を止めるために使われた。


 思い返すほど、声を強めたくなる。


 それでも、アテナは、閉じた記録へ手を置いた。


 聞いた答えを、後から自分の感情で変えてしまわないように、言葉を覚えておかなければならなかった。


 誰かがしたことを問うなら、自分の悲しみの大きさだけを根拠にはできない。


 今、確かめた行為には、その行為としての責任がある。


 けれど、同じ言葉をぶつけ続ければ、今の自分の怒りを、相手へ返すための時間になってしまう。


 アテナは、息を整えた。


 ここから先に必要なのは、怒りの強さで、その場の罰を決めることではなかった。


     ◇


「……あなたの受けた拷問を、正当化するつもりはありません」


 アテナは、静かに立ち上がった。


 最初に伝えたことを、もう一度、言葉にした。


 事情を知った後でも、その答えは変えなかった。


 ヘルカイザーが怒った理由は分かった。


 自分が託した信頼を裏切られたのだと、彼は説明していた。


 今、自分も、その裏切りを確かめた。


 だからといって、相手を苦しめ続けた行為が、正しいものになるわけではない。


「ですが、あなた方のしたことも許されるものではありません」


 彼女は、まっすぐに神を見つめる。


 被害を受けた者だから、それ以前にしたことを問われなくなる。


 そのような答えにも、したくなかった。


「この件は、ゼウス様へ報告します」


「……お、お待ちください……!」


 神の声が、強くなった。


 アテナは、立ち止まったまま相手を見た。


 ここで、許すと言えば、話を終えられるのかもしれない。


 けれど、ほかにも関わった神々がいるという。


 自分が聞いたことを、ここだけへ留めるつもりはなかった。


「私は、今、冷静に裁ける自信がありません。だから、判断はゼウス様へ委ねます」


 神は、何も言えなかった。


 アテナは、自分の手へ、短く視線を落とした。


 まだ、指先に力が入っている。


 それを隠して、平静だから自分が決めると振る舞うことはできなかった。


 今、ここで決めた処分が、自分の悲しみを晴らすためのものになっていないか。


 その問いに、自信を持って答えることができない。


 だからこそ、聞いた内容を残し、判断を求める。


 相手を許したからではない。


 何があったかを、曖昧なままにしないためだった。


 アテナは、記録を手に、部屋を出た。


 扉の外へ出ても、すぐには、胸の鼓動が静まらなかった。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。


 ゼウスへ伝えるべきことを、頭の中で確かめた。


 自分が見たこと。


 調べて分かったこと。


 そして、今日、本人から聞いたこと。


 その違いを残したまま、話さなければならなかった。


     ◇


 ゼウスの宮殿。


 アテナは長い時間をかけて、全てを説明した。


 マイナスエネルギー貯蔵庫の構造と侵食。拷問事件。ヘルカイザーとの戦い。そして、彼が自分の世界へ帰ると言って消えたこと。


 さらに、複数の神々による手紙の破棄と、虚偽の連絡。


 持ってきた資料を開き、必要な箇所を示した。


 まず、何のために作られた装置だったかを伝える。


 魂が救われたことは、事実だった。


 その成功まで、後の出来事を理由に消したくはなかった。


 けれど、装置の接続を通して、彼自身へ負のエネルギーが流れ込んでいた。


 その影響を、長い時間の中で確かめたことも話した。


 研究室での対話へ進むと、声が、少し揺れた。


 世界中から、自分自身へ集める。


 彼は、それを平和のためだと語った。


 やめてほしいと頼んでも、できないと答えた。


 アテナは、そこで言葉を止め、息を整えた。


 力で止めようとしたことも、伝えた。


 自分の術式が届かなかったことも、彼が自分を殺さなかったことも、隠さなかった。


 親しみが残っていたからといって、今の研究が危険でなくなるわけではない。


 その両方を、説明する必要があった。


 最後に、今日、治療施設で聞いたことを話した。


 包みだけではなかった。


 研究資料も、誘いの手紙も捨てられ、彼の意思として聞かされた説明は嘘だった。


 相手がほかの神々の関与を口にしたことも、そのまま伝えた。


 誰が何をしたかの全てを、自分だけで調べ終えたわけではない。


 そこは、調査を必要とすることとして残した。


 ゼウスは、最後まで黙って聞いていた。


 途中でアテナの話を遮り、すぐに判断を告げることはなかった。


 頁を示す手が止まると、その先の言葉を待った。


 アテナは、その時間の中で、最後まで説明を続けた。


「……まさか、そんなことが……」


「……はい」


「わしは、ヘルカイザーの才能を高く評価しておった。好まぬ神がいるという噂は聞いていたが、ここまでのことをしておったとは……」


 その声には、強い憤りがあった。


 アテナは、顔を上げた。


 ゼウスも、ヘルカイザーの研究へ価値を見ていた。


 彼を好まない神々がいることと、その神々が何をしたかを知っていることは、同じではなかった。


 今、その行為を、初めて聞いている。


「……愚かな……」


 重い声が、謁見の間へ落ちた。


 アテナは、胸元へ抱え直していた記録を、机上へ戻した。


 怒ってくれたことだけで、話を終えてはいけないと思った。


 何について判断を求めているかを、最後まで伝えなければならない。


 アテナは、静かに告げた。


「ヘルカイザーさんの拷問は、決して許されません。ですが、神々の裏切りについても、きちんと責任を問うていただきたいのです」


 ゼウスは、深く頷いた。


「当然だ。それぞれの行為について、責任を問わねばならぬ」


 アテナは、その返事を聞き、わずかに息を吐いた。


 友人のしたことを隠すために来たのではない。


 同じように、神々のしたことを、彼の行為の陰へ隠してほしくもなかった。


 どちらにも、確かめるべき事実がある。


 そして、ゼウスは、玉座から立ち上がった。


「関係した神々を全て調べよ。誰が手紙を捨て、誰が嘘をつき、誰が交流を妨げたのか」


 その声が、謁見の間へ重く響く。


 アテナは、背筋を伸ばした。


 ここからは、自分が聞いた一人の話だけで終わらない。


 ほかの関係者にも、何があったかを確かめていく。


「悪質な行為が確認されれば、権限の停止も、役目の剥奪も、神格そのものの剥奪も辞さぬ」


 処分は、まだ下されていない。


 誰が何をしたかを調べ、確認した上で責任を問う。


 その言葉を、アテナは、静かに聞いた。


 ここへ来る前、自分は、冷静に裁ける自信がないと告げた。


 今も、胸の怒りが消えたわけではない。


 だから、この判断へ委ねることに意味があった。


 アテナは、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「……それから、ヘルカイザーも探さねばならぬな」


 ゼウスは、険しい表情で続けた。


「世界中のマイナスエネルギーを自分へ集めようとしているのだろう?そのままにしておくわけにはいかぬ」


「……はい……」


 アテナは、顔を上げた。


 神々の嘘が明らかになっても、彼の研究が止まるわけではなかった。


 自分たちが何を知ったかを、彼は知らない。


 今も、どこかで、集約の方法を考えているのだろう。


「行き先に心当たりはないのか?」


 アテナは、静かに首を振った。


「……自分の世界へ帰る、とだけ……」


 彼女には、そこがどこなのか分からなかった。


 人間だった頃の話は聞いた。発明への思いも、屋台のことも知っていた。


 けれど、彼が故郷と呼ぶ場所の正体までは知らなかった。


 答えられないことが、つらかった。


 親しかったと話しながら、行き先を尋ねられると、何も示せない。


 彼の声なら、思い出せる。


 新しい図面を見せるときの表情も、別れ際の丁寧な仕草も、目に浮かぶ。


 それでも、その記憶から、居場所を知ることはできなかった。


「……探すしかあるまい」


「……はい。見つかったら、どうか私にも知らせてください」


 アテナは、まっすぐにゼウスを見た。


 自分では止められなかった。


 最後にも、今の研究は認められないと答えた。


 けれど、彼のことを、もう何も知らずにいたいとは思わない。


 見つかったのなら、知りたかった。


「うむ。必ず知らせよう」


 アテナは、もう一度、頭を下げた。


 その約束を、胸へ留めた。


 探してもらえると聞いて、胸のどこかが、少しだけ緩んだ。


 けれど、見つかった後に何を話せるかまでは、まだ分からない。


 自分は、彼を止めようとした相手だった。


 彼は、裏切られたと語り、その上で、大切な思い出だと告げて去った。


 その言葉を、どれか一つだけ残して考えることはできなかった。


 アテナは、資料を揃えた。


 今、できる報告はした。


 ここから始まる調査に必要なことがあれば、自分も答えていく。そのためにも、今日知ったことを、正確に残しておくつもりだった。


     ◇


 それから神界では、広い範囲で調査が始まった。


 手紙の破棄。偽りの伝言。面会妨害。侮辱と嫌がらせ。


 別々に聞き取った証言を照らし合わせると、いくつもの矛盾が浮かび上がった。


 届けたという説明と、受け取っていないという話がある。


 誰かの言葉を伝えたと言いながら、その言葉を頼んだ者がいない。


 初めは、忙しい日の行き違いに見えたものが、確かめるにつれ、そのままでは説明できなくなっていく。


 アテナの手元にあった記録も、そのために使われた。


 自分が何を託し、どのような返事を聞いたか。


 その一つひとつが、相手の説明と照らし合わされる。


 アテナは、確認を求められれば、覚えている範囲を答えた。


 知っていることを、曖昧にしたくはなかった。


 同時に、まだ調べていない行為を、怒りだけで誰かへ帰すつもりもなかった。


 全ての神々が関わっていたのではない。


 だからこそ、誰が何をしたかを確かめる必要があった。


 そして、ヘルカイザーの捜索も続けられた。


 だが、行き先は分からない。


 神々は、彼が帰った世界の正体を知らない。


『なんでもありのスレッド』。


 人間たちが言葉を交わす、インターネット上の小さな交流の場。参加者たちが親しみを込めて「世界」や「星」と呼んだ場所。


 神々の知識には、その発想そのものがなかった。


 彼が帰ったという言葉は、確かに伝えられている。


 けれど、その言葉から思い浮かべる場所が、違っていた。


 知っている世界のどこかへ向かえば、見つかるというものではない。


 探す者たちは、まだ、その違いを知らなかった。


     ◇


 神界の庭園。


 アテナは、一人で噴水を眺めていた。


 水が上がり、落ちていく。


 その音を聞いていると、あの日の実験を思い出した。


 予想よりも勢いよく水が飛び、顔へかかった。


 驚いた後で、二人とも笑った。


 ささやかな失敗を、次の工夫へ繋げられた時間だった。


「……ヘルカイザーさん……」


 名を呼んでも、いつもの返事はない。


 かつては、少し歩けば友人と会えた。


 研究の話をして、失敗を笑って、また新しいものを作った。


 だが、今は違う。


 彼が何を考え、どこで研究を続けているのかも分からない。


 今日、分かったことを伝えたいと思った。


 手紙を書いたこと。


 会いに行こうとしていたこと。


 研究中だと聞いて、邪魔をしないように待っていたこと。


 彼も会おうとしていたのなら、自分も同じだったと知ってほしかった。


 けれど、それを伝えれば、全てが元へ戻るとは考えられなかった。


 交流を妨げた者たちの行為が明らかになっても、既に変わった価値観は戻らない。


 回廊で起きたことも、研究室で交わした答えも、消えない。


 それでも、自分が会いたいと思っていたことだけは、いつか、本人へ届けたかった。


 アテナは、噴水の水面へ目を落とした。


 今は、届ける先がない。


 頼めば渡してもらえると思った相手に、嘘をつかれていた頃とは違う。


 今度は、本当に、どこにいるかが分からなかった。


「……どうか……これ以上、誰かを傷つけないでください……」


 その祈りに返事はなかった。


 別の場所で、ヘルカイザーは静かに研究を続けていた。


「ふむふむ……なるほどですねぇ♪」


 世界中のマイナスエネルギーを、自分へ集めるために。


 彼の笑顔は、今も変わらない。


 神界で、何が明らかになり始めたのかを、彼は知らなかった。


 目の前には、続きを考えるべき研究がある。


 アテナが会いたいと願っていた時間についても、その言葉を聞く機会はなかった。


 そして、神界から次元神の姿が消えたまま、長い時間が流れ始めようとしていた。

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