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転生した主人公が次元神になる外伝  作者: ヘルカイザー
知恵の女神と偽りの次元神

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第11話 染まりゆく白



「……また、苦しくなってしまって……」


 ある日、以前マイナスエネルギー貯蔵庫による処置を受けた魂が、研究室を訪れた。


 ヘルカイザーは、机から顔を上げた。


 以前、苦しみが和らいだと分かった魂だった。


 今は、また、苦しいと話している。


 彼は、手元の図面を脇へ寄せた。


 新しい案を考えているところだったが、その説明を始める場面ではない。


 ヘルカイザーは、相手へ注意を戻した。


 前に処置を受けた魂が、また苦しんでいる。


 その声を聞いたからといって、以前の礼を取り消されたと感じることも、研究を否定されたと腹を立てることもなかった。


 今、苦しいのだという。


 そのことを確かめながら、穏やかに応じた。


 研究室へ来た相手を、自分の図面に合わせて待たせるつもりもなかった。


 紙を寄せ、必要な記録を手元へ置く。


 その仕草には、慣れた丁寧さがあった。


 苦しみを和らげたいと思う気持ちは、残っている。


 だから、再び手を貸すことに、ためらいはなかった。


 彼がその後で何を考えるかは、まだ、相手へ向けた声の中には現れていなかった。


 訪れた相手へ向き直り、声に耳を傾ける。


 苦しさを伝える言葉が途切れても、急かさずに待った。


 以前に処置を受けたことを理由に、来てはいけないと考えている様子があれば、その必要はないと伝えたかった。


 ヘルカイザーは、穏やかに顔を向けた。


 ヘルカイザーは、いつものように微笑んだ。


「おやおや♪ お気になさらないでください。苦しいときに助けを求めるのは、悪いことではありませんよ♪」


 いつもの、丁寧な声だった。


 また来たことを責める気持ちはなかった。


 苦しんでいる相手が、ここへ助けを求めて来た。そのことを、まず受け止めていた。


 ヘルカイザーは、記録へ目を向けた。


 以前の結果を見てから、今の状態へ注意を戻す。


 前に和らいだことと、今、苦しんでいることの、両方がある。


 彼は、その違いを見ながら、装置を扱う準備を進めた。


 相手を傷つけず、負のエネルギーを分離する。


 研究の始めに大切にしていたことを、ここで捨てたわけではなかった。


 装置は再び稼働し、魂から負のエネルギーを分離した。


 負のエネルギーが、分けられていく。


 ヘルカイザーは、装置と魂の様子へ、交互に目を向けた。


 以前にも見た働きだった。


 けれど、一度行ったから、今度は見なくてよいというものではない。


 記録を確かめ、その場で起きている変化を追った。


 その間、研究室には、次の案についての独り言はなかった。


 ヘルカイザーは、今、目の前の魂がどうなるかを見ていた。


 やがて、声が聞こえた。


『……ああ……また、楽になりました……』


「それは何よりですねぇ♪」


 その言葉には、何の偽りもない。


 安らいだと聞けば、嬉しかった。


 苦しくて訪れた相手が、また楽になれた。それは、装置を作った成果だった。


 ヘルカイザーは、穏やかに頷いた。


「お話ししてくださって、ありがとうございます♪」


 相手へ向けた礼も、自然なものだった。


 自分の研究が役立ったことを知り、その返事を伝える。


 彼の声や仕草だけを見れば、初めて魂を救えたときと、変わらないところが多かった。


 笑顔を見せ、言葉を聞き、丁寧に応じる。


 その優しさが、今、失われてしまったわけではなかった。


 しかし、魂が去った後、ヘルカイザーは記録を見つめた。


「……同じ魂にも、新しいマイナスエネルギーが生まれるのですねぇ」


 ヘルカイザーは、以前の結果を隣へ置いた。


 前にも、分離はできていた。


 魂の苦しみが和らいだことも、確かめている。


 その後、再び苦しくなったという。


 彼は、今回の記録へ視線を戻した。


 一つずつ処置を続ければ、そのときにある苦しみを減らせる。


 けれど、新しく生まれるものまで、それだけでなくなるわけではない。


 その事実へ、注意が向いた。


 ヘルカイザーは、紙へ短い言葉を書き添えた。


 以前の処置に意味がなかったのだとは考えなかった。


 そのときには苦しみが和らぎ、今回も、また楽になったという声が聞こえた。


 その両方を、彼は記録へ残していた。


 けれど、結果を並べると、次にどうすればよいのかが気になる。


 同じように助けることを続ける。そのことだけでは、まだ苦しみは生まれる。


 ヘルカイザーは、別の紙へ目を移した。


 今までの成果を、もっと広く役立てたい。


 ヘルカイザーは、記録に残した声へ、もう一度目を向けた。


 また楽になったと、相手は伝えた。


 今回も、そのために装置が働いた。


 けれど、一度和らいだ後にも、新しい苦しみは生まれた。


 その二つを、同じ紙に並べて考える。


 どちらかを見なかったことにするつもりはない。


 救えたことを喜ぶ。その先にも苦しみがあるなら、さらに方法を考える。


 彼は、今も、そのように研究へ向き合っているつもりだった。


 新しい構想の脇へ、今回の結果に関係する問いを書き込む。


 その問いが、今までよりも大きな範囲へ向かうことは、彼には自然だった。


 何を先に見るようになったかという変化は、記録を丁寧に残す手つきの中へ、紛れていた。


 その考えから、また、集約構想の図へ手が伸びる。


 彼にとって、今の出来事は、その構想を進めたくなる理由だった。


 魂の声を聞いたことと、量や範囲について考えることが、同じ研究の流れとして繋がっていた。


 これから先も、同じように考えるだけでよいのだろうか。


 問いが浮かぶと、その先の案を見直したくなった。


 一度取り除けば終わるわけではない。争いが起きれば、新しい恨みが生まれる。別れがあれば、悲しみが生まれる。


「……これでは、ずっと同じことの繰り返しですねぇ♪」


 声は穏やかだった。


 戻ってきた魂を、迷惑に思ったのではない。


 苦しいときに助けを求めてよいと伝えた気持ちも、変わらない。


 ただ、その繰り返しを見て、もっと大きな方法が必要ではないかと考えていた。


 彼は、広い範囲から負のエネルギーを集める図を探した。


 以前の案と、新しい計算を並べる。


 どのように考えれば、もっと多く扱えるだろう。


 その問いへ戻ることに、ためらいはなかった。


 魂を救うために考えた研究が、今、その問いを選ぶ理由にもなっていた。


 彼は、世界規模の集約構想を広げた。


 もっと広い範囲で回収する。できれば、一つの場所へ集めてしまう。


 その方が効率的だと考えた。


 紙の上には、回収する範囲を表した線がある。


 ヘルカイザーは、それをもう一度辿った。


 今ある働きを、どこまで広げられるか。


 移す先へ、どれほど蓄えられるか。


 その違いを比べるために、別の案も書き添える。


 まだ構想の段階だった。全ての方法が決まっているわけではない。


 けれど、次に何を調べたいかは、そこから選ばれていた。


 彼は、魂の記録を捨てなかった。


 その記録が示した苦しみの繰り返しを、回収範囲を広げるための課題として読み直していた。


     ◇


 久しぶりに庭園を訪れたアテナは、懐かしい声を耳にした。


 水音の向こうから、短い呟きが聞こえた。


 アテナは足を緩めた。


 考えごとをしているときに、何度も聞いた調子だった。


 思わず、声のした方へ顔を向ける。


 会いたいと思っていた相手の声が、そこにある。


 すぐに名前を呼ぶ前に、アテナは、その姿を探した。


 噴水が見える。花壇があり、そのそばに、白い姿があった。


 彼女は、もう少し近づいた。


「……ふむふむ」


 噴水のそばで資料を見つめる、小さな白いドラゴン。


 前脚のそばへ、紙が広げられていた。


 彼は、その上の何かを考えているようだった。


 見覚えのある仕草だった。


 初めて会ったときにも、噴水の動きを熱心に見ていた。声をかけると顔を上げ、明るく挨拶を返してくれた。


 アテナは、そのときのことを思い出した。


 今も、彼は、ここで何かを考えている。


 声をかければ、聞こえる距離だった。


 アテナは、一瞬だけ足を止めた。


 探しても会えなかった時間が、頭をよぎる。


 今日も、研究へ集中しているのだろうか。


 けれど、ここには、本人がいる。


 今、話せるかどうかを、直接尋ねることができる。


 声をかけたら、顔を上げてくれるだろうか。


 彼女は、見慣れた白い姿へ目を向けた。


 水音の中で、彼が資料を動かす。


 その仕草を見ていると、机で想像していた姿が、ようやく目の前へ戻ってきたようだった。


 何から話せばよいか、まだ決めなくてもよい。


 まず、名前を呼びたかった。


 彼女は、自然に口を開いた。


「……ヘルカイザーさん?」


「おや! アテナさんではありませんか♪」


 二人の表情が、同時に明るくなった。


 ヘルカイザーは、見ていた資料から顔を上げたまま、彼女を見ていた。


 アテナも、思わず笑顔になった。


 会えた。


 そのことが、まず嬉しかった。


 どんな言葉から話そうかと考えてきたのに、目の前へ来ると、自然に挨拶が出てくる。


 ヘルカイザーの声も、同じように弾んでいた。


 机に残した問いや、渡したかった資料のことよりも先に、久しぶりに顔を合わせられた喜びがあった。


 ヘルカイザーが、広げていた紙を持ち上げる。


 アテナは、その前へ歩み寄った。


 こうして声をかけ、返事を聞けるだけで、会えない間に感じていた距離が少し縮まったようだった。


 目の前に、相手がいる。


 どんなことを考えているのかを、直接尋ねられる。


 彼女は、そのことが嬉しかった。


 ヘルカイザーも、見せたいものがあると話すときの顔になっていた。


 手元の資料を揃え、どの紙から見せようかと考えている。


 アテナは、その様子を見て、また微笑んだ。


 少し前まで、机の上でその姿を思い浮かべていた。


 今は、想像しなくても、隣へ行けば同じ図面を見られる。


 彼女は、彼が示そうとする紙へ、自然と顔を向けた。


「お久しぶりです!」


「いやはや、本当にお久しぶりですねぇ♪」


「また、お話しできて嬉しいです」


 アテナが言うと、ヘルカイザーは頷いた。


「ええ♪ 自分も、お見せしたいものがありましてねぇ♪」


 彼は、手元の資料へ目を向けた。


 アテナは、その反応に笑みを深めた。


 顔を合わせたら、やはり研究の話が始まる。


 そのことも、懐かしかった。


「どのようなことを考えていらしたのですか?」


「少々、範囲を広げて考えてみたのですよ♪」


 ヘルカイザーは、紙を揃えた。


 アテナは、その続きへ興味を向けながら、近づいた。


 久しぶりの再会だった。二人は自然と長椅子へ腰を下ろし、研究の話を始めた。


 ここへ座れば、資料を並べて見ることができる。


 アテナは、ヘルカイザーが紙を広げるのを待った。


 線が見える向きへ、彼が少し位置を直す。


 彼女も身を寄せ、最初に示されたところへ目を向けた。


 以前、何度も繰り返した動きだった。


 顔を合わせられない間にも、自分がこの時間を楽しみにしていたことが分かる。


 ヘルカイザーは、どこから考えたのかを話し始めた。


 アテナは頷き、彼の示す先を追った。


 分からない箇所があれば、尋ねればよい。


「こちらから順番に、伺ってもよろしいでしょうか」


「ええ♪ その方がお話ししやすそうですねぇ♪」


 ヘルカイザーは、一枚目を見やすい位置へ置いた。


 アテナは、紙を押さえ、指し示されたところを見た。


「ここは、前にお話しした仕組みと繋がっているのですか?」


「はい♪ そちらで分かったことから、考えてみたのですよ♪」


 返事を聞いて、以前の図を思い浮かべる。


 どこを残し、どこから新しく考えたのかを、少しずつ聞いていった。


 説明が途中で止まると、ヘルカイザーも、資料を見直す。


 アテナは、急かさずに待った。


 その間も、噴水の水音が聞こえていた。


 次に顔を上げた彼が、別の言葉で説明を始める。


 彼女は頷き、また同じ場所へ目を向けた。


 いつものように思いながら、彼女は、資料の書き込みを読んでいった。


 ヘルカイザーが見せた資料には、以前よりも大きな回収量と広大な処理範囲についての計算が並んでいる。


 アテナは、一つの数値を見て、それから別の箇所へ目を移した。


 前に二人で考えたものから、随分と広がっている。


 彼が研究を進めていたことが、紙からも分かった。


「こちらは、前の結果と比べて考えたのですか?」


「ええ♪ その先に、もう少し広げられるところがないかと考えましてねぇ♪」


 ヘルカイザーは、図の一角を示した。


 アテナは説明を聞き、次の計算へ視線を移した。


 そこでも、扱える量が話の中心になっていた。


 範囲を広げると、どこまで届くのか。そのために、何を変えるのか。


 分かるところもある。研究の続きとして、自然に考えられる部分もあった。


 けれど、読み進めているうちに、少し気になることが残った。


 資料を一枚ずつ見るだけなら、彼が何を調べたいかは分かる。


 しかし、何枚かを並べてみると、同じ方向へ注意が向いているように感じられた。


 広い範囲から集める。


 より多く、扱えるようにする。


 それをどう実現するかという説明が、次の紙にも続いている。


 アテナは、少し顔を上げた。


 ヘルカイザーは、熱心に説明している。


 悪いことを考えている顔ではなかった。研究の先に、役立つ方法があると信じている顔だった。


 だからこそ、今、何を目的として見ているのかを、言葉にしておきたかった。


 アテナは、また紙へ目を戻した。


 数字を読むだけでは、分からないものがある。


 最初に一緒に考えたときの願いが、胸に浮かんだ。


「……ずいぶん、回収量を重視していらっしゃるのですね」


「ええ♪ 世界中のマイナスエネルギーを減らすには、もっと効率よく集めなければなりませんからねぇ♪」


 ヘルカイザーは、楽しそうに次の箇所へ前脚を動かした。


 彼がもっと多く救いたいと考えていることは、アテナにも分かる。


 貯蔵庫で苦しみが和らいだ魂がいる。その方法を広げたいと思う気持ちを、否定したいわけではなかった。


 ただ、今、説明の中で、何が先に語られているのだろう。


 アテナは、紙の端をそっと押さえた。


 範囲と、量。


 それらが重要なのは分かる。


 けれど、最初に二人で話したのは、苦しみを抱えた魂のことだった。


 その相手を、図の向こうに忘れずに置いておきたいと思った。


 アテナは、少し考えた。


 新しい案を、すぐに間違っていると決めたいわけではない。


 まだ、全ての説明を聞けたわけでもなかった。


 それでも、気になるところをそのままにして、ただ頷いて帰りたくはなかった。


 今までにも、彼の図面へ疑問を向けてきた。


 ヘルカイザーは、そのたびに話を聞き、考えて答えてくれた。


 だから、今回も、自分が大切だと思うことを伝えようと思った。


 アテナは、資料から彼の顔へ視線を移した。


 久しぶりに会えて嬉しい気持ちは、変わらない。


 その相手へ、言っておきたい言葉を選んだ。


「……ヘルカイザーさん。一つ、忘れないでいただきたいことがあります」


「おや?」


「あなたが救おうとしているのは、数字ではなく、魂そのものだということです」


 言い終えて、アテナは返事を待った。


 数字を比べることが必要ないと言いたかったのではない。


 その数字の向こうで、誰に、どのような変化があるのか。


 そこへ、目を戻していてほしかった。


 最初の成功を見たとき、聞こえたのは、苦しくないという声だった。


 その声を聞けたことが、嬉しかった。


 アテナは、今も、その気持ちを覚えている。


 ヘルカイザーは、彼女へ顔を向けていた。


 図を指していた前脚が止まり、彼女の言葉へ注意が向いている。


 アテナは、その反応を見て、静かに待っていた。


 ヘルカイザーは、真剣に耳を傾けた。


「……なるほどですねぇ♪ 確かに、そのとおりです♪」


 返事に、取り繕うような間はなかった。


 ヘルカイザーは、資料へ一度目を落とし、それから、また彼女を見た。


 言われたことを、真剣に受け止めているように見えた。


 アテナは、少し肩の力を抜いた。


「……研究が広がっていることは、資料からも分かります」


 彼女は、静かに言った。


「ですから、その先でも、魂に何が起きるのかを見ていてほしいと思ったのです」


 ヘルカイザーは、頷いた。


「ええ。何のために作るのかは、大切ですからねぇ」


 アテナも頷き返した。


 彼は、話を遮らずに聞いた。


 久しぶりに会った相手へ疑問を向けることには、少し慎重な気持ちもあった。


 けれど、その返事を聞けば、やはり伝えてよかったと思えた。


 ヘルカイザーが、資料を揃える。


 アテナは、その図を見ながら、自分の言ったことが研究の中でも思い出されるだろうと考えた。


 今まで、互いの言葉をそうして案へ繋げてきたことを、彼女は覚えていた。


 彼なら、気になるところを伝えても、ちゃんと聞いてくれる。


 今まで、そうして一緒に案を直してきた。


 ヘルカイザーは、彼女が示した図へ、また目を向けていた。


 アテナは、その反応も見ていた。


 言われたことを、自分の研究と並べて考える。


 その様子は、以前と似ている。


 だから、彼が何を考えたのかを、今、全て確かめなければならないとは思わなかった。


 自分が伝えたかったことは、言葉にした。


 彼も、真剣に耳を傾けて頷いた。


 そのことを、彼女は大切に受け止めた。


 新しい資料の中で気になった点も、また話せばよいと思った。


 同じ机や長椅子で、途中の考えを見せ合える。


 その信頼が、まだ、二人の間に残っていた。


 アテナは、彼の顔を見て、小さく笑みを浮かべた。


 その経験と、目の前の頷きが、彼女を安心させた。


 資料の中で気になったことを、言葉にできた。


 その言葉が、彼へ届いたと思えた。


「……ふふっ」


 アテナはほっとした。彼の笑顔は、以前と変わらなかったからだ。


 ヘルカイザーは、彼女の言葉を否定しなかった。


 話したからといって、再会の喜びがなくなることもなかった。


 アテナは、資料へもう一度目を向けた。


 久しぶりの間に、考えたことが増えている。それなら、これから、また一緒に話していけばよい。


 彼が見せたかったものを、自分も、少しずつ理解したいと思った。


 庭園には、水音が聞こえていた。


 同じ長椅子に座り、同じ紙を見ている。


 会いたいと思っていた時間が、ようやく、そこにあった。


 風が吹き、紙の端が少し動いた。


 ヘルカイザーが押さえ直すと、アテナも、反対側へ手を添えた。


 指は触れず、同じ紙の、別々の端を押さえている。


 それだけのことにも、馴染んだ感じがあった。


「……また、一緒に考えられますね」


 アテナが言うと、彼は顔を上げた。


「ええ♪ こちらも、ぜひ、お話ししたいところですからねぇ♪」


 その返事に、彼女は微笑んだ。


 再会したからといって、聞きたいことが一度になくなるわけではない。


 次に調べたい箇所も、また生まれるだろう。


 そのことを、今は楽しみにできた。


 アテナは、資料の中へ視線を戻した。


 言葉を交わしながら、友人と同じ問いを見ているつもりだった。


 アテナは、そのことも、素直に喜んでいた。


 しかし、研究室へ戻ったヘルカイザーは、彼女の助言をこう解釈した。


 魂を救うことが目的なのなら、全ての魂からマイナスエネルギーを取り除ければ良い。


 ヘルカイザーは、机へ置いた資料を開いた。


 アテナが言ったことを、思い返す。


 救おうとしているのは、魂そのもの。


 その言葉に、異論はなかった。


 だからこそ、苦しむ魂を残さない方法を考えたいと思った。


 一部だけでは、まだ届かないところがある。


 もっと多く、もっと広く扱うことができれば、取り除けるものも増える。


 彼の考えは、その方向へ繋がった。


 友人の助言から、研究を止める理由を探したわけではない。


 目的を確かめたのだから、その目的に届く仕組みを考えようとしていた。


 そのとき、自分がまた規模の話へ戻っていることを、彼は問題とは感じなかった。


 ヘルカイザーは、昼間の会話を、もう一度思い返した。


 アテナは、数字ではなく魂を救うのだと話した。


 その点は、彼も認めている。


 救う相手を増やすなら、扱える規模も増やさなければならない。


 その繋がりを、紙の上へ置いてみる。


 彼には、会話の中で言われたことと、今、考えていることが矛盾しているようには思えなかった。


 新しい案の横へ、前の計算を並べる。


 どの箇所を変えれば、広い範囲へ繋がるだろうか。


 その問いへ、また注意が向いていく。


 友人の声は、覚えていた。


 けれど、その声が、回収量へ向いていた視線を止める働きにはならなかった。


 むしろ、さらに広く届く方法を考える理由として、今の研究へ組み込まれていった。


「……それなら、もっと大きな仕組みが必要ですねぇ♪」


 彼は、さらに計算を進めた。


 アテナの言葉を無視したつもりはない。それどころか、真剣に受け止めたつもりだった。


 紙の脇へ、考えたことを書き添える。


 全ての魂へ届くには、どうすればよいのか。


 その問いを、今の構想と並べてみる。


 ヘルカイザーは、説明されたことを聞き流す発明家ではなかった。


 以前から、指摘されたところを考え直し、新しい案へ繋げてきた。


 今も、そのつもりで手を動かしている。


 けれど、何を見直す必要があるのかという判断の中に、変化が入り込んでいた。


 大切なのは魂だと聞いて、回収量へ向けた注意を問い直すのではなく、全てから取り除ける規模を求める。


 彼には、それが、助言に応えようとする考え方に思えていた。


 図面には、さらに広く扱うための問いが加わった。


 ヘルカイザーは、書き終えた言葉を読んだ。


 昼間、聞いた助言を、忘れたわけではない。


 むしろ、目的を確かめられたことが、次を考える力になっていた。


 魂そのものを救う。


 その言葉を思い返し、全てへ届く方法を求める。


 途中にある判断を、自分で不自然だとは思わなかった。


 彼は、次に読むための記録を開いた。


 そこから何が分かるかを見て、新しい構想へ繋げようとする。


 研究室では、いつものように紙が動いていた。


 庭園で笑い合った時間も、確かに、今日の記憶の中にある。


 その喜びを持ったまま、彼は、友人が願ったものとは少し違う方向へ、案を広げ始めていた。


 そこにこそ、価値観の侵食が潜んでいた。


     ◇


 一方、二人が庭園で楽しそうに話したと知った一部の神々は、苛立っていた。


「……また親しくなるつもりか」


「ならば、これまでどおり会う機会を減らせば良い」


 返事をした神は、不満そうに顔を歪めた。


 二人が会い、楽しそうに話した。


 そのことだけで、彼らには気に入らなかった。


 研究について、どのような言葉を交わしたのかを知ろうとはしない。


 互いに会えて喜んだことまで、腹立たしいものとして受け取っていた。


 届けるものを、届けない。


 伝えるはずの言葉を、別のものへ変える。


 今までの妨害を、反省するつもりはなかった。


 何かが明るみに出たから困っているのでもない。


 また会えたのなら、その機会を減らせばよいと考えていた。


 その小さな悪意が、二人の知らないところで、続けられようとしていた。


 アテナがどれほど再会を喜んだかを、彼らは、喜ばしいこととして受け取らなかった。


 ヘルカイザーが彼女へ資料を広げる姿も、研究のための交流として認めたくなかった。


 相手を下に見たいという気持ちが、その親しさへ向けられていた。


 彼らは、二人が何を大切にして話しているのかを、聞きに行こうとはしない。


 ただ、次に会う機会を減らそうとする。


 研究室へ届くはずの言葉が、また途中で止まることになる。


 庭園で顔を合わせ、楽しそうに頷き合った二人は、そのことを知らなかった。


 会えたのだから、また話せると思っていた。


 その期待へ、再び嘘が入り込もうとしていた。


 神々は、二人が見せた笑顔の理由を、確かめようともしなかった。


 久しぶりに会えたことが嬉しかった。


 同じ資料を見ながら、返事を聞けたことが嬉しかった。


 その、ごく自然な喜びまで、彼らには邪魔をしたい理由になった。


 研究室へ向かう道も、庭園で話す時間も、本人たちの間では、次の会話へ繋がるものだった。


 そこに、届かない包みや、偽られた言葉が挟まる。


 二人が互いを嫌いになって距離を取っているのではない。


 だからこそ、相手が忙しいと聞けば待ち、落ち着いた頃を楽しみにしてしまう。


 その信頼へ、また、悪意が向けられていた。


 小さな嘘は、再び繰り返される。


 貯蔵庫は稼働を続ける。


 まだ完全に黒く染まりきってはいない。


 しかし、白い部分は確実に少なくなっていた。

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