第八話 芯を見る
盗賊団の一件から、一年ほど。
この一年、団はいくつもの契約をこなした。隊商の護衛、小規模な魔物の討伐、時には小競り合いの仲裁まで。人数も十人ばかり増えて規模も大きくなってきている。そして俺自身も、「荷運びの小僧」から少しばかり扱いの違う立場になっていた。
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朝一番、新入りの男が困った顔で帳面を持ってきた。
「ウィル、こっちの数が合わねえんだが」
武具を積んだ幌馬車の荷台に、木箱が五つ並んでいる。クロスボウ用の太矢の箱だ。帳面には、十二本入りが五箱で、六十本とある。男は一箱ずつ開けて数えたらしい。結果は五十八本。
「二本足りねえ。誰かが持ち出したか、俺の数え間違いか……」
「一度、全部出してくれ」
俺は荷台に膝をついて布を広げた。箱の中身を、一本ずつその上に並べていく。
数え間違いではなかった。三つ目の箱だけ十本しか入っていない。そして、並べた矢の長さが揃っていなかった。その箱の矢だけ他より一寸ほど短い。
「これ、先月の買い足し分だな」
「買い足し?同じ太矢だろ」
「同じ太矢でも、作った工房が違う。うちのクロスボウの矢溝は、あの長さの矢に合わせて作ってある。短い矢は弦に押される位置がずれて真っ直ぐ飛ばない。下手をすれば、矢溝から滑り落ちる」
数が違うのも、そもそも最初から買った場所が違ったとかだろうか。そういえば先月は行きつけの武具屋の商人が不在だったとか、誰かが漏らしてたような気がする。
俺は続けて矢を一本ずつ手に取った。平らな板の上で転がして、軸の反りを見る。指先で羽根を弾いて、付き具合を確かめる。鏃の付け根を爪で叩く。手が覚えるまで繰り返した三つの確認だ。
四つ目の箱で、指が止まった。
羽根の付け根が、指の腹に引っかかる。膠が緩んで、わずかに浮いているのだ。
「この箱、雨に晒されてたりしないか?」
「え、あ……そういや、荷を濡らしかけて、慌てて閉めた覚えが」
「湿気を吸うと、膠が緩む。羽根が浮いた矢は飛んでる最中に風を食って、横に流れる」
男が感心したように箱を覗き込んだ、その時、後ろから大きな声がした。
「朝から細けえ話をしてるな。撃てりゃ同じだろうが」
バートンだった。大きな欠伸をしながら、荷台の縁に肘をつく。
「数さえ合ってりゃ、それでいいじゃねえか。矢なんざ、消耗品だ」
「じゃあ試してみませんか」
バートンは言い返した俺に少し意外そうな顔をしながら、ニヤリと笑った。
「面白え。おい、オットー!ちょっと撃ってくれ。ウィルの小僧が、矢にケチをつけてる」
呼び止められたのは、無口な傭兵の青年、クロスボウ隊のオットーだった。若いながらも腕と指揮能力を見込まれ、隊長を務めている。オットーは荷台を覗き込み、短い矢を一本つまんで、目の高さで眺める。
「……ケチじゃねえ。その通りだ」
「なんだ、知ってたのか」
「先月の買い足しから、妙に落ちる矢があるとは思ってた。どの箱かまでは突き止めてなかったがな」
野営地の外れに藁束の的を立てた。距離は四十歩。
オットーは、まず、揃いの矢を十本、一本ずつ番えて撃った。弦が鳴り、矢が藁束に突き立つたびに乾いた音がする。十本は、掌ほどの円の中にほぼ収まった。
次に、一寸短い矢を五本。
一本目は、的の下を叩いた。二本目は、矢溝から滑り落ちて、オットーの足元に転がった。三本目は、辛うじて当たったが、的の端ぎりぎりだった。
最後に、羽根の浮いた矢を、五本。
矢は飛び出してすぐ、空中でわずかに首を振った。二本が藁束の左を掠めて、草むらへ消えていく。
オットーはクロスボウを下ろして、的に刺さった矢を一本ずつ眺めた。
「長さが一寸違うだけでこうなる。羽根が浮いたのは、もっとひどい。実戦でこんなのが混ざってたら、どれが外れるか撃つまで分からん」
バートンは、しばらく腕を組んで、的を睨んでいた。やがて豪快に頭を掻く。
「……こりゃ、俺の負けだ。買い足しの矢は、これからは、必ず、お前とオットーが見てからにしろ」
そこから先は、俺の仕事だ。箱の蓋に工房ごとに色糸を結ぶ。矢の長さと重さを、各箱から一本ずつ測って、帳面に書き込む。入荷日、残数、保管場所。何が何本あるか。数を数えるだけでは、足りない。
「傭兵団の帳面に、そこまで書くやつがいるか」
バートンが笑いながら言った。
「外れた一本が、誰かの死因になるかもしれません。案外バートンさんかもしれませんよ?」
「……違いねえ」
バートンは俺の背中を一つ叩いて行ってしまった。
「お前、荷運びのくせに……よく、一目で分かるな」
オットーが感心したように俺を見ている。
「一目じゃないですよ。長さと、羽根と、反り。三つ見てる。毎日見てりゃそのうち慣れる」
新入りの頃の俺なら、絶対に言えなかった台詞だ。荷の受け渡しも、契約の細かい文言の確認も、今ではほとんど俺が目を通すようになっている。字が読め数字に強いというだけの理由だったが、それが積み重なると、思いのほか団の中で重宝される仕事になるらしかった。
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新入りといえば、半月ほど前に入ったばかりの少年がやたらと俺に懐いていた。
「ウィル兄、水はやっぱり、沸かしてから飲むんすか」
「そういうもんだ」
「団長もバートンさんも、ウィル兄の言うことなら間違いないって言ってたんで」
そう言って笑う少年を見ながら俺はふと、自分が初めてこの団に加わった日のことを思い出していた。あの頃、バートンが俺にかけてくれた「誰でも最初はこんなもんだ」という言葉。今度はそれを自分が誰かに言う番になっているらしい。
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「なあ、ウィル」
その夜、焚き火を挟んでガレスがそう切り出してきた。契約書の束を広げながら、彼は珍しく思案顔をしていた。
「次の依頼、隣村の砦の警備と、北の隊商護衛、両方来てる。日程がかぶっててどっちかは断らなきゃならん」
「団長の判断は」
「その前に、お前ならどっちを取る」
以前ならここまで大きな話題に意見を求められることはなかった。俺は少し驚きながらも、二通の契約書を受け取る。羊皮紙が、焚き火の光に黄ばんで見える。商会の書記が書いたという隊商の方は、字が崩れていて読みにくい。蝋燭を近くに引き寄せた。
まず砦の方から。
期間は九十日。団の半数、二十人を砦に常駐させる。日当は、北の隊商より一割ほど高い。ここまでは悪くない。
問題はその先だ。
「糧食は団の立て替えになってます。支払いは、秋の納税が終わった後にまとめて。前金は、なしです」
「ああ」
「二十人を九十日。糧食代を立て替えるだけで、団の手元の銀貨の半分くらいになります。その間は、他の仕事を受けられない。領主の台所が少しでも苦しければ、三ヶ月分の稼ぎがそっくり宙に浮きます」
俺は補給のときに、ノーラから聞いていた噂を思い出していた。
「あの領は今年、麦の出来が悪いそうです。それに、去年雇われた傭兵団には約束の半額しか払わなかった、という話も聞きました」
ガレスは、無言で杯を傾けた。
「北の隊商は」
もう一通を、広げる。
期間は往復で一月半。日当は砦より一割安い。だが、前金が三割。残りは目的地に着くたびに、現地で払われる。そして商会は、この仕事の後も団を優先して使う、と明記していた。継続契約の約束だ。
「金の回りは北の隊商の方が、ずっと堅いです。一月半ごとに、現金が入る。その間に、小さな仕事も挟めます。目先の日当は低くても、団の動かせる手が減りません」
「俺もそう読んだ」
「ただ――」
俺は第七条の上で、指を止めた。
「ここはよくないですね」
ガレスが身を乗り出す。
「『積荷の損害は、団の過失の有無を問わず、損害額の五割を、団が負担する』。つまり襲われて荷を奪われたら、俺たちが全力で戦って負けても荷の半分を弁償するってことです」
損害を団に負担させる隊商は珍しくない。ただし、過失の有無を問わず五割というのは、相場からすると少々厳しい条件だろう。
「……」
「荷馬車を一台でもやられたら、一回の報酬は、丸ごと飛びます。二台なら赤字です」
ガレスはしばらく黙って、契約書を睨んでいた。それから頭を掻いた。
「そこは…深く考えてなかったな。襲われなきゃ関係ないと思ってな。」
「襲われなきゃ、そもそも護衛はいらないですよ」
「違いない」
ガレスが声を上げて笑った。
「で、どうする。この条項を飲まんと言えば、商会は他の団を探すかもしれんぞ」
「依頼主は領主と違って商人なので、交渉もしやすいでしょう。負担は団に過失があった場合だけにしてもらいます。あと、前金を三割から四割に」
「欲張ったな」
「向こうも団を切りたくないはずです。継続契約を餌に出してるのは、護衛の質が落ちて荷が減れば、結局、損をするのは商会だからです。それに、あの街道は雪が降る前に抜けなきゃいけない。他の団を探してる時間は向こうにも無いでしょう」
ガレスは、俺をじっと見ていた。
「……そこまで読んだか」
「結論は俺と同じだ。ただし、七条はお前に拾われた。修正案は…お前が書け。交渉は、俺が行く」
最初から隊商の方を受けるつもりだったのか。試されたような気がするな。
「……それならそうと、先に言ってください」
「お前の頭ん中、覗いてみたかっただけだ」
笑いながら杯を傾けるガレスを見て、俺は呆れつつも、どこか満足げな感覚だった。
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「あんた、矢の仕分けから帳面の付け直しまで全部一人でやったんだって?」
補給に来たノーラが、呆れたような顔で荷馬車から降りてきた。
「他の奴に任せると後で数が合わなくなるんだよ」
「ふうん。ねえ、あんた、いつまで荷運びのままでいるつもり?」
唐突な問いに、俺は言葉に詰まった。ノーラは帳面を小脇に抱えたまま、まっすぐにこちらを見ている。
「団長の右腕みたいなことまでやっといて、肩書きは『荷運びの小僧』のままってのも、おかしな話じゃない」
「右腕なんてもんじゃないし……、肩書きなんて別にどうでもいいよ。今のままで十分うまくいってる」
「ふうん、まあいいけど」
ノーラはそれ以上は追及せず、荷物の確認に戻っていった。
「――そうだ。明日、あんたも街まで付き合いなよ」
帳面を閉じながら、思い出したようにノーラが言った。
「街?何の用で」
「仕入れ先の一つが、最近やけに値を渋っててさ。品質を落として同じ値段を通そうとしてる節があるんだけど、娘一人だと舐められるでしょ。字が読めて、算盤も強い奴を連れてった方が向こうも誤魔化しにくいでしょ」
「……俺は荷運びの小僧だぞ。交渉事なんか期待されても困る」
「荷運びの小僧にしちゃ、頭が回りすぎるって話をしてたとこじゃない。それに、交渉なんか期待してないわ。後ろで見てて、気づいたことがあれば言ってくれればいいから」
結局、ガレスに話を通すと、「たまには街の空気でも吸ってこい」と、あっさり休みをもらえることになった。
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翌日、俺はノーラの荷馬車に同乗して近くの街へ向かった。野営地を離れて石畳の道を進むのは久しぶりのことだった。
街は市の立つ日らしく、人の声と呼び込みと荷車の軋む音とで賑わっている。香辛料と、焼いたパンと、家畜の匂いが入り混じる。グレンフォードの質素な市とは比べものにならない、規模も熱気も段違いの喧騒だった。
ノーラが向かったのは、革製品を扱う問屋だ。
店の奥は薄暗く、湿った革の匂いが立ちこめている。樫の樹皮で鞣した革の酸っぱくて苦い匂い。梁から吊るされた革が、幕のように何枚も垂れている。
店主は愛想笑いを浮かべながら革の束を台の上に積み上げた。
「これはこれは、ノーラ嬢」
ノーラは返事をせず小さな革の切れ端を取り出した。前回の仕入れの時に取っておいた、見本のようだ。抜け目のない奴だ。
俺は束の一枚を引き抜いた。
「少し、見せてもらっても」
「どうぞどうぞ。お客さんも、革にお詳しいんで?」
「まあ少しだけ」
まず、見本を新しい革の端に重ねた。厚みが目に見えて違う。見本は銅貨を三枚重ねたほどの厚み。束の方は二枚と少しだ。
「厚みが足りないように見えます。これだと、縫い合わせた時の強度が足りるかどうか」
「それと」
俺は腰から小刀を抜いた。
「端を少し切らせてもらえますか。切った分は買い取ります」
店主が渋い顔で頷く。革の縁を、薄く削ぎ落とした。切り口を、光にかざす。
見本の切り口は、端から端まで均一な濃い茶色だった。だが、束の革の切り口には、中央に、細く灰色の筋が走っている。
「芯が鞣しきれてません。樹皮の液に漬ける日数を、削りましたね」
「……」
「見た目は表も裏も同じです。でも、雨に濡れると、芯から傷んで割れます。馬具が切れるのは、一番力のかかる時です」
ノーラが、静かに腕を組んだ。
最後に革の束を、持ち上げてみた。思っていたより重い。そして、指にひやりとした感触が残る。
「湿らせてありませんか」
「……なんの話で」
「この革、水を含ませて重さを稼いでる。二日も乾かせば、一割は軽くなる。目方で値を決めるなら、その分こちらが損をします」
店主の顔が気まずそうに歪み、目を逸らした。
長い沈黙の後、店主は観念したように肩を落とした。
「……分かりましたよ。次からは、きちんとしたものを」
「ええ、じゃあ」
「次からじゃ、遅いわ」
俺がまとめようとしたところに、ノーラの声が割り込む。
ノーラの声は、静かながら毅然としていた。
「今回の分は、品質に見合う値に直してもらう。二割引き。それが嫌なら他を当たる」
店主は何か言いかけて、結局、頷いた。その後も色々交渉しているようだったが、俺にわかることは少なかった。
浅知恵はあっても、度胸や交渉事は彼女には敵わないな。
店を出ると、ノーラがこらえきれないといった様子で笑い出した。
「さっきの店主の顔、見た?にしても、あんた上手く詰めたね。あそこまで気付ける奴、商会にもそういないんじゃない?」
いないことは無いだろう。俺は傭兵団でよく確認しているから気付いただけで、革に詳しい奴ならすぐに気付くレベルだ。
「たまたまさ」
「そういうのを、見る目があるって言うんだって、前にも言ったでしょ」
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用件を終えた後、ノーラは市の屋台で串焼きを二本買って、片方を俺に差し出した。
「奢ってやるよ。今日の働きの分」
「別に俺は大したことはしてない」
「いいから、食っときなさいよ」
串焼きを頬張りながら、俺たちは市の外れの石段に腰を下ろした。
「あんた、将来のこと考えたことある?」
唐突な問いに俺は串を咥えたまま、ノーラの横顔を見た。
「どうしたんだよ、急に」
「あたしは、いつかは自分の店を持ちたいんだ。親父の商売の下請けじゃなくて、自分の判断で、自分の儲けを取れる店。……まだ、誰にも言ったことないけど」
彼女の目は市の喧騒の向こうを見ているようで、どこか遠くを見ているようでもあった。
「いいんじゃないか。ノーラなら、できそうだ」
「あんたは?」
俺は、少し考えてから正直に答えた。
「分からない。今はこの団のことで精一杯さ」
「ふうん」
ノーラはそれ以上は深く聞いてこなかった。ただ、串の最後の一切れを口に放り込むと、立ち上がって伸びをした。
「まあ見てなよ。あたしは、絶対に自分の店を持つから」
「楽しみにしてるよ」
そう答えると、ノーラは珍しく照れたような顔をして、さっさと歩き出した。俺は、その背中を追いながら、小さく笑った。
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夕方、薪を割っていると、どこからか燻製肉を焼く匂いが漂ってきた。
その匂いに、ふと、グレンフォードの冬支度の記憶が重なった。父が薪を割り、母が燻製小屋の番をしていた、あの頃の光景。
以前なら、この手の記憶は胸の奥を鋭く抉るものだった。だが今は、不思議と、静かな温かさを感じる。痛みが消えたわけではない。ただ、一年という時間が、その痛みの角を、少しずつ丸くしてくれたのかもしれなかった。
「――ウィル兄、焚き火の番、代わりましょうか」
新入りの少年――名前はトビーとかいったか―がそう声をかけてくる。俺は薪を一本くべながら、首を振った。
「いや、いい。もう少しこのままで」
燃え上がる炎を眺めながら、俺はそんなことをぼうっと考えていた。




