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グランヴェール王国記 ―農民から王への道―  作者: 厨


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第六話 初の大仕事 前編

 麦の匂いがする。遠くから鐘の音が聞こえる。


 何をしていたんだっけ?そうだ、母さんに薪拾いを頼まれてて…あと、父さんは粉挽き場に行くって行ってたっけ。今日は珍しくベーコンが食べられるらしい。朝、母さんが嬉しそうに言ってた。薪も取ってきたことだし、家に帰ろう。

 

「母さん、薪取ってきたよ」


 アグネスは振り向かなかった。俺はなぜだか焦燥感を覚えて近づく。しかし、歩いているはずなのに母さんとの距離はいっこうに縮まらない。それどころか、どんどん遠くなっていく。


「母さ─」


----



 目が覚めた。


 馬車の車輪のすき間からから空を見ると、まだかなり暗い。団員もほとんどはまだ寝ているようだ。隣で寝ていた男のいびきと、遠くで馬が鼻を鳴らす音が聞こえる。俺はしばらく天井を見つめたまま、動けずにいた。


----


「盗賊団だ。ここひと月で、隊商が三つやられてるらしい」


 天幕の中、団長ガレスが、地図代わりに広げた革の上に木の駒を並べながら言った。


 今回の依頼主は塩と織物を運ぶ隊商の主だ。報酬は日当に、荷を無事に届けた時の上乗せ。野盗の巣を叩いた場合は押さえた品の分け前が別に取り決められている。街道の護衛が本筋で、討伐は機会があれば、という仕事だった。


「数は、二十から三十ってところか」


 バートンが腕を組んで駒を睨む。俺は荷袋の点検をしながら、聞くともなしにその話を聞いていた。中身は乾パンと干し肉、替えの弓弦。


 盗賊、か。俺が傭兵団に入って以降は、辺りを転々としつつも主に見てきたのは魔物の討伐で、本格的な人間との戦闘は初めてだった。俺はなんとなくそのことにワクワクしそうになる。


----


 前日のうちに先行させた斥候が、日暮れ前に戻ってきていた。街道の先、崖の上に真新しい踏み跡があり、消したばかりの焚き火の跡と、蹴り落とされた石がいくつも転がっていたという。


「街道の、あの崖に挟まれた狭間を通る。奴らが仕掛けるなら、あそこだろうな」


 周囲の古参傭兵たちが頷く。狭い道の両側に迫る崖――そこを通過する隊商を高所から狙い撃つ。確かに絶好のスポットだろう。


 迂回する道もあるにはありそうだが、日当を考えると隊商主が許さないのかもしれない。


 「団長、こんな谷を通過するのはやはり無茶では?」


 ひとりの傭兵が言った。そもそも、戦力的には俺たち傭兵団の方が上だろうが、隊商の護衛という依頼上、荷を守らなければならず、強行突破となるとかなりの犠牲は避けられないだろう。荷をダメにしてしまうと下手したら赤字の可能性もある。ガレスも思うところがあったのか黙って考え込んでいる。天幕の中は静まる。

 

 「あの、団長」


 気づけば、俺は口を挟んでいた。天幕の隅で荷物の点検をしていた俺に全員の視線が一斉に向く。隣の若い荷物係はギョッとして俺を見ている。俺は一瞬怯んだが、それでも続けた。


 「荷馬車を崖に寄せて防壁にし、クロスボウで反撃するのはどうでしょう」


 「崖下からでは当てようがないし、防御していようがジリ貧になるだけだろう。それに、損害を少なくするために荷物を盾にしては本末転倒じゃないか」


 俺の意見はすぐに古参傭兵から反論を受ける。ビジャリブレみたいな髭面のコワモテ男だ。もちろんこれだけではない。

 

 「はい。しかし、敵が盗賊である以上、荷物を傷つけたくないでしょう。クロスボウは威嚇目的です。別動隊を使います。あらかじめ別動隊を谷より少し手前に待機させ、荷馬車が賊の注意を引きつけているとき、馬車側からの合図で風上から煙幕を焚き、別動隊が賊を強襲します。荷馬車側は、濡らした布や服を用意しておき、それを口に当てながら煙幕に紛れて即座に突破します。」


 濡らした布、というのは煙は目と喉を焼くし、狭い谷に煙が溜まれば、一酸化炭素中毒の恐れもある。布は気休め程度でも、目と喉を守れるだけで違う。しかし、長居は禁物だ。突破は、一気に、短時間で終わらせなければならない。


 「谷の出口にも奴らは待ち構えているだろう。」


 「谷の上の痕跡からして、おそらく賊の7割くらいは谷の上に配置されているものかと思います。賊の規模からして、荷馬車側の戦闘員だけで十分かと。」


 ガレスは怪訝な顔で俺を見ている。まずいな。自信が無くなってきた。前世でみた戦術みたいなのをパクっただけなのだが、机上の空論だと鼻で笑われてもおかしくはない。


長い沈黙の後、ガレスが言った。


「煙は、何で焚く」


「湿らせた藁と、生木の枝。それに、松脂を少し。乾いたものより湿ったほうがよく煙ります」


「煙が出なかったら」


 ガレスの声が、一段低くなった。


「風が変わったり、松脂が湿気て燃えなかったりして、合図を出しても煙が上がらなかったら、どうする」


 もちろん考えていなかった訳では無い。しかしまた、痛いところを突いてくる。さすが団長といったところか。


 引き返すことは厳しいだろう。谷の中で、荷馬車の向きは変えられない。荷を捨てれば、違約金が痛い。そもそも、背中を晒して後退する時間が、一番長く、一番矢を浴びる。


「……引き返しません。煙が出なくても、別動隊は、合図を聞いたら尾根の上から賊を襲います。煙は、そのための目隠しにすぎません。別動隊が動けば、賊は背後を突かれて、矢を荷馬車ばかりに集中できなくなります」


「煙がなくても、賊の注意が割れた分だけ、矢の数は減るはずです。その隙に、荷馬車ごと谷を突っ切ります」


「減るはず、か」


「……はい。」


 もちろん万が一のことだが、その場合になればある程度の犠牲は出るだろう。


 髭面の古参が、何か言いたげに口を開き、そして閉じた。


 ガレスは、地図の上の駒をひとつ指で弾いた。


「損が出ない、とは言わなかったな。そこは、褒めてやる」


「え」


「損の出ない策なんてもんは、ない。あるのは、その損を飲み込めるかどうかだ」


 ガレスは顔を上げて、古参たちを見回した。


「賭ける価値はあるかもな」


 それから、俺を見た。団長の迫力に押し潰されそうになる。


「だがな、坊主。賭ける前に、損を小さくしろ。何が要る」


 俺は、必死に頭を回した。


「……谷に入る前に、風を見極めます。風向きは、夜明けに、布と灰で確かめます。別動隊が所定の位置に着いたら、尾根の上で一度赤い布を振ってもらいます。それが見えるまで、荷馬車は谷に入りません。そこまでなら、やめても損はほとんど出ません」


「谷に入った後は」


「煙が上がっても、上がらなくても、別動隊の鬨の声が聞こえたら、荷馬車は走ります。それまでは、壁の中で凌ぎます」


 ガレスはゆっくりと頷いた。


「合格点だ」


 ガレスはニヤリと笑う。獰猛な笑みは俺まで取って食われてしまいそうで背筋が冷えたが、作戦はなんとか認めてもらえたようで安心した。


「別動隊は、俺が出よう。崖を登るのは慣れてる」

 

 バートンがあっさりと言った。その後はあれよあれよと詳細までガレスと古参傭兵らが決めていった。



----


 決戦の日は、思いのほか早く訪れた。


 バートンの別動隊は、夜明け前の暗がりの中、先に隊商を離れた。人数は十人。斥候が見つけてきた獣道を使い、谷の手前の尾根の裏手に回り込む。背負子には、湿らせた藁の束と、生木の枝、松脂の塊。お前のせいで朝から崖登りだ、と豪快に笑ってバートンは俺の背中を叩いて出ていった。


 残った者たちは、水樽の傍らで、古い外套や布切れを、片端から水に浸していた。俺も、手が冷たくなるまで、それを絞っては配って歩いた。朝は麦粥だけだった。戦の前に酒を飲むな、というのが決まりだった。


 夜が明けると、ガレスは自ら、裂いた布を結んだ竿を立てて風を見た。灰を一つかみ、空へ撒く。灰は、谷の入口から出口の方へ、まっすぐに流れていった。


「風は予定通りだな」


 それでも、荷馬車はまだ動かさない。谷の手前で、俺たちは待った。待つのも仕事のうちだ、と誰かが呟いた。


 日が高くなりかけた頃、尾根の上で赤い布が一度、大きく揺れた。


「位置に着いたか」


 ガレスが短く言った。ここから先が、引き返しの利かない道になる。


 隊商は谷へ入った。


 崖に挟まれた道は、思っていたよりも狭かった。


 そのとき、前方からかすかな音が漏れる。ガレスの号令で、荷馬車を斜めに崖際へ寄せ、壁を作る。馬は縄は繋がれたまま、壁の内側に引き入れ、目隠しの布を掛けて宥める。壁の隙間にはクロスボウを抱えた者たちが屈んで張りついた。


 最初の矢が降ってきたのは、荷馬車を並べ終えて間もなくだった。


 数は多くない。狙いも粗い。だが、矢が荷台の板に突き立つ乾いた音はいやに大きく響いた。崖の上から野盗たちの野次が降ってくる。荷を置いていけ、命は取らん、とか言ってるが誰もそんなことに耳は貸さない。初めて実物の盗賊を見たことに感動しながら、あまりにもテンプレみたいな声だな、と俺は身を潜めながら考えていた。


「撃て。当たらなくていい」


 ガレスの声に、クロスボウが一斉に跳ねた。矢は崖の上へ向かって弧を描き、岩肌を叩いて落ちてくる。当たらない。だが、野次の声が少しだけ小さくなった。こちらにも飛び道具があると知れば、賊は崖の縁から身を乗り出しにくくなる。威嚇とはそういうものだ。


 俺は荷馬車の陰で濡れた布を団員たちの首に掛けて回っていた。誰もが口を結んで空を見上げている。


 待つ時間は、長かった。時折荷馬車同士の隙間を狙って、矢が飛んでくる。


 盾を掲げた者の腕が震え始めた頃、ガレスは腰の角笛を口に当てた。


 短く、二度。


----


 ガレスは唇を結んだまま、崖の上を睨んでいた。


 煙は上がらない。御者たちが手綱を握り直す。クロスボウ兵たちが、静かに腰を落とした。


 崖の上の野次がいつの間にか止んでいた。気づかれたのか。風が変わったのか。


 誰かが唾を飲む音が聞こえた。


 谷の風上、入口に近い崖の縁から、灰色の筋が一本、立ち上った。筋は見る間に太くなり、風に引かれて、崖の上を這い、谷へと流れ落ちてくる。


 野次が止まった。代わりに、咳き込む声と怒号が重なる。


「今だ!」


 ガレスが叫んだ。


 御者たちが一斉に鞭を鳴らす。馬が煙の中へ踏み出した。団員たちは、濡れた布を口に押し当て、荷馬車の脇を駆ける。俺も荷台の縁にしがみつき、布の端を歯で噛みしめていた。


 視界が灰色に塗り潰されていく。目が痛い。喉が焼ける。それでも、荷馬車は止まらない。


 崖の上から、鬨の声が聞こえた。バートンたちだ。煙の向こうで、剣と剣のぶつかる音が弾け、野盗の悲鳴が上がる。矢はいつの間にか、一本も飛んでこなくなっていた。


 ――効いている。


 だが、安堵している暇はなかった。


 煙の切れ目が前方に見える。谷の出口だ。そこに人影がいくつも立ちはだかっていた。数は、七、八人。想定の範囲内だ。その中から、一際大柄な男が、大剣を引きずって前へ出てくる。周囲の野盗たちが、その男を守るように、道を空けた。


「――頭目か」


 ガレスの口の端に、獰猛な笑みが浮かんだ。


「荷駄は任せた。頭目は、俺がやる」


 剣を構え直し、ガレスは迷いのない足取りで煙を抜けていく。その背中は少しも揺らいでいなかった。


 煙の向こうで剣戟の音がいっそう激しさを増している。俺の異世界での初めての戦闘は、佳境を迎えていた。

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