第三話 神父さん
検査の翌日、村を包んでいたのは、思いのほか静かな空気だった。
「今年は、一人もいなかったってさ」
俺が水を汲みに桶を持って井戸へ向かうと、井戸端でそんな話を耳にした。今年の検査で、グレンフォードで才能ありと判定された子供は、結局一人もいなかったらしい。しかし、大人たちの落ち着きを見るに、それはいつものことなのだろう。
「うちの子は、少しだけ結晶が光ったって聞いたんだが」 「ああ、俺も見たよ。だが検査官様は、『これでは足りん』とさ」
どうやら 結晶に微かな反応があっても、それだけでは合格にはならないらしい。基準は思っていたより厳しいようだ。
村の大人たちは、それでもどこか諦めたような、いつもの調子に戻っていく。5年に一度の祭りが終われば、また畑と賦役の日々が続くだけだ。
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「ウィル、ちょっと残っていきなさい」
日曜のミサの後、片付けを終えた俺に、オーウェン神父がそう声をかけた。いつもの読み書きの稽古かと思ったが、様子が少し違う。
「ウィル、気にしてるだろう」
「……何をですか」
「検査のことだよ」
俺は、曖昧に笑って誤魔化そうとした。だが、神父の目は誤魔化せなかったらしい。
「別に、大丈夫です。才能がなくても、畑を継げますから」
「そうか」
オーウェンは、それ以上追及しなかった。代わりに、祭壇の奥、普段は鍵のかかっている小部屋に俺を招き入れた。
小部屋に足を踏み入れると、まず鼻についたのは、埃と、古い紙が放つ独特の匂いだった。窓は一つきりで、しかも小さく、差し込む光は心許ないほど細い。その光の筋の中を、埃がゆっくりと舞っているのが見えた。
棚は木製で、隅の方は虫に食われたのか、小さな穴がいくつも空いている。棚板には薄く埃が積もり、オーウェンが手を触れるたびに、白っぽい粉がふわりと舞い上がった。並んでいるのは、書物が数冊と、蓋の閉じた木箱がひとつ、それに、用途の分からない古い燭台。
部屋の隅には、木製の小さな椅子が置かれている。神父は、その埃を袖で軽く払ってから、俺にそこへ座るよう促した。
「これは、本来ならお前のような立場の者には見せられないものだ。だが――まあ、口止めはしておくよ」
「これは?」
「魔術についての覚書だ。私が若い頃、王都の神学校にいた時分に写させてもらったものでな」
俺は思わず身を乗り出した。この世界に来て、体系立てて魔術について書かれたものを目にするのは初めてのことだった。いわゆる魔術書…というほどのものでは無さそうだが、それでもロマン心を揺さぶる。
「魔術というのは、実のところ、まだ随分と新しいものらしい」
オーウェンはページをめくりながら、そう語り始めた。
「この書物によれば、今のような、国が才ある者を集めて育てるという仕組みが整ったのは、ここ百年のことだそうだ。それ以前は――」
「それ以前は?」
「在野の者たちの技だった、とある。隠者だとか、巫女だとか、そういった者たちが、独自に会得していたらしい。今でも、辺境の一部には、そういう古い伝承を持つ土地があるという噂も聞く」
民間伝承?卑弥呼みたいなものか。
「なぜ、国が集めるようになったんですか」
「戦で、決定的な働きをした者がいたそうだ。それを見た当時の王が、これは野に放っておくには惜しい、危うい力だと考えた――ということらしい。真偽のほどは、私にも分からんがね」
そりゃあ大変だ。この世界の魔術というものがどれほどかはわからないが、火縄銃でさえ軍での運用があれほど圧倒的な戦果をもたらしたのだから、魔術なんかが本格的に運用されて戦争へ使われるなら、かなりのものだろう。
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「あの結晶は、何を測っているんですか」
俺は、昨日目にしたばかりの、検査の結晶を思い出しながら尋ねた。
「それがな、正直なところ、誰にもはっきりとは分かっていないらしい。魔術そのものが、まだ理屈で説明しきれていない代物なんだ」
「そんないい加減な」
「いい加減、というより――若い、と言うべきだろうな」
オーウェンは静かにそう言った。
「お前が学んでいる読み書きにしたところで、何百年、何千年とかけて磨かれてきたものだ。だが魔術は、まだ百年にも満たない。基準が曖昧なのも、無理からぬことかもしれん」
若い、か。それなら魔術が発展していけば俺が将来的に魔術を使えるようになる可能性もあるのか?あの結晶が測っているものが「魔力」みたいな概念なら、それも厳しいのだろうか。
「今使われている魔術というのは、どういったものなんですか」
「私も詳しくはないが…火を放つ、風を起こす、そういった、単純で直接的なものがほとんどだと聞く。込み入ったことは、まだできんそうだ」
「治療とか、遠くの人と話すとか、そういうのは」
「それができれば、大したものだろうな。だが、少なくとも今の魔術師たちには、そこまでの芸当はできんそうだ」
なるほど。今のところは…と思いそうになったが、それでも火を放ち風向きを変えれるとなると戦闘ではかなりの脅威かもしれない。
神父は、少し笑いながら本を閉じた。
「もっとも、これは私が若い頃に写した、ずいぶん昔の覚書だ。今はもう少し、進んでいるのかもしれんな」
「――どうだ、少しは気が晴れたか」
「はい。ありがとうございます、神父様」
俺は、素直にそう答えた。才能がなかったという事実は、何一つ変わっていない。だが、魔法が使えなければ戦えない、というほどでも無いのかもしれない。そもそも、農民の俺に戦闘など縁は無さそうだが。
「ウィル」
「はい」
「才能があろうとなかろうと、お前の頭の良さは、村の誰も持っていないものだ。それを、腐らせるなよ」
前世の年齢のアドバンテージがあるだけのことが、頭の良さと言えるのだろうか?神父の言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。
小部屋を出ると、外はもう夕暮れだった。橙色の光が教会の石段を明るく染めている。
俺は、その光の中を歩きながら、頭の中で今日聞いた話を反芻していた。
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教会を出て、畑の脇を抜け、井戸の前を通り過ぎたところで、家の前に人影が見えた。腕を組んで、こちらをじっと見ている、大柄な影。
「父さん」
「ウィル、遅かったな」
エドガーはそれだけ言った。わざわざ待っていたのだろうか。
「神父様に、ちょっと本を見せてもらってたんです」
「そうか」
それ以上、エドガーは何も聞かなかった。ただ、家の中を指で示す。
「飯、冷めると母さんが怒るぞ。」
「はーい、父さん」
俺は年柄も無く、子供らしく声を弾ませてそう返すと、夕日に紅く染まった道を、家に向かって駆け出すのだった。




