第二話 検査の日
季節は巡り、気づけば俺もついに13歳になっていた。劇的なことは無く、ただ牧歌的な農民生活を続けていた。畑を耕し、家畜の世話をし、オーウェン神父のもとで文字を学ぶ――そんな毎日が4年間積重なっただけだ。
それでも、その積み重ねの中には、いくつか覚えておきたい記憶がある。
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「ウィル、こっちの穂を見てみろ」
父、エドガーが、麦畑の一角にしゃがみ込んで、俺を手招きした。
「これは駄目な穂だ。色がくすんでるだろう」
「病気か何かですか?」
「そうだ。放っておくと、隣の株まで広がる。厄介なことになる前に、抜いておくんだ」
俺はエドガーの隣にしゃがみ、言われた通りに病んだ穂を抜いていった。
単純な作業だったが、この世界に来る前はこんな作業をするのは小学校の稲作体験とやら以来無かったことだ。前世の記憶を持つ俺にとって、この世界のたいていのことは「すでに知っていること」の延長線上にあったが、こういう、実際に手を動かしてみないとわからない経験だけは別だった。父から教わって、初めて分かることだらけだ。
前世では周りと比べて嫌になっていたが、思えば中学までは勉強が好きだった気がする。久しぶりにそれを思い出した。
「よく見つけられるようになったな」
エドガーがぽつりと零した。俺もなんだか気分がよかったし、エドガーも機嫌が良かったように思う。
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オーウェン神父のもとでの学習は、この四年でずいぶんと進んだ。祈祷文の丸暗記から始まり、今では簡単な帳面――教区の記録の下書き程度なら、俺一人でも任されるようになっている。
「お前がいると、随分と助かる」
オーウェン神父はそう言って、細い目を更に細めた。もう60を超えているという神父の白髪は、この数年でさらに増えたように見える。村人たちからは慕われ、頼りにされているじいさんだが、板挟みの苦労も多いのだろう。
時折、神父より装飾の多い法衣を着た、見慣れない男が教会の裏手で神父と言い争っているのを見る。中央から派遣された聖職者だろうか。知らない単語も多く、詳しくは分からなかったが。
「難しい話をしているんですね」
男が立ち去った後、俺がそう声をかけると、神父は一瞬だけ疲れた顔を見せ、それからいつもの穏やかな笑みに戻った。
「お前が気にすることじゃあない。さあ、続きをやろうか」
俺はそれ以上何も聞かなかった。
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そして今年、俺は13歳になった。
5年に一度――正確な周期は俺が生まれる前後の事情でわずかにずれているらしいが――王都から魔術院の検査官がやってくる年だ。前回来たのは4年前、10歳を迎えた子供たちが検査を受けたが、俺はまだ9歳で、子供たちが水晶に手を当てているのを、エドガーにおんぶされながら見ているしかなかった。あの時の羨ましさと焦れったさの入り混じった気持ちを、よく覚えている。
今度こそ俺の番だ。
「検査官様がいらっしゃるぞー!」
村の外れからそんな声が響いたのは、収穫を終えたばかりの朝だった。グレンフォードの空気が、一気に色めき立つ。代わり映えの無い村での生活では、一大イベントで大騒ぎだ。
「ウィル、聞いたかい! ついにお前の番だよ!」
アグネスが俺の肩を掴んで揺さぶる。俺自身、平静を装いながらも、内心ではひどく落ち着かない気分だった。
「うちの子に才能があったら、税が軽くなるかもしれないねぇ」 「隣の村じゃ、去年ようやく一人出たとか」
広場に集まった大人たちの噂話は、期待と興味とで、いつもより熱を帯びていた。子供たちもいつになく興奮した様子で駆け回っている。
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「アシュフォード様のお膝元にも、ようやく本物の検査が来たか」
広場に組まれた台の脇で、代官らしき男が検査官を出迎えながらそう零していた。この地を治めるアシュフォード家は辺境の小さな家門だと村人たちの噂で聞いたことがある。王都からすれば、優先順位の低い土地なのかもしれない。
台の上には拳ほどの大きさの透き通った結晶が置かれていた。内側にうっすらと燐光のようなものが揺らいでいる。何をどう測っているのか、検査官自身、正確なところは分かっていないという噂もあるが、それでも珍しげなその結晶は人々の好奇心をそそるものだった。
「次!」
従者の抑揚のない声が、子供たちの名を呼んでいく。同い年の子供が、一人また一人と結晶に手をかざしていく。ほとんどは何も起こらない。時折、微かに結晶が熱を持つ子がいて、そのたびに検査官が興味深そうに眉を上げ、羊皮紙に何かを書きつけていた。
その様子を眺めながら、俺は妙に冷静な自分に気づいていた。四年間、指折り数えて待っていたはずのこの日を、いざ迎えてみると、思っていたほどの高揚感はない。ただ、静かな緊張だけがあった。
「――ウィル」
名を呼ばれ、俺は前に出た。
結晶にそっと手をかざす。
冷たい。
一秒。二秒。三秒。四秒。
俺は心の中で結晶に語りかけた。頼む、少しでいい、火種ほどの熱でいいから。
五秒。六秒。
時間が無い。手汗が滲む。
七秒。
「――反応なし」
検査官は俺の顔すら見ずにそう告げた。従者が何の感慨もなさそうに羊皮紙に印をつける。
それだけだった。
俺は台を降りた。誰も俺のことなど気にしていない。次の子供がもう名を呼ばれている。
四年越しの期待が、たった七秒で終わった。落胆というより、どこか納得に近い感覚だった。まあ、やっぱりそう簡単にはいかないか、
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その夜の夕飯はいつもより少し品数が多かった。
「才能なんぞ、なくたっていいさ」
エドガーがこういうことを言うのは珍しい。
「お前は字も読める。村の誰よりも頭が回る。畑を継いでくれるなら、それで十分だ」
「――実を言うとな」
エドガーは少し間を置いてから、続けた。
「俺も、子供の頃に検査を受けたことがある。もちろん何も起きなかった」
初めて聞く話だった。エドガーがそんな顔をして笑うのを、俺は久しぶりに見た気がした。
「そうだよ。魔法なんか使えたって、どうせ麦踏みの何の役にも立ちゃしないんだから」
アグネスが優しい手つきで、俺の椀に多めのスープをよそった。
俺は、二人の顔を見ながら、少しだけ泣きそうになるのを堪えた。前世の記憶を持つせいで、どこか物事を斜に構えて見ていた俺だが、こういうのには弱いらしい。年だろうか。
窓の外、牛小屋の方から牛角の間延びした鳴き声が聞こえてくる。相変わらず気楽そうな奴だ。
まあ、それでもいい。魔法が使えなくても、俺の異世界での日々は続いていく。畑を耕し、牛角の世話をし、神父のもとで文字を学び――そういう、なんでもない毎日だって、悪くはないだろう。




