第一話 転生しました
鶏の声で目が覚めるのも、すっかり慣れたものだ。
藁を敷いた寝床から身を起こすと、隙間だらけの板壁から朝の白い光が幾筋も差し込んでいる。土間はかすかに残り火で赤くなっている。俺――ウィルは、その光を眺めながら、朝の眠気に少しだけぼんやりした。
転生したての頃は戸惑ったが、9歳にもなった今は現実が見えている。
この村、グレンフォードは、それなりに大きな村だ。
教会を中心に、百戸近い家々が並び、少し歩けば粉挽き小屋があり、鍛冶屋の火が朝から立ち上っている。市のある日には、隣村からも人が集まってくる。
前世で特に詳しいわけでもなかったが、規模感からしておそらく、そこそこ栄えている農村の部類なのだろう。人々が農作業をして、昼になると教会の鐘がゴーンと鳴る。まさしく教科書で見たような中世ヨーロッパの世界だ。
もっとも、グレンフォードが栄えているといっても、餓死者が滅多に出ない、くらいの意味でしかない。21世紀の価値観でいうなら、なかなかに不便な暮らしだった。
「ウィル!いつまで寝てるんだい、鶏より鈍いね!」
母――アグネスの声が、土間の向こうから飛んでくる。俺は慌てて藁を払い、外へ続く戸口へ向かった。
「ウィル、今日も麦の間引きかい」
父――エドガーが、鍬を担いで戸口を出ながら言った。くすみのかかった短い金髪に、汚れた作業着。一見、真面目なように見えて、どこか抜けている所がある。
しかし、俺にとって頼れる父なのは間違い無い。俺が手伝わされている農作業や家畜の世話、雑用なんかも全てエドガーから教わったものだ。
「賦役の日じゃなかったっけ」
「それは明後日だ。今日はうちの畑だよ」
賦役――領主の直営地での無償の労働奉仕。週に何日かは、自分の畑ではなく、領主、アシュフォード様の畑を耕さねばならない。前世の記憶がなければ、俺もきっと「そういうものだ」と思っていただろう。今の俺は、「そういうものだ」と思っている村人たちの中で、悲しいことに一人だけ「理不尽な制度だ」と分かっている。本を積み上げて塀の外を見ているあの風刺画みたいな状況だ。
もっとも、口に出したことは一度もない。俺はこの世界でも前世でも、「賢い」と「生意気」は紙一重だと、身をもって学んでいた。
もちろん、俺もここに来たばかりの頃は勇者に選ばれて…なんてことも妄想したし、適当な木の棒を振ってみて、秘められた剣術の才能が無いか、なんてことも考えていた。
だがあいにく、どうやらこの世界に勇者なるものは存在しないらしく、棒切れを振ってみても斬撃が飛ぶ、なんてこともなく、俺の手が傷だらけになっただけだった。
しかし、俺はまだ諦めていない。どうやらこの世界には、魔術は存在するらしく、この国には魔法学院というものがあるそうだ。
そして、5年に1度、魔術の適正検査官が王都からやってくる。前回来たのは1年前。俺が8歳のとき。10歳を迎えた子どもたちが順番に水晶に手を当てていくという儀式だ。前回は適正者はいなかったので、適正者の場合どうなるのかは分からないが、たぶん光ったりするんだろう。
4年後、俺は13歳。つまり次回の検査を受けることになる。転生ボーナスとやらで魔術の才能とか秘められているのだろうか?正直俺はワクワクしていた。
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一方、俺も何もせず農民生活を堪能していたわけではない。
「井戸の水は、必ず一度沸かしてから飲むこと」
これが、俺が家に持ち込んだルールだ。信じがたいことに、この村では喉が渇けば井戸水をそのまま飲むか、恐らくビールの製造過程で殺菌が済んでいるのだろうか、薄めたビールのようなものを飲む。
言わずもがな井戸水は不衛生だ。さらに辛いことに、高校生で引きこもりだった俺に酒なんて縁の無いものだったから比較のしようもないが、この薄めたビールはクソみたいにまずい。まずい上に一丁前に酔わせてくるんだから大変だ。
俺は水の煮沸を力説した。
最初はアグネスに「そんな面倒くさいことを」と渋い顔をされたが、試しにしばらくやってみると腹下しが減ったので採用されることとなった。
「なんであんたは、そういうことを知ってるんだろうね」
俺は「村の誰かから聞いた」とか誤魔化していた。
実際、この世界の衛生観念は現代社会に生きるZ世代の俺からするとかなり悪いものだと言えるだろう。前世では俺は引きこもりなのに虫が苦手なせいで部屋は小綺麗というなんとも不合理な性分をしていた。
家の床は固めた土に藁を敷き詰めた程度だし、冬の間、家畜と共に寝ることも当たり前にある。
うちには牛が一匹おり、俺は勝手に「牛角」とあだ名をつけている。こないだはエドガーに牛角に話しかけているところを見て怪訝な顔をされた。この世界で悪魔憑きとか言われたらシャレにならないな。
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週に一度、日曜のミサの後、俺はオーウェン神父の元へ通っていた。
最初のきっかけは、単純な好奇心だった。祭壇の脇に控える侍者の仕事、蝋燭を灯し、聖具を並べ、鐘を鳴らすとかを手伝ううちに、神父が教区の記録をつけているのを見て、俺は目を奪われた。
文字だ。
この世界に来て、俺が一番驚いたのは、魔物でも、賦役の理不尽さでもなく、「文字を知っている人間が、驚くほど少ない」という事実だった。村で読み書きができるのは、オーウェン神父と、代官の書記くらいのものだ。
「お前は、覚えが早いな」
オーウェン神父は、羊皮紙の切れ端に書かれた祈祷文を指しながら、そう零したことがある。俺にしてみれば当然だった。読み書きというもののおおまかなルールを俺はすでに前世で知っている。農民とはいえ、どこかで役に立つことがあるかもしれないし、俺としても学習意欲もあった。
この世界の言語は幸い、どうやら構造的には英語に近いようだ。単語のスペルや文構造などからなんとなく伝わってくる。最も、日本語と英語以外まともに分からないんだから他の言語と比較しようも無いが。
それでも、オーウェンの目には「不思議な子供」に映っているらしかった。
「神父様の教え方が上手いからですよ」
「そんな世辞を言う年齢でも無いだろうに…」
オーウェンは苦笑しつつも優しく頭を撫でる。
わざとらしかったか。俺くらいの年齢でおっさんに頭を撫でられてもという感じだが、ここは子供ならではの特権を甘受しておく。
オーウェンは60代くらいだろうか。司祭というやつらしい。グレンフォードの人々からも頼りにされているいい爺さんだが、なかなかに苦労していることは、まばらな白髪からも読み取れる。
この教会の大本、聖教会はこの国の国教であり、前世で言うところのローマ教会的な権力を持っている。地域の司祭と中央の人間では価値観が違うこともあるのだろう。派遣されたであろう聖職者風の風貌の人間と揉めているのも観たことがある。
けれど、グレンフォードは栄えてはいるとはいえ魔物の出る地域の辺境の村。中央の教会の人間が来ることはまれだ。
魔物、 森の奥には、魔物がいる。
これは、この村では当たり前すぎて、誰もわざわざ口にしない事実だった。牙の生えた大熊のような獣が、時折、森の際まで下りてくる。年に何度かは、家畜が襲われる。もっと稀に、人が犠牲になる。村人が、どこそこの誰々が死んだ、とかを1,2回聞いたことがある。
一応、自警団や、金で雇われる傭兵団なんかも存在するらしいが、俺は魔物討伐の現場に居合わせたことがないので詳しいことはわからない。異世界に来たからには見てみたいものだ。
年に数回単位で化け物みたいな獣が出てくるというのに、それでも村では人々は相変わらず畑を耕し、変わらず市を開いていた。前世ではテレビを見て、クマこえーなんて言ってた俺からすると、なかなかに信じられないことだ。
「森には近づくんじゃないよ」
アグネスの口癖だった。俺は素直に頷きながら、内心で「その理屈で言うなら、そもそもこんな立地に村を作るな」と思っていたが、もちろん口には出さなかった。




