第2章 第99話 金が入った翌日
82,800ドルを手に入れた翌日の昼。
悠斗は銀色のセダンを走らせていた。
助手席には蓮、後部座席にはアキラが座っている。
向かっているのは、昨夜二人の車を残してきた有料パーキングだった。
現金回収の仕事に使った薄茶色のセダンとは別の場所だ。あの車を確認しに行くつもりはなく、今日は自分たちの車を取りに行くだけだった。
「あるかな」
蓮が窓の外を見ながら言った。
「普通に停めただけなんだからあるだろ」
アキラが後部座席から返す。
「レイザーだぞ?」
「知ってる」
「足回りに金かけたばっかなんだぞ?」
「それも何回も聞いた」
蓮は少し不満そうに助手席へ深く座り直した。
「お前、自分のクーペは心配じゃないの?」
「心配だけど、お前ほどじゃない」
「何だそれ」
「俺は車を信じてる」
「意味分かんねえよ」
悠斗は二人のやり取りを聞きながら、小さく笑った。
有料パーキングの入口を曲がる。
「あった」
今度はアキラが先に言った。
青いレイザー。
少し離れた場所には黒いクーペ。
二台とも昨夜停めた場所に、そのまま残っていた。
悠斗が車を止めると、蓮はすぐに降りる。
「普通にあったじゃん」
「確認するまで分かんねえだろ」
蓮はレイザーを軽く見回してから運転席のドアを開けた。
アキラも自分の黒いクーペへ向かう。
「この後どうする?」
悠斗が聞いた。
「飯」
蓮が即答した。
「まだ昼だぞ」
「昼だから飯だろ」
「それはそうだけど」
アキラがスマートフォンを見る。
「ナナたちも呼ぶ?」
「もう連絡してる」
「いつの間に?」
「さっき」
「俺たちに聞けよ」
「どうせ来るだろ」
その予想は当たっていた。
◇
一時間も経たないうちに、五人は南部のダイナーで揃っていた。
昨日の仕事について反省会をするでもなく、次の犯罪について相談するでもない。
ただ昼飯を食べに来ただけだった。
「で、今日何するの?」
ナナがストローで飲み物を混ぜながら聞く。
「特に決めてない」
蓮が答えた。
「なのに呼んだの?」
「暇だったから」
「私も暇だったけど」
「じゃあいいじゃん」
ナナは少し考えたあと、笑った。
「まあ、いいけど」
アキラがポテトを一本つまむ。
「服でも見に行かない?」
「また?」
悠斗が聞く。
「最近ちゃんと見てないし」
「俺は車見たい」
蓮が言った。
「お前はいつもじゃん」
「金入った次の日に中古車屋見るの楽しいだろ」
ナナが眉を上げる。
「買うの?」
「見るだけ」
「その言葉、信用できない」
蓮は否定しなかった。
悠斗は残っていた飲み物を一口飲む。
自分から車を買い替えようと思っていたわけではない。
銀色のセダンに大きな不満もない。普段使いには困らないし、それなりに気に入っている。
それでも、車を見ること自体は嫌いではなかった。
「行ってみる?」
悠斗が言う。
蓮がすぐに笑う。
「決まり」
◇
向かったのは、中央地区から少し外れた大通り沿いの中古車販売店だった。
金属製のフェンスに囲まれた広い展示場へ、何十台もの車が並んでいる。
安いコンパクトカー。
年式の古いセダン。
大きなSUV。
ピックアップ。
スポーツカー。
奥には高級車ばかりを集めた一角もあった。
三台を駐車場へ入れ、五人で展示場を歩いていく。
「これ安い」
ナナが小さなハッチバックの値札を見る。
「買う?」
アキラが聞いた。
「いらない」
「即答じゃん」
「今は車いいかな」
蓮が振り返る。
「でもナナ、そろそろ自分の足あった方が楽じゃね?」
「それは思ってる」
意外な返事に悠斗もナナを見る。
最近は五人で動くことが増え、ナナは誰かの車へ乗せてもらうことが多い。仕事の見張りや調査でも、自分で自由に移動できれば便利な場面は確かに増えていた。
「じゃあ買えば?」
アキラがハッチバックを指差す。
「だから、車は別にいいの」
「じゃあ何が欲しいんだよ」
ナナは少し先へ視線を向けた。
展示場の端、別の区画に数台の中古バイクが並んでいる。
「あっち」
「バイク?」
悠斗が聞く。
「うん。最近ちょっと気になってる」
「意外」
「そう?」
「ナナ、車の方が好きそうだった」
「乗せてもらうなら車の方が楽だけど、自分で持つならバイクの方が面白そう」
ナナはそう言いながら、黒いネイキッドバイクの前で足を止めた。
車を見ている時より明らかに興味がありそうだった。
「これ格好よくない?」
「そっちなんだ」
アキラが笑う。
「まだ買わないよ」
「俺と同じじゃん」
蓮が言う。
「一緒にしないで」
「なんでだよ」
ナナは値札を覗き込みながら、しばらくバイクを眺めていた。
悠斗は少し意外に思いながらも、悪くない気がした。
ナナが一人で街を走り回って情報を集めている姿を想像すると、確かに車よりバイクの方が似合うかもしれない。
少し先では蓮が赤いスポーツカーを眺めている。
「これ速そう」
「レイザーあるだろ」
悠斗が言う。
「見るのは無料」
「買わないんじゃなかったの?」
「買うとは言ってない」
シオンは特に気になる車もないらしく、少し後ろからついてくる。
悠斗も最初は軽い気持ちで展示車を眺めていた。
けれど、高級車が並んだ一角へ入ったところで、ふと足が止まった。
「……これ」
低く長いボンネット。
後ろへ滑らかに流れるルーフライン。
派手なエアロも、大きなウイングもない。
それでも、ただのクーペではないことは一目で分かった。
車体は深いダークグリーン。
日陰では黒に近く見え、陽が当たった部分だけ緑が浮き上がっている。
フロントガラスの内側に車名が表示されていた。
――《ARDEN VELOCE》。
「アーデン・ヴェローチェじゃん」
後ろから来た蓮が声を上げる。
悠斗は車から目を離さないまま聞いた。
「知ってる?」
「そりゃ知ってるよ。アーデンのGTだろ」
アキラも横へ並ぶ。
「これ高いやつじゃない?」
「新車なら120,000ドル」
蓮が何気なく答えたあと、フロントガラスの値札を見る。
「中古でも普通はそれなりにするけど……」
そこで言葉が止まった。
悠斗も同じ場所を見る。
39,800ドル。
「……安くない?」
「安い」
今度は蓮の返事が早かった。
「新車の三分の一くらいじゃん」
アキラまで値札を覗き込む。
バイクを見ていたナナも戻ってきた。
「39,800ドルって、この車ならそんなに安いの?」
「安いと思う」
蓮はヴェローチェの周囲を歩き始めた。
悠斗も自然に後を追う。
外装には目立つ傷がない。
ホイールも綺麗だ。
窓越しに見える内装は黒で統一され、シートやドアの一部にはレザーが使われている。
年式相応のわずかな使用感はあるものの、目立つ擦れやひび割れはなく、大切に扱われてきたことが分かった。
「中も結構綺麗だな」
アキラが言う。
「距離は?」
蓮が表示を確認する。
「そこそこ走ってる。でも、この値段なら全然ありだな」
「何かあるんじゃない?」
ナナが疑う。
「事故車とか?」
悠斗も少し気になった。
値段だけを見ると、確かに安い。
だが車そのものは、かなり好みだった。
低い車体。
派手すぎないのに存在感のある形。
黒いレザーを使った落ち着いた内装も、今乗っている銀色のセダンとはまるで違う。
正直、かなり格好いい。
ただ一つ。
「……色がなあ」
悠斗が呟く。
「好きな色に塗装すれば?」
蓮が当然のように言った。
「簡単に言うなよ」
「だって車は気に入ってるんだろ?」
「それはかなり」
悠斗はダークグリーンのボディをもう一度見る。
「でも、この色はあんまり好きじゃない」
「じゃあ余計に塗ればいいじゃん」
アキラが笑う。
「結構いい色だと思うけどな」
ナナも車体を眺める。
「悪くはないんだけど、自分で選ぶなら違うかな」
「何色?」
アキラが聞いた。
「白かな」
「白?」
「うん」
悠斗は窓越しに黒いレザーシートを見る。
白いボディに黒い内装。
それだけでも今よりずっと自分の好みに近い。
けれど、白が頭に浮かんだ理由はそれだけではなかった。
前世でよく見ていた配信に、これとよく似た高級GTが何度も登場していた。
乗っていたのは、悠斗が特によく見ていたギャングの一つ。
その組織のカラーは白だった。
白で統一された車が何台も並び、その中に、目の前のヴェローチェによく似たGTが混じっている。
強盗へ向かう時。
仕事を終えて拠点へ戻る時。
何の目的もなく仲間同士で街を流している時。
悠斗はそんな光景を何度も画面越しに見ていた。
同じ車ではない。
ここも、あの配信の世界ではない。
それでもヴェローチェの形を見ていると、白い車体が自然と頭に浮かぶ。
「白の方が、この黒い内装にも合いそうだし」
悠斗が言う。
蓮が笑った。
「もう完成形まで考えてんじゃん」
「だから、まだ買うって決めてないって」
そこへ店員らしい男が歩いてきた。
「ヴェローチェ、気になります?」
悠斗は少し迷ってから頷いた。
「ちょっと」
「それ、かなり程度いいですよ」
蓮がすぐに尋ねる。
「事故歴あります?」
「大きな事故歴はありません。前のオーナーも丁寧に乗ってたみたいで、入ってきた時から状態は良かったですね」
ナナが値札を見る。
「じゃあ、なんで39,800ドルなんですか?」
「年式と走行距離ですね。それと、この色です」
「色?」
「ダークグリーンって、好きな人にはかなり刺さるんですけど、黒や白ほど売れやすくないんですよ。早めに動かしたいので、この価格にしてます」
「新車で120,000ドルなのに?」
アキラが改めて聞く。
「もちろん現行の新車と単純には比べられませんよ。この個体は年式も落ちていますし、それなりに距離も走っています。ただ、状態を考えればかなりお買い得だと思います」
「なるほど……」
悠斗はもう一度ダークグリーンのボディを見る。
「車としてはおすすめですよ」
店員が運転席のドアを開けた。
「座ってみます?」
「いいんですか?」
「もちろん」
悠斗は少し緊張しながら運転席へ腰を下ろした。
ドアを閉じると、外の音が一段遠くなる。
低い着座位置。
身体を包む黒いレザーシートは適度に張りがあり、座った瞬間から銀色のセダンとは違う感触が伝わってくる。
レザー特有のわずかな匂いも残っていた。
ダッシュボードも黒を基調にまとめられ、余計な装飾は少ない。それでいて触れる部分の質感には安っぽさがなく、120,000ドルの新車価格を持つGTらしい落ち着いた高級感があった。
悠斗はステアリングへ両手を置く。
「……いいな」
思わず声が漏れた。
「絶対気に入ってるじゃん」
窓の外からアキラが笑う。
「顔に出てるよ」
ナナまで続く。
「そんなに?」
「出てる」
蓮も笑っていた。
悠斗は少し恥ずかしくなって車を降りた。
「試乗もできますよ」
店員が言う。
悠斗は再び値札を見る。
39,800ドル。
金が足りないわけではない。
これまで貯めてきた分に、昨日の仕事で入った12,000ドルもある。買おうと思えば、今でも買える。
問題は、その後だった。
39,800ドルを払えば、手元に残る金はかなり心許なくなる。
しかも、買ったらダークグリーンのまま乗るつもりはない。
まず白に塗りたい。
そう考えれば、今度はホイールも変えたくなる。
足回りやブレーキも気になるし、実際に乗り始めればエンジンにも手を入れたくなるかもしれない。
車体だけなら買える。
けれど、自分が乗りたい形まで仕上げる余裕まではない。
悠斗は少し考えてから、店員へ尋ねた。
「あの……下取りってできます?」
「もちろんできますよ」
店員はすぐに答えた。
「車種や年式、走行距離、状態を見てから査定になりますけど」
「そうですか」
蓮が悠斗を見る。
「銀色のセダン出すの?」
「2台も持てない……」
悠斗は少し困ったように答えた。
ヴェローチェを買って、それとは別に今のセダンまで持ち続けられるほど余裕があるわけではない。
車は買って終わりではない。
維持するにも金はかかる。
「じゃあ、買うなら乗り換えか」
「うん。たぶん」
悠斗は駐車場に停めてある銀色のセダンへ視線を向けた。
「少しでも下取りで足しになるなら、その方がいいかなって」
「まあ、そんな高くはならなくても足しにはなるんじゃね?」
「うん」
銀色のセダンを下取りに出したところで、ヴェローチェが急に安くなるわけではない。
それでも、白への塗装やカスタムに回す金の一部くらいにはなるかもしれない。
ただ、金とは別に引っかかるものもあった。
「あのセダンも結構気に入ってるんだよな」
悠斗が言う。
「じゃあ余計迷うじゃん」
アキラが笑う。
「そうなんだよ」
普段の移動でも使った。
仲間を乗せた。
仕事にも使った。
昨夜だって、ナナがあの車で迎えに来てくれたから全員で帰ることができた。
特別な高級車ではない。
それでも、気づけば悠斗にとってただの移動手段ではなくなっていた。
「どうする?」
蓮が聞く。
「……ちょっと考える」
「完全に買う人の悩み方だな」
アキラが言った。
「まだ買わないって」
「まだ?」
ナナがすぐに拾う。
「今日は買わないって意味」
「それ、もっと怪しいけど」
「本当に考えるだけだから」
蓮がヴェローチェを見ながら笑った。
「白にして、次は?」
「何が?」
「ホイール」
「……変えたいかも」
「ほら」
「だから困ってるんだよ」
「足もやる?」
「乗ってみないと分からないけど、たぶん気になる」
ナナが呆れた顔で二人を見る。
「さっきまで私に車買えって言ってた人たちが、一番危ないじゃん」
「ナナはバイクだろ」
アキラが言う。
「まだ買うなんて言ってないから」
「その言い方、悠斗と一緒」
「一緒にしないで」
「何で俺まで」
笑い声が展示場に広がった。
◇
中古車屋を出たあと、五人は海沿いへ向かった。
結局、誰も車もバイクも買わなかった。
夕方の海沿いの駐車場へ三台を並べる。
潮の匂いを含んだ風が吹き、少しずつ傾き始めた陽が水面を橙色に染めていた。
「で?」
アキラが銀色のセダンにもたれた悠斗へ聞く。
「何?」
「ヴェローチェ」
「まだ考えてる」
「さっきより進んでるじゃん」
ナナが笑う。
「下取りまで聞いてたもんね」
「聞いただけ」
「それを検討って言うんだよ」
悠斗が何か言い返そうとしたところで、今度は蓮がナナを見る。
「お前は?」
「何が?」
「バイク」
「私?」
「結構見てただろ」
ナナは少しだけ考えてから、海の方へ目を向けた。
「ちょっと欲しいかも」
「買えば?」
「だから簡単に言わないでよ」
「でも移動楽になるぞ」
「それはそうなんだよね」
最近は誰かに乗せてもらうことが多い。
一人で調べ物へ出る時にも、自分の移動手段があった方が便利なのはナナ自身が一番分かっていた。
「車じゃなくていいの?」
悠斗が聞く。
「車も便利だと思うけど……」
ナナは少し笑う。
「どうせ自分で買うなら、バイクの方が乗ってみたい」
「へえ」
「何、その反応」
「ナナがバイク好きなの知らなかったから」
「私も最近気になり始めただけ」
アキラが笑う。
「じゃあ悠斗がヴェローチェ買って、ナナがバイク買えばいいじゃん」
「何で今日全部買わせようとするの?」
「金入ったから」
「その考え方してたらすぐなくなるよ」
シオンが海を見たまま口を開く。
「正しい」
ナナが即座に頷いた。
悠斗も笑いながらスマートフォンを取り出し、中古車屋のページを開いた。
「もう見てるじゃん」
ナナが覗き込む。
「値段確認してるだけ」
「さっき見たでしょ」
「念のため」
「何の念?」
返事に困っていると、蓮が横から画面を見る。
「売れたらどうすんの?」
悠斗の指が止まった。
「……それはちょっと嫌だな」
「ほら」
「でも今すぐ買うのもなあ」
「ずっと迷ってる」
アキラが笑う。
悠斗は画面に映ったヴェローチェの写真を見る。
深いダークグリーン。
頭の中では、もう白い車体に変わっている。
白いボディに、黒いレザー内装。
前世で何度も画面越しに見ていた、白いギャングカラーの車列。その中を走っていた、よく似た高級GTの姿がふと重なる。
昔は、そんな車を仲間と走らせる人たちを眺めるだけだった。
今は自分で稼いだ金があり、本当に買うか、今の車を手放すか、どこを弄るかまで悩んでいる。
「悠斗」
「ん?」
「飯どうする?」
蓮だった。
悠斗はスマートフォンから顔を上げる。
「さっき食べたでしょ」
「夕飯は別だろ」
「まだ早いって」
「じゃあどっか行こうぜ」
「どこ?」
蓮は少し考えた。
「まだ決めてない」
アキラが呆れたように笑う。
「今日そればっかだな」
三台の車の向こうでは、夕陽が海へ近づいていた。
悠斗はもう一度だけヴェローチェの写真を見てから、スマートフォンをポケットへ戻した。
隣ではナナが、さっき見ていたバイクの話を蓮に聞いている。
買うかどうかは、二人ともまだ分からない。
けれど次にあの店へ行けば、悠斗はきっとダークグリーンのヴェローチェを探し、ナナはバイクが並ぶ一角へ向かう。
そんな気がしていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




