第2章 第93話 見るだけのはずだった
翌日の夕方。
悠斗は銀色のセダンを南部へ走らせていた。
助手席にはナナ、後部座席にはシオンが座っている。
今日は襲うわけではない。
昨日シオンが見かけた白い回収車が、本当に同じ店へ現れるのか。それを確かめるための下見だった。
「この辺?」
悠斗が聞くと、シオンが窓の外を見ながら答えた。
「もう少し先」
夕方の幹線道路は、仕事帰りの車で混み始めている。
古いセダン。
配送トラック。
工具を積んだ作業車。
派手な紫色に塗られたスポーツカーが、低い排気音を響かせながら隣の車線へ並んだ。
運転手が信号待ちのまま何度かアクセルを煽る。
その直後、反対車線から一台のパトカーが現れた。
途端にスポーツカーの排気音が静かになる。
「分かりやすい」
ナナが吹き出した。
「俺も速度見とこ」
悠斗は反射的にメーターへ目を落とす。
「悠斗は大丈夫でしょ」
「なんで?」
「蓮じゃないから」
「比較対象そこなんだ」
そんな話をしているうちに、シオンが前方を指した。
「あそこ」
道路沿いに古い店舗が並ぶ一角。
赤と白の看板を掲げた、小さなスポーツベッティング店が見えてきた。
ガラス越しに何台ものモニターが並び、客たちは試合映像を眺めながら券を握っている。
「普通の店だね」
「合法だからね」
ナナはスマートフォンを確認する。
「営業時間は夜十一時まで」
「昨日、車を見たのは?」
悠斗がシオンへ聞く。
「十時前」
「まだ結構あるな」
悠斗は店の前をそのまま通過した。
真正面で何時間も停まっていれば、さすがに不自然だ。
三人は少し離れた場所へ移動し、周辺を流しながら時間を潰すことにした。
蓮は青いレイザーで周辺道路を確認している。
アキラは黒いクーペで別の店舗へ向かっていた。
五人全員で一台の車を眺めても意味がない。
それぞれ別の場所を見た方が、集められる情報は多い。
そう言ったのは悠斗だったが、本人としては大した指示を出したつもりはなかった。
ただ、昨日決めた役割通りに動けば自然とそうなっただけだ。
◇
一時間ほど経った頃。
五人を繋いだ通話は、犯罪の下見とは思えないほど平和だった。
『腹減った』
蓮の声が車内へ響く。
「さっき食べたって言ってなかった?」
ナナが返す。
『あれは軽食』
『ハンバーガー二個で軽食は無理あるだろ』
アキラが割り込む。
『お前は?』
『ホットドッグ』
『一個?』
『二個』
『同じじゃん』
「静かにして」
シオンが一言だけ告げた。
数秒、本当に通話が静かになる。
悠斗は思わず笑った。
何も起きないまま車の中で待ち、仲間のくだらない話を聞く。
こういう時間まで含めて、昔画面越しに眺めていた光景へ少し近づいた気がした。
『悠斗』
蓮の声が戻る。
「何?」
『そっち、さっきパトカー通った?』
「通ったけど」
『こっちにも来た』
ナナが顔を上げる。
「巡回かな」
『多分』
「同じ車?」
『番号までは見てない』
「じゃあ分かんないね」
悠斗も周囲へ目を向けた。
今の自分たちは何もしていない。
普通に道路を走っているだけだ。
それでもパトカーを見ると、以前より少し意識するようになった。
◇
午後九時半。
最初の変化を見つけたのはアキラだった。
『来た』
それまで緩んでいた通話の空気が変わる。
「白いバン?」
『そう。シオンが撮ったやつと同じだと思う』
ナナがすぐタブレットを開いた。
「どこの店?」
『南側。今、裏手に入った』
「人数は?」
『二人見えた』
悠斗はシオンを見る。
「車は?」
「同じ」
『ナンバーも――』
「無理に近づかなくていいよ」
悠斗が先に止める。
『分かってるって』
アキラの声が少しだけ不満そうだった。
数分後。
『出た』
「早いね」
『ケース一個積んだ。北向き』
ナナが地図へ印を入れる。
「こっちへ来るかも」
悠斗はセダンを走らせた。
追いかけるためではない。
バンが通りそうな交差点を、少し離れた場所から確認する。
「蓮、今どこ?」
『西側』
「無理に寄せなくていい。見えたら教えて」
『了解』
しばらくすると、ナナが前方を指した。
「来た」
白い業務用バンが流れに混ざって走ってくる。
外見だけなら、街中にいくらでもいる商用車だ。
悠斗は速度も車線も変えなかった。
バンは少し前の交差点で右折する。
「追う?」
ナナが聞く。
悠斗は一瞬だけ迷った。
「いや。今日はいい」
後部座席のシオンも頷く。
「同じ車がずっと後ろにいたら目立つ」
「うん」
悠斗はそのまま直進した。
下見の日に、無理をして情報を一つ増やす必要はない。
◇
十分ほど経ったところで、再び蓮の声が入った。
『見つけた』
「バン?」
『多分それ。今、西側の店に入った』
ナナが地図へ目を落とす。
「そっち行ったの?」
悠斗も少し意外だった。
最初の店を出て北へ向かった以上、そのまま近い店舗を回ると思っていた。
だが実際には、一度大通りへ出てから西側へ回り込んでいる。
『結構変な回り方してるな』
蓮が言う。
「毎日順番が違うのかも」
ナナが答える。
『今日だけ違う可能性もあるけど』
「一日じゃ何も決められないね」
悠斗は素直にそう思った。
シオンが口を開く。
「昨日は、その店が先だった」
「順番が違う?」
「うん」
ナナが地図へ新しい印をつける。
「固定ルートじゃない可能性は高そう」
『面倒になってきたな』
アキラがぼやく。
少し間を置いて、
『宝石店なら動かないぞ』
「まだ言ってる」
蓮が笑う。
『だって建物逃げないじゃん』
「警察はいっぱい来るけどね」
『そこは交渉する』
「そこを楽しみにするなよ」
悠斗も笑ってしまった。
◇
さらに一時間ほど様子を見たところで、その日は切り上げることにした。
五人が合流したのは、南部から少し離れた場所にあるいつものダイナーだった。
店へ入ると、カウンターの向こうにいたミオが顔を上げる。
「今日は五人?」
「うん」
「奥空いてるよ」
蓮を見て、ミオが少し眉を上げた。
「また食べるの?」
「今日はまだそんな食ってない」
「さっきハンバーガー二個食べたって言ってたじゃん」
ナナがすぐ暴露する。
「なんで言うんだよ」
「十分食べてるじゃん」
ミオは呆れたように笑ってから、別の客の注文を取りに戻った。
五人は奥の席へ座る。
「思ったより面倒だったな」
蓮が最初に言った。
「まだ一日しか見てないよ」
ナナはタブレットをテーブルへ置く。
「でも分かったことはある」
今日確認できた情報が、簡単にまとめられていた。
白いバンは昨日と同じ。
確認できた人間は二人。
複数の店舗を回っている。
昨日と今日で順番が違う。
それ以上は、まだ推測だ。
「警備とかGPSとかは何も分かってない」
悠斗が言う。
「うん」
「じゃあ、あと何日か見る?」
アキラが聞いた。
「俺は見たい」
蓮が答える。
「道路も一回だけじゃ全然分からん。今日工事してた道も、時間変われば使えるかもしれないし」
「俺も」
シオンが短く続ける。
悠斗は四人を見る。
面倒になったから即座にやめようとする者はいない。
だからといって、勢いで今すぐ襲おうとする者もいなかった。
少し前の自分たちなら、もう少し雑に動いていたかもしれない。
「じゃあ、もう少し見よう」
悠斗が言った。
「それでもよく分からなかったら?」
ナナが聞く。
「その時はやめる」
アキラが目を瞬いた。
「即答だな」
「分からないものに突っ込む必要ないでしょ」
「まあ、それはそうだな」
そこへミオが水を持ってきた。
「注文決まった?」
「チーズバーガー」
蓮。
「俺も」
アキラ。
「真似すんなよ」
「なんでバーガーで張り合うんだよ」
「同じの二つね」
ミオは慣れた手つきで端末へ入力する。
悠斗たちが少し前まで何をしていたのか、もちろん彼女は知らない。
店にいる間は、いつも通りの客だった。
悠斗には、その切り替わりが妙に落ち着いた。
◇
店を出た時には、日付が変わりかけていた。
駐車場には悠斗の銀色のセダン、アキラの黒いクーペ、蓮の青いレイザーが並んでいる。
夜の冷たい空気の中、蓮が自分の車へ向かいながら言った。
「明日はもうちょい西見るわ。今日通った道、時間帯で結構変わりそう」
「私は別の店舗も調べる」
ナナが続く。
「俺は店の客として少し見てみる」
アキラ。
「普通にね」
悠斗が念を押す。
「分かってるって」
「その言い方がちょっと不安なんだけど」
「信用ないなあ」
シオンは白いバンの写真を見ながら言う。
「車は昨日と今日で同じ」
「じゃあ、それも続けて確認しよう」
悠斗は頷いた。
一日見ただけでは、狙える仕事なのかさえ分からなかった。
それでも、昨日よりは白いバンについて知っている。
何を見ればいいのかも、少し増えた。
「じゃあ、また明日」
「おう」
「またね」
「お疲れ」
五人はそれぞれ帰る準備を始める。
悠斗も銀色のセダンへ乗り込み、エンジンをかけた。
駐車場を出る前に、ふと今日見た白いバンを思い出す。
昨日までは、ただの「狙えそうな車」にしか見えていなかった。
今は少し違う。
まだ分からないことだらけだ。
悠斗はヘッドライトを点け、静かに車を走らせた。
だから明日も、もう少し見てみようと思った。
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