第2章 第91話 初めてのカジノ
その日の夕方。
悠斗のスマートフォンに、アキラから一通のメッセージが届いた。
『今日の夜、暇?』
仕事の話かと思い、
『空いてるけど』
と返す。
すぐに既読がついた。
『じゃあ全員でカジノ行こうぜ』
悠斗は画面を見たまま、少しだけ眉を上げた。
「……カジノ?」
前世では当然、行ったことがない。
配信では何度も見ていた。
大金を一瞬で失う者もいれば、妙に勝ち続ける者もいる。犯罪者が仕事帰りに寄り、一般市民が給料の一部を握って遊び、時には別組織の人間同士が同じフロアで顔を合わせる。
画面越しなら面白かった。
だが、自分の財布から金を出して遊ぶとなると、少し話は違う。
◇
夜八時。
中央地区にある大型カジノは、何ブロックも手前から存在を主張していた。
高層ビルの間に建つ巨大な建物は、壁面まで暖かな光で照らされている。正面玄関には車が次々と滑り込み、係員がドアを開けて客を迎えていた。
高級スポーツカー。
大型SUV。
古びたセダン。
観光客らしい集団を乗せた車。
車種も客層もばらばらだ。
悠斗は銀色のセダンを駐車場へ入れた。
少し離れた区画にはアキラの黒いクーペがあり、その奥には蓮の青いレイザーも停まっている。
ナナとシオンも先に到着していた。
「全員いるな」
アキラが満足そうに言った。
「今日って、本当に遊ぶだけ?」
ナナが念を押す。
「遊ぶだけ」
「仕事の下見とかじゃなく?」
「違う」
「誰かと会う予定も?」
「ない」
「珍しい」
「俺らだって普通に遊んでいいだろ」
アキラはカジノの入口へ顎を向けた。
「最近、仕事か車の話ばっかりだったし」
「俺は今日はほぼ見る側だからな」
蓮が先に言った。
「まだ誰も誘ってないけど」
「先に言っとく。昨日、レイザーの足回りと罰金で結構使った」
ナナが笑う。
「昨日公道で飛ばした人が今日は一番慎重なんだ」
「罰金払った直後だから慎重なんだよ」
「反省してる?」
「少しは」
「少しなんだ」
軽口を交わしながら四人が歩き始める。
悠斗も続こうとして、入口を出入りする人の多さに一瞬だけ足を緩めた。
スーツ姿の男。
派手な服装の若者。
年配の夫婦。
観光客。
作業着姿のまま入っていく男までいる。
こういう大勢の人間が集まる場所は、今でも得意ではない。
「悠斗」
蓮が振り返った。
「緊張してる?」
「ちょっと」
「強盗より?」
「比べるものじゃないでしょ」
「そりゃそうか」
蓮が笑う。
「入るだけだから大丈夫だって」
「そう言われると余計に気になるんだけど」
「分かる」
隣にいたシオンが小さく頷いた。
悠斗はそちらを見る。
「シオンも?」
「人が多い場所は好きじゃない」
「仲間いた」
「お前ら、ナイトクラブだったら入口で帰りそうだな」
アキラが笑いながら先へ進んだ。
◇
中へ入った瞬間、いくつもの音が一気に耳へ入ってきた。
スロットマシンの電子音。
チップがぶつかる乾いた音。
ルーレット台を囲む客の歓声。
カードを配るディーラーの声。
奥にはバーやレストランもあり、ゲームには参加せず酒だけ飲んでいる客もいる。
高い天井には大きな照明が下がり、派手な模様の絨毯の上を何百人もの客が行き交っていた。
「すご……」
悠斗は思わず辺りを見回す。
「初めて?」
ナナが聞いた。
「うん」
「私もちゃんと遊ぶのは初めて」
「何から行く?」
アキラはもう楽しそうだった。
「ブラックジャック」
「即答だな」
蓮が笑う。
「蓮は本当にほぼ見学?」
「少しくらいはやるかもしれないけど、大きくは使わない」
「珍しく堅実」
「それ今日何回目?」
五人はチップ交換の窓口へ向かった。
悠斗も、自分の中で先に上限を決めてから現金を出した。
受け取った色付きのチップを掌へ乗せる。
現金だった時より、妙に軽く感じた。
「これ危ないな」
「何が?」
アキラが聞く。
「現金じゃなくなると、使ってる感覚が薄い」
「もうギャンブル向いてない発言してる」
「向いてなくていいよ」
◇
最初に向かったのはブラックジャックだった。
アキラ、悠斗、ナナが席へ座り、蓮とシオンは後ろから眺める。
ルールそのものは悠斗も知っていた。
前世で何度も見ている。
だが、自分のチップが目の前へ置かれるだけで、カードを待つ時間の長さまで違って感じられた。
最初の手札は十と七。
「……これ止めていいよね」
「いいんじゃない?」
ナナが答える。
「俺に聞くなよ」
アキラが笑った。
ディーラーの結果を待つ。
勝った。
少しだけチップが増える。
「お」
悠斗は思わず口元を緩めた。
「増えた」
「じゃあ次ちょっと上げようぜ」
「いや、同じで」
「慎重だなあ」
「悠斗らしい」
数回続けても、悠斗は賭け金をほとんど変えなかった。
勝つ。
負ける。
また勝つ。
結局、大きく増えもしなければ、大きく減りもしない。
一方のアキラは、少しずつ置くチップを増やしていた。
「それ、結構いってない?」
悠斗が聞く。
「まだ平気」
背後から蓮が口を挟む。
「それ外したら、俺が昨日足回りに使った額に近づくぞ」
アキラの手が止まった。
「そういう言い方やめろよ」
「何で?」
「急にでかい金に見えてきた」
ナナが吹き出す。
「車換算が一番効いてるじゃん」
アキラは数秒悩んで、置いていたチップの一部を戻した。
「……減らす」
「賢明」
「お前、昨日罰金払ったばっかりだから説得力微妙だけどな」
結果は負けだった。
アキラは回収されていくチップを見てから、蓮へ顔を向けた。
「減らしてよかった」
「だろ?」
蓮が少し得意そうに笑った。
◇
ブラックジャックを離れたあと、五人は店内を適当に歩いた。
スロット。
ルーレット。
別のカードゲーム。
大声で一喜一憂する客を眺めているだけでも、それなりに面白い。
蓮は宣言通り、ほとんど金を使わなかった。
一度だけ小さなチップでスロットを回したが、何も揃わない。
「はい、終了」
「一回だけ?」
アキラが聞く。
「十分」
「車にはあんなに使うのに」
「車は残るだろ」
「ちょっとそれっぽいこと言ってる」
「普通のことだろ」
その時、ルーレット台を眺めていたシオンが足を止めた。
「やるの?」
悠斗が聞く。
「ちょっと試す」
シオンは席につき、少額のチップを置いた。
ナナが横から覗き込む。
「どこ?」
「黒」
「理由は?」
「なんとなく」
ボールが回る。
盤面の縁を走っていた白い球が少しずつ速度を落とし、小さく跳ねながら数字の間へ落ちた。
黒。
「あ、当たった」
ナナが言う。
シオンは特に表情を変えず、増えたチップを受け取った。
「もう一回?」
アキラが聞く。
「うん」
二回目。
黒。
また当たった。
「二連続」
三回目。
今度は赤。
結果も赤だった。
「……また?」
悠斗も少し身を乗り出す。
四回目。
シオンは盤面を眺めてから黒へ置いた。
当たり。
五回目も当たった。
ナナが指を折りながら笑う。
「五回連続なんだけど」
「お前、何か分かってんの?」
アキラが聞く。
「分からない」
「じゃあ何でそんな当たるんだよ」
「知らない」
六回目。
少し迷って赤へ置く。
赤。
「六回」
蓮もさすがに興味を持ったらしく、シオンの横まで来ていた。
「次は?」
「黒」
「早いな」
七回目。
ボールが回転する。
悠斗も、自分が賭けているわけではないのに目で追っていた。
球が黒へ落ちる。
「七回!」
アキラが思わず声を上げた。
近くにいた客が何人かこちらを見る。
「ちょっと声大きい」
ナナが笑いながら言う。
「いや、だって七回だぞ?」
「シオン、今日一番増えてない?」
「多分」
本人だけは、いつもの無表情に近い。
「八回目は?」
悠斗が聞く。
シオンは少しだけ盤面を眺めた。
「赤」
ボールが再び回る。
今度は四人とも自然にその行方を追った。
やがて球が跳ね、黒へ落ちる。
「あ」
悠斗が声を漏らした。
初めて外れた。
シオンは回収された分を眺め、それから残ったチップを手元へまとめた。
「今日はこのくらいでいい」
「え、もう?」
アキラが目を丸くする。
「七回当てて、一回外しただけだぞ?」
「十分増えた」
「まあ、それはそうだけど」
蓮がチップの量を見て笑う。
「一番興味なさそうだった奴が、一番勝ってるな」
「たまたま」
シオンはそれだけ言って立ち上がった。
ナナがまだ少し納得していない顔で、その背中を見る。
「たまたまで七回続く?」
「さあ」
悠斗も答えられなかった。
シオン本人は気にした様子もなく、すでに次のゲーム台を眺めていた。
◇
さらに店の奥へ進むと、少しずつ雰囲気が変わった。
一般客が多い場所より静かで、テーブル同士の間隔も広い。
客の服装も明らかに違う。
仕立ての良さそうなスーツ。
高級時計。
護衛らしい男を連れている者。
テーブルの上で動いているチップも、先ほどまでとは桁が違った。
「すご……」
アキラが声を落とす。
「俺らがさっき使ってた額、ここだと遊びにもならないんじゃない?」
「見るだけにしよう」
悠斗が言う。
「賛成」
蓮も即答した。
その時、ナナが少しだけ歩みを緩めた。
「……あれ」
「何?」
悠斗も声を落とす。
ナナの視線の先。
少し離れたテーブルに、数人の男女が座っていた。
中心にいるのは三十歳前後の男。
派手ではない濃紺のスーツを着て、静かにカードを眺めている。
周囲の客と変わらないようにも見える。
だが、男の後ろには明らかに護衛らしい二人が立っていた。
「知ってる人?」
「本人を見るのは初めて」
ナナは声をさらに落とす。
「でも多分、MIRAGEの人」
「分かるの?」
「前に店とか裏の噂を調べてた時に、同じ顔が何回か出てきた」
悠斗もさりげなく視線を向ける。
街第3位のギャング。
金と情報に強いことで知られているMIRAGE。
今の悠斗たちとは、ほとんど接点がない。
「幹部?」
アキラが聞く。
「そこまでは分からない。でも下っ端ではないと思う」
ナナはスマートフォンを出さなかった。
この距離で露骨に調べるのは目立つ。
「相変わらず色々見てんな」
蓮が感心したように言う。
MIRAGEらしき男たちは、こちらへ気づいた様子もない。
大きな額のチップが動いているが、誰も騒がない。
ゲームを楽しんでいるだけなのか。
誰かと話をするために座っているのか。
悠斗には分からなかった。
「ギャングも普通にカジノ来るんだな」
アキラが呟く。
蓮が横を見る。
「俺らも犯罪者だけど」
「あ」
「今さら?」
ナナが笑う。
悠斗もつられて笑った。
銃を持って街を走るだけが裏社会ではない。
金が集まる場所には、それに関わる人間も集まってくる。
今はまだ、自分たちとは遠い世界だった。
◇
日付が変わる少し前。
五人はカジノを出た。
扉を抜けた瞬間、夜風が火照った顔に心地よく当たる。
「結果発表しようぜ」
アキラが言う。
「絶対必要?」
ナナが嫌そうな顔をする。
「俺は負け」
「知ってる」
「でも途中で減らしたから、大したことない」
「蓮に感謝だね」
「それはちょっと悔しい」
蓮は肩をすくめた。
「俺はほぼ変わってない。最初から見るつもりだったし」
「悠斗は?」
ナナに聞かれ、悠斗は残った金を思い返す。
「少し減ったくらい」
「堅いなあ」
「大きく賭けてないからね」
「私は……まあ、ちょっと負け」
ナナが曖昧に笑う。
最後に四人の視線がシオンへ集まった。
「増えた」
「知ってるよ!」
アキラが即座に返した。
「結局、一番勝ったのお前じゃん」
「運がよかった」
シオンはいつもと変わらない顔で答える。
「七連続をそれで片づけるの?」
ナナが首を傾げた。
シオンは少し考えたが、
「他に理由ないし」
とだけ答えた。
「まあ、次来た時に分かるんじゃない?」
蓮が笑う。
シオンは否定も肯定もしなかった。
五人はそのまま駐車場へ向かう。
車の並ぶ通路へ入ったところで、アキラがふと口を開いた。
「でもさ」
「何?」
「最近、前より金動くようになったよな」
悠斗は横を見る。
「最初の頃だったら、カジノで遊ぼうなんて考えなかっただろ」
「それはそうかも」
数百ドルでも気になっていた。
燃料代。
修理費。
食事代。
仕事の準備。
出ていく金を一つずつ気にしていた時期もある。
今でも好きに浪費できるほど余裕があるわけではない。
それでも、五人でまとまった仕事をこなし、それなりの金を得る機会は確実に増えていた。
「NOXから仕事来るのもいいけど」
アキラが続ける。
「そろそろ俺たちだけでも、また何かやりたくない?」
蓮がレイザーの鍵を指先で回す。
「自分たちで?」
「そう」
「少し大きめのやつ?」
「せっかくなら」
ナナがすぐに釘を刺す。
「いきなり銀行とか言わないでよ」
「そこまでは言ってないだろ」
「アキラなら言いそうだから」
「俺を何だと思ってんの?」
「勢いで話を大きくする人」
「否定しにくいな」
悠斗は思わず笑った。
それから少し考える。
最近は、誰かから持ち込まれた仕事へ乗ることが増えている。
依頼人。
EMBER。
NOX。
知らない相手と組むことで得られた経験も多い。
だが、自分たちはもう、偶然同じ仕事に集まるだけの関係ではなかった。
役割を考え、車を準備し、状況が崩れた時にもある程度は相談して動ける。
「一回、みんなで候補出してみようか」
悠斗が言った。
四人がこちらを見る。
「銀行みたいな大きいのじゃなくて、今の俺たちで現実的にできそうなやつ」
「例えば?」
蓮が聞く。
「高級車とか、倉庫とか、現金運ぶ仕事とか……その辺も含めて」
ナナが頷く。
「必要な人数とか、情報集められるかも考えたい」
「車もな」
蓮が言う。
「逃走で使うならテンペストか、別の車用意するかで変わる」
「警察がどれくらい来るかも」
アキラも乗ってくる。
「じゃあ、それぞれ一個ずつ考えてくる?」
悠斗が聞く。
「いいじゃん」
「いつまで?」
「明日の夜くらいでどう?」
「それなら調べられる」
ナナが答える。
蓮も頷いた。
「俺も考える」
「俺も」
シオンも短く続く。
「じゃあ決まり」
アキラが満足そうに笑った。
五人はそれぞれの車へ分かれていく。
悠斗は銀色のセダンのドアへ手をかける前に、一度だけカジノを振り返った。
煌々と照らされた建物の中では、今も大勢の人間が金を賭けている。
遊びに来た人間。
大金を動かす人間。
人と会うために来た人間。
そして、表から見ただけでは何をしているのか分からない人間。
同じ場所に、それぞれ違う目的がある。
レイヴンシティでは、こういう何気ない場所にも知らない世界がいくつも重なっている。
悠斗はセダンへ乗り込み、エンジンをかけた。
明日は、五人で次の仕事を考える。
誰かに渡された仕事ではない。
今の自分たちに何ができるのか。
それを考えるのも、少し楽しみになっていた。
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