第2章 第89話 5,000ドルの使い道
翌日の昼過ぎ。
南部の外れにある小さなカスタムショップへ、二台の車が入っていった。
先を走っていたのは、蓮の青いクーペ――ヴァルカン・レイザー。
その後ろから、悠斗の銀色のセダンがゆっくりと続く。
通り沿いから少し奥へ入った場所にある店で、表には大きな看板もない。開いたシャッターの脇には使い込まれたタイヤが積まれ、敷地の端には部品取りらしい車が二台並んでいる。
レイザーを店の前へ停めた蓮が運転席から降りた。
少し遅れて、悠斗も銀色のセダンを隣へ停める。
「ここ?」
悠斗が店を見上げる。
「ユウさんから送られてきた場所はここ」
蓮がスマートフォンの地図を見せた。
昨夜の仕事を終えたあと、ユウから、
『足やるなら知ってる店あるぞ』
と言われていた。
今朝になって蓮が本当に連絡してみたところ、店の場所がすぐに送られてきたらしい。
「行動早いね」
「金入ったからな」
「昨日からそればっかりだね」
昨夜受け取った報酬は、一人5,000ドル。
仕事が終わってから、蓮が五人のグループチャットへ最初に送ったメッセージも、
『レイザーの足やる』
だった。
アキラからは『早すぎ』、ナナからは『もう使うの?』と返されていたが、本人に考え直す様子はない。
「全部使うわけじゃない」
「いくらまで?」
「3,000まで」
「もう上限決めてるんだ」
「それ超えるなら今日はやらない」
「そこは意外とちゃんとしてるね」
「俺を何だと思ってんだよ」
二人が話していると、店の奥から一人の男が出てきた。
二十代後半くらいだろうか。
黒い作業着の袖を肘までまくり、手には薄く油が残っている。
「久我?」
「はい」
「ユウから聞いてる。レイザーってこれ?」
「そう」
男は青いクーペを一周しながら、タイヤ、ホイール、車高と順番に見ていく。
「結構触ってるな」
「エンジンとブレーキは」
「足は?」
「ほぼそのまま」
「なるほど」
男が少し笑った。
「そりゃユウもここ送ってくるわ」
「やっぱ変?」
「変っていうより、先に速くする方へ金かけたんだなって感じ」
「昨日も似たようなこと言われた」
「誰に?」
「別のメカニックと車の話してて。足もやった方がいいって」
レイザーそのものを見せたわけではない。
テンペストを整備していたメカニックと話した際に、蓮が自分のレイザーの仕様を説明し、その流れで足回りを勧められただけだ。
それでも蓮の中には、その言葉が残っていたらしい。
そこへ昨夜、ユウから店まで紹介された。
「じゃあ、本当に必要か見てみるか」
男がレイザーを指した。
「上げるぞ」
◇
リフトの上へ持ち上げられた青いクーペを、悠斗と蓮は下から見上げていた。
メカニックはライトを手に、足回りを順番に確認していく。
「壊れてるわけじゃないな」
「じゃあ、そのままでも?」
「走れる。でも、今のエンジンとブレーキに対しては足が弱い」
「やっぱり?」
「減速してから向き変える時、ちょっと落ち着かないだろ」
蓮の表情が変わった。
「それ」
「気になってた?」
「最近」
「前は?」
「あんまり」
「じゃあ、車が悪くなったんじゃなくて、お前が分かるようになったんじゃないか」
蓮が少しだけ嬉しそうな顔をした。
「成長してるってこと?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「運転見てないから知らん」
「そこは褒めてくれよ」
悠斗が思わず笑った。
蓮は最初の頃、とにかく速く走れればいいという考えが強かった。
今でも速度を出すのは好きだ。
ただ、以前とは少し違う。
最近は車をどう動かすかだけでなく、どう動いたかまで気にするようになっている。
その変化は、ずっと隣で見てきた悠斗にも分かった。
「街乗りもするんだろ?」
「する」
「ならガチガチにはしない。普段も乗れて、高速でも落ち着く方向にした方がいい」
「それでお願い」
「予算は?」
「3,000まで」
「分かった。その範囲で組んでみる」
男は一度うなずき、端末を操作し始めた。
しばらくして、画面を蓮へ向ける。
「これなら収まる」
蓮は金額と作業内容を確認した。
「じゃあやる」
「即決だな」
悠斗が言う。
「3,000以内ならやるって決めてたから」
「本当に最初から決めてたんだ」
「だから言っただろ」
男が笑いながら端末を受け取る。
「夕方までには終わる。終わったら連絡する」
「お願いします」
「代車いる?」
蓮が隣の銀色のセダンを見る。
「いらない。悠斗の車あるから」
「俺の車を勝手に代車扱いしないで」
「帰る方向一緒だろ」
「そうだけど」
レイザーを店へ預け、蓮は悠斗の銀色のセダンの助手席へ乗り込んだ。
◇
夕方。
二人は銀色のセダンで再びショップへ戻った。
レイザーはすでにリフトから降ろされ、店の前に停められている。
夕日に照らされた青い車体が、昼よりも少し濃く見えた。
「終わってる?」
「ああ」
メカニックが蓮へ鍵を渡した。
「最初はゆっくりな。感覚変わってるから」
「了解」
「いきなり飛ばすなよ」
「分かってる」
「その返事、あんまり信用できないな」
「何で会ったばっかりなのに分かるんだよ」
「ユウの紹介だから」
「それだけで?」
「結構な情報だぞ」
悠斗は吹き出した。
「じゃ、帰るか」
蓮が青いレイザーへ乗り込む。
悠斗も自分の銀色のセダンへ戻った。
二台でショップを出る。
最初はレイザーが前、その後ろを悠斗が走っていた。
南部の道路は、夕方とはいえ中心部ほど混んでいない。
蓮も最初の数分は大人しく走っていた。
本当に最初の数分だけだった。
前を走る青いクーペが緩いカーブへ入る。
以前より車体が落ち着いて見えるのは、後ろを走る悠斗にもなんとなく分かった。
次の直線。
レイザーの速度が少し上がった。
「……速くなってない?」
もちろん、前を走る蓮には聞こえない。
悠斗はアクセルを踏み足さなかった。
銀色のセダンはレイザーほど速くない。
何より、蓮に合わせて自分まで速度を出す理由がなかった。
前方の青いクーペとの差が少しずつ開いていく。
蓮なら、そのうち適当な場所で待っているだろう。
悠斗はそう考えて、いつも通りの速度で走り続けた。
やがてレイザーはカーブの先へ消えていった。
◇
数分後。
大きな通りへ出た悠斗は、前方に赤色灯が見えることに気づいた。
「……まさか」
路肩に停まっている青いクーペ。
その後ろには白黒の警察車両。
「やっぱり……」
悠斗は思わずため息をついた。
交通の邪魔にならないところまで銀色のセダンを進め、少し離れた場所へ停車する。
車を降りて戻ると、警察官がちょうどレイザーの運転席まで歩いてきたところだった。
蓮が窓を下げる。
「こんばんは――」
「久我くん」
聞き覚えのある声だった。
桐生アリサ。
「今の速度、自覚あります?」
「ちょっとだけ速かったかも」
「ちょっと?」
「……そこそこ?」
「速度計見てました?」
「車の動きを見てたんで」
「前も速度計も見てください」
「はい」
アリサが呆れたように息を吐いた。
そこへ悠斗が近づくと、アリサがこちらに気づいた。
「あれ、神谷くん?」
「こんばんは」
「何でここにいるんですか?」
「一緒に来てたんです。俺は後ろを走ってたんですけど、途中からついていけなくなって」
アリサが少し離れた場所に停められた銀色のセダンを見る。
悠斗が普段乗っている車だということは、以前にも見られている。
「神谷くんは速度出してないですよね?」
「はい。普通に走ってきました」
「おい」
レイザーの中から蓮が不満そうな声を出す。
「久我くんは今それ言える立場じゃありません」
「はい……」
アリサは端末を操作しながら、青いクーペへ視線を向けた。
「この車、何か弄りました?」
「足回り」
途端に蓮の表情が少し明るくなる。
「今日やったばっかりで、かなり――」
「説明は聞いてません」
「あ、はい」
悠斗は笑いを堪えた。
「試したいならサーキットへ行ってください。公道は試験場じゃありません」
「レース場高いんだよなあ」
「罰金も安くありませんよ」
「……はい」
当然、知り合いだからといって見逃されるわけではない。
速度超過として、蓮にはきっちり反則金が科された。
手続きを終えたアリサが端末をしまう。
「それと、昨日から南部で発砲通報が続いています。詳しいことは捜査中なので言えませんけど、しばらく夜は気をつけてください」
「そうなんですか」
悠斗はなるべく普段通りに答えた。
蓮も余計なことは口にしない。
「特に久我くんは、夜中に変な場所を走り回らないでくださいね」
「何で俺だけ?」
「今、速度超過で止められてるからです」
「ああ……」
「では、安全運転で」
アリサはそれ以上何も言わず、パトカーへ戻った。
赤色灯が遠ざかってから、悠斗はレイザーの横へ立つ。
「捕まるの早すぎない?」
「それ俺が言いたい」
「飛ばしたからでしょ」
「ちょっと試しただけなんだけどな」
「その結果がこれじゃん」
蓮は端末に表示された反則金の内容を見て、顔をしかめた。
「せっかく昨日5,000入ったのに、足回りと罰金で結構減ったな……」
「まだ残ってるんでしょ?」
「一応な」
「全部使わなかっただけ偉いね」
「だろ?」
「褒めてない」
悠斗は呆れながら、自分の銀色のセダンへ戻ろうとする。
「帰りは俺の後ろ走ってね」
「俺が?」
「また捕まりたいなら先行けば」
蓮は少し考えた。
「……後ろ行く」
◇
夜。
五人は悠斗の家に集まっていた。
テーブルの上には、ダイナーで買ってきたハンバーガーやポテト、飲み物が広げられている。
紙袋を開けるたびに揚げ物と肉の匂いが部屋へ広がり、ナナはポテトを一本つまみながら蓮の話を聞いていた。
「昨日5,000ドル入って、今日もう車弄って罰金?」
「まだ残ってる」
「どれくらい?」
「聞くな」
「絶対かなり減ってるじゃん」
ナナが楽しそうに笑う。
アキラもハンバーガーの包みを開きながら口を挟んだ。
「俺はまだ何も使ってないぞ」
「珍しい」
「何で?」
「アキラなら服とか買いそう」
「それは明日考える」
「結局使うじゃん」
シオンはソファの端に座り、黙々とポテトを食べている。
床には五人分の飲み物が置かれ、テーブルの端には丸めた紙袋や包み紙が少しずつ増えていた。
昨日はNOXの人間と銃撃の中を走った。
今日は蓮が車を弄り、警察に止められ、その夜には悠斗の家で五人揃ってハンバーガーを食べている。
落差が激しい。
けれど、悠斗にとってはどちらも今の生活だった。
生前なら、自分の部屋に誰かが何人も集まって飯を食べる光景など想像すらできなかった。
今では蓮が勝手に冷蔵庫を開け、ナナが空いた紙袋をまとめ、アキラがテレビのリモコンを探し、シオンが何も言わず最後のポテトへ手を伸ばしている。
それがいつの間にか、特別ではない時間になりつつあった。
「そういえば」
ナナが悠斗を見る。
「明日だよね」
「うん」
カナメから言われた呼び出し。
五人で来い。
仕事ではなく、
『話がある』
それだけだった。
「何の話だと思う?」
アキラが聞く。
「昨日の反省会?」
「それなら昨日やってたじゃん」
ナナがすぐに否定する。
「次の仕事?」
蓮が飲み物を手にしながら言った。
「仕事なら仕事って言いそう」
悠斗は答えながらも、自信はなかった。
「行けば分かる」
シオンが短く言う。
「それ言ったら話終わるだろ」
アキラが笑った。
悠斗もつられて笑う。
窓の外から、遠くを走る車の音が聞こえてくる。
昼間、蓮を止めた警察も、昨夜の発砲事件を追っている警察も、今この時間も街のどこかで動いている。
その一方で、自分たちはハンバーガーを食べながらくだらない話をしている。
事件が起きても街は止まらない。
誰かが仕事をし、誰かが遊び、誰かが眠り、その横で別の誰かが犯罪を企んでいる。
レイヴンシティは、そうやって今日も動き続けていた。
「まあ、明日になれば分かるか」
悠斗がそう言うと、アキラも肩をすくめた。
「だな」
蓮がテーブルの上へ手を伸ばす。
「あ、最後のポテト――」
その指より一瞬早く、シオンが最後の一本を取った。
「……お前、ずっと狙ってただろ」
「早い者勝ち」
シオンは平然と口へ運ぶ。
ナナが吹き出し、アキラも笑った。
悠斗も笑いながら、空になった箱を片づけた。
明日の話が何なのかは分からない。
けれど今夜くらいは、それでよかった。
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