第2章 第87話 同じ班
翌日の夜。
黒いヴァルカン・テンペストは、南部の工業地帯を抜ける幹線道路を走っていた。
運転席には蓮、助手席には悠斗。後部座席にはアキラ、ナナ、シオンの三人が乗っている。
昨日、ブレーキと足回りの改修を終えたばかりのテンペストは、以前より明らかに走りが落ち着いていた。舗装の継ぎ目を越えても揺れが長く残らず、蓮が前方の大型トラックを避けて車線を移っても、車体が素直についてくる。
「やっぱ違うな」
蓮がハンドルを握ったまま言った。
「昨日からそれ何回目?」
ナナが後ろから笑う。
「乗るたびに思うんだから仕方ないだろ」
「5,800ドル使ったんだから、違ってくれないと困るけどな」
アキラが口を挟む。
「だから丁寧に乗ってるだろ」
「今だけじゃなくて?」
「これからも」
蓮が即答する。
車に関してだけは妙に真面目だった。
悠斗は小さく笑ってから、スマートフォンの地図へ視線を落とした。
「次の信号を右。その先の倉庫街」
「了解」
指定された場所までは、もう数分もかからない。
車内には普段より少しだけ緊張した空気があった。
今日の仕事について詳しい内容はまだ聞かされていない。
分かっているのは、昨日カナメから告げられたことだけ。
今回はNOXの構成員と同じ班へ入り、一緒に動く。
これまでもNOXと同じ現場には入ったことがある。ただ、その時は悠斗たち五人とNOX側で役割がある程度分かれていた。
今日は違う。
「やっぱ見られるんだろうな」
アキラがぽつりと言った。
「何を?」
ナナが聞く。
「俺らがNOXの人間と混ざった時に、ちゃんと動けるか」
「たぶん」
悠斗も同じことを考えていた。
実力だけではない。
他人の指示を聞けるか。
自分で判断できるか。
役割を譲れるか。
想定外が起きた時に崩れないか。
そういう部分も見られるのだろう。
「普通にやればいい」
シオンが窓の外を見たまま言う。
「シオンは緊張しないの?」
ナナが聞いた。
「して動きが変わる方が危ない」
「それはそうか」
悠斗も頷いた。
上手く見せようとしても仕方がない。
できることをやる。
分からなければ聞く。
自分より向いている人間がいるなら任せる。
それでいい。
「着くぞ」
蓮の声とほぼ同時に、テンペストが大通りを外れた。
◇
指定された古い物流倉庫の敷地には、すでに数台の車が停まっていた。
その中で悠斗の目についたのは、暗い紺色の四ドアセダンだった。
少し古い。
前後のバンパーには細かな擦り傷があり、綺麗に乗るための車というより、仕事で多少傷んでも構わない車に見える。
悠斗たちはテンペストを敷地の端へ停め、倉庫の中へ入った。
「来たな」
作業台の前でカナメが待っていた。
その横には三人の男女がいる。
NOXの拠点で顔を見かけた記憶はあるが、まともに話したことはない。
「お疲れさまです」
悠斗が挨拶すると、後ろの四人も続いた。
カナメは五人が揃っていることを確認してから、隣の男を示す。
「柴崎ユウ。車と逃走を任せることが多い」
二十代後半ほどの細身の男が軽く片手を上げた。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
ユウはそのまま悠斗たちの後ろにあるテンペストへ視線を向ける。
「昨日戻った車って、あれ?」
「そう」
蓮が答える。
「足とブレーキ?」
「うん」
「あとで乗らせて」
「仕事終わってからなら」
「決まり」
初対面にしては距離が近い。
どうやら蓮と同じく車が好きらしい。
カナメは次の女性を見る。
「真壁リサ。今日はこいつが現場をまとめる」
「よろしくね」
黒髪を後ろでまとめたリサが柔らかく笑った。
ただ、カナメから「現場をまとめる」と紹介された瞬間だけ、目つきが少し変わった。
最後は体格の大きな男。
「羽田ケン。戦闘と制圧」
「よろしく」
低い声だった。
シオンが一度だけケンを見る。
ケンもシオンの腰元へ視線を落としてから尋ねた。
「前に出る?」
「たぶん」
「じゃあ後で合わせよう」
「分かった」
短いやり取りだけで終わる。
カナメが全員を見渡した。
「今日はこの8人で1班だ。お前ら5人と、こっち3人で分けて考えるな。同じ班として動け」
「はい」
「現場の最終判断はリサ。ただし、何でも指示されるまで待つな。自分で見て、自分で考えろ。迷ったら聞け」
カナメは倉庫の奥を指した。
「仕事を説明する」
◇
作業台の上には、レイヴンシティの道路地図と数枚の写真が並べられていた。
白い大型SUV、古い配送バン、濃紺のセダン。
その横には、小型の黒い金属ケースを大きく撮影した写真が置かれている。
カナメがケースを指で叩いた。
「今回の目的はこれだ」
「中身は?」
ナナが尋ねる。
「知らなくていい」
「依頼人も?」
「今のお前らには必要ない」
「了解」
ナナはそれ以上聞かなかった。
カナメの指が地図上の港湾地区へ移る。
「午前1時前後、ここから車列が出る。先頭が白いSUV。真ん中が配送バン。最後尾が濃紺のセダン。ケースはバンに積まれている」
「人数は?」
シオンが聞く。
「確認できてるのは7人。増えても1人程度で考えろ」
「武器は?」
「拳銃は確実。ライフルやサブマシンガンを積んでいてもおかしくない」
シオンが短く頷く。
悠斗は地図を見る。
正面から車列全部を止めれば、それだけ多くの相手と一度にやり合うことになる。
「車列を分けるんですか?」
「そうだ」
カナメが答える。
「前と後ろを切って、バンだけ孤立させる。まともに全員と撃ち合う理由はない」
「どこまで決まってる?」
アキラが尋ねた。
「使う区画と撤退基準までは決めてある。細かい動きは今から詰める」
悠斗は少し意外に思った。
NOXなら、最初から完成した作戦を渡してくるものだと思っていた。
それに気づいたのか、ユウが笑う。
「完成した手順しか知らない奴は、予定が崩れた時に何もできなくなるからな」
リサも頷いた。
「NOXでも予定通りにいかないことは普通にあるよ。違うのは、崩れた時にどこまで戻るかも先に決めてること」
「なるほど……」
悠斗には身に覚えがあった。
配信で見た方法を知っている。
だから成功する。
そんな簡単な話ではない。
「その前に一ついい?」
アキラが手を上げた。
「何だ」
「報酬」
カナメはすぐに答えた。
「成功で40,000ドル。この班への割り当てだ」
「8人で?」
「均等なら1人5,000ドル。依頼全体の報酬は別。その中から現場班へ回る分だ」
悠斗も金額を頭へ入れる。
自分たち5人なら合計25,000ドル。
「車とか武器は?」
「NOX側が用意する分はこっち持ち。テンペストの燃料や通常消耗は報酬込み」
蓮がすぐに聞いた。
「仕事中に壊れたら?」
「こっちの指示で壊したなら見る」
「勝手に事故ったら?」
「自分で直せ」
「そこは分かる」
「失敗したら?」
悠斗が尋ねる。
「基本0ドル。ただし、こっちの情報不足や依頼内容そのものに問題があった場合は別だ」
「撤退した場合も?」
「理由を見る」
カナメはそこで全員へ視線を向けた。
「ただし、報酬を惜しんで撤退を遅らせるな。1人欠ければ、1人分の損失じゃ済まない。次の仕事にも班にも響く」
声が少しだけ低くなる。
「40,000ドルより、全員戻ってくる方が価値がある」
悠斗は顔を上げた。
ジンからも、危険なら逃げろと教えられている。
ただ、カナメの考え方は少し違った。
個人が生き残るためだけではなく、組織全体の損失まで考えている。
「分かりました」
「それと、俺は今日は出ない」
アキラが眉を上げた。
「カナメさん抜き?」
「そうだ」
「何かあったら?」
「現場で判断しろ」
その返答を聞き、悠斗はやはり今日の仕事そのものが試されているのだと感じた。
カナメがいなくても、NOXの構成員と混ざって動けるか。
そこも見られている。
「じゃあ、あとは任せる」
「了解」
リサが頷いた。
◇
「始めようか」
リサが地図の前へ立つ。
さっきまでの柔らかな雰囲気は残っているが、言葉が短くなっていた。
「まず先頭を切る」
「後ろじゃなく?」
アキラが聞く。
「後ろだけ止めても、SUVとバンがそのまま行く可能性が高い」
ユウが地図を引き寄せる。
「やるならここ」
指したのは、港湾地区から南部へ抜ける途中の道路だった。
「片側2車線。この先で工事中になって1車線へ絞られる」
「この辺詳しいですか?」
悠斗が聞く。
「かなり」
ユウが脇道を指す。
「倉庫裏へ抜ける道もある」
「先頭SUVへユウさんが入る?」
「そう。速度を落とさせる」
「車は?」
蓮がすぐに尋ねた。
「あの暗色セダン」
ユウは即答する。
「テンペストは使わない」
蓮の表情が明らかに緩んだ。
「だよな」
「昨日5,800ドル使った車を、わざと当て役にする意味ないだろ」
「分かってるじゃん」
「お前よりはな」
「何だそれ」
ユウが笑う。
リサが話を戻した。
「今回は軽く触るだけじゃ弱い。護衛側もその程度ならそのまま走る可能性が高い」
地図上の白いSUVを指す。
「ユウが横からしっかり当てて、一度姿勢を崩させる」
「壊す前提?」
悠斗が聞く。
「壊れれば助かる。でも目的は壊すことじゃない」
ユウが答えた。
「強く減速させて、バンとの間隔を開ける。それで十分」
「暗色セダンの方は?」
「多少潰れてもいい」
「なるほど」
蓮も納得したらしい。
リサは続ける。
「ただし、護衛側がすぐ反応するのは想定内。後ろが詰めてきても驚かない」
「発砲も?」
「ある」
「その場合は?」
「後ろを無理に塞がない。射線が出たら、その動きは捨てる」
NOXが相手の反撃を考えていないわけではない。
最初から作戦が崩れる可能性も織り込んでいる。
「テンペストは?」
蓮が聞く。
「配送バン側。運転は蓮」
「よし」
「接触前提じゃないからね」
「分かってる」
「バンへ寄せて進路を制限する。止められる場所へ誘導できれば一番いい。無理なら深追いしない」
悠斗が確認する。
「テンペストには?」
「蓮が運転。悠斗が助手席。後ろにシオンとケン」
リサがそのまま続ける。
「バンが止まったら、シオンとケンが先に出る」
「分かった」
シオンが答え、ケンも頷く。
「悠斗は2人の後ろ。周囲と無線を見て」
「戦闘なら、俺より2人の方が上です」
「だからその位置」
リサの返事は早かった。
「2人がバンへ集中した時、外を見る人が必要。蓮は基本的に運転席から離れない。いつでもテンペストを出せる状態にして」
「了解」
リサは次に最後尾のセダンを指した。
「私は別のセダンで後ろとの間へ入る。アキラとナナは私と一緒」
「俺たち?」
「ナナは周辺確認。警察、一般車、予定外の車両」
「了解」
「アキラは無線と、何か話す必要が出た時」
「そこは任せて」
配置が決まった。
ユウは暗色セダンで先頭のSUVを崩す。
テンペストには蓮、悠斗、シオン、ケン。
リサのセダンにはリサ、アキラ、ナナ。
「撤退条件も確認する」
リサが地図上へいくつか印をつける。
「ユウが前へ入れなければ一度流す。最後尾を切れなければ、テンペストはバンへ行かない。護衛が想定以上に多かった場合も同じ」
「ライフルやサブマシンガンがすぐ出たら?」
悠斗が聞く。
「無理に撃ち合わない。離れて立て直す」
「無線が切れたら?」
「各車、決めた離脱地点へ」
「誰か撃たれたら?」
「ケースより回収優先」
返事が速い。
一つずつ聞いていくうちに、悠斗はNOXのやり方を少しずつ理解し始めていた。
どうやって成功するかだけではない。
どこから失敗になるのか。
どこで切るのか。
そこまで先に決めている。
◇
午前0時46分。
三台の車が倉庫を出た。
先頭はユウが1人で乗る暗色セダン。
少し離れてテンペスト。運転席に蓮、助手席に悠斗、後部座席にはシオンとケン。
最後がリサのセダンで、運転席にリサ、助手席にアキラ、後部座席にナナが乗っている。
無線からリサの声が入った。
『確認。全車聞こえる?』
『問題なし』
ユウ。
「聞こえる」
蓮。
「大丈夫です」
悠斗。
『こっちも大丈夫』
アキラ。
『周辺も見えてる』
ナナ。
確認が終わると、無線はすぐに静かになった。
いつもの五人だけなら、移動中にも何かしら雑談が続く。
今日は必要な情報だけ。
その静けさが、悠斗の緊張を余計に強くした。
数分後。
『対象、動いた』
ナナの声が入る。
『白SUV、配送バン、濃紺セダン。順番も情報通り』
蓮がハンドルを握り直す。
『人数は外から確認できない』
『了解。各車、位置へ』
リサの指示と同時に、ユウの暗色セダンが先へ出る。
テンペストも一本横の道路へ入り、予定していた交差点へ向かった。
やがて、悠斗の視界に写真と同じ車列が現れる。
白いSUVの後ろに配送バン、そのさらに後ろを濃紺のセダンが一定の間隔で走っていた。
「見えた」
悠斗が小さく言う。
「こっちも」
蓮の声が低くなる。
『ユウ、行ける?』
『行ける』
暗色セダンが一度先へ回り込み、白いSUVの斜め前へ出る。
工事区間が近づく。
2車線だった道路が、その先で1車線へ絞られている。
ユウがSUVと速度を合わせる。
白いSUVも警戒したのか、少し間隔を取った。
『行く』
短い声。
暗色セダンが急に右へ寄った。
白いSUVも反射的に避けようとする。
だが、横には工事用の柵が迫っている。
逃げられる幅は少ない。
次の瞬間、暗色セダンの左後部が白いSUVの右前部へ強くぶつかった。
金属同士が潰れる鈍い音が夜道へ響く。
SUVの車体が大きく左へ振られた。
タイヤが路面を擦る甲高い音。
運転手が立て直そうとしているのが、後ろからでも分かる。
『前、崩した』
ユウの声は落ち着いていた。
強い減速。
それだけで、配送バンとの間隔が一気に開いた。
『次、入る』
リサ。
蓮もアクセルへ足を置く。
『テンペスト、準備』
「了解」
その時、シオンがミラーを見ながら口を開いた。
「後ろ、来る」
悠斗も振り返る。
濃紺のセダンが速度を落とさず、むしろ前へ詰めていた。
想定されていた動きだ。
『最後尾、詰めてます』
悠斗が無線へ入れる。
『見えてる』
リサの返答はすぐだった。
『無理に塞がない』
リサのセダンが少し進路を空ける。
その瞬間、濃紺のセダンが強引に横へ並んだ。
助手席の窓が下がる。
街灯の光を受けて、拳銃の金属部分が一瞬だけ光った。
「銃!」
『射線確認。後ろ離脱』
リサは迷わなかった。
乾いた銃声が2発響く。
リサのセダンは撃ち返さず、そのまま減速して横道へ外れた。
『後ろ切れない。最初のプラン中止』
蓮がアクセルから足を戻す。
目の前には配送バンがいる。
少し踏めば追いつける距離だ。
それでも行かない。
『テンペスト、バンへ行くな。一度離脱』
「了解」
蓮が迷わず車線を変える。
悠斗はミラーを確認した。
リサたちもすでに銃撃位置から離れている。
『ユウ、状況』
『俺は問題なし』
少し間が空いた。
『ただ、白SUVがおかしい』
「おかしい?」
蓮が反応する。
『右前。たぶん足回りやった』
悠斗も後方を見る。
白いSUVはまだ動いている。
だが明らかに直進できていなかった。
右前輪だけが不自然な角度を向き、車体が右へ引っ張られている。運転手は何度も修正しているが、速度を上げるほどふらつきが大きくなる。
『ナナ、見える?』
『見えてる』
ナナの声。
『白SUV、右前がおかしい。たぶんさっき当たった時にタイヤか足回り曲がってる』
護衛を続けようとしているのだろう。
SUVはしばらく走っていた。
だが、まともな速度まで上げられない。
ついには配送バンとの差が大きく開き、そのまま道路脇へ外れていった。
『白SUV、隊列から離脱』
ナナが報告する。
『残りは配送バンと濃紺セダン』
無線が一瞬静かになった。
作戦は一度失敗した。
だが、先頭の護衛車が消えた。
最初より条件は良くなっている。
『ユウ、次の区画使える?』
リサが聞く。
『使える。今度は俺が後ろへ回る』
『ナナ、周辺』
『一般車2台。どっちも距離取ってる。警察はまだ反応なし』
一拍。
リサが判断する。
『作戦変更。第二案で行く』
誰も聞き返さなかった。
『ユウは濃紺セダンへ。無理に当てなくていい。バンとの距離を作れれば十分』
『了解』
『テンペストはバン側。蓮、横へ並んでも無理に抜かない』
「了解」
『悠斗』
「はい」
『そっちは行ける?』
悠斗は前方を確認した。
逃げる配送バン。
その後ろに護衛の濃紺セダン。
テンペストには自分、蓮、シオン、ケン。
シオンとケンはすでに身を起こし、いつでも動けるようにしている。
蓮の運転にも問題はない。
「行けます」
『了解。続行。少しでも変だと思ったら即離脱』
「はい」
蓮がアクセルを踏み込んだ。
テンペストが静かに速度を上げる。
改修した足回りが路面を捉え、車体は大きく乱れない。
「今度こそだな」
蓮が前を見たまま言う。
「まだ分からないよ」
「分かってる」
声はさっきより落ち着いていた。
悠斗は無線へ耳を澄ませながら、前方の配送バンを見据えた。
計画はもう最初の形を失っている。
それでも班は崩れていない。
逃げるバンとの距離が、少しずつ縮まり始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




