第2章 第86話 ただの共有車じゃない
共有車をメカニックへ預けてから三日後。
昼を少し回った頃、悠斗のスマートフォンに短いメッセージが届いた。
『終わった。取りに来い』
送り主は、共有車の改修を頼んでいたメカニックだった。
悠斗はリビングダイニングのソファに座ったまま、その文章を確認する。
今日は特に仕事も入っていない。
そのまま五人のグループチャットへ、
『共有車、終わったみたい』
と送った。
一分もしないうちに蓮から返信が来る。
『行く』
さらに続けて、
『俺が運転する』
予想通りだった。
ナナからは、
『乗ったらどうだったか教えて』
アキラからは、
『勝手にニトロ付けてないよな?』
シオンからは、
『ブレーキ見て』
と、それぞれらしい返事が届く。
「分かりやすいな……」
悠斗は小さく笑って立ち上がった。
◇
一時間ほど後。
悠斗の銀色のセダンは、南部の工業地帯を走っていた。
助手席には蓮が座っている。
昼間の南部は大型トラックや配送車が多く、低い倉庫や工場の前では作業着姿の人間が行き交っていた。道路沿いの小さな飲食店には昼休憩らしい客が集まり、その横には配送用のバンや古いピックアップが並んでいる。
「もうちょい飛ばしてもよくない?」
蓮が前方を見ながら言った。
「急ぐ理由ないだろ」
「早く乗りたい」
「子供かよ」
「車に関しては否定しない」
悠斗は呆れながらも笑う。
「そういえば、椅子使った?」
「昨日持ってきたばっかりだろ」
「せっかく置いたのに」
「誰も来てないから使ってない」
「じゃあ帰ったら俺が使う」
「なんでお前が使うんだよ」
「俺が持ってきた椅子だから」
「俺の家に置いたんだけど」
「貸してるだけ」
「初めて聞いた」
そんなくだらない話をしているうちに、共有車を預けた場所へ着いた。
悠斗は銀色のセダンを敷地へ入れる。
半分ほど開いたシャッターの奥に、黒い四ドアセダンが止まっていた。
元はアキラが中古車店で買った灰色のスポーティセダンだ。
五人で使うようになってから黒へ塗り替え、以前の姿から判別されにくくするため、外装にもいくつか手を入れている。
今回変わったのは見た目ではない。
ブレーキと足回り、それに走行時の安定性だ。
「今回は中身だな」
蓮が助手席から降りながら言った。
「見た目はもう前に変えたしね」
悠斗も車を見ながら答える。
奥からメカニックが出てきた。
「一通り終わってる」
「どうです?」
蓮がすぐに聞く。
「ブレーキと足回りは手を入れた。前より姿勢は安定するはずだ。高速域でも暴れにくくしてある」
「エンジンは?」
「触ってない」
「分かってる。一応」
「まだ未練あるのか」
メカニックが呆れたように笑う。
「速い方が好きなのは変わらないんで」
「仕事用だって言ってただろ」
「だから今回は我慢した」
「我慢って言うなよ」
悠斗もつられて笑った。
今回の改修には、プール金から5,800ドルを使っている。
元々が高価な車ではないだけに、決して小さな出費ではない。
それでも、五人で必要だと判断して決めた金だった。
「問題があったらまた持ってこい。細かい調整くらいならできる」
「分かりました。ありがとうございます」
悠斗が礼を言い、管理していた鍵を蓮へ渡す。
蓮は受け取った鍵を指先で回したあと、ふと思い出したようにメカニックを見る。
「そういえば、今度俺のヴァルカン・レイザーも見てもらっていい?」
「お前のか?」
「うん」
「どこまで弄ってる?」
「エンジンとブレーキ」
メカニックが少しだけ眉を上げる。
「足は?」
「ほぼそのまま」
「駆動系は?」
「そこも」
「エンジン先にやったのか」
「速くしたかったから」
「分かりやすいな、お前」
悠斗が横で笑う。
「でもブレーキはやってる」
蓮がすぐに反論した。
「止まれないのは嫌だから」
「そこだけ現実的だな」
「大事だろ」
メカニックは黒いセダンへ一度視線を向けてから、蓮へ戻した。
「持ってくりゃ見る。今の話だけなら、足回りも一回見た方がいい」
「やっぱそう?」
「エンジン強くして、ブレーキだけ良くしても、それで全部終わりじゃねえからな」
「じゃあ今度持ってくる」
「先に金は用意しとけよ」
「それは大丈夫」
蓮が即答すると、メカニックが片眉を上げた。
「景気いいな」
「この前ちょっと稼いだから」
「なら好きにしろ。ただ、何でも載せれば速くなると思うなよ」
「分かってるって」
「本当か?」
「たぶん」
「帰れ」
「まだ共有車乗ってないんだけど」
蓮が笑いながら運転席へ向かう。
「じゃあ帰り、俺これな」
「分かってる」
「悠斗は自分の車」
「それ以外ないだろ」
「念のため」
「前にも同じことしただろ」
蓮は笑いながら黒いセダンへ乗り込んだ。
◇
そこを出て十分ほど。
前を走る黒い共有車を、悠斗は銀色のセダンで追っていた。
蓮は最初から速度を上げることはせず、何度か緩やかにブレーキを踏み、交差点では無理のない速度で曲がっている。
車の反応を確かめているのだろう。
赤信号で二台が並んだ。
蓮が窓を開ける。
「全然違う」
「そんなに?」
「止まる時がかなり楽。前より車体が落ち着いてる」
「曲がる方は?」
「それもいい。変な揺れが少ない」
声が弾んでいる。
「ヴァルカン・レイザーもやりたくなった?」
「ちょっとな」
「ちょっと?」
「結構」
「正直だな」
「だって今までエンジンとブレーキだけだし」
「レース出てたのに?」
「走れるから問題ないと思ってた」
「今は?」
蓮は少し考えたあと、ハンドルを軽く叩いた。
「こういうの乗ると、ちゃんと弄った方が気持ちいいのは分かる」
「また車に金突っ込む気?」
「そのために稼いでるようなもんだろ」
「この前まとまった金入ったからって、全部使うなよ」
「全部は使わないって」
「一応そこは考えてるんだ」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「車を見ると財布の紐が緩む人」
「失礼だな」
蓮は笑っている。
愛車へ使う金の話をしている時の方が、報酬を数えていた時よりずっと楽しそうだった。
いかにも蓮らしい。
信号が青へ変わり、二台は再び走り出す。
しばらく進んだところで、路肩へ寄ろうとした配送車が前方で速度を落とした。
蓮もすぐに減速する。
黒いセダンは大きく姿勢を崩すことなく速度を落とし、そのまま周囲の流れへ戻った。
派手な場面ではない。
それでも後ろから見ていた悠斗には、以前より安定していることが分かった。
次の交差点で赤信号に捕まると、蓮が再び窓を開けた。
「なあ」
「何?」
「共有車って呼ぶの、もうやめない?」
悠斗は少し首を傾げた。
「急にどうしたの?」
「なんか嫌なんだよ」
「何が?」
「こいつ、ちゃんと車種名あるだろ」
「まあ、あるけど」
「ヴァルカン・テンペスト」
蓮がハンドルを軽く叩く。
悠斗は、今までこの車を車種名で呼んだことがなかった。
アキラが乗っていた頃は、灰色の車。
五人で買ってからは、共有車。
それで十分だった。
「買ったばっかの頃なら共有車でよかったけどさ」
「うん」
「色変えて、外も変えて、壊れたところ直して、今回ちゃんと足まで入れただろ」
蓮は黒い車内を見回してから、少しだけ笑う。
「ここまでやって、ずっと『共有車』って雑じゃない?」
悠斗はテンペストを見る。
最初は、ただ五人で使える車が必要だった。
アキラが中古で買った車を譲ってもらい、見た目を変え、仕事で傷めれば直し、少しずつ金をかけてきた。
最初から特別な一台だったわけではない。
むしろ、安く手に入れた中古車だった。
それでも今となっては、ただの足とは少し違う。
「じゃあ、テンペストって呼ぶ?」
「普通そうだろ」
「今さらだけど」
「今さらだからいいんだよ」
「どういう意味?」
「前は何でもよかったけど、今はちょっと愛着あるし」
蓮は照れた様子もなく言った。
「これからテンペストな」
「勝手に決めるんだ」
「嫌?」
「別に」
「じゃあ決まり」
蓮は満足そうに笑った。
悠斗も、テンペストという呼び方を悪くないと思った。
◇
信号が青へ変わり、テンペストが前へ出る。
その直後、悠斗のスマートフォンが鳴った。
画面に表示された名前を見て、少しだけ表情が変わる。
カナメだった。
車載のハンズフリーへ切り替え、通話に出る。
「はい」
『神谷か』
「はい」
『今、話せるか』
「大丈夫です」
悠斗は前を走るテンペストとの距離を保ちながら答えた。
『次の仕事がある』
「はい」
『今回は、お前らだけで一区切り任せる形じゃない』
悠斗は黙って続きを待つ。
『こっちの人間と同じ班で動いてもらう』
その言葉に、悠斗は少しだけ眉を上げた。
これまでもNOXとは同じ仕事をしている。
取引の護衛では同じ現場へ入り、NOX側と自分たちでそれぞれ役割を持って動いた。
ただ、その時は担当がある程度分かれていた。
「同じ班、ですか?」
『そうだ。こっちからも数人出す。お前ら五人も混ぜる』
「分かりました」
『詳しい内容は会ってから話す』
「はい」
『明日の夜、いつもの場所へ五人で来い』
「分かりました」
短いやり取りで通話が切れた。
悠斗は前を走るテンペストを見ながら、今の言葉を考える。
ベルから12,000ドルを回収した時は、五人だけで考え、五人だけで動いた。
今回はNOXの人間と混ざって動く。
前とは違うものを見られることだけは分かった。
何をどこまで見ているのかは、まだ分からない。
その辺りがNOXらしくもあった。
次の信号で二台が止まる。
蓮が窓を開けた。
「電話、誰?」
「カナメさん」
「仕事?」
「うん。明日の夜、五人で来いって」
「また俺らだけ?」
「今度は違う」
悠斗は少し考えてから答えた。
「NOXの人たちと、同じ班で動くらしい」
蓮の表情が変わる。
「同じ班?」
「向こうの人と俺たちを混ぜるって」
「へえ……」
面白そうに口元を緩めた。
「何やるんだろ」
「詳しくは明日だって」
「そっか」
蓮は前方へ目を戻す。
「じゃあ、テンペストは間に合ったな」
その呼び方に、悠斗は少しだけ笑った。
「そうだな」
信号が青へ変わった。
蓮の運転する黒いテンペストが、交通の流れへ戻っていく。
その車で、明日はNOXの人間と同じ班に入る。
悠斗は銀色のセダンで、その後を追った。
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