第2章 第83話 疑うだけじゃ進まない
暗い色のワゴンは、待ち合わせ場所から少し離れた道路脇に停まったまま動かなかった。
ベルが乗ってきた灰色のセダンとは距離があり、車内に何人いるのかも、ここからでは分からない。
共有車の中に、さっきまでとは違う緊張が広がっていた。
「どうする?」
アキラが小さく聞いた。
悠斗はすぐには答えず、フロントガラス越しにワゴンとベルを交互に見る。
ワゴンがベルの到着直後に現れ、そのまま近くへ停まった。
それは事実だ。
だが、ベルと関係している証拠はない。
「ナナ。ほかに変わったことある?」
「今のところない」
ナナはワゴンから視線を外さずに答えた。
「停まってから、まだ誰も降りてきてない。ベルがあっちに合図したような動きもない」
「ベルは?」
シオンが聞く。
「ずっと一人。封筒持ったまま」
ベルは灰色のセダンの横に立ち、片手に厚手の封筒を持っている。
腕時計を確認したあと、周囲へ目を向けた。
少なくとも、今のところ約束と違う動きはない。
「俺は行ってもいいと思う」
アキラが言った。
「理由は?」
「今分かってることだけなら、中止するほどじゃないから」
アキラはワゴンへ視線を向ける。
「気にはなる。でも、車が一台来たってだけで毎回帰ってたら仕事にならない」
「俺も行けると思う」
蓮が続けた。
「車はすぐ出せる」
シオンは数秒考えてから口を開く。
「行くなら予定通り。俺は近くにいる」
「何か変わったら?」
「その時点で止める」
最後に悠斗はナナを見る。
「ナナは?」
「気にはなる。でも、ベルの仲間だとは言えない」
五人の意見はほぼ同じだった。
警戒はする。
だが、分からないものを勝手に危険だと決めつけない。
「じゃあ行こう」
悠斗が言った。
「予定と違う動きがあったら中止する」
アキラとシオンが頷いた。
三人が共有車を降りた。
◇
外へ出ると、車内にいた時より夜気が冷たく感じた。
雨上がりのアスファルトから湿った匂いが立ち、一本向こうの大通りを走る車の音が断続的に響いている。
悠斗とアキラが並んで歩き、シオンは少し距離を空けてついてくる。
ベルがこちらを見る。
「NOXから?」
先に声をかけてきた。
資料で見た顔と一致している。
「はい」
悠斗が答える。
「昨日連絡した者です」
「五人って言ってたな」
「はい」
ベルは共有車へ一度視線を向けた。
警戒はしている。
だが、立ち去ろうとはしない。
アキラが自然に半歩前へ出る。
「ベルさんで間違いないですか?」
「ああ」
「今日は12,000ドルを確認して受け取るのが目的です。必要な確認が終われば、それで終わりです」
ベルはアキラを数秒見た。
「……分かった」
まだ警戒は残っているようだったが、それ以上は何も言わない。
手にしていた厚手の封筒を少し持ち上げる。
「ここにある」
「確認しても?」
アキラが聞く。
「好きにしろ」
悠斗が封筒を受け取った。
見た目はただの封筒だ。
それでも、中に入っている金額を思うと妙に重く感じる。
意識の端には、まだワゴンが引っかかっていた。
だが、悠斗はそちらを露骨に振り返らなかった。
アキラがベルへ視線を戻す。
「あと一つだけ。二回延期になった理由を聞いてもいいですか?」
ベルの眉が僅かに寄る。
「それ、今聞く必要あるか?」
「責めるつもりはありません。NOXへ戻った時に聞かれるかもしれないので、分かる範囲だけで大丈夫です」
ベルは少し黙ったあと、肩の力を抜いた。
「一回目は金が揃ってなかった。二回目は仲介先が揉め事起こして、そっちに時間取られた」
「今日は問題ない?」
「だから持ってきた」
「分かりました。ありがとうございます」
アキラはそこで話を切った。
理由を聞けたからといって、それ以上は追及しない。
悠斗は少しだけ感心した。
自分だったら、会話が途切れるのが気になって、余計なことまで聞いてしまったかもしれない。
「数える?」
悠斗が小声で聞く。
「確認はした方がいい」
アキラはベルにも聞こえるように答えた。
「そのために来てるし」
「足りないって後から言われても困る。今数えろ」
ベルも同意した。
悠斗は封筒を開き、中身を確認する。
厚くまとめられた紙幣と、その横に分けられた残りを順に数えていった。
焦らないよう、金額を確かめる。
「……12,000ドルあります」
「なら終わりだな」
ベルが言った。
少し離れた位置にいるシオンが、一度だけ暗いワゴンへ目を向け、その後、共有車の方を確認した。
ナナがこちらへ何か合図を送っている様子はない。
シオンも位置を変えない。
今のところ問題なし。
悠斗はそう判断した。
「確認できました」
アキラがベルへ言う。
「これで終わりです」
「NOXには、ちゃんと渡したって言っとけ」
「伝えます」
ベルはそれだけ言うと、灰色のセダンへ戻っていった。
運転席へ乗り込み、エンジンをかける。
悠斗たちはその場で少し待った。
灰色のセダンが駐車スペースを出て、大通り側へ消えていく。
「戻ろう」
悠斗が言った。
◇
三人が共有車へ戻る。
ドアを閉めた瞬間、蓮が振り返った。
「どうだった?」
「12,000ドルあった」
悠斗が封筒を見せる。
「普通に終わった」
「ワゴンは?」
アキラが聞く。
「動いてない」
ナナが答えた。
「停まってから、誰も降りてない」
「ベルとも接触なし」
シオンが続ける。
「じゃあ無関係?」
蓮が聞く。
「まだ分からない」
ナナが答えた。
「今のところベルと繋がってる材料はない。でも、それ以上は言えない」
悠斗も同じ考えだった。
ベルは帰った。
金も受け取った。
ワゴンはまだその場に停まっている。
それ以上、自分たちが残る理由はない。
「行こう」
悠斗が言った。
「ワゴン、確認しなくていい?」
蓮が聞く。
「行かない」
今度は迷わなかった。
「俺たちの仕事じゃない」
シオンが小さく頷く。
「それでいい」
蓮がエンジンをかけた。
共有車がゆっくりとその場を離れる。
ナナはしばらくサイドミラー越しに、まだ停まっているワゴンを確認していた。
悠斗も気にならないわけではない。
それでも、引き返して正体を確かめようとは思わなかった。
受け取った12,000ドルをNOXへ届ける。
今、自分たちがやるべきなのはそれだった。
◇
NOXの事務所へ着いたのは、それから三十分ほど後だった。
会議室にはカナメが一人で待っていた。
悠斗が厚手の封筒を机へ置く。
「12,000ドル、受け取りました」
カナメが封筒を開き、中身を確認する。
「何かあったか?」
「受け渡し自体は問題ありませんでした」
悠斗が答えた。
「ただ、ベルが来た直後に、少し離れたところへ知らないワゴンが止まりました」
カナメが視線を上げる。
「ベルとの関係は?」
「分かりません」
ナナが答えた。
「停まってから、誰も降りてません。ベルが合図したような動きもなくて、接触もありませんでした」
「それで?」
「警戒はしたまま、予定通り受け取りを進めました」
悠斗が答える。
「ベルは一人でしたし、武器を見せたり、ほかの誰かを呼んだりもしませんでした。金額も12,000ドル全部ありました」
「その後は?」
「ベルが帰ったので、俺たちもその場を離れました」
カナメが短く頷く。
「ワゴンを確認しには行かなかったのか?」
「はい」
「理由は?」
悠斗は少し考えてから答えた。
「俺たちが任されたのは、ベルから12,000ドルを受け取って持ってくるところまでだったので」
「中止は考えたか?」
「考えました」
今度はアキラが答える。
「でも、ワゴンがベルと関係していると判断できる材料もなかったので、そのまま進めました」
「そうか」
カナメはそれだけ返した。
ナナが少し迷ってから口を開く。
「ワゴンって、結局何だったんですか?」
「知らなくていい」
「ベルとは関係なかった?」
「それを知ってどうする」
「……私たちの判断が合ってたのか分かるかなって」
カナメは少しだけナナを見た。
「金は持って帰ってきた」
「はい」
「余計なこともしてない」
それだけだった。
ナナもそれ以上は聞かなかった。
カナメは12,000ドルの入った封筒を自分の側へ寄せると、机の引き出しを開けた。
「それと、こっちは今回の報酬だ」
別の封筒が机の上を滑ってくる。
悠斗が受け取った。
「いくらですか?」
「2,000ドル。五人分だ」
悠斗は中身を確認してから封筒を閉じる。
「ありがとうございます」
「ああ」
カナメはそれ以上、報酬について何も言わなかった。
「今回はそれで終わりだ」
「はい」
悠斗が答える。
五人が席を立ち、会議室を出ようとしたところで、カナメが声をかけた。
「また仕事があれば連絡する」
悠斗が振り返る。
「分かりました」
それだけだった。
褒められたわけでも、細かな答え合わせをされたわけでもない。
ただ、任された仕事を終えて、報酬を受け取った。
NOXにとっては、それで十分なのだろう。
◇
事務所を出ると、夜風が建物の間を抜けていた。
張り詰めていたものがようやく緩み、悠斗は小さく息を吐く。
共有車へ向かう途中、蓮が悠斗の持つ封筒へ目を向けた。
「2,000ドルか」
「五人なら一人400ドルだね」
ナナが言う。
「今回は普通に分ける?」
アキラが聞いた。
悠斗は少し考える。
「仕事で使った燃料とかはプール金から出すとして、報酬は五人で分けてもいいんじゃないかな」
「俺はそれでいい」
シオンが答えた。
「俺も」
蓮も続く。
ナナとアキラにも異論はなかった。
「じゃあ、次に五人で集まった時に分けよう」
悠斗が言う。
「了解。それより飯行こうぜ」
蓮がすぐに続けた。
「結局そこなんだ」
ナナが呆れたように笑う。
「今日は頭使ったから腹減ったんだよ」
「ほとんど運転席にいたでしょ」
「運転席でも頭は使うって」
「はいはい」
アキラも笑いながら助手席側へ回る。
シオンはいつものように何も言わず、後部座席へ向かった。
悠斗は一歩遅れて、四人の背中を見る。
銃撃戦もなかった。
派手な逃走もなかった。
12,000ドルを受け取り、NOXへ届けただけだ。
けれど今回は、待ち合わせ場所を選んだのも、役割を決めたのも、予定外のワゴンを見てどうするか考えたのも自分たちだった。
NOXから細かなやり方を指示されたわけではない。
五人で考えて、五人で動き、仕事を終えた。
そして、その仕事に対して2,000ドルを受け取った。
それだけのことなのに、以前とは少し違う気がした。
誰かの後ろをついていくだけではなく、自分たちで決めたやり方で最後までやれた。
悠斗には、そのことが少しだけ嬉しかった。
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