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『引きこもり高校生、犯罪都市でギャングを始める ~友達ゼロだった俺の成り上がり~  作者: 阿鼻恭介
第1章

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第1章 第8話 表と裏

 翌朝、神谷悠斗はいつも通り《レイヴン交通》の営業所へ向かった。


 ほとんど眠れなかった。


 ベッドへ入ってからも、昨夜の光景が何度も頭へ戻ってきたからだ。


 バックミラーを染めた赤と青の光。


 耳に残るサイレン。


 交差点へ飛び込んできた車のヘッドライト。


 途中で知った、灰色のセダンが盗難車だったという事実。


 そして今、財布の奥には犯罪で受け取った二千ドル分のプリペイドカードが入っている。


 全部、本当に起きたことだった。


「神谷、今日は七号車な」


「はい」


 受付から鍵を受け取り、駐車場へ向かう。


 制服姿で正規のタクシーへ乗り込むと、昨夜との落差が妙だった。


 昨日は盗難車。


 今日は会社の車。


 昨日は警察から逃げた。


 今日は客を安全に送り届ける。


 エンジンをかけると、いつもの業務端末が起動した。


 最初の客は駅へ向かう会社員。


 次は通院らしい老夫婦。


 昼前には、大きな紙袋を抱えた女性を住宅街まで送った。


「ここでいいです。ありがとう」


「ありがとうございました」


 客が降りてドアが閉まる。


 発進しようとした時、交差点の向こうからパトカーが走ってきた。


 悠斗の右足が止まった。


 サイレンは鳴っていない。


 こちらへ近づいてくるわけでもない。


 昨夜は暗く、警察官と正面から顔を合わせてもいない。それでも、どこかの監視カメラに自分の顔が映っていたらどうするのか。そんな考えが勝手に浮かぶ。


 パトカーは悠斗の前を通り過ぎ、そのまま角を曲がった。


「……俺を探してるわけじゃない」


 声に出してから、ようやく息を吐いた。


 昨日までなら、警察車両は街の景色の一部だった。


 今は違う。


 自分には、警察に知られたくないことがある。


 その事実だけで、同じ街が少し違って見えた。


          ◇ ◇ ◇


 夕方、勤務を終えた悠斗がスマートフォンを確認すると、カイからメッセージが届いていた。


『仕事終わった?』


『今終わりました』


 すぐ返事が来る。


『飯行こうぜ。昨日見つけた店ある』


 悠斗は少しだけ口元を緩めた。


『行きます』


 以前なら、疲れていることを理由に断っていたかもしれない。


 今は誘われること自体が嬉しかった。


 待ち合わせ場所へ行くと、作業着姿のカイが古いクーペのそばでスマートフォンを触っていた。


「お、来た」


「待ちました?」


「三分」


「すみません」


「三分で謝んなよ」


 カイが笑いながら運転席へ乗る。


 悠斗も助手席へ座った。


「なんか顔疲れてね?」


「……ちょっと寝不足で」


「夜更かし?」


「そんな感じです」


 盗難車で警察から逃げていたとは、とても言えない。


 カイは怪しむ様子もなく車を出した。


「今日の店、安いし量多いぞ。金ない整備士に優しい」


「カイさん、普通に働いてますよね」


「働いた金が車に消えんの」


「じゃあ金ないですね」


「納得早すぎだろ」


 十分ほど走って着いたのは、南部と中央地区の境に近い小さなダイナーだった。


 店の上には《SUNSET DINER》と書かれた古い看板が掛かっている。窓から漏れる暖色の光の向こうには、作業着姿の男や家族連れが見えた。


 ドアを開けると、食器の触れ合う音と焼いた肉の匂いが迎える。


「いらっしゃいませー……って、カイ。また来たの?」


 カウンターの向こうから、悠斗とそれほど年の変わらなさそうな女性が顔を上げた。


 茶色い髪を後ろでまとめ、胸元に《MIO》と書かれたネームプレートを付けている。


「昨日一回来ただけだろ」


「昨日来て今日も来たら、またでしょ」


「客への扱い雑じゃない?」


「常連になったらもっと雑になるよ」


「ならねえ」


 カイはそう言いながら笑っていた。


 女性の視線が悠斗へ向く。


「そっちは?」


「ああ、友達。悠斗」


 あまりに普通に言われたので、悠斗は一瞬返事が遅れた。


 友達。


 その呼ばれ方には、まだ慣れていない。


「神谷悠斗です」


「宮原ミオ。よろしく。カイの友達なら車の話ばっか聞かされて大変じゃない?」


「今のところは結構面白いです」


「ほら」


「何が、ほら、なの」


 ミオが呆れたように笑う。


 窓際の席へ案内され、カイは大きなハンバーガーを、悠斗はチキンプレートを頼んだ。


 食事の間に話したのは、大した内容ではない。


 カイの工場へ入ってきた古いスポーツカー。


 悠斗が乗せた妙に話好きな客。


 信号待ちで見かけた派手な改造車。


 それだけで会話は続いた。


 昨夜のことを隠している後ろめたさはあった。


 それでも、誰かと同じテーブルを囲みながら食事をする時間は落ち着いた。


 前世ではほとんどなかった時間だ。


「ごちそうさまです」


 会計を終えると、ミオが皿を片づけながら言った。


「また来てね。カイ一人だとうるさいから」


「俺の扱いだけおかしくない?」


「気のせい」


 悠斗は小さく笑う。


「また来ます」


 そう口にできたことが、少しだけ嬉しかった。


          ◇ ◇ ◇


 カイと別れ、宿へ戻ろうとしていた時だった。


 スマートフォンが震える。


 表示された名前を見て、悠斗の足が止まった。


 ユウジ。


『仕事ある』


 さっきまでいたダイナーの明かりが、後ろに見えている。


 悠斗はその光を一度振り返ってから、画面へ視線を落とした。


『人を一人送ってほしい』


 続けて金額が届く。


『五百ドル』


 昨夜の二千ドルよりかなり安い。


 それでも、普通の送迎として考えれば高額だった。


『客が自分の車を使いたくねえ事情ある。普通のタクシーも避けたいらしい』


 さらに、


『今回は盗難車じゃねえ』


 と付け加えられる。


「今回は、って……」


 悠斗は眉を寄せた。


『警察から逃げる仕事ですか』


 少し待つと返事が来た。


『その予定はない』


 昨日よりは信用できる答えだった。


 少し迷ったあと、悠斗は返信する。


『場所を教えてください』


          ◇ ◇ ◇


 指定されたのは南部にある小さなコインパーキングだった。


 そこには黒い四ドア車が一台停まっている。


 ユウジから、


『仲間名義の車だ。普通に登録されてる』


 とメッセージが来ていた。


 本当かどうかまで悠斗には確かめようがない。


 それでも、少なくとも昨日よりはましだと思うことにした。


 指定された場所から鍵を受け取り、車を走らせる。


 二十分ほどして着いたのは、東部へ向かう幹線道路沿いの自動車用品店だった。


 閉店間際の店先に、一人の若者が立っている。


 年齢は悠斗と大きく変わらなそうだった。


 明るい茶髪に黒いジャケット。肩には小さなバッグを掛けている。


 悠斗が車を寄せると、その若者は助手席へ乗ってきた。


「よろしく」


「……お願いします」


 若者はシートベルトを締めながら、悠斗を横目で見る。


「見ない顔だな」


「最近、この辺の仕事始めたばかりなので」


「へえ」


 それ以上は聞かれなかった。


 悠斗も自分から話さず、ナビに入っている目的地へ向けて車を出した。


 数分ほど走ったところで、若者が口を開く。


「ユウジ、昨日も新人使ったらしいな」


 悠斗の指に少し力が入った。


「……そうなんですか」


「知らねえ?」


「俺、まだあの人のことほとんど知らないので」


 若者が一瞬こちらを見る。


 試すような視線だった。


「警戒するんだな」


「普通だと思います」


「まあ、そうか」


 それ以上追及しない。


 悠斗は内心で少し息を吐いた。


 危なかった。


 相手が何を知っているのか分からないうちから、自分のことを喋るべきではない。


 昨日までなら、そんなことすら考えていなかったかもしれない。


「俺、久我蓮」


 若者が唐突に名乗った。


「神谷悠斗です」


「敬語いらねえよ。俺十八」


「一個上ですよね」


「一個で敬語使う?」


「……使います」


 蓮が吹き出した。


「真面目だな」


 そこから先は、蓮が勝手に喋った。


 最近見た改造車。


 東部の山道。


 速い車と遅い車の違い。


 夜になると集まるレーサーたち。


 話の半分くらいは車だった。


 カイとは違う。


 カイは機械としての車が好きだ。


 蓮は走らせることそのものが好きなのだと、話を聞いているだけで分かった。


「悠斗、運転丁寧だな」


「まだ慣れてないので」


「それは悪いことじゃないだろ」


 蓮が窓の外を見ながら言う。


「飛ばせる奴より、ちゃんと止まれる奴の方が先に覚えること少ないし」


 昼間の男の、


『帰ってこれる奴が上手い』


 という言葉がまた頭に浮かぶ。


 車に慣れた人間ほど、速さだけを褒めないのかもしれない。


「蓮さんはレースするんですか?」


「蓮でいいって。するよ」


「普通の?」


 蓮が口元を上げた。


「聞く?」


「……聞かなかったことにした方がいいですか?」


「ははっ。いい返しするじゃん」


 蓮は面白そうに笑った。


「違法の方」


 悠斗は少しだけ横を見る。


「やっぱり」


「興味ある?」


 すぐ答えようとして、やめた。


 初対面の相手だ。


「見るだけなら、少し」


「へえ」


 蓮はそれ以上誘ってこなかった。


「まあ、またどっかで会ったらな」


「こういう仕事、よくしてるんですか?」


「俺? たまに。自分の車使いたくねえ時とか」


 今回の高めの送迎代の理由が少し分かった。


「何かあったんですか?」


「そこ聞く?」


「……すみません」


「冗談。聞かない方が長生きするぞ」


 蓮は笑っていたが、その言葉だけは妙に本気に聞こえた。


 目的地は東部へ入る少し手前の古いモーテルだった。


 悠斗が車を停める。


「ありがとな」


「はい」


 蓮はドアを開け、外へ出た。


 そのまま数歩進んでから、振り返る。


「悠斗」


「はい?」


「次会った時も、その丁寧な運転してたら覚えてるわ」


「それ褒めてます?」


「半分くらい」


 蓮は片手を上げ、そのままモーテルの方へ歩いていった。


 悠斗はその背中を見送る。


 連絡先は交換していない。


 友人でもない。


 犯罪仲間と呼べるほどでもない。


 ただ、裏側の世界にも、自分と年齢の近い人間が普通にいる。


 それを初めて実感した。


 スマートフォンにユウジからメッセージが届く。


『仕事終了。カードは車の収納に入ってる』


 確認すると、助手席前の収納に五百ドル分のプリペイドカードが入っていた。


 悠斗はそれを手に取り、しばらく見つめた。


 昼はタクシーで一般客を運び、カイと食事をして、ミオという新しい知り合いができた。


 夜は誰にも言えない仕事をし、久我蓮という裏側の人間に出会った。


 同じ街で起きているのに、まるで違う生活だった。


 悠斗はカードを財布へしまい、静かに車のエンジンをかける。


 まだ自分を半グレと呼ぶには早い。


 それでも、レイヴンシティでの毎日は少しずつ、表と裏の二つに分かれ始めていた。

お読みいただきありがとうございます。

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