↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『引きこもり高校生、犯罪都市でギャングを始める ~友達ゼロだった俺の成り上がり~  作者: 阿鼻恭介
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/170

第1章 第7話 初めての逃走

 赤と青の光が、バックミラーの中で大きく揺れていた。


 神谷悠斗はハンドルを握る手に力を込める。


 逃げる。


 そう決めてアクセルを踏んだはずなのに、頭も身体もまるで速度についてきてくれない。


 前方の車、信号、歩道の人影、左右のミラー。普段なら余裕を持って確認できるものが、一度に押し寄せてくる。


「落ち着け……」


 自分へ言い聞かせるが、背後から響くサイレンが容赦なく心臓を急かした。


 夜の大通りはまだ交通量が多い。


 前を走るワゴン車へ急速に追いつき、悠斗は慌ててブレーキを踏んだ。


「っ!」


 シートベルトが胸へ食い込む。


 右へ避けようとしてミラーを見るが、隣の車線にも車がいる。


 前方。


 ミラー。


 速度。


 信号。


 パトカー。


 一度に見なければならないものが多すぎる。


 生前に見ていた配信では、逃走役が無線で冗談を飛ばしながら車の隙間を抜けていた。


 自分にも少しくらいできるのではないか。


 そんな考えが、どれほど甘かったのか嫌というほど分かる。


 スマートフォンが震えた。


 見る余裕はない。


 数秒後、今度は着信音が鳴った。


 ユウジだ。


 悠斗は音声操作で通話を繋ぐ。


『まだ捕まってねえか?』


「見れば分かるなら聞かないでください!」


 思わず強い声が出た。


 普段なら初対面に近い相手へ、こんな返し方はできない。


 自分でも少し驚いたが、取り繕う余裕などなかった。


『喋れるならまだ平気だな』


「全然平気じゃないです!」


『前見ろ。無茶して事故る方が終わりだ』


「逃げろって言ったの、そっちじゃないですか!」


『逃げろとは言った。死ねとは言ってねえ』


 昼間に乗せた、名前も知らない男の言葉が頭をよぎる。


『帰ってこれる奴が上手い』


 なぜか今になって、その意味が重く感じられた。


『港へ真っすぐ行くな。目的地はいったん忘れろ』


「じゃあ、どこへ?」


『そこまで俺に聞くな。運転してんのはお前だ』


「……!」


『見張りから追跡の位置だけは流す。あとは自分で考えろ』


 通話が切れた。


「何なんだよ……」


 愚痴を漏らしながら、悠斗は前方へ意識を戻した。


 配信で得た知識ならいくらでもある。


 大通りを走り続けない。


 視界を切る。


 逃走車を交換する。


 追跡側へ進路を読ませない。


 けれど、知っているだけだ。


 今の悠斗には予備車もなければ、街を自在に走れる技術もない。


 頼れるのは、この二週間タクシーで走って覚えた道くらいだった。


 前方の信号が赤へ変わる。


 無理に突っ込まず、交差点の手前で左折した。


 古い倉庫と工場に挟まれた道へ入る。


 幅は狭く、大型車の路上駐車も多い。


 当然、パトカーも追ってきた。


「全然離れない……」


 焦ってアクセルを踏み込みたくなる。


 だが前方にはトラックが半分道路へはみ出して停まっていた。


 対向車も来ている。


 無理に抜けばぶつかる。


 悠斗は歯を食いしばって速度を落とした。


 対向車が抜けるのを待ってから、トラックの横を通る。


 その間にもサイレンは近づいてくる。


「まずい……」


 次の角を曲がると、高架道路の太い柱が見えた。


 その向こうは港湾地区へ続く物流地帯だ。


 大型倉庫が何棟も並び、道路も複雑に枝分かれしている。


 タクシーで一度来た時、ナビがなければ迷いそうだと思った場所だった。


 悠斗は高架下へ入る。


 周囲の交通が一気に変わった。


 コンテナを載せたトレーラー。


 荷下ろし待ちの大型車。


 倉庫へ出入りする配送トラック。


 誘導灯を振る作業員。


 速度は出せないが、大型車が頻繁に視界を遮る。


 前方で一台のトレーラーがゆっくり右折を始めた。


「止まるしかない……!」


 悠斗はブレーキを踏む。


 長い車体が道路を横切り、後方の視界を完全に塞いだ。


 狙ったわけではない。


 ただの偶然だった。


 数秒後、トレーラーが抜ける。


 その先で道は三方向へ分かれていた。


 悠斗は左の側道へ入る。


 さらに別の大型車が高架の柱の間を横切り、もう一度後方が見えなくなる。


 サイレンはまだ聞こえた。


 だが、さっきまでより遠い。


 似た倉庫が並ぶ道を二度曲がったところで、スマートフォンへメッセージが届いた。


『見張りの方じゃ、追ってたパトカーが一本向こう抜けた』


 すぐ続く。


『撒けたとは限らねえ。目立つな』


 悠斗は返信せず、バックミラーと脇道を何度も確認した。


 赤と青の光はない。


 サイレンも徐々に遠ざかっていく。


「……逃げた?」


 まだ信じきれない。


 悠斗は少し走ってから、人通りのない倉庫脇へ車を寄せた。


 エンジンは切らない。


 ハンドルから手を離した瞬間、指先が細かく震えていることに気づいた。


「……はぁ」


 大きく息を吐く。


 背中は汗で湿り、喉もからからだった。


 配信なら、ここで逃走成功を喜んでいた。


 仲間の声が無線から飛び、笑い声が響く。


 今は一人だ。


 もし、さっき対向車へぶつかっていたら。


 もし、警察に囲まれていたら。


 簡単に終わっていたかもしれない。


「……これが犯罪なんだ」


 汗ばんだ掌をズボンで拭った。


 怖かった。


 それでも、恐怖だけでは説明できない熱が胸の奥に残っている。


 スマートフォンが再び鳴った。


『ナンバー見られてる可能性ある』


 悠斗の表情が固まる。


「やっぱり……」


 続けてメッセージが届く。


『その車、盗難車だから心配すんな』


「……え?」


 悠斗は画面を二度見した。


『盗難車?』


 思わず返信する。


『そう。今日の仕事用に回してきた車』


 背中に別の寒気が走った。


「荷物だけじゃなかったのかよ……」


 自分が乗っていた車そのものが犯罪で用意されたものだった。


 鍵を渡された時点で、そんな説明は一切なかった。


『警察に車両情報はもう回ってると思え。目的地で車ごと渡せ。こっちで処理する』


 さらに、


『すぐ動くな。十分か十五分待て。警察戻ってきたら荷物ごと捨てて逃げろ』


 と続いた。


 悠斗は眉を寄せた。


 少なくとも、荷物より自分の身を優先していいらしい。


 ユウジが「失敗しても困らない仕事」と言っていたのは本当だった。


 同時に、自分がかなり軽く扱われていることも分かる。


「……本当に使い捨てじゃん」


 誰もいない車内で苦笑した。


          ◇ ◇ ◇


 十五分ほど待っても、警察は現れなかった。


 悠斗は再び車を走らせる。


 今度は速度を出さず、信号も守った。


 それでもパトカーに似た車を見るたびに肩が強張る。


 このまま納品場所へ向かっていいのかも不安だった。


 信号待ちでユウジへ送る。


『このまま目的地に行って大丈夫ですか』


『場所までバレてるわけじゃねえ。追跡切れてるなら行け』


『着いたら車ごと渡せ。そっから先はこっちでやる』


「……分かりました」


 返事を打ってから、悠斗はスマートフォンを伏せた。


 盗難車。


 逃走車。


 使い捨て。


 生前なら何度も聞いた言葉だった。


 それが今は、自分の座っているシートや握っているハンドルへ結びついている。


 知識だった犯罪が、少しずつ現実へ変わっていく。


 目的地は港湾地区の外れにある古い倉庫だった。


 夜の港には巨大なクレーンの照明が浮かび、積み上げられたコンテナが黒い壁のように並んでいる。潮風には油と鉄の匂いが混じっていた。


 倉庫前には一人の男が待っている。


 悠斗が停車すると、男は周囲を確認してから近づいてきた。


「鍵」


「……はい」


 エンジンを切り、鍵を渡す。


 男はトランクを開けた。


 悠斗は反射的に中を見そうになったが、寸前で顔を逸らした。


 ここまで運んだ物だ。


 気にならないと言えば嘘になる。


 それでも、知らない方がいい。


「問題ない」


 男はトランクを閉めた。


「帰っていい」


「報酬は?」


「これ」


 手渡されたのは、小さなプリペイド決済カードだった。


「二千ドル入ってる。登録なしで使える」


 悠斗はカードを受け取る。


 薄くて軽い。


 それなのに、そこにはタクシーで何日も働くより大きな金額が入っている。


 男はもう悠斗に興味を失ったように盗難車へ乗り込むと、そのまま倉庫の奥へ消えていった。


 悠斗は手の中のカードを見下ろす。


 二千ドル。


 初めて犯罪で稼いだ金だった。


          ◇ ◇ ◇


 深夜。


 別の配車サービスを使って宿へ戻った悠斗は、ベッドへ仰向けに倒れ込んだ。


 眠いはずなのに、目を閉じるとバックミラーに映った赤と青の光が蘇る。


 クラクション。


 対向車のライト。


 タイヤの音。


 サイレン。


 生前なら興奮して見ていた光景が、今は恐怖の記憶として身体に残っていた。


「もうやらない方がいいよな……」


 普通ならそうだ。


 警察に追われた。


 事故を起こしかけた。


 知らないうちに盗難車まで運転していた。


 捕まれば、タクシーの仕事も失うかもしれない。


 それでも、今日のことを後悔しているかと聞かれれば、素直には頷けなかった。


 自分で選び、自分で怖がり、自分で判断した。


 失敗しかけながらも、最後までやった。


 正しいことではない。


 それでも今日は、誰かの配信を眺めていた一日ではなかった。


 自分自身の一日だった。


 枕元のスマートフォンが震える。


『初仕事にしちゃ上出来』


 ユウジからだった。


『また欲しくなったら連絡しろ』


 悠斗は返信画面を開く。


『またお願いします』


 そこまで打って、指が止まった。


 数秒考え、全部消す。


 代わりに、


『また仕事があれば、連絡してください』


 と打ち直した。


 それでも送信するまで、少し時間がかかった。


 怖かった記憶は消えていない。


 それでも最後には、ボタンを押した。


 レイヴンシティへ来た時、自分には知り合いが一人もいなかった。


 今は、友人と呼べるカイがいる。


 そしてもう一人、決して友人ではない相手との繋がりもできた。


 その先に何があるのかは分からない。


 ただ、街の表側だけを走っていた頃とは、もう少しだけ違う場所へ足を踏み入れていた。

お読みいただきありがとうございます。

ブックマークや評価をいただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。