第2章 第79話 80,000ドルの分け方
大河が退院したのは、その日の昼だった。
肩を撃たれてから、傷の処置と経過観察のため入院が続いていたが、ようやく医師から許可が出たらしい。
命に関わる傷ではなかったとはいえ、骨や大きな血管を外れていたから助かっただけだ。退院したからといって、すぐに元通りというわけではない。
その日の夜、悠斗たちは南部のダイナーに集まった。
悠斗、蓮、アキラ、シオン、ナナ、タクミ、そして大河。
あの仕事に参加した七人全員が顔を合わせるのは、事件以来初めてだった。
夕食時の混雑を少し過ぎた店内には、まだ仕事帰りらしい客が何組か残っている。厨房からは鉄板で肉を焼く音が響き、コーヒーと油の匂いが漂っていた。
普段より大きなテーブルを囲み、大河が真っ先にメニューを開く。
「退院祝いって聞いて来たんだけど、なんで最初に金の話なんだよ」
「先に決めた方が落ち着いて飯食えるだろ」
蓮が言う。
「逆だろ。飯食ってからの方が頭回るって」
「お前、食ったら眠くなるじゃん」
ナナが呆れたように返した。
「それは否定できない」
「否定してよ」
大河は笑いながらページをめくった。
いつもの調子だ。
それでも、左肩はまだ少し庇っている。メニューを取る時も、ほとんど右手しか使っていない。
「本当に大丈夫?」
悠斗が聞く。
「大丈夫だって。病院でもずっと言ってた」
「だから退院させてもらえなかったんじゃないの?」
アキラが笑う。
「関係ねえよ」
「絶対あると思う」
大河が文句を言う横で、タクミも小さく笑っていた。
そのくだらないやり取りを聞いているうちに、悠斗の肩から少し力が抜けた。
血のついた車内で大河の肩を押さえていた時には、こうしてまた同じテーブルを囲めるのか分からなかった。
「まあ、元気そうでよかった」
悠斗が言う。
「だろ?」
「でも無理はするなよ」
「分かってるって」
今度は七人のうち六人が疑わしそうな顔をした。
「何だよ、その反応」
笑い声が広がる。
「じゃあ、本題やろうか」
ナナがスマートフォンとメモ帳を取り出した。
「正確な金額は81,200ドル」
大河が眉を上げる。
「80,000じゃなかったのか?」
「みんな大体80,000って呼んでただけ」
ナナが答える。
「レンタル代とかインカムとか、事前準備、それから大河の治療費。確定してた必要経費を全部引いたあとの分配前利益が81,200ドル」
「1,200ドル得した気分だな」
「最初からあったから得してない」
「気分の問題だよ」
タクミが苦笑する。
「俺も正直、こんな額になるとは思わなかったけど」
「俺も」
悠斗が言う。
この金は、ずっと分配せずに保留していた。
理由は単純だ。
七人でやった仕事なのに、大河とタクミがいないところで勝手に取り分を決めたくなかった。
「俺待ちだったの?」
大河が聞く。
「七人でやった仕事だから」
悠斗が答える。
「先に五人だけで決めるのは違うと思って」
大河は少しだけ目を丸くしたあと、照れ隠しのようにメニューへ視線を落とした。
「……別に先に分けてもよかったのに」
「後から『大河はこれな』って渡される方が嫌だろ」
蓮が言う。
「まあ、それはちょっと嫌だな」
「だろ?」
タクミも頷く。
「俺も、終わったあとで金額だけ決められてたらちょっと困るかな。あの時、ロックが駄目なら帰るって話までしてたし」
「だから今回は七人で決める」
悠斗が言う。
ナナがメモ帳を開いた。
「まず一人ずつの取り分」
「同じでよくない?」
蓮がすぐに言った。
大河がまた少し驚く。
「俺とタクミも?」
「今回は同じ仕事しただろ」
「でも俺らPlaceholderじゃないぞ」
「正式メンバーかどうかは関係ない」
蓮はあっさり答えた。
「タクミがいなかったら中に入れるか判断できなかったし、お前がいなかったら荷物運ぶのもっと時間かかってた」
シオンも短く頷く。
「同額でいい」
ナナも続けた。
「怪我した分は治療費で処理してるから、怪我したから多くするって話ではないけどね。でも仕事への参加って意味なら七人同じでいいと思う」
「俺も賛成」
アキラが言った。
悠斗にも異論はなかった。
そもそも事前に細かな配分を決めていなかった。
なら、終わったあとになって正式メンバーかどうかだけを理由に差をつけるのは違う。
「じゃあ、七人は均等」
ナナが書き込む。
「次にプール金」
「プール金?」
大河が聞く。
「みんなで使う金」
アキラが説明した。
「仕事の準備とか、共有車とか、急に必要になった時用」
「ああ、なるほど」
タクミも頷く。
「前から少しずつ貯めてるやつか」
「そう」
ナナが答える。
悠斗は玲奈から聞いたことを思い出した。
先に金額を決めるのではなく、何に使うのかを考える。
「必要になりそうなのを出そう」
悠斗が言う。
「次の仕事の準備」
ナナ。
「共有車」
蓮。
「急な修理」
アキラ。
「外から誰かに手伝ってもらう時の金」
タクミ。
「緊急用」
シオン。
大河も少し考えてから口を開いた。
「飯代」
「それは自腹」
ナナが即答した。
「冷たいな」
「プール金で大河の食費まで払ってたらなくなるよ」
「それはある」
「認めるんだ」
また笑いが起きる。
今までのプール金は、大きな仕事を続けていくには心許ない。
共有車の整備だけでなく、次の仕事で車を借りることもあれば、外部の協力が必要になることもある。
予定外の出費が重なる可能性もある。
「七人に8,000ドルずつなら?」
ナナがスマートフォンの電卓を叩いた。
「56,000ドル」
「残り25,200ドル」
アキラが答える。
「それをプール金へ追加か」
「うん」
悠斗も数字を考える。
一人8,000ドルなら、個人の取り分としては十分に大きい。
25,200ドルを既存のプール金へ加えれば、以前よりはずっと余裕ができる。
「これくらい残しておけば、しばらく大丈夫かな」
悠斗が尋ねた。
「今の予定なら」
アキラが答える。
「全部の使い道が決まってるわけじゃないけど、次の仕事と車に使っても、緊急用まで全部消えることはないと思う」
「俺もそれでいい」
蓮が頷く。
「全部車に使うって言わない?」
ナナが蓮を見る。
「言わないって」
「成長した」
「最近そればっかだな」
タクミが笑う。
「俺は8,000ドルもらえるなら十分だよ」
「俺も」
大河も続けた。
「むしろ入院して退院したら8,000ドル貰えるって、ちょっと得した気分だわ」
「だから撃たれてるからな」
アキラが言う。
「そうだった」
「忘れるなよ」
悠斗は最後に七人の顔を見た。
「じゃあ、七人に8,000ドルずつ。残り25,200ドルをプール金へ追加。それでいい?」
全員が頷いた。
「決まり」
ナナがメモ帳へ書き込む。
81,200ドル。
七人に8,000ドルずつで56,000ドル。
残り25,200ドルを既存のプール金へ加える。
綺麗な数字ではない。
その方が、かえって本当に精算が終わったように感じられた。
◇
「じゃあ次、車」
蓮が待っていたように身を乗り出す。
「まだ飯頼んでねえぞ」
大河が言う。
「車の話だけ先」
「退院祝いより車?」
「同じくらい」
「最低だな」
アキラが笑った。
以前、地下の整備士から提示されたフルカスタムは22,000ドル。
ニトロを追加すれば、さらに8,000ドル。
合計30,000ドルになる。
まとまった額がプール金へ加わるとはいえ、一度に大きく使う理由はない。
「必要なところだけ頼めるか聞こう」
悠斗が言う。
「全部やる前に」
「俺もそれでいい」
蓮が素直に答えた。
「優先は?」
悠斗が聞く。
車については蓮の方が詳しい。
蓮は少し考えてから指を折った。
「まず止まれること。次に曲がる時の安定性。それから壊れにくさ。速さはそのあと」
「耐久も見てもらえ」
シオンが短く付け加える。
「この前みたいなこともある」
「だな」
蓮はすぐ頷いた。
以前なら、速さを最優先していたかもしれない。
今は、速いだけでは意味がないと分かり始めている。
NOXの仕事を間近で見て、目立たず、無理をせず、確実に帰ることの大切さを少しずつ覚えていた。
「ニトロは?」
大河が面白そうに聞く。
「後回し!」
蓮が即答した。
「聞いただけだろ」
「先に言っとかないと、また全員に言われるんだよ」
七人から笑いが起きる。
「はい、車の話はここまで」
ナナがメニューを手に取った。
「次は実際に見てもらってから」
「了解」
蓮も今度は素直に引いた。
「じゃあ飯!」
大河が待ってましたとばかりにメニューを開く。
「退院祝いだから好きなだけ頼んでいいよな?」
「自腹なら」
「祝いとは?」
「みんなで来たこと」
「金は?」
「8,000ドルあるでしょ」
「そうだった」
あっさり納得した大河を見て、また笑いが起きた。
悠斗もメニューを開く。
「悠斗、もう決まった?」
蓮に聞かれ、ページをめくる。
「まだ」
「金の分け方より悩んでるじゃん」
「こっちの方が種類多いから」
「確かに」
目の前では、大河が何を頼むか本気で悩み、タクミとアキラが横から口を出している。ナナは呆れながらも笑い、シオンは静かにメニューを眺め、蓮は相変わらず車の話へ戻る隙を狙っている。
悠斗は、その光景を少しだけ眺めた。
あの夜には想像できなかった。
事件以来初めて、七人全員が同じテーブルで笑っていた。
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