第2章 第78話 使う金、残す金
白石玲奈から返事が来たのは、その日の夕方だった。
【明日の午後なら空いてるよ。前に行ったカフェでいい?】
悠斗は画面を見て、小さく息を吐いた。
断られるとは思っていなかったが、自分から相談を持ちかけた以上、少しだけ緊張していた。
【大丈夫です。お願いします】
送信してから、Placeholderのグループチャットにも予定を知らせる。
今回は全員で押しかける必要はない。
あくまで金の管理について一般的な考え方を聞くだけなので、悠斗とナナが代表して行くことになった。
◇
翌日の午後。
玲奈と待ち合わせたのは、以前にも話をした中央地区寄りのカフェだった。
大きな窓から柔らかな陽射しが入り、店内にはキーボードを叩く音や、食器が触れ合う小さな音が流れている。
奥の四人席では、玲奈がすでにノートを広げていた。
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「こんにちは」
悠斗に続いてナナも頭を下げる。
「今日は二人なんだ」
「はい。みんなで行くと多いかなと思って」
「正解。五人で金の相談されたら、たぶん店員さんに会議室すすめられる」
玲奈が笑う。
その一言で、悠斗の肩から少し力が抜けた。
三人が飲み物を注文してから、玲奈がペンを手に取る。
「それで、何に困ってるの?」
悠斗はナナと一度顔を見合わせた。
具体的な仕事の内容も、金額も話さない。
そこは事前に決めている。
「最近、前よりまとまった収入が入ることが増えてきて」
「うん」
「使いたい物もあるんですけど、全部使うのは違うよなって話になって」
玲奈は一度だけ悠斗を見た。
「詳しい仕事の中身は、聞かない方がよさそう?」
「……はい」
「じゃあ聞かない」
あっさりした返事だった。
興味がないわけではないのだろう。
それでも、自分から踏み込まない線は引いている。
「その前提なら、基本的なことだけ話すね。私も仕事で使ってる考え方くらいだけど」
「お願いします」
玲奈はノートへ横線を引いた。
「まず、入ってきた金を一つの財布だと思わないこと」
「一つの財布?」
「例えば1,000ドル入ったとして、その1,000ドル全部を『自由に使える1,000ドル』だと思うと、だいたい使いすぎる」
ノートに大きく三つの枠が書かれる。
玲奈は一つ目を指した。
「絶対に必要になる金」
二つ目。
「あとで必要になるかもしれないから残しておく金」
三つ目。
「最後に、使っていい金」
ナナが少し身を乗り出した。
「最初から分けるんだ」
「そう。余ったら残す、じゃなくて、先に残す」
玲奈は当然のことのように言う。
「余ったら貯めようって人は、だいたい余らないから」
「耳が痛い」
ナナが苦笑した。
悠斗にも覚えがあった。
以前は金が入れば、まず何が買えるかを考えていた。
車。
服。
装備。
少し高い食事。
最近は金額が大きくなったぶん、その誘惑も大きい。
「それと、前にみんなで使うお金を分けたいって話してたよね」
玲奈が思い出したように言う。
「あ、はい」
「それは個人のお金と完全に分けた方がいい」
玲奈は別の枠を一つ足した。
「誰か一人の財布から出したり、あとで適当に清算したりすると、絶対どこかで揉めるから」
「例えば、みんなで使う車とか?」
ナナが聞く。
「みんなで使うなら共同のお金でいいと思う。でも、誰か一人の好みで付けたい物まで全部そこから出すのは違うかな」
悠斗の頭に、真っ先に蓮の顔が浮かんだ。
共有車として必要な整備や性能向上ならプール金。
個人の趣味に近い部分まで同じ扱いにする必要はない。
「あと、大きい買い物はその場で決めない方がいいよ」
「どういうことですか?」
「欲しいと思った直後って、だいたい欲しい理由しか見えないから」
玲奈はペンを指先で回した。
「一日か二日置いて、それでも必要だと思うなら考える。あと、全員で使う物なら、何のために必要なのか誰でも説明できる状態にしておく」
「説明できなかったら?」
ナナが聞く。
「その時点では、必要じゃない可能性が高いかな」
「蓮に聞かせたい」
ナナが吹き出す。
「誰?」
「車が好きな友達です」
「ああ」
玲奈は何となく察したように笑った。
「車好きは大変だね。上を見たら終わらないから」
「ほんとにそうです」
ナナが深く頷く。
◇
それからしばらく、玲奈は難しい会計用語をほとんど使わずに話してくれた。
収入が増えても、生活水準を一気に上げない。
共同資金と個人資金を混ぜない。
大きな支出には目的をつける。
先に残す金を決める。
毎回細かく完璧に記録できなくても、誰が何のために使ったのかくらいは残す。
「最初からきっちりやりすぎると続かないから、まずはこれくらいでいいと思う」
玲奈はノートを悠斗たちの方へ向けた。
そこには簡単な分類だけが残っている。
必要な支出。
予備。
将来用。
自由に使える分。
「ありがとうございます」
悠斗が頭を下げる。
「かなり分かりやすかったです」
「このくらいならいつでも」
玲奈はコーヒーを一口飲んでから、少しだけ悠斗を見る。
「でも、前よりちゃんとしてきたね」
「え?」
「前は『余った金どうしよう』って感じだったのに、今は『残す前提でどう使うか』を聞きに来てる」
言われてみればそうだった。
「みんなで話すことが増えたので」
悠斗が答える。
「それ、面倒じゃない?」
「たまに」
正直に言うと、玲奈が笑った。
「でも?」
悠斗は少し考える。
「一人で決めるよりは、いいです」
玲奈は何も言わず、少しだけ柔らかい顔で頷いた。
◇
店を出たあと、ナナは歩きながらすぐグループチャットを開いた。
【会計相談終了】
蓮から即座に返事が来る。
【車いけそう?】
「早い」
ナナが呆れる。
アキラ。
【それしかないのか】
シオン。
【結果は】
悠斗は少し考えてから送った。
【共有車に必要な部分はプール金。趣味に近い部分は別。大きい買い物は一回持ち帰って決める】
数秒後。
蓮。
【ニトロは?】
ナナが隣で笑い出した。
【今の俺たちにはたぶん趣味】
蓮。
【異議あり】
続けてアキラ。
【却下】
シオン。
【後回し】
「三対一」
ナナが言う。
「俺まだ入ってないけど」
「悠斗は?」
悠斗は歩きながら画面を見る。
欲しいか欲しくないかで言えば、少し欲しい。
けれど今すぐ必要かと聞かれれば、違う。
【後回しで】
送った瞬間、蓮から泣いているスタンプが届いた。
悠斗は思わず笑う。
少しして、また蓮からメッセージが来た。
【じゃあ必要な部分だけ頼めるか聞こう】
悠斗は立ち止まりかけた。
少し前なら、蓮は真っ先に全部やりたいと言っていたはずだ。
今は、速さだけではなく必要性を考え始めている。
【それでいこう】
悠斗が返す。
ナナも、
【賛成】
と続けた。
共有車をどうするか。
まだ何も決まってはいない。
けれど、次に何を確認すればいいのかは見えてきた。
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