第2章 第76話 どこの側に見えるか
NOXとの取引仕事を終えた翌日の午後、悠斗のスマートフォンが震えた。
画面に表示された名前を見て、指が一瞬止まる。
篠原レオ。
レオから電話が来ること自体は珍しくない。
けれど、NOXと関わり始めてから直接連絡を受けるのは初めてだった。
悠斗は一度息を整えてから通話ボタンを押す。
「もしもし」
『今、話せるか?』
「はい」
『今日の夜、時間あるか』
「ありますけど……」
『ボスがお前と話したいってさ』
予想していた名前だった。
「ジンさんが?」
『ああ』
レオの声はいつも通り淡々としている。
『別に呼び出して囲もうって話じゃない。そんな警戒すんな』
「してません」
『今ちょっと黙っただろ』
「……少しだけ」
『正直でよろしい』
電話の向こうで、僅かに笑った気配がした。
『場所送る。お前一人で来い』
「分かりました」
通話が切れる。
数秒後、メッセージが届いた。
指定されたのは南部にある小さなダイニングバーだった。
夕方以降は酒も出す店だが、飲酒さえしなければ未成年でも入れる。犯罪者同士が顔を合わせることもあるらしく、悠斗も店の存在だけは知っていた。
スマートフォンを持ったまま、しばらく画面を見る。
思い当たることは一つしかない。
NOX。
悠斗はPlaceholderのグループチャットを開いた。
【今日、ジンさんに呼ばれた】
すぐに既読が増えた。
最初に返したのはアキラだった。
【やっぱ来たか】
ナナ。
【NOXのことかな】
蓮。
【怒られる?】
最後にシオン。
【多分違う】
悠斗もそう思う。
ジンは自分たちの保護者ではない。
誰と仕事をするかまで許可を取る関係でもない。
けれど、何の関係もない相手でもなかった。
半グレとして裏社会へ入り始めた頃から、何度も助けられ、教えられている。
NOXのボスと会った時とは別の意味で、悠斗は少し緊張していた。
◇
夜。
店へ入ると、小さなスピーカーから低い音量のブルースが流れていた。
カウンターでは会社帰りらしい客が食事をし、奥のテーブルでは二人組の男が静かに酒を飲んでいる。
店内は薄暗いが、物騒な雰囲気ではない。
奥の席に黒瀬ジンが一人で座っていた。
「おう」
悠斗を見つけると、ジンは片手を上げる。
「こっち来い」
「こんばんは」
「堅いな。座れよ」
向かいの椅子へ腰を下ろす。
テーブルにはジンのグラスと、まだ手のついていない炭酸水が置かれていた。
「それ、お前の」
「あ、ありがとうございます」
悠斗がグラスへ手を伸ばす。
ジンは一口酒を飲んでから、特に前置きもなく言った。
「最近、NOXの連中と一緒に動いてるらしいな」
やはり、その話だった。
「……はい」
「何回?」
「二回です」
「そうか」
思っていたより反応が薄い。
悠斗の方から聞いた。
「もう知られてるんですか?」
「大した話じゃねえよ」
ジンは肩をすくめる。
「どこかで一緒に出入りしてたとか、NOXの連中とお前らを見た奴がいるとか、その程度だ。今はまだ噂だよ」
「そうなんですね」
「この街で何度も同じ連中と動いてりゃ、そのうち誰かは見る」
納得できる話だった。
完全に人目を避けて生活できるわけではない。
犯罪者だけでなく、店員も、整備士も、レーサーも、一般市民もいる。
誰かの目に留まれば、そこから話が広がる。
「で?」
ジンが悠斗を見る。
「NOX、入る気あんのか?」
「え?」
「聞かれたらどうすんだって話だ」
思った以上に直接だった。
「まだ、そんな話はされてません」
「だから、されたら」
悠斗はすぐには答えられなかった。
NOXは、生前に憧れていたギャングの姿にかなり近い。
仲間がいる。
役割がある。
規律がある。
仕事をする時は全員が繋がって動く。
しかも街第2位。
そこから加入を誘われれば、嬉しくないはずがない。
「……考えると思います」
「だろうな」
ジンはあっさり頷いた。
「怒らないんですか?」
「なんで俺が怒るんだよ」
「俺たち、EMBERから仕事も紹介してもらってますし」
「それと所属は別だろ」
ジンはグラスをテーブルへ戻す。
「仕事を回したことはある。危ねえ時に口出したこともある。でも、お前らをEMBERに入れた覚えはねえ」
「はい」
「だったら、誰と組むかはお前らで決めろ」
そこまで言ってから、ジンは少しだけ表情を真面目にした。
「ただ、回数が増えりゃ話は変わる」
悠斗は顔を上げる。
「今は『NOXと仕事したらしい』程度だ。でもこの先、何度もあいつらと動いてりゃ、周りの見方も変わる」
「NOXの仲間だと思われるってことですか?」
「仲間か、傘下か、加入前か。見る奴によって違うだろうな」
悠斗は黙る。
「自分たちは違うって言っても?」
「それを全員が信じるとは限らねえ」
責められているわけではない。
単に、起こり得ることを教えられているだけだった。
「例えばNOXとMIRAGEが揉めてる時に、お前らが近くにいたら、どっち側だと思われるかって話だ」
そこで悠斗は、先日のMIRAGEとSHIFTの抗争を思い出した。
あの時はどちらの側でもなかった。
だからこそ、抗争そのものへ直接加わらず、その隙を利用して別の仕事を選べた。
もし自分たちにNOXの色がついていたら。
同じようには動けなかったかもしれない。
「……自由じゃなくなるんですね」
「多少はな」
ジンが言う。
「強い奴と繋がれば得することもある。その代わり、そいつの敵からどう見られるかも考えなきゃならねえ」
悠斗は炭酸水へ視線を落とした。
そこまでは考えていなかった。
NOXから学べることは多い。
仕事に参加するのも面白い。
もっと見たいと思っている。
けれど、近づくことそのものにも影響がある。
「やめた方がいいですか?」
つい聞いてしまった。
ジンが眉を上げる。
「それ、俺に決めさせんのか?」
「……すみません」
「謝んな」
ジンは苦笑した。
「俺がやめろって言ったら、やめんのか?」
悠斗は少し考える。
「みんなと話します」
「なら、それでいいだろ」
即答だった。
「俺一人の意見で決めることじゃないです」
「そういうことだ」
ジンはそれ以上深く言わなかった。
悠斗も少し肩の力が抜ける。
「NOXで仕事するのは、勉強にはなると思います」
「そりゃなるだろ」
ジンは酒を一口飲む。
「あいつらは大仕事の準備と実行じゃ、この街でも上の方だ」
EMBERより上、とは言わなかった。
強みの種類が違うのだろう。
EMBERにはEMBERなりのやり方があり、NOXにはNOXなりのやり方がある。
「実際、全然違いました」
「何が?」
「運転とか、警戒とか、交渉とか……何か起きてから対応するんじゃなくて、起きないように動いてました」
ジンが少し笑う。
「ちゃんと見てんじゃねえか」
「でも、真似した方がいいのかなって」
「使えるところは使えばいい」
ジンはそこで一度言葉を切った。
「ただ、NOXから学ぶのと、NOXになるのは別だ」
悠斗は顔を上げた。
「……別?」
「そりゃそうだろ」
ジンは大げさでもなく答える。
「久我は久我だし、水城は水城だ。御影も雨宮もいる。お前らにはお前らの得意なことがある」
悠斗は何も言わずに聞いた。
「せっかくPlaceholderって名前までついたんだ。全部NOXの真似して終わる必要はねえよ」
その言い方は、将来ギャングを作れと言われているようなものではなかった。
今いる五人のまま、学んだことをどう使うか。
それだけの話だ。
「……はい」
「まあ、好きにやれ」
最後はいつものジンらしく雑だった。
「俺が言いたかったのは、付き合う相手が増えたら、その分だけ周りの目も増えるってことだ」
「分かりました」
「なら終わり」
「それだけですか?」
「それだけだよ」
ジンが笑う。
「何だ。もっと怒られたかったか?」
「いや、それは嫌です」
「だろ?」
悠斗も笑った。
◇
店を出た時には、午後十時を少し回っていた。
夜風が昼間より冷たい。
大通りではスポーツカーが甲高い排気音を響かせ、その少し後をパトカーが普通の速度で走っていった。
悠斗は歩道の端でスマートフォンを取り出す。
グループチャットには、すでに蓮からメッセージが来ていた。
【生きてる?】
アキラ。
【ジンさん何だって?】
ナナ。
【NOXの話?】
シオンからは何も来ていない。
悠斗は少し考えてから打ち込んだ。
【NOXと何回も仕事してると、周りからNOX側だと思われる可能性があるって】
すぐにアキラから返ってくる。
【やっぱそこか】
ナナ。
【今は噂くらい?】
【そうみたい】
蓮。
【でも次呼ばれたら行きたい】
少し遅れてシオン。
【俺も】
悠斗は小さく笑った。
自分も同じだった。
NOXへ近づくことに、良いことしかないわけではない。
それでも、もう少し見たい。
もっと学びたい。
【明日、五人で話そう】
送信する。
すぐに蓮から親指を立てたスタンプが返り、アキラとナナも了承する。最後にシオンから短く【了解】と届いた。
悠斗はスマートフォンをポケットへ戻した。
今までなら、強い相手のやり方を知れば、そのまま真似することしか考えなかったかもしれない。
けれど、誰かから学ぶことと、同じになることは違う。
NOXから何を持ち帰り、それを自分たちの中でどう使うのか。
答えはまだない。
明日、五人で考えればいい。
そう思えること自体が、以前の悠斗にはなかった変化だった。
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