第2章 第75話 何も起こさない強さ
NOXの仕事に参加するのは、これで二度目だった。
最初の仕事でPlaceholderに任されたのは、回収地点から離れた道路の監視だった。荷物には触れず、怪しい車や警察の動きを報告し、最後まで持ち場を離れない。
今回は、そこから一段だけ内側へ入る。
夕方、指定された立体駐車場へ着くと、悠斗たち五人を待っていた早乙女カナメは、挨拶もそこそこに役割を告げた。
「久我と雨宮は車。御影は中の警戒に入れ。水城と神谷は入口側だ」
「入口?」
アキラが聞き返す。
「取引の中心には入れるな。出入りを見るのと、何かあった時の連絡役だ」
やはり、そこまで信用されたわけではないらしい。
悠斗はむしろ安心した。
たった一度、言われた通りに見張りを務めた程度で、街第2位のギャングが重要な取引の中心まで任せてくる方がおかしい。
「神谷」
「はい」
「気づいたことは上げろ。勝手に動くな」
「分かりました」
前なら、その言葉を「何もするな」と受け取っていたかもしれない。
今は少し違う。
見る。
知らせる。
その先を決める人間が別にいるなら、判断を預ける。
最初の仕事で覚えたばかりのことだった。
説明が終わると、カナメが車の鍵を蓮へ放った。
「今日はこれを使え」
蓮が受け取る。
「また貸してくれるんですか?」
「お前らの車をうちの取引に残す必要はない」
「ですよね」
悠斗たちの共有車は立体駐車場へ置いていく。
前回と同じ理由だった。
NOXと一緒に仕事をした痕跡を、わざわざPlaceholderの車へ増やさない。
そういう部分まで含めて準備なのだろう。
◇
日が落れる頃、数台の車が立体駐車場を離れた。
悠斗たちに渡されたのは、前回とは別の地味な灰色のセダンだった。
運転席は蓮。助手席にナナ。後ろには悠斗、アキラ、シオンが座っている。
少し離れた前方を、NOXの車が一台走っていた。
「……速くないのに、妙に合わせづらいな」
蓮が呟く。
「前の車?」
悠斗が聞く。
「ああ。飛ばしてないのに、こっちが詰めようとすると自然に離れる」
赤信号で止まり、青へ変われば普通に発進する。
合流地点でも無理に割り込まない。
周囲の車と同じように走っているのに、前の車との距離は大きく開きも縮まりもしなかった。
いかにも「一緒に走っています」という隊列ではない。
それでも見失わない。
「俺ならもうちょい詰める」
蓮が言う。
「それやったら二台セットですって宣伝してるようなもんじゃない?」
ナナが助手席から返す。
「見失った方が困るだろ」
「見失わない距離で怪しまれないように走るんじゃないの?」
蓮が少し黙る。
「……なるほど」
「今気づいた?」
「今ちゃんと理解した」
アキラが後ろで笑った。
「言い方だけ格好つけんな」
「運転は深いんだよ」
軽口を返しながらも、蓮はいつもより前方を慎重に見ている。
速く走ること。
逃げ切ること。
それだけが上手い運転ではないらしい。
◇
目的地は南部の物流地区にある倉庫だった。
夜になっても大型トラックが行き交い、遠くでは荷物を動かす機械の警告音が断続的に響いている。周囲の建物にも明かりが残り、作業着姿の人間が歩いていた。
映画に出てくるような人気のない廃倉庫ではない。
外から見れば、夜間まで仕事をしている普通の物流施設の一つだ。
蓮は指定された場所へ車を止めた。
「俺とナナはここか」
「そうみたい」
ナナは窓から周囲を確認する。
悠斗、アキラ、シオンは車を降りた。
倉庫へ入ると、中央付近にはすでに取引相手らしい男たちが六人いた。
NOX側で話をするのは東雲エマ。
少し離れた場所には伊吹ガクが立ち、シオンもその指示で別方向へ位置を取る。
悠斗とアキラは入口付近。
中心まで十数メートル離れていた。
近くで話は聞こえる。
しかし取引そのものへ口を挟める位置ではない。
その距離が、今の自分たちに与えられている信用そのものにも思えた。
やがて、二つのケースが机へ置かれた。
中身までは悠斗から見えない。
見る必要もない。
「聞いてた量より少ないな」
相手側の男が言った。
それまで穏やかだった空気が、わずかに張る。
「事前に決めた数量です」
エマの声は変わらない。
「こっちは増やしてくれって伝えただろ」
「伺いました。でも、追加するとはお答えしていません」
「長い付き合いなんだから、少しくらい融通利かせてもいいだろ」
エマは困ったように少しだけ笑った。
「長い付き合いだからこそ、当日に条件を変えないんです」
相手の男が黙る。
「今日の分は約束通り。追加が必要なら、次の条件として改めて話しましょう」
押し返しているのに、喧嘩には聞こえない。
相手の要求を否定するのではなく、今日と次回を分けただけだった。
悠斗の横で、アキラが僅かに体重を前へ移す。
何か言いたそうなのは分かった。
それでも口は開かなかった。
今ここで交渉するのは自分ではないと理解しているのだろう。
その時、相手側にいた別の男が一歩前へ出た。
右手が腰の辺りへ落ちる。
悠斗の肩に力が入った。
ほぼ同時に、ガクが半歩だけ位置を変えた。
大きな動きではない。
銃にも触れていない。
それまで斜めに立っていた身体が、男の方へ僅かに向いただけだった。
相手の男が止まる。
数秒。
手が腰から離れた。
ガクもそれ以上は動かなかった。
悠斗はそこで初めて、少し離れたシオンの立ち位置にも気づいた。
シオンはガクと同じ場所を見ていない。
ガクが取引相手の正面を広く警戒しているのに対し、シオンは入口とは反対側から、別の男たちと倉庫の奥を見ている。
自分たちなら「怪しい奴」を見つければ、全員の視線がそこへ集まっていたかもしれない。
NOXは違った。
一人に何か起きても、別の人間まで同じものを見てはいない。
だから他を見失わない。
交渉はそのまま続いた。
結局、今日の数量は変更されず、追加分については次回改めて話すことでまとまった。
怒鳴り声はない。
銃も抜かれない。
悠斗が緊張した数秒すら、取引全体から見れば小さな出来事だった。
◇
それからしばらくして、悠斗の無線へナナの声が入った。
『悠斗、北側の通りに車一台。こっちへゆっくり来てる』
悠斗は入口から外を覗き込まず、そのまま近くのガクへ声をかけた。
「北側から車一台。ナナが見つけました。こっちへ近づいてるそうです」
「特徴は?」
悠斗が無線へ返す。
「ナナ、車の特徴は?」
『白の四ドア。乗ってる人数までは分からない』
悠斗がそのまま伝える。
ガクは入口側へ一度視線を向けた。
「雨宮にそのまま見させろ」
「はい」
「ナナ、監視続けて。近づいたら教えて」
『了解』
悠斗はそこで止めた。
警察かもしれない。
相手側の仲間かもしれない。
偶然通っただけかもしれない。
考えればいくらでも可能性は浮かぶ。
けれど、まだ事実は白い車が一台近づいているだけだ。
少ししてナナから再び連絡が来た。
『止まった。倉庫の前じゃない。一本向こうの道路』
「一本向こうで停止」
悠斗が伝える。
ガクは頷く。
「そのまま」
取引は止まらなかった。
数分後。
『動いた。南の方へ行く。こっちには来ない』
悠斗が報告すると、ガクは短く「了解」とだけ返した。
結局、その車が何だったのかは分からない。
確認するために追いかけることもしなかった。
必要以上に動かない。
分からないものを勝手に敵にしない。
同時に、存在そのものを無視もしない。
悠斗はその一連の判断を、黙って見ていた。
◇
取引が始まってから四十分ほどで、全員が倉庫を離れた。
撃ち合いはなかった。
警察も現れなかった。
誰も怪我をしていない。
予定していた取引も終わっている。
灰色のセダンへ戻ると、蓮がエンジンをかけた。
「……何も起きなかったな」
「何も起こさなかった、じゃない?」
ナナが言った。
蓮が一度、助手席を見る。
「……それ、結構違うな」
後部座席では、アキラが深くシートへ身体を預けた。
「俺だったら、あの数量の話でもう二言くらい余計なこと言ってた気がする」
「二言で済む?」
「お前、俺を何だと思ってんの?」
「喋る人」
「間違ってないのが腹立つな」
悠斗が笑う。
シオンは窓の外へ視線を向けたまま言った。
「ガク、上手かった」
「どこが?」
「さっきの男」
シオンが短く答える。
「撃つ準備はしてた。でも撃つ空気にはしなかった」
戦闘担当らしい見方だった。
「配置も?」
「ああ。全員で一人を見なかった」
悠斗もそこは気づいていた。
蓮が前を走るNOXの車を眺めながら口を開く。
「俺は運転だな。速いだけじゃ駄目なのは分かった」
「その学び、今後も覚えててね」
「ナナ、俺の運転信用してない?」
「速いのは信用してる」
「それ褒めてる?」
「半分くらい」
車内へ笑いが広がった。
悠斗も笑いながら、窓の外を流れていく工業地区の明かりを見る。
前の仕事では、持ち場を離れないことを覚えた。
今日は、その先を見た気がする。
揉めそうな話を、揉める前に収める人間がいる。
武器を抜きそうな相手を、抜かせずに止める人間がいる。
周囲の変化を拾う人間がいて、その情報を受け取って判断する人間がいる。
車を走らせること一つにも、目立たないという技術がある。
誰か一人が全部やっているわけではない。
それぞれが自分の場所で必要なことをしているから、結果として何も起きない。
「悠斗」
蓮に呼ばれ、前を見る。
「次もNOXから呼ばれたら行く?」
悠斗はすぐには答えなかった。
憧れだけなら、考える必要などなかった。
今はNOXとの差が、前よりよく見える。
近づけば近づくほど、自分たちがまだ半グレに過ぎないことも分かってしまう。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
「……行きたい」
悠斗が答える。
「俺も」
アキラが続く。
「私も」
ナナも頷く。
シオンはいつものように短く、
「行く」
と言った。
蓮が笑う。
「決まりだな。じゃあ次までに、俺は目立たない運転を覚える」
「いきなりできるつもり?」
「練習するって言ってんだよ」
「共有車で変な練習しないでよ」
「安全運転で怒られることある?」
「蓮が言うと不安なの」
また笑い声が起こる。
悠斗はシートへ背中を預けた。
NOXと自分たちの間には、まだ大きな差がある。
けれど、その差をただ「すごい」で終わらせず、どこが違うのか少しずつ言葉にできるようになってきた。
それだけでも、以前の自分たちとは違っていた。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
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