第2章 第70話 第2位のボス
ほとんど眠れなかった。
正確には、何度も目が覚めた。
スマートフォンで時間を確認して、まだ早いと目を閉じる。
しばらくすると、また目が覚める。
そんなことを繰り返しているうちに朝になった。
「……最悪」
悠斗はベッドの上で顔を擦った。
原因は分かっている。
今日、NOXの人間と会う。
昨日、アキラの家まで突然現れた男は、Placeholderのリーダーと話したいと言った。
リーダーはいないと伝えると、なら代表を一人決めろ。
そして選ばれたのが悠斗だった。
正式なリーダーではない。
今回、話をするための代表。
そこは昨夜、みんなとも確認している。
それでも緊張は消えなかった。
指定された時間より少し早めに家を出る。
場所は中心街から少し外れた区域。
表通りから一本入った先にある建物だった。
外から見ただけでは、NOXと関係のある場所には見えない。
看板もない。
派手な車が並んでいるわけでもない。
悠斗は入口の前で一度立ち止まった。
帰りたい。
本気でそう思った。
けれど、それをやればPlaceholder全員の話になる。
小さく息を吐いて、中へ入った。
◇
「神谷悠斗?」
受付らしい場所にいた男が聞いた。
悠斗は一瞬だけ身体を固くした。
名前まで知られている。
「……はい」
「こっち」
男はそれ以上何も聞かず、奥へ歩き出した。
悠斗もついていく。
建物の中は妙に静かだった。
大勢が騒いでいるわけでもない。
誰かがわざと威圧してくることもない。
むしろ、余計なことをする人間がいない。
それが逆に怖い。
EMBERの人間たちとは違う空気だった。
ジンやレオには、良くも悪くも人間らしい距離の近さがある。
ここはもっと乾いている。
必要な人間が、必要なことだけをしている。
そんな印象だった。
案内役の男が一つの扉の前で止まる。
「入れ」
「はい」
扉を開ける。
広すぎない部屋。
机が一つ。
その向こうに男が座っていた。
三十代前半くらい。
派手でもない。
大柄でもない。
けれど、悠斗が入ってきても慌てて見ることはなかった。
最初から来ると分かっていた相手を見るように、静かに視線を上げる。
「座れ」
「はい」
悠斗は向かいの椅子へ座った。
男は少しだけ悠斗を見る。
「九条玲司だ」
その名前を聞いた瞬間、悠斗の背中がさらに固くなった。
知っている。
第2位《NOX》のボス。
昨日の時点で、ある程度上の人間が出てくるかもしれないとは思っていた。
それでも、トップ本人とは考えていなかった。
「神谷悠斗です」
「知ってる」
「……ですよね」
反射的に返してしまう。
一瞬、余計なことを言ったと思った。
しかし玲司の表情は変わらない。
短い沈黙のあと、玲司が聞いた。
「お前がリーダーか」
「まだ決めてません」
悠斗はすぐ答えた。
「今回は、俺が代表で来ました」
「そうか」
それだけだった。
誰が上なのか。
誰が責任を取るのか。
そんなことを聞かれると思っていた悠斗は、少し拍子抜けする。
だが気を抜けない。
何のために呼ばれたのか、まだ分からない。
今回の仕事。
MIRAGE。
SHIFT。
縄張り。
金。
嫌な想像はいくらでも浮かぶ。
玲司が口を開いた。
「上手くやったな」
「……はい?」
思わず聞き返した。
「この前の仕事だ」
「あ……はい」
予想していた言葉と違いすぎて、返事が遅れた。
玲司は気にしない。
「MIRAGEとSHIFTがやり合った夜」
「はい」
「その裏で動いた」
やはり知られている。
悠斗の緊張が戻る。
「……何か問題ありました?」
「俺にはない」
「俺には?」
「MIRAGEとSHIFTがどう思うかまでは知らん」
「……なるほど」
なるほどではない。
普通に怖い。
玲司は淡々と続けた。
「あいつら、前からこっちにちょくちょく突っかかってくる」
「MIRAGEとSHIFTが?」
「仕事でも、縄張りでも、取引でもな」
そこで一度言葉が切れる。
「今回、勝手にやり合って、双方に怪我人出して、車も金も減らした」
玲司の声に変化はない。
「順位はそのまま」
悠斗は黙って聞く。
「いつもこっちに突っかかってくる3位と4位が、散々暴れて怪我人と損だけ出して終わった」
少し間が空く。
「しかもその裏で、半グレにうまいところを持っていかれた」
玲司の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「最高だな」
悠斗は一瞬、返事ができなかった。
この人。
思っていたより性格が悪いのかもしれない。
「……楽しそうですね」
言った直後、余計だったかと思う。
玲司は怒らなかった。
「悪くない」
それだけ返す。
余計に読めない。
◇
「抗争の噂なら、他の半グレも知ってた」
玲司が言った。
「警察が港へ寄るなら、その間に何かやれる。そこまで考えた奴もいる」
「はい」
「でも、お前らは噂だけで動かなかった」
悠斗は黙る。
「時期を絞って、始まるまで待った。人数も増やしたらしいな」
少し間を置く。
「車も二台。通信まで用意したって話も聞いた」
悠斗の背中に薄く汗が滲んだ。
「……そこまで分かるんですか?」
「分からなきゃ呼ばない」
短い返事。
どうやって調べたのかは言わない。
悠斗も、それ以上聞かない方がいい気がした。
「MIRAGEにもSHIFTにも直接手を出してない」
「はい」
「抗争現場にも入ってない」
「はい」
「でも、あいつらが作った状況から利益だけ取った」
玲司が悠斗を見る。
「そういう頭の使い方は嫌いじゃない」
褒められている。
たぶん。
けれど、悠斗は素直に喜べなかった。
NOXがここまで自分たちを調べている。
その事実の方が強く残る。
「ありがとうございます」
悠斗は答えた。
玲司は少しだけ目を細める。
「怖いか」
不意だった。
「……はい」
悠斗は正直に答えた。
「そこまで見られてたと思ってなかったので」
「ならいい」
「いいんですか?」
「何も感じないよりはな」
玲司はそれ以上言わなかった。
悠斗も黙る。
レオに言われた言葉が頭をよぎる。
名前が売れれば、上からも見える。
今、その意味を嫌というほど感じていた。
◇
玲司が少し姿勢を変えた。
「お前ら、自分たちが強くなったと思ってるか」
「思ってません」
悠斗はすぐ答えた。
玲司の視線が止まる。
悠斗は続ける。
「今回できたのは、MIRAGEとSHIFTが警察を引きつけてくれたからです」
「それだけか」
「それだけじゃないです」
悠斗は少し考えた。
「ナナが情報を集めて、みんなで役割を分けたのも大きかったです。でも……同じ仕事を普通の日にやれって言われたら、多分やりません」
「なぜ」
「危ないからです」
今度も即答した。
「警察ももっと来ると思うし、相手も普通に動ける。今回と条件が違います」
玲司は数秒黙っていた。
「それが分かってるならいい」
少しだけ空気が緩んだ気がした。
だが、次の言葉は重かった。
「勘違いするな」
悠斗の背筋が伸びる。
「お前らがMIRAGEやSHIFTに勝ったわけじゃない」
「分かってます」
「正面からやれば、今は話にならない」
「はい」
悠斗もそこは理解している。
港へ集まった何台もの車。
途切れない銃声。
警察ヘリ。
救急車。
あの騒ぎを起こせる組織と、今のPlaceholderが同じ場所にいるとは思えない。
「大金を取ったくらいで、あいつらと並んだつもりなら帰そうと思ってた」
「なってないです」
悠斗はすぐ返した。
「むしろ、あの抗争見て差を感じました」
「ならいい」
玲司はそれ以上その話を続けなかった。
悠斗は少しだけ息を吐いた。
金額を褒められているわけではない。
自分たちがどこにいるのか分かっているか。
そこを見られていたのだと思う。
◇
話は終わったのだろうか。
悠斗がそう思ったところで、玲司が言った。
「今度、うちの仕事に一度付き合え」
悠斗は固まった。
「……NOXの仕事にですか?」
「そうだ」
「俺だけ?」
「違う」
玲司が悠斗を見る。
「Placeholderで来い」
悠斗の鼓動が少し速くなる。
「それって……」
「仲間にする話じゃない」
玲司は先に言った。
「噂通り使える連中なのか、実際に見る」
短い。
それだけだった。
悠斗はしばらく返事ができなかった。
NOX。
第2位のギャング。
今まで名前を遠くから聞くことしかなかった組織が、自分たちを仕事へ呼ぶ。
加入ではない。
認められたわけでもない。
試される。
その段階へ来ただけだ。
「返事は?」
玲司に聞かれ、悠斗は我に返る。
「俺一人で決めていい話じゃないです」
玲司の眉が僅かに動いた。
悠斗は続ける。
「戻って、みんなに話します」
数秒。
玲司は悠斗を見た。
「そうしろ」
それだけだった。
悠斗は少し安心する。
「分かりました」
「話がまとまったら連絡させる」
「はい」
用は終わったらしい。
玲司が視線を外す。
悠斗は立ち上がった。
「失礼します」
返事はなかった。
そのまま扉を出る。
扉が閉まった瞬間。
「……怖かった」
小さく声が漏れた。
怒られなかった。
金を取られることもなかった。
むしろ評価された。
それでも、最後まで緊張は抜けなかった。
建物を出た悠斗は、少し歩いてからスマートフォンを取り出した。
Placeholderのグループチャットを開く。
何から書くか迷った末、短く送った。
【話終わった】
すぐ既読がつく。
蓮。
【生きてる?】
【生きてる】
アキラ。
【何の話だった?】
悠斗は数秒画面を見つめてから、続きを打った。
【NOXの仕事に一回付き合わないかって言われた】
送信した瞬間。
それまで一気についていた既読の下から、しばらく誰の文字も出てこなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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そして本日はここまで明日も5話投稿します。
よろしくお願いいたします。




