第2章 第64話 抗争の噂
「MIRAGEとSHIFT、そろそろ本当にやるらしいよ」
ナナがそう言った瞬間、テーブルを囲んでいた四人の視線が一斉に集まった。
夕方を少し過ぎた南部の飲食店は、それなりに客が入っていた。厨房からは油の弾ける音が聞こえ、壁際のテレビでは音量を絞ったスポーツ中継が流れている。
窓の外では、古いセダンが低い排気音を残して走り去っていった。
護衛の仕事を終えてから、数日。
悠斗たちは久しぶりに五人揃って食事をしていた。
ナナは注文したポテトにはほとんど手をつけず、スマートフォンの画面を見ている。
「やるって、何を?」
蓮が聞いた。
ナナが顔を上げる。
「抗争」
さっきまで軽かった空気が、少しだけ変わった。
「マジで?」
アキラが身を乗り出す。
「まだ噂だけどね」
「どのくらい信用できる話?」
悠斗が聞くと、ナナはスマートフォンをテーブルへ置いた。
「揉めてること自体はかなり確かだと思う。ここ最近、同じような話を何ヶ所からも聞いてるし」
「何で揉めてるんだ?」
「そこまでは分かんない。取引だとか縄張りだとか、車絡みだとか、話がバラバラ」
「じゃあ抗争するっていうのも、本当に決まってるかは分からない?」
「うん。でも最近は『そろそろ本気でぶつかるんじゃないか』って話が増えてる」
悠斗は黙って聞きながら、MIRAGEとSHIFTという二つの名前を頭の中で思い浮かべた。
名前と順位くらいは以前から知っている。
レイヴンシティで犯罪に関わっていれば、嫌でも耳に入る名前だ。
ただ、EMBER以外の主要ギャングは、どこか遠い存在だった。
知ってはいる。
けれど、自分とは直接関係がない。
少し前までは、そんな感覚だった。
「MIRAGEが3位だったよな」
悠斗が確認すると、アキラが頷いた。
「そう。SHIFTが4位」
「その二つが本気でやり合うって、結構まずい?」
悠斗が聞くと、ナナが苦笑した。
「『結構』じゃ済まないと思うよ」
隣で黙っていたシオンが、短く言う。
「本気なら死人も出る」
その言葉を聞いた瞬間、悠斗の脳裏に別の光景が浮かんだ。
生前。
部屋の明かりを消して、モニターだけを眺めていた夜。
大勢のプレイヤーが街を走り回り、ギャング同士が衝突する配信を何時間も見続けていた。
もしあの頃に、
第3位と第4位のギャングが本格抗争を始める。
そんな話を聞いていたら、たぶん興奮していた。
誰が勝つのか。
何台の車が集まるのか。
どんなことになるのか。
見たいと思っていただろう。
その感情が一瞬だけ胸の奥に浮かび、悠斗は自分で少し嫌になった。
ここは画面の向こうではない。
少し前には、自分自身が銃声を聞きながら車の中で身を縮めていた。
撃たれれば痛い。
そして、死ぬ時は本当に死ぬ。
「悠斗?」
アキラに呼ばれ、悠斗は顔を上げた。
「あ、ごめん」
「なんか考えてた?」
「ちょっと昔のこと」
深く説明はしなかった。
アキラも追及しない。
蓮が飲み物を一口飲んでから、ナナへ聞いた。
「ていうか、MIRAGEって具体的に何が強いんだ?」
「金関係かな。情報とか裏取引とか、賭け事にも強いって聞く」
「SHIFTは?」
「車」
アキラが即答した。
「レース、輸送、盗難車、改造。車関係だとよく名前が出る」
蓮の目が少し変わった。
それを見たアキラが、すぐに笑う。
「お前、その顔やめろ」
「何が?」
「ちょっと興味持っただろ」
「車の話なら普通に興味あるだろ」
「SHIFT入りたいとか言うなよ」
「言ってない」
「まだな」
「まだって何だよ」
蓮が笑い、ナナも吹き出した。
シオンは特に笑わなかったが、口元がほんの少し緩んだように見えた。
悠斗もつられて笑う。
張り詰めた空気が少しだけ戻った。
「一応、順位だけなら上からCROWN、NOX、MIRAGE、SHIFT、EMBERだよ」
ナナが指を折りながら言う。
「CROWNが一番大きい。表の会社とかにも食い込んでるって話だし、政治家と繋がってるなんて噂もある」
「どこまで本当かは知らないけどな」
アキラが付け足す。
「NOXは?」
悠斗が聞く。
「人数はそこまで多くないらしいけど、かなり厄介って聞く」
「厄介?」
「仕事が上手いっていうか。強盗とか逃げ方とか、そういうの」
ナナも詳しい内情まで知っているわけではないらしい。
断言ではなく、どれも「聞いた話」として口にしている。
悠斗はその方が、逆に現実味を感じた。
街に住んでいるからといって、誰もが裏社会の事情を知っているわけではない。
むしろ、知らない方が普通なのだ。
「で、5位がEMBER」
蓮が言う。
「そこだけ急に知ってる人多いな、俺ら」
アキラが笑う。
「まあ、実際関わってるからな」
悠斗は軽く頷いた。
ジン。
レオ。
マコト。
ミナ。
悠斗たちにとって、EMBERはただの組織名ではない。
顔を知っている。
声も知っている。
何度も世話になった。
そのEMBERが5位。
その上に、まだ四つある。
そう考えると、今まで知識としてしかなかった順位が、少し違って見えた。
「俺たち、まだ小さいんだな」
悠斗が思わず口にすると、アキラが笑った。
「今さら気づいた?」
「いや、分かってたけど」
「五人だしね」
ナナも笑う。
「正式なリーダーすら決めてないし」
「それは別にいいだろ」
悠斗が返す。
「別に悪いとは言ってないよ」
そう言われ、悠斗は少しだけテーブルの上へ視線を落とした。
五人。
大きなギャングと比べれば、確かに少ない。
それでも、妙に落ち込む気にはならなかった。
レイヴンシティへ来たばかりの頃は、本当に一人だった。
知らない街。
知らない人。
誰かへ話しかけるだけでも怖かった。
それが今は、こうして同じテーブルを囲んでいる相手がいる。
考えてみれば、それだけでもかなり変わった。
「それで?」
悠斗はナナへ視線を戻した。
「抗争の話、どこまで分かってるの?」
ナナの表情も少し真面目になる。
「そこが問題なんだよね」
スマートフォンを手に取る。
「揉めてるのはかなり濃い。近いうちに大きくぶつかるんじゃないかって噂も広がってる。でも、いつなのかも、どこなのかも分からない」
「規模も?」
「分かんない」
「誰も?」
「少なくとも、私が聞ける範囲では」
ナナは画面をスクロールしながら続けた。
「『今夜らしい』とか『港じゃないか』とか、そういう話はあるよ。でも全部バラバラ。どれが本当かも分かんない」
「なるほど」
悠斗は少し考えた。
その時点では、何か具体的な計画があるわけではない。
抗争へ関わりたいとも思わない。
むしろ、できるなら近づかない方がいい。
それでも、ただの噂として聞き流す気にはなれなかった。
MIRAGEとSHIFTという、今の自分たちでは到底届かない規模の二つの組織。
その二つが本当に動こうとしている。
なら、何かが起きる。
それだけは間違いない気がした。
「ナナ」
「ん?」
「もう少し調べられる?」
ナナが悠斗を見る。
「何を?」
「本当に抗争が起きそうなのか。それと、分かるなら時期と場所」
「確実なところまでは無理だと思う」
「うん」
悠斗はすぐに頷いた。
「確実じゃなくていい。分かるところまでで」
ナナは少し考え、それからスマートフォンを持ち直した。
「じゃあ、探ってみる」
「お願い」
「変な期待はしないでよ?」
「しない」
悠斗が答えると、ナナは小さく笑った。
それから会話は別の話題へ移っていった。
蓮がSHIFTの車の話をもう少し聞きたがり、アキラにまたからかわれる。
シオンは黙って食事を続けている。
いつもの五人だった。
それでも悠斗の頭の片隅には、二つの名前が残り続けていた。
MIRAGE。
SHIFT。
何に使える情報なのか、まだ自分でも分からない。
けれど、ただの噂として聞き流す気にはなれなかった。
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